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フクイチの原発事故は,人類史上に類例をみない激甚な災厄だった.政府は何の対策も打てず,徒に6年が過ぎた.この間,日本人は文字どおり「命からがら!サバイバル」の日々を送ってきた.今も,6年間に吸い込んだホットパーティクル核燃料の微粒子による内部被曝で,深刻な多病多死社会に突入している.一方,本年は「あの執拗な濃霧が消えた!」「豪雨が止んだ!」 という大変化があり,これは「デブリが沈み温度が下がった」「埋め殺し状態か?」という推測が成り立つ.「希望が湧いた」と言える.(飯山一郎)
★強靭で安寧な国をつくろう! 世界は寸前暗闇.人生も一寸先は闇だ.しかし何が起ころうとも,国家が強力で,かつ強靭な指導者が国の総力を挙げて対処する!という国のカタチがあれば,国民の暮らしは守られる.ワシらの国=日本を弱くしてはイケない.小イケにハマってはイケない. 飯山 一郎
ままりんさんの願い:『いま,安倍総理を失う訳にはいかない!』 (記事)
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柿本人麿と九州王朝

1:明石原人 :

2016/12/16 (Fri) 10:56:09

host:*.plala.or.jp
「一元通念は、論証を経ておらず、
その正しさを証するに足る根拠もない。」・・・・・・中小路駿逸

「近畿大和なる天皇家の王権は、
七世紀よりも前から日本列島内で
唯一の卓越して尊貴な中心的権力であった。」・・・一元通念(一元史観ではない。単なる通念。)


「七世紀よりも前から」が、大嘘。

「七世紀より前は九州王朝。」  (その前は出雲王朝。そして・・・その前は分からないが・・・・。)

近畿天皇家=大和朝廷は、「八世紀から」。

八世紀の近畿天皇家自身が、正直に、我が王朝の始まりは、八世紀からだと宣言している。

『日本書紀』『続日本紀』の読み間違いが一元通念を生み出している。

一元通念ではなく多元史観で歴史をみる。論証と根拠が必要。

一元通念を非としたとき、
東北王朝、関東王朝、越王朝、吉備王朝、出雲王朝、九州王朝、近畿王朝・・・が、浮き出てくる。

多元的古代の登場。

多元史観で古代を語ってみたい。

人麿を中心にして。


22:堺のおっさん :

2016/12/28 (Wed) 15:11:18

host:*.ocn.ne.jp
7世紀半ば、といえば650年ごろですが、泉の国は農業を支えるため池群がまだできていません。
行基が作ったこれらのインフラで増産=人口増が可能となったと思います。

では、6世紀の泉地方の人口はどれくらいであったか。かの古墳群を造営するには
相当な人口でなければ不可能だと思います。

そこで、現地で検分する限り巨大な国家が必要となります。
具体的な数字をはじき出せれば論証も進むのでしょうが、そこは勘弁してください。
結論から言うと、古墳群は当時はもっと小規模のものでなかったかということです。

それを、百済系の国家が大和に入って以降、大規模に改修造営したのが現在残されている
古墳群ではないかということです。

何のため? 唐の大軍勢が押し寄せてきた時の防衛線としてです。
地図を眺めると、仁徳陵が海岸線の最前線。応神陵が大和へ攻め上る最終防衛ラインとして
設定されたのではないか?

このように見ると、堺・羽曳野の平野で大軍勢を押し包みせん滅するという軍事
戦略が見えます。


なお、応神陵は西側のみ堀も土塁も強化されています。応神陵から見た西側とは
もちろん海側。唐の上陸に備えての造営ということになります。
以上は、かねてからの仮説です。

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