★ 掲示板:『放知技(ほうちぎ)』 ★彡
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2018年元旦,金正恩,五輪外交を開始!平昌五輪を大成功に導く.習近平が金正恩を超国賓待遇!金正恩が米朝首脳会談を提案,これをトランプが即断で受諾!金正恩,板門店から韓国に入り,南北首脳会談.大成功!トランプが5月中の米朝首脳会談を示唆.マティス国防長官が「駐韓米軍の撤退」を示唆!…まさしく激動の2018年だ.この激動の切っ掛けをつくり,激動をリードしてきたのは,金正恩(34)だ!今後も金正恩は世界をリードする!目が離せない.深い考察と議論が必要だ.
(M部長・飯山一郎)
吠えるE爺と 燃える同志たちの闘議場 -27-
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1:飯山一郎
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2017/06/30 (Fri) 09:04:35
host:*.dion.ne.jp
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前スレでは,「昨年までの執拗な濃霧と湿度100%の地域が消えた!」という気象現象からフクイチ1号機の低温化が明らかになった.これは(誰も言及しないが)大朗報である.一方,国内政治は「官僚・ネオコン対安倍政権」の激烈な政治闘争が続き,国際政治も米vs露が武力衝突寸前の緊張状態. 本スレでは,「政治」を個人的な正義感や善悪感情,好悪感,ベキ論で語るのではなく,「政治過程の帰趨」を洞察しつつ「政治の現況」を見透かす議論を期待したい.
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231:mespesado
:
2017/07/20 (Thu) 06:52:30
host:*.itscom.jp
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~ 国家資本主義 ~
この言葉を検索すると、Wikipediaで項目が立っていました。それによると、
> 国家資本主義(こっかしほんしゅぎ、英:state capitalism)とは、学者
> や立場によって異なった色々な意味で使用されているが、通常は国家が資
> 本主義に介入し管理するもの(修正資本主義)、国家が資本主義を推進す
> るもの(開発独裁など)などを指す。1896年にヴィルヘルム・リープクネ
> ヒトが最初に述べ、特にウラジミール・レーニンがネップの正当化などに
> 積極的に用いたことで知られる。
何だかわかったような、わからないような。どのみちその定義は曖昧です。
しかし、定義は曖昧なれど、>>211 同じ空の下さんの
> 国家資本主義に向かう安部首相にどうしても違和感があります。
にしても、>>210 で私が紹介したブログ「移ろうままに」の最新のエントリー:
「国家資本主義」
http://oshosina.blog.so-net.ne.jp/2017-07-19#more
で引用されている佐和隆光さんの「日本経済の憂鬱」【第2回】
http://diamond.jp/articles/-/37985
の中の
> アベノミクスは、中曽根や小泉の自由至上主義的な経済政策と一線を画す
> るどころか、まったく対照的な国家資本主義にほかならないではないか。
> 官民ファンドの創設、民間企業の設備投資を今後3年間で1割増やすこと、
> 8つの国立大学に今後3年間で外国人教員1500人の採用義務づけ、日本版
> NIH(アメリカの国立衛生研究所)の創設、原発をはじめとするインフ
> ラ輸出の首相によるトップセールス等々、国家が主導する成長戦略の目白
> 押しである。
というくだりにしても、否定的なニュアンスとして「国家資本主義」という語
が使われています。これはなぜでしょうか。
私はかつて、前々スレだったと思いますが、「資本主義」「社会主義」「自
由主義」「共産主義」という4つの語を再定義したことがありました。ここで
それを復習すると、
資本主義 …… 消費者、生産者、(設備投資のために投資する)資本家の
うち、資本家を最優遇する制度のこと。
社会主義 …… 消費者、生産者、資本家のうちで実質的な生産者であり、
最大多数の消費者でもある労働者を最優遇する制度のこと。
自由主義 …… 起業、財産の形成などの経済活動は原則自由であるとする
制度のこと。
共産主義 …… 経済活動を制限し、起業、財産の形成を禁止し、それらを
国家が一元的に行う制度のこと。
このように再定義すると、資本主義と社会主義が対立概念であり、自由主義
と共産主義が対立概念になることが明確になるのでした。
さて、上述の佐和隆光さんが絶賛していると思われる新自由主義とは、自由
主義の極端な場合、すなわち経済活動を極限まで自由にした場合のことを指し
ますが、その結果はすさまじいまでの弱肉強食となり、ネオコンのようなカネ
の亡者が世界を支配する酷い世界となることがサッチャー、レーガン、小泉の
実体験により実証済みです。(それなのに佐和隆光さんは
> 自民党政権をになった過去の宰相のうち、中曽根康弘と小泉純一郎を私は
> 高く評価する。ふたりとも、筋金入りの保守主義者だったからだ。
などと最大限のエールを送って憚りません。)
これに対して「国家資本主義」という言葉は、頭に「国家」と付いているこ
とから、私の上記の「共産主義」の定義中にある「国家」を連想して、何やら
共産主義に近いものであるかのようにイメージして否定的に捉えてしまうのか
もしれません。しかし、それはイメージに過ぎません。それでは私なりに、上
記の再定義になぞらえて、国家資本主義という語をきちんと再定義してみます。
国家資本主義 …… 国家が資本家の役割を果たす制度のこと。
これは、国家が生産者(企業家)の役割を果たす共産主義とは全く異なるも
のです。ですから当然共産主義の対立概念である自由主義とも矛盾せず、両立
します。
そもそも資本主義というのはヨーロッパで発生しました。これは、大航海時
代やら戦争経済やらで巨万の富を蓄えた大富豪達がカネの使い道も無く持て余
していたところに丁度産業革命が起こり、生産のためのインフラに投資する人
を募集していたことから、大富豪達がその投資する者としての資本家という役
割を担ったのが資本主義の始まりなわけです。
しかし、日本では西洋ほどの度外れた大富豪というのは存在せず、それが現
在まで尾を引いているため、西洋のように自前で資本家の役割に当てはまる人
たちを見つけることができませんでした。その結果、日本で資本家の役割を果
たしたのは海外の大富豪たちで、その結果配当を通じて日本の富が海外に流出
していたのでした。
そこに登場したのが安倍政権による国家資本主義です。これは今まで海外の
大富豪が担っていた資本家の役割を日本政府が担うということであり、日本の
富を海外に流出させない、実に巧みな制度と言わなければなりません。つまり、
こと日本に限って言えば、国益・国民の利益の観点からすれば、国家資本主義
とは何ら否定的に捉えるべきではなく、肯定的に捉えるべき概念であることが
わかります。