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金正恩2018年元旦,金正恩,五輪外交を開始!平昌五輪を大成功に導く.習近平が金正恩を超国賓待遇!金正恩が米朝首脳会談を提案,これをトランプが即断で受諾!金正恩,板門店から韓国に入り,南北首脳会談.大成功!トランプが5月中の米朝首脳会談を示唆.マティス国防長官が「駐韓米軍の撤退」を示唆!…まさしく激動の2018年だ.この激動の切っ掛けをつくり,激動をリードしてきたのは,金正恩(34)だ!今後も金正恩は世界をリードする!目が離せない.深い考察と議論が必要だ.(M部長・飯山一郎)
金正恩の真実 金王朝の“深い謎”ビビンバ!北朝鮮!
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【!!必読!!】『日本』という国名の秘密new  『放知技』データベース


堺・仲・安倍・大勝利スレ -30-

1:飯山一郎 :

2017/10/20 (Fri) 18:28:23

host:*.dion.ne.jp
総選挙とは,個人的な好み,ロマン,文句,ノスタルジー等々を表明する祭りではない日本国をどの党の誰に任せるべきかそれを冷静に考えて投票する政(まつりごと)なのだ.国は強国が良い.弱いと国民が不幸になる.22日は自民大勝だどうせなら圧勝させたい日本がより強靭な国になるためになお,本スレは少なくも本年末までは『堺のおっさんと仲間たちが安倍総理の自民党を選挙で大勝利させるための選挙対策特別スレッド』略称:『堺 仲 安倍 大勝利スレ』(さかい なか あべ だいしょうりスレ)という名称で運営します.(飯山一郎)
947:mespesado :

2017/12/27 (Wed) 00:19:18

host:*.itscom.jp

 鯨料理の話題で盛り上がっていますが、反捕鯨という西洋の都合による

ポリコレから目を覚ますには大変良いテーマですね。

 ところで、例によってまた、放知技を好意的に紹介してくれているめい

さんのブログで、15年前に書いたという論文が公開されていましたので

ちょっと長くなりますが、紹介します。西洋かぶれに対する反省を促す内

容です。

http://oshosina.blog.so-net.ne.jp/2017-12-26#more

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 「素直であること」が悪いことであると思わなければならない、と思い
始めたのは今から四十数年前、小学五、六年生の時だった。当時の担任で
あった女の先生は、作文指導の中で、何事に対しても批判的であることの
大切さを教え込んでくれたのだった。それまで「人の言うことは素直によ
く聞くこと」とばかり思い込んでいた私にとって、世界がひっくり返るよ
うな教えだったのだと思う。目のパチパチが止まらなくなるチック症で
「ソロバン」のあだ名が付いたものだった。

 以来戦後教育の洗礼をまともに浴びつつ高校から大学へ。しかしあの全
共闘時代の真っ只中、何とか渦中に巻き込まれずに踏ん張れたのは、祖父
母のいる家庭で培われた、学校教育以前の「三つ子の魂」のおかげだった
と思う。

 まじめに勉強すればするほど人間がおかしくなる。まじめに勉強すれば
するほど、自分の住む国がいやになり、世の中に対して反抗的になり、世
の中のしきたりなどどうでもいいことのように思えるようになり、年寄り
を軽んじて平気な人間になってしまう。自らを省みてそう思う。学校の勉
強なんていい加減に聞き流してきた方が、ずっとまともな人間として暮ら
してゆけるのだ。戦後教育に内在する恐ろしい逆説である。 

 中学の「公民」の教科書(東京書籍)を開くと、「社会における利害の
調節や紛争の解決をめざす営みを広い意味で政治とよぶ」とある。利害の
対立や争いごとがあるから政治があるということになる。そうなのだろう
か。日本では、政治を「まつりごと」とも言う。そこにはまず秩序がある。
政治の役割とはまず何よりも、世の中の秩序を維持することではなかった
のか。たしかにもめごとの解決も秩序の維持も同じことの裏表、しかしど
ちらを表に出すかで、もめて当然かまとまっているのがあたりまえか、天
地の隔たりが出てきてしまう。この教科書ではわざわざ「広い意味で」と
言っているので、子供たちは、すべて政治は基本的にそういうものなのだ
と思い込む。その一方では「人権の尊重」とか「自由と平等」とかの言葉
で西洋仕込みの個人主義をたたき込まれるわけで、いくら「公共の福祉」
やら「寛容の精神」やらで和らげようとしても、世の中もめていてあたり
まえ、みんな自分の思いのまま、強いものが得をする、そんな感覚になっ
てしまわざるをえない。

 歴史の教科書も同様である。たとえば、「大正デモクラシー」の節には
「米騒動は、およそ三ヵ月にわたり、約七〇万もの人々が参加する民衆運
動となり、軍隊の出動でしずまったが、人々の政治的な自覚をうながし
た。」(日本文教出版)とある。まさにもめごとが「政治的自覚をうなが
すもの」として奨励されるかのようである。

 また、「公民」の教科書(東京書籍)では、「人権」について三七ペー
ジにわたって説明されている。「人権」という言葉と表裏一体のものとし
て「自由」が叩き込まれる。しかもそれは「国の秩序」や「学校の秩序」
や「家庭の秩序」よりも何よりも優先されている。本来「人権」や「自由」
という考え方は、弾圧や抑圧に対抗するものとして生まれてきたはずのも
のなのに、今の教科書ではそれだけが一人歩きしてしまっている。

 かつてわれわれ世代にとって教祖的存在でもあった吉本隆明は「個人幻
想は共同幻想に逆立する」と言った。われわれは、共同幻想からはみ出た
部分を自己とし、それを以って存在の基盤に据えようとしていた。存在自
体が根底において反秩序なのである。世の中との乖離は必然である。学生
時代を含め十年間の独り暮らしから、家業を継ぐため家に戻って、地域に
溶け込んでゆく中で、戦後教育で身につけた殻を徐々に徐々に剥がしてき
た。教科書を読むと、殻をまとっていた頃の自分が見えてくる。

 フッサールからメルローポンティに連なる現象学の系譜は、コギト(思
う我れ)を原理とするデカルトを批判し、コギト以前の「すでに生きられ
た世界」こそが初源であると喝破した。ハンカチを片手で渡すと渡された
相手は片手で受け取り、両手で渡すと両手で受け取るという実験をテレビ
で見たことがある。私たちは、考える以前の行動のレベルでは、いちいち
心の中の「私」が考えて行動しているわけではない。そこでは、まだ「私」
の意識が育っていない赤ちゃんがそうであるように、私の気持ちと相手の
気持ちとは溶け合っている。自ずとそこには秩序がある。その初源を忘れ
て「私」を原理としたところに戦後教育の根本的な誤謬がある。「思う我
れ」を第一義とするデカルト的主知主義からの脱却、すなわち共感の体験
を第一義とすることを通して、個人以前の秩序の感覚を取り戻すことを教
育改革の要に据えねばならない。難しいことではない。われわれはすでに
そうして生きているのである。

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