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新時代を読み解く初心者たちの討論スレー1ー

1:猿都瑠 :

2019/11/13 (Wed) 18:12:40

host:*.kddi.com
メインスレに書き込みたいけど、敷居が高い、考えが纏まった時には別の話題になっているなどなど。

実際にお会いした方々からそのような声があったので立ち上げました。

自身のペースで、そして気楽に疑問質問を、肩の力を抜いて書き込んで下さい。
864:mespesado :

2022/02/28 (Mon) 19:14:33

host:*.eonet.ne.jp

 >>859 の続きです。

 やっと『人間の建設』を最後まで読み終わりました。

 この対談は、学問や教育というもののあるべき姿について、学問は人間が

行うものである以上、人間の性(さが)から逃れることはできず、そこには

人間の「心」に従ったものでなければならない、という話で一貫しているよ

うに思いました。その意味では、猿都瑠さんによる >>862 のコメントも納

得なのですが、問題は、岡さんが学問がそうあるべきでるとする理由として、

「数学基礎論」における >>859 で説明した「事件」を引き合いに出してい

る点に疑問を感じるのです。

 ここを更に追求するため、引用を続けます。


>  最近、感情的にはどうしても矛盾するとしか思えない二つの命題をと
> もに仮定しても、それが矛盾しないという証明が出たのです。だからそ
> ういう実例をもったわけなんですね。それはどういうことかというと、
> 数学の体系に矛盾がないというためには、まず知的に矛盾がないという
> ことを証明し、しかしそれだけでは足りない、銘々の数学者がみなその
> 結果に満足できるという感情的な同意を表示しなければ、数学だとはい
> えないということがはじめてわかったのです。【39頁】


 ここで、「二つの命題」と呼んでいるものについて、後の頁で更に具体的

な説明があります↓


> 一方でアレフニュルとアレフとの間のメヒティヒカイトは存在しないと
> 仮定したのです。他方でアレフニュルとアレフとの間のメヒティヒカイ
> トは存在すると仮定したのです。この二つの命題を仮定したわけです。
> どうしたって、これは矛盾するとしか思えません。これは言葉からくる
> 感情です。ところがその二つの仮定が無矛盾であるということを証明し
> たのです。それは数学基礎論といって、非常に専門的技巧を要するので
> すが、その仮定を少しずつ変えていったのです。そうしたら一方が他方
> になってしまった。それは知的には矛盾しない。だが、いくら矛盾しな
> いと聞かされても、矛盾するとしか思えない。だから、各数学者の感情
> の満足ということなしには、数学は存在しえない。知性の中だけで厳然
> として存在する数学は、考えることはできるかもしれませんが、やる気
> になれない。こんな二つの仮定をともに許した数学は、普通人にはやる
> 気がしない。だから感情ぬきでは、学問といえども成立しない【42頁】


 やたら専門用語が、しかも現代ではあまり使われないドイツ語で出てくる

ので、少し解説してみたいと思います。

 「小数」というのはご存知だと思います。0.15 とか、2.89 みたい

に整数の後に小数点があって数字がいくつか続く表示を言いますが、ここで

例に挙げたように、有限個で書けるものを「有限小数」と言い、例えば円周

率の 3.141592… のように無限に続く場合を「無限小数」と言いま

す。更に、無限小数にも2種類あって、例えば 1÷7 を計算して小数展開

した場合のように、0.142857143857142857… というよ

うに、同じパターンが繰り返し続くものを「循環小数」といい、そうでない、

上で挙げた円周率みたいな小数を「非循環小数」と言います。

 で、「有限小数」も「無限小数」も、0以上1以下の範囲に限定した場合

ですら、どちらも無限個存在しますが、同じ「無限」同志でも、その「濃さ」

が違います(ここで「濃さ」と呼んだのは、数学的に厳密に定義され、正確

には「濃度」あるいはドイツ語で上の引用文にあるようにメヒティヒカイト

とか、英語ならカーディナリティーと言います)。後者の方が前者より「濃

いい」のです。で、前者の濃度のことを「可算濃度」又は上の引用部分のよ

うに、アレフニュルと呼び、後者の濃度のことを「連続体の濃度」又は引用

部分のようにアレフと呼ぶのです。実はこのような「濃度」に対する研究に

ついては「集合論」という数学の一分野の創始者であるカントールという学

者が色々調べたのですが、考えられる限り様々な具体的な小数の集合を考え

ると、それらはいつも、「可算濃度」であるか、「連続体の濃度」であるか

いずれかであることが証明できることに気が付きます(例えば上で定義した

「循環小数」は「可算濃度」を持ち、「非循環小数」は「連続体の濃度」を

持ちます)。このことからカントールはある仮説を立てます。それが「連続

体仮説」という仮説であり、「可算濃度と連続体の濃度の中間の濃度を持つ

集合は、実は存在しないのではないか」という仮説です。ところが、この仮

説は、カントールだけでなく、その後の有名な数学者の努力にもかかわらず、

数学的に証明することも、逆に反例を挙げることも、誰も成功しませんでし

た。そんな中で、コーエンという学者が彗星のように突然現れて、「フォー

シング」と呼ばれる数学的技法を携えて、この仮説が、なんと!証明も反証

も不可能である、言い換えると、正しいと仮定しても正しくないと仮定して

も、いずれの場合も矛盾が生じない、ということを証明してしまったのです

(正確には「正しいと仮定しても矛盾しない」方は、ゲーデルが既に証明し

ていました)。

 そんな「事件」があったので、岡さんは「そんな、正しいと仮定しても正

しくないとしても矛盾しないなんて、感情的には納得できない」と心象吐露

しているわけですね。確かに「知的」には、数学的に厳密に「証明」された

のだから受け入れるしかないが、しかし「心」では納得できない、といった

ところでしょうか。

 実は、数学の世界では、「証明も反証も不可能な命題が存在する」という

事実は、このコーエンの業績以前に、かのゲーデルが既に証明していました。

ただ、ゲーデルが「証明も反証も不可能な命題」として作って見せたのは、

いわゆる「嘘つきのパラドクス」として有名な、「この命題はウソである」

という命題(つまり、この命題を正しいと仮定するとこの命題は正しく無く

なり、逆にこの命題を正しくないと仮定するとこの命題は正しくなるので、

いずれにせよ矛盾するのでパラドクスという)を、これだけでは数学の命題

とは言えないので、数学的に意味があるように内容を巧妙な方法で変換して

得られるれっきとした数学の命題なのですが、こんな嘘つきのパラドクスみ

たいな内容では、数学としては中身が無いわけで、「数学的に中身があるよ

うな数学の命題ではまさかそんな証明も反証もできない命題なんて作れない

だろう」と思っていたところ、なんと、「連続体仮説」という数学的にきち

んと中身がある命題がその例だった、というわけで、数学界では大変な驚き

を持って受け取られたのです。

 長くなったので、このことに対する私の感想は稿を改めて解説します。

                              (続く)

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