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金正恩2018年元旦,金正恩,五輪外交を開始!平昌五輪を大成功に導く.習近平が金正恩を超国賓待遇!金正恩が米朝首脳会談を提案,これをトランプが即断で受諾!金正恩,板門店から韓国に入り,南北首脳会談.大成功!トランプが5月中の米朝首脳会談を示唆.マティス国防長官が「駐韓米軍の撤退」を示唆!…まさしく激動の2018年だ.この激動の切っ掛けをつくり,激動をリードしてきたのは,金正恩(34)だ!今後も金正恩は世界をリードする!目が離せない.深い考察と議論が必要だ.(M部長・飯山一郎)
金正恩の真実 金王朝の“深い謎”ビビンバ!北朝鮮!
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新時代を見透かす知恵者たちの発信スレー40―

1:堺のおっさん:

2020/04/19 (Sun) 21:38:13

host:*.enabler.ne.jp
奇遇と言うか、故飯山氏を送る集いは2018年11月25日、

大阪のコロナホテルで執り行われた。まさに啓示である。

コロナウイルスの一種である武漢ウイルスが世界を巡り、

グローバル世界はこの感染爆発に対応出来ない限界を示した。

武漢ウイルスは世界を変えるキーとなるか。

知恵者たちの卓見を発信するスレになることを期待する。(管理人)
241:mespesado :

2020/05/17 (Sun) 09:06:11

host:*.itscom.jp

>>238

 そこの榊淳司氏の動画もよい↓


https://youtu.be/d8X-tzJ2tCA


 人間の欲とは何ぞや、という根幹にかかわる話ですね。

 で、思うに、確かに貨幣の正しい理論を知るのももちろん大切だけれど、

それが本質ではない。

 仮に今後貨幣の電子化が進んだり、何かのはずみで政府が積極財政に転じ

たとしても、それでめでたし、めでたし、とはならないだろう。

 なぜなら、人々は「オカネ」が欲しいんじゃなくて、実は「欲」を満たし

たい、というのが根底にあるから、仮に「オカネ」が意味を失うようになっ

たとしても、絶対に「オカネの代わりになる、何か別の『欲』を満たせるも

の」を探し出して、今度はそれに執着するだけだろうから。

 例えばバブルの頃、民間人は給料がうなぎのぼりの時代、公務員の給料は

そこまで急に増えないので公務員が民間人を嫉妬していた時代だったと思う

が、官僚さんたちはこんなことを言っていましたよ:「我々公務員は、給料

のことを考えたらバカバカしくてやってらんない。だから民間人に対する権

限を行使することに生きがいを持つしかないんだ」と。

 これの権化が財務官僚でしょうが、彼らは「オカネ」が自分の実力で自由

に増やせないとなったら「権力」「権限」に「欲」の対象を移す。

 それから新自由主義の時代の経営の「成功者」もそうで、彼らは逆にオカ

ネは好きなだけ稼ぐことができてしまっているので、逆に自分の「オカネ」

を増やすことには興味が無く待ってしまう。その結果、「自分と一般人との

間に『経済格差』があること」が彼らの新しい「欲」になる。その結果、彼

らは「働かざる者食うべからず」論や「格差があって何が悪い。能力がある

者が豊かになるのは当然だ」←裏を返せば「オレサマのような能力が無い人

間が豊かな暮らしができたら悔しい」になってしまう。これこそ新自由主義

者の「事の本質」だと思うのです。

 カネ儲けに無縁に見える学者だってそうで、真実の追及を諦めて財務省の

ような「権力者」の御用学者になるような人はもちろんそうだけど、そうじ

ゃない、一見「オカネに無関心」に見える学者の中にも、今度は「学問的な

業績を上げてナンボ」と考える学者。← 一見するとまともな考えで、それ

が学者の本領ではないかと思うかもしれないが、これとて、「学者仲間に高

い評価を受ける」ことが彼らの「欲」になってしまっている。

 私も自分は学者ではないが、数学の世界での学者の「業績」とそれに対す

る「評価」についてはよく見えるのだが、彼らはとにかく「未解決問題」、

例えば「フェルマー予想(解決済み)」や「ポアンカレ予想(これも解決済

み)」や「リーマン予想(これは未解決)」とかなんとかを解決すると「す

ごい」と言われ、高評価を受けるのだが、私はこういうのにはほとんど興味

がなく、それよりも数学という学問の「本質」とは何か、ということを究明

する方が好きなのだが(その観点で言うと、数学者より数理論理学者の方が

好きだし、数理論理学者の中でも「不完全性定理」でその分野で専門家以外

の間でも有名なクルト・ゲーデルよりも、論理というものの本質をかなりの

ところまで暴いたゲルハルト・ゲンツェンの方が好きです)、どうもそうい

う研究は「地味」だと捉えられているのが「何だかなぁ」と思うのである。

 それから、ちょっとメールによる宣伝の中で見たのだが、「出羽守」の一

種だと思うのだが、大学教育の話で、日本では「学者が『不出来』な学生を

バカにする」のに対し、米国では「学生が『不出来』な学者を評価して、そ

の評価値で学者のボーナスが査定される」というのが事実だそうで、日本の

ような学者が例えば授業でイネムリしたりする学生をバカにするのはテメエ

が退屈な授業をしてるからそうなるので、それは自分の責任だろう、だから

米国の制度の方が望ましい。また、学生に対する評価だって、米国の方が厳

しく、レポートが不出来だったり替え玉レポートとかだと平気で退学させら

れる、だからこの方が大学として本来の姿だ、という米国「出羽守」論が書

かれていた。

 しかし、これ↑も、まさに米国流の「実力主義」の典型であって、これも

「能力」「成果」を挙げることが偉いことであって、そうなることを推奨す

る。しかし「すべての学生」が「能力」があって「成果」を挙げることなど

できるわけはなく、結局これも「一部の成功者」だけにスポットを当てて、

その「一部の限られた人」になることが「欲」になっているわけだ。私は日

本の大学のような、入試で入るときだけ大変で、一たび入ってしまえば「と

ころてん」なのがいいとも思わない。それはそれで「真実を追求したい」人

のインセンティブを叶えてくれない、「質の悪い研究機関」になり果ててし

まうからだ。しかし逆に米国のように「真実を追求したくても、『能力』が

無いと周りに『判定』されたばっかりに、研究者として学問を続けることを

強制的に断念させられてしまう世界」がいいとも思わない。

 学問をしたい人は自由に研究でき、その真実の追及のための情報や刺激に

は溢れているが、かといって「成果」を無理に求められない、そんな大学教

育が私の考える理想ですかね…。

 要するに「欲」に囚われているうちは、「己」に対する「執着心」でしか

ないのであり、それを乗り越えて、というか、精神レベルでそれを超越した

ところ、つまり「自分」と「他人」にもはや区別がない心境(これはよく勘

違いされるところなのだが、「利己主義」vs「利他主義」というと、後者が

「自分を犠牲にして他人のために尽くす」という意味に取られることが多い

のだけれど、ここで言う「自分と他人の区別がない」世界というのは、別に

他人のためになることが、自分の犠牲によるものではなく、他人のための行

為と自分のための行為に区別が無くなり、そんな「利己」「利他」などとい

う意識など最初から消えているような状態、とでもいうべきもの)に至らな

いと、この「欲を追求する」呪縛からは逃れられないのではないかと思うわ

けです。

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