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金正恩2018年元旦,金正恩,五輪外交を開始!平昌五輪を大成功に導く.習近平が金正恩を超国賓待遇!金正恩が米朝首脳会談を提案,これをトランプが即断で受諾!金正恩,板門店から韓国に入り,南北首脳会談.大成功!トランプが5月中の米朝首脳会談を示唆.マティス国防長官が「駐韓米軍の撤退」を示唆!…まさしく激動の2018年だ.この激動の切っ掛けをつくり,激動をリードしてきたのは,金正恩(34)だ!今後も金正恩は世界をリードする!目が離せない.深い考察と議論が必要だ.(M部長・飯山一郎)
金正恩の真実 金王朝の“深い謎”ビビンバ!北朝鮮!
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新時代を見透かす知恵者たちの発信スレー40―

1:堺のおっさん:

2020/04/19 (Sun) 21:38:13

host:*.enabler.ne.jp
奇遇と言うか、故飯山氏を送る集いは2018年11月25日、

大阪のコロナホテルで執り行われた。まさに啓示である。

コロナウイルスの一種である武漢ウイルスが世界を巡り、

グローバル世界はこの感染爆発に対応出来ない限界を示した。

武漢ウイルスは世界を変えるキーとなるか。

知恵者たちの卓見を発信するスレになることを期待する。(管理人)
273:mespesado :

2020/05/23 (Sat) 16:27:58

host:*.itscom.jp

https://twitter.com/i/status/1258430933394288647

↑中野剛志さんって、経済論や貨幣論だけじゃなくて、「言語論」について

もすごい見識を持っているのに感心します。


 ところで、はぐらめいさんのサイトの最新のエントリー↓

https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2020-05-23

の増田嗣郎という人のサイトからの引用部分がすごい。

 発音の物理的性質が言霊に密接に結びついているという話。

 日本語に擬音語だけじゃなく、擬態語という不思議な単語が多いのも、日

本語がそういう発音にかかわる物理的な性質に敏感だからなんでしょうね。

~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

 ところで日本語は情緒を表現するのに得意だが、論理を表現するのは苦手

だ、なんてよく言われるけれど、前者はともかく、後者は本当ですかね?

 前にもどこかのスレッドに書いたけど、日本語の方が論理的なところがあ

るという話の一例として、受動態の話があって、

 (日)私は彼に本を与えた。

 (英)I gave him a book.

という「能動態」の文があって、目的語の「本」を主語にした受動態を作る

ことは両言語でできる。これはまあ、アタリマエ↓

 (日)本が彼に与えられた。

 (英)A book was given to him.

 また、「彼」を主語にした受動態を作ることも両言語共にできる:

 (日)彼は本を与えられた。

 (英)He was given a book.

 一方、次のような能動態の文を考える↓

 (日)泥棒が私から財布を盗んだ。

 (英)A thief stole a wallet from me.

 これを目的語である「サイフ」を主語にした受動態は、当然ながら両言語

ともできる。これもまあ、アタリマエ↓

 (日)財布が私から盗まれた。

 (英)A wallet was stolen from me.

 ところが、「私」を主語にした受動態は、日本語はできるけれども英語で

はできない↓

 (日)私は財布を盗まれた。

×(英)I was stolen a wallet

 英語で同じ内容を「私」を主語にして言いたければ、受動態ではなく

〇(英)I had a wallet stolen.

みたいに言わなくちゃいけない。

 で、日英どっちの方が論理的か?

 私が学校で習ったときは、前者の「本」の例では「本」も「彼」も「目的

語」だから英語ではどちらも主語にした児童体ができる。でも、後者の「サ

イフ」の例だと「サイフ」は目的語だが、「私」は英語では「from」という

前置詞が付いていることからわかるように、目的語ではないから、それを主

語にした受動態ができないのはアタリマエで、これはそんな目的語でもない

モノを主語にした受動態ができる日本語の方が非論理的である、というもの

だった。

 で、そのときは「フムフム。そうだな」と納得していたんだけれど、それ

って完全に詐欺ですね。

 なぜかというと、最初の例の英文である「I gave him a book.」の him

って英文法では「第二目的語」とか言うけれど、目的語に第一とか第二とか

ある方が変で、そもそも英語の名詞には、他の言語(例えばドイツ語やロシ

ア語)のような格変化が無く、そもそも「格」でいうなら、本来の目的語で

ある「(第一)目的語」は、格変化を持つ言語では「対格」とよんでいる。

本来の受動態というのは、このお「対格」を主語にした文のことを言うはず

だったのだ。

 これに対し、「第二目的語」とかいってる him の方は、格を持つ言語で

は「与格」といって、何かをする「与え先」、つまり「主語 → 与格」とい

う意味の格で、日本語では「~に」という格助詞で表す。だから英語でも、

同じ文を「I gave a book to him.」とも言い、この場合は「与格」である

ことを示す前置詞 to がちゃんと付いている。だから本来は、この him は

与格なのに前置詞を省略して第一目的語の手前に持ってきて、あたかも目的

語であるかのように「装っている」だけだ、とさえ言えるのだ。

 これに対して後者の文「A thief stole a wallet from me.」の me は、

格変化を持つ言語では「奪格」といい、「与格」とは反対に、何かをすると

きの「奪ってくる先」、つまり「主語 ← 奪格」という構図で、丁度与格と

奪格は、矢印の向きが逆なだけで、そういう意味では「同階級」なのだ。

 ということは、与格を主語にした受動態が可能なら、身分として「同階級」

な奪格を主語にした受動態も可能な日本語の方がよっぽど論理的だ、とも言

えるのだ。つまり、「与格」のときだけ語順を変えて「第二目的語」などと

名付けて目的語扱いできるくせに、矢印の向きが反対なだけの「奪格」のと

きはそういうことができない、という英語って論理的にどうなのよ、とも言

えるわけだ。

 あ、それからもう一つ。

 日本語では動詞文の否定文が形容詞文になってしまうというのが非論理的

だ、という話。

 英語だと「A dog runs.」もその否定「A dog does'nt run.」もどちらも

動詞文(というか、英語には形容詞を述語にする形容詞文というのはそもそ

も存在しないが)だ。

 ところが日本語の「犬が走る」は「走る」という動詞が述語なのに、その

否定文「犬が走らない」は「ない」という形容詞(日本語文法ではこの「な

い」は形容詞扱いしないようだが、終止形が「い」で終わるのは動詞でなく

形容詞の特徴)が述語になっていて、同じ構造の文の肯定か否定かの違いだ

けしかないのに、述語の品詞が変わってしまうのが非論理的だ、というので

ある。

 でも、これも「犬が走っているなら、犬は走るという動作を行っているか

ら動詞文でよいが、犬が走ってないのなら、走るという「動作」を行ってな

いわけだから、動詞で表したらかえっておかしく、何もしていない、という

「状態」を表すには形容詞文である方がふさわしい。だから日本語の方は、

そういう観点で見れば実に論理的である」という説明を読んだことがあり、

その発想には脱帽したものである。

 ↑…と、長々と、やや言語学チックなややこしい話をして申し訳なかった

が、言語学のような生粋の学問の世界でも、いかに「西洋かぶれ」が蔓延し

ているかという話の一例だと思っていただければ幸いです。

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