★ 掲示板:『放知技(ほうちぎ)』 ★彡 24095565

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ここは、射能地獄を生き抜き生き残るための恵と術を伝え合う掲示板です。国家や政府やマスコミが「殺人機関」と化した今、放射能から生命(イノチ)を守るサバイバル技術の習得だけが、生き残り(survival)を保証する最後の砦(とりで)です。放射能地獄では議論は不要!互いに助けあう者たちが集い、互いに助けあう!いまや、日本人が生き残る道は、自助努力と相互扶助。この二つしかないのだから。(管理人:飯山一郎 TEL:090-3244-5829)
☆耐えた甲斐があった! あの亡国の原発大爆発から6年の歳月が(徒に)流れた.この間,核燃料の超微粒子を吸い続けたがために1億総内部被曝!結果は激甚なる多病多死社会の到来.しかし今,日本には大変化が起きつつある.それは安倍首相が ❶総理官邸から米国戦争屋を追放 ❷プーチンとフクイチ鎮圧の協定締結 ←これは"希望の革命"だ!だが…(戦争屋と原発ムラによる首相暗殺の危険があるため)公表できない.けれども(知る人の胸に)希望が湧いたことは確かだ.

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『てんや蛙』の『座敷牢』

1:飯山一郎 :

2016/12/05 (Mon) 15:12:39

host:*.ocn.ne.jp
『放知技』の常連諸兄なら,本スレのタイトルを一見すれば一瞬で納得だろう.しかり!本スレは,揚げ足取りやイチャモン,難癖つけしか出来ない「ボロボロ・ウラジミール蛙」こと軒下蛙クンを隔離収容するスレである.軒下 蛙クンは,このスレだけに書くよ~に! ←このルールを破った場合は,アク禁!【管理人】
892:明石原人 :

2017/02/10 (Fri) 19:07:23

host:*.nttpc.ne.jp
>>887
「神は人の上に人を造らず・・・」

最後のテーマに入ろう。

秋田孝季は、次のようにのべている。
「神は人の上に人を造らず、亦、人の下に人を造り給ふなし」
(「荒覇吐神之事」寛政二年〈一七九〇〉七月。『東日流外三郡誌』補巻、北方新社刊、五二-五三ぺージ)

これを見て、驚倒する読者も、少なくはあるまい。なぜなら、あの有名な、
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと云へり」
という、福沢諭吉の『学問のすすめ』における冒頭言、あれを思い浮かべない人は、少ないであろうから。

これこそ、「偽作」の証拠か。そのように論じた人もあった。

・・・しかし。

和田長三郎末吉の“自作文書”が残っている。

そこでは、次のようにのべている。

「この一書をもつて、拙者の一代に果したる東日流外三郡誌 内三郡誌 六郡誌大要を書写仕り、ここに了筆せるこそ、祖父、亡父、先代に遺言せらるを果したり。…(略)
祖訓の一句を、有難くも、福沢諭吉先生が御引用仕り、『学問ノ進メ』に、天ハ人ノ上二人ヲ造ラズ、人ノ下二人ヲ造ラズとの御版書を届けられしに、拙者の悦び、この上も御座なく、幾度も読み返しをり、今更にして、福沢先生の学問にもつて不屈なること、不惜身命の勇ありと、感じをり仕る・・・・」

このようにのべて、末尾に次の署名を行っている。

「明治庚戌(四十三年)一月一日
和田宗家四十六代
和田長三郎未吉(花押)」

『学問のすすめ』は明治五年二月以降の刊行であったから、その三十八年のちに、書かれた文章である。

ただ、注意すべき点がある。この文章は、依拠原本(この活字本・・・『東日流六郡誌絵巻全』津軽書房刊・・・のもとになった、と見られるもの)を実見したところ、長三郎末吉自身の「自署名」ではなく、彼の子供の和田長作の「再写」にもとづくもののように見えた。

この点、再確認したい(長作は、昭和十四年四月十日没)。和田家における、徹底した「再写主義」、すなわち“複製本造り”の情熱に、深い敬畏をおぼえざるをえない。

さて、問題の本質を見つめよう。

以上の末吉の「跋文」を見れば、ことの真相は明らかだ。

第一。末吉は、福沢論吉に、『東日流外三郡誌』の一節を見せた。右の一文の(中略)部は、次のようである。

「東京の秋田重季子爵、福沢諭吉先生、西園寺公望閣下、加藤高明閤下の御親交を賜りたる拙者の生涯、悔ひ無き栄誉を戴きたるも、先祖の遺訓を大事とし、白河以北一山百文の国末に、日本帝国の空白なる奥州の史実、世襲にはばかる故に、拙者、祖来の尋蹟五代の労も、いまだ平等なる日輪に光当を妨ぐる武官の権政に好まれざれば、これを子孫の代に遺し、日浴平等に、自由民権の至る世まで、極秘に封蔵仕るなり」

秋田孝季ゆかりの秋田子爵(孝季の弟〈異父同母〉の系統)を通じて、末吉は福沢諭吉に会った、あるいは書面を通じての知遇をえたものと思われる。

第二。そこで福沢は、問題の一句を記し、
「・・・と云へり」
という形で結んだ。
これが自己の「独創」ではなく、何者かからの引用であることをしめしたのである。

この点、福沢に「盗作」の意図はなかった、といってよい。

第三。福沢は明治三十四年(一九〇一)に死んだ。福沢の死後、この一句は赫灼たる後光を帯びた。

福沢思想をしめすべき「スローガン」的な位置を占め、教科書等に特記される慣わしとなったのである。

それは、西欧の天賦人権説の輝ける祖述者・紹介者としての福沢を、一言にして表現した一句、とされたのだ。

だが、いずこにもなかった。その典拠に擬せられたアメリカの「独立宣言」やフランスの「人権宣言」、いずれをとっても、この一句に対し、「翻訳の原本」と見なすべき「原文」を発見できない。

もしできれば、それはおそらく、“above man”“below man”といった簡明な英文(もしくは仏文等)であったであろうから、明治以降の英語の教科書では、喜んでこれを使用したことであろう。

・・・だが、それはなかった。

これに対し、『東日流外三郡誌』には、おびただしく存在する。

(A)安倍頼時・・・天喜元年(一〇五三)五月二日(寛政五年十月、秋田孝季写)
「日高見国末代に住よき国造り、夢追ふが如く民にはげまし、いざこそ是れ荒吐族世の如く南越州、東坂東より北領の住人の国境及び司者を除きて住民一緒の政を布してより、飢え民ぞなかりしに、朝賊の汚名を蒙むりて、帝は征夷の勅を以て吾れ討なむとせり。誠に浅猿しき哉。絹衣を朝夕にまといし都、麻を着る民の汗をついばむ輩に、何か故の献税ぞや」(北方新社本、第一巻五二〇~五二一ぺージ)

(B)安倍次郎貞任・・・康平五年(一〇六二)正月日(寛政五年、秋田孝季写)
「吾が祖は、よきことぞ曰ふ。即ち人に生る者、天日に照しては平等なりと、人を忌み嫌ふは人にして亦、人の上に人を造り、人の下に人を造るも人なり」
(北方新社本、第一巻五一九ぺージ)

(C)秋田頼季・・・元禄十年(一六九七)七月(秋田孝季写)
「吾が一族の血肉は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」
(北方新社本、第六巻三〇二ページ)

右の他にも、数多い。

『真実の東北王朝』ミネルヴァ書房・古田武彦


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