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金正恩の真実 金王朝の“深い謎”ビビンバ!北朝鮮!
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放知技の書斎

1:猿都瑠 :

2019/03/29 (Fri) 15:15:25

host:*.au-net.ne.jp
情報時代と言えど、読書の重要性は増す一方。
古典と呼ばれる書籍群から現在に至るまで、この書籍は必読、こんな書籍を読みました、読んでます。
この書籍はお薦めですとか何でもE~です。
他のスレと重複しても構いませんので、皆さんどうぞ。
111:mespesado :

2019/12/16 (Mon) 07:25:10

host:*.itscom.jp

>>110

 出世外人さん。私の独り言のようなマニアックな書き込みにレスを戴き、

恐縮です。放知技の常連メンバーの中に私以外に「公理」の話に関心を持つ

人がいたことに驚き、素直にうれしいです。


> 一方で、その根本になっている公理に関する考察があいまいというか、
> 速足に済ませて、いきなり代数幾何とかの応用問題をやりますよね。


 そうなんですよ。これ、私は「高校生には数学の基礎付けのような問題は

難しいから省略してるんだろう」と思っていましたが、そうじゃなかったん

ですよね。実際に「大人」というか「専門家」にとっても、「数学の基礎付

け」については本当のことがわからない、というか、自分たちが想定してい

たような解決ができない(ヒルベルト・プログラムの失敗)という後ろめた

さがあるから、高校生にうまく説明できないから、というだけのことだった

ようなのですね。


> 「公理の正しさを証明できないのに、そこから導かれた公式や結果が正
> しいと断言できるのだろうか?」


 いやもうこれ、私が最初に感じた疑問そのものですよ。でも、この質問を

数学者にしたら笑われます。「いや、ある問題が『なぜ正しいの?』という

疑問を解決するために、その根拠となる、より基礎的な事実を見つけて、そ

こから数学的に厳密に演繹する。更にその『より基礎的な事実』が『なぜ正

しいの?』と疑問に持ち、その根拠となる、より基礎的な事実を見つけて…、

ということを繰り返していくとキリがない。この無限の遡りを防ぐためには、

どこかでこの無限遡及を終了させなければならないだろう?その終わりにす

る一番最初の事実に相当するものを公理というんだ。だから『公理』が『証

明できない』のは仕方がないんだよ」と。

 ↑これは、まことにスキのない理屈ですから、すごすごと引き下がるしか

ないように見えますよね。でも、だからと言って、数学が「実は内容に意味

はない、単なるゲームに過ぎない」ってのは余りにも極端から極端に振れ過

ぎていると思ったのです。


> 哲学の授業でデカルトの翻訳『方法序説』を読んで、ようやく合点がい
> きました。

> 要は、「数学は論理だ、客観性だ」とか言いながらも、根本的なところ
> は「『bon sens』、良識・良心によるんだよ」ということで、「なーん
> だ、結局、根本は『思い切り』というか、ぎりぎりの主観の世界なんだ」
> と腑に落ちました。


 ↑実はこれ、今でも多くの数学者はそう思っていると思うんです。しかも

デカルトってフランス人ですよね。実はフランス人って、「明晰でないもの

はフランス的にあらず(Ce qui n'est pas clair n'est pas francais.)」

というだけのことはあって、何でも明確さを極めるところまで貫くのが彼ら

の性分なところがあります。実際、「形式主義」がデファクト・スタンダー

ドになって以来、この形式主義をタテマエでなく、本当に貫いて数学書を作

っちゃった(『ブルバキ数学原論』)のが、このフランス人なんですね。確

かにこのブルバキ数学原論形式主義で本当に数学が記述できるんだ、という

ことを現実に示した功績は大きいのですけれど、何かものすごく「人工的な

明晰さ」なんですよね。だって、この数学原論においても、「公理」や「推

論規則」は天下り式に与えられ、しかも「普通の日常言語における自然さ」

を全く持たない、超不自然な公理を与えておいて、「これを数学のスタート

地点とするからそれで満足しろ」という構成になってるんですから、これを

bos sens を持った普通の人が見たら、かえって怒るでしょうねw

 つまり、まさにデカルトが言ったことは、要するに「数学ってタテマエは

形式主義でガチガチに寸分の隙もないように組み立ててあるけど、ホンネは

主観なんだよ」ってことじゃないかと思うんです。

 ところが、こういう風潮に異を唱えていたのがドイツ数学で、こういった

数学の基礎の「人工的」さ、「不自然」さに一石を投じたのが、20代で若

くして遭難死したゲンツェンという論理学者です。ゲンツェンは、特に「推

論規則」のところでそれまでのブルバキでも採用されていた、「人工的」で

「不自然」な推論体系を、もっと「自然」な推論体系に書き直すことに成功

しました。で、私の発見も、実はこのゲンツェンの延長線上にあります。大

切なのは、いくら明晰でも「人工的」で「ホンネはタテマエと違うところに

ある」ような解明ではなく、もっとタテマエとホンネが一致した「自然」な

解釈がある。そして、推論規則だけでなく、集合論の公理、というか「集合

とは何か」についても、もっと「自然な」定義がある。そしてその自然さを

極めれば、公理自体が「数学の究極はデジタルな認識にある」という立場か

らきちんと「導出できる」ということだったんです。ですから、数学につい

てはフランス流の合理性は誠に不自然であり、ドイツの方がマシだ。しかし

それとて、もともとポリコレのようなドグマに感化されやすい西洋哲学の限

界がある、と感じているところなんです。

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