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新時代を読み解く初心者たちの討論スレー1ー

1:猿都瑠 :

2019/11/13 (Wed) 18:12:40

host:*.kddi.com
メインスレに書き込みたいけど、敷居が高い、考えが纏まった時には別の話題になっているなどなど。

実際にお会いした方々からそのような声があったので立ち上げました。

自身のペースで、そして気楽に疑問質問を、肩の力を抜いて書き込んで下さい。
174:嘘と欲 :

2020/05/07 (Thu) 06:19:24

host:*.bbtec.net


サルトルさんが張ってくれた桜子さんところからの貼り付け、我々の先達(ついでに私の親父も)

が戦ったアジアでの聖戦。これを前提に置くと武田の兄貴の戦争の解説も理解しやすい。

大東亜戦争の果たした世界史的な偉業

多くの日本人が、日本は「太平洋戦争」を戦って、連合国に敗北したと、そう本気で信じている。
だが、それは真実ではない。
「太平洋戦争」は、アメリカの占領政策であるWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)によって、徹底的に洗脳された偽りの歴史だ。
日本が戦ったのは、大東亜戦争である。
たかが戦争名と、軽く考えてはならない。
なぜなら、大東亜戦争という戦争名には、日本軍の将兵が命を賭して戦った戦争の大義、理由が、込められているからである。
大東亜戦争の戦争目的のために、二百数十万の将兵が、命を捧げた。
その尊い犠牲を、その戦争の大義を、日本人は永遠に忘れてはならない。
なぜ、イギリス人の私が、そんなことを言うのか。
理由は、単純明快である。
その戦争によって、大英帝国が、滅ぼされたからだ。
歴史を正しく記録すれば、そうなる。
大英帝国を、いや、五百年にわたって続いた西洋列強による植民地時代を、終焉させたのが、大東亜戦争だった。
それは、決して「太平洋戦争」ではなかった。
英国人ジャーナリストの私は、アメリカ史観に立つ必要もない。
あえて言えば、イギリス史観に立つと言ってもいい。
すると、日本が戦った戦争は、全く違った姿を現じてくるのだ。
「太平洋戦争」というおぞましい呪縛の呪いから、日本人は、まず意識を解放されなければならない。
日本が戦ったのは、「大東亜戦争」だった。
世界史という大きな大河を、俯瞰してみると、その流れが大きく変わる姿が見える。
五百年続いた白人キリスト教徒の西洋列強による有色他民族の大虐殺、侵略、植民地支配の歴史は、大東亜戦争によって終焉を迎えた。
もし日本軍が、アジアに進攻しなければ、アジアにあった欧米の植民地が、その宗主国から独立することは、決してなかった。
人種平等の世界を実現する。
それが人類の「目標」であるというのであるならば、日本の大東亜戦争は、大業を果たし、素晴らしい金字塔を建てたと言えよう。

日本が閣議決定した正式な戦争名を、日本のメディアが使えない

日本人は、アメリカの占領政策・WGIPによって洗脳されたために、大東亜戦争の果たした世界史的な意義を、見通すことができない。
それどころか、「日本の大東亜戦争は、侵略戦争だった」とか、「日本軍は、残虐行為を犯した」とか、「アジアの民を大虐殺した」といったGHQによって刷り込まれた虚構を、真実であると信じ込んでいる。
NHKも民放テレビ各局も、朝日新聞はもとより、読売新聞から産経新聞まで、日本が戦った戦争を、「太
平洋戦争」としている。
真っ赤な嘘だ。
実に、愚かなことと言っていい。
一九四一(昭和十六)年十二月八日、日本は米英と戦端を開いた。
東條英機首相の内閣で閣議決定し、正式な戦争名を「大東亜戦争」として、日本国内はもとより全世界に発表した。
日本の正式な戦争名を、なぜ報道機関が使えないのか。
理由は簡単で、言論統制が敷かれたからである。
その報道の自由の束縛は、今に至るまで影響を及ぼしている。
言論統制というと、戦時中の日本のことのように思われがちだが、戦後の日本の言論統制のほうが、はるかに酷い。
終戦直後、子供たちは、学校で教科書に墨を塗らされた。
日本の正義を想定させるような表現は、一切が否定され、使用禁止にされたからだ。
産経新聞までもが、日本の戦った正式な戦争名を新聞紙上で使えないのは、そのためである。
もちろん、報道で使用した表現は、容易にコロコロと変更することができないことはよくわかる。
一度新聞社として使用した表現を踏襲し変更しないのは、誤解や混乱を避けるためである。
しかし、二百数十万余の自国民が、命を捧げた戦争名を、あだや疎かにしていいはずがない。
日本の報道機関は、断固として、日本が正式に閣議決定をして使用した呼称である「大東亜戦争」を、使うべきなのだ。
私は、大東亜戦争を肯定せよと、そう言っているのではない。
肯定する側でも、否定する立場でも、正式な日本の戦争名である「大東亜戦争」を使わずに、アメリカ側に強要された「太平洋戦争」という呼称を使うのでは、歴史を正しく認識できなくなると、そう言っているのだ。
大東亜戦争を、太平洋戦争と呼ばせることは、歴史修正主義そのものではないか。
「太平洋戦争」と呼んだ時から、煙に巻かれたように、わからなくなってしまうことがある。
香港は太平洋の島であろうか。
インドは太平洋に面しているのであろうか。
大英帝国と日本の戦争は、香港やインドを戦場とした。太平洋で戦争をしたのではない。

アジアを日本が侵略した?

太平洋戦争は、アメリカ側が、占領下で日本に強要した呼称だ。そこには、明らかにアメリカの「プロパガンダ」が、秘められている。
アメリカが戦勝国なのだという印象を、強く刷り込むのが、その目的だ。
真珠湾攻撃をした日本こそが、侵略国だという印象を、日本人に、アメリカ人に、そして世界の人々に、刷り込むためだった。
なぜ、そんな刷り込みが必要だったのか。
それは、「大東亜戦争」という用語を使用されると、アメリカが戦争を仕掛けたことや、日本の戦争が自衛のためであったこと、そして何より日本の戦争に、大義があったことが露呈してしまうからだった。
だからアメリカは、「大東亜戦争」という呼称の使用を禁止したのだ。
あえて直言すれば、「太平洋戦争」史観とは、アメリカ追随史観どころか、アメリカ隷属史観である。
現行憲法の前文と、第一章第一条「天皇」、そして第九条を読むと、そのアメリカの意図が透けて見える。
日本が第二次世界大戦で戦ったのは「大東亜戦争」であり、それは第一義として自衛戦争であり、同時に大東亜に於ける欧米の植民地支配から、「アジアを解放し、独立させる戦争」の側面があったと、そう位置付けられない限り、日本はアメリカの隷属史観の呪縛を断ち切ることはできない。
日本が「侵略戦争を起こした」というのは、真っ赤な嘘だ。
アジアを侵略していたのは、欧米列強だった。
日本が戦った戦争は、そのアジアを支配し、搾取していたヨ-ロッパの列強と、アメリカを、結果的に排除することになった。
それによって、アジア諸国は、白人キリスト教徒による、数百年にわたる搾取と奴隷支配から、脱却し、独立をすることができたのである。
日本が「侵略戦争をした」というのは、東京裁判で連合国が行ったレッテル貼りだった。
日本を「戦争犯罪国家」にしたかったから使った口実であって、史実ではない。

『人種戦争』が描く、大東亜戦争の姿

『レイス・ウォー』は、二○○一年に、ノースカロライナ大学の教授を経て、ヒューストン大学で教鞭を執られるジェラルド・ホーン博士によって、ニューヨーク大学出版局より出版された名著だ。
実は、外交評論家の加瀬英明氏と私の共著『対日戦争はアメリカが仕掛けた』が二○一二(平成二十四)年に出版されるより前に,この本を手にして衝撃を受けた。
私が、一連の著書を出版する背景には、この本の存在もあった。
この本は、『人種戦争-太平洋戦争もうひとつの真実』と題されて、二○一五(平成二十七)年に、祥伝社から邦訳が出版された。
祥伝社がサブタイトルを、『太平洋戦争もうひとつの真実』としたことは実に意味深長で、興味深い。
実際の英語のサブタイトルは、『帝国との日本の戦争』であった。
「帝国」というのは、大英帝国のことだ。
なぜ、大英帝国との日本の戦争が、「太平洋戦争」と位置付けられるのか。
いや、ポイントは「もうひとつの真実」というところにあったのかもしれない。
「もうひとつの真実」が「この戦争は、太平洋戦争ではなかった」という意味なら、拍手喝采したいところだ。
ジェラルド・ホーン博士がこの本で取り上げた主たる地域は、イギリス、中国、インド、ビルマ…。
つまり、本の主たる舞台は太平洋ではない。
まあ、オーストラリアとアメリカにも言及されているので、太平洋での戦闘についても、一部、言及されてはいる。
しかし、主たるテーマは、「帝国との日本の戦争」で、「太平洋戦争」について書かれた本ではない。

世界で最初に、人種平等を訴えた日本

『人種戦争』は、日本の大英帝国に対する戦争を、「人種戦争」だったと、そう位置づけている。
これは、実に鋭い視点だ。
日本は、世界で最初に「人種平等」を、国際的な公の場で、世界に訴えた国である。
いまでこそ、「人種平等」は、ユナイテッド・ネーションズ(UN)でも、金科玉条のごとくに掲げられている。
しかし、第二次世界大戦が終わるまでは、現実は全く違った。世界は、白人が支配していた。
白人による、有色人種への差別が、厳然として存在し、白人に歯向かう有色人種は、全員、虐殺された。
単純明快である。
白人に媚び従う有色人種は、奴隷か、奴隷のように白人に扱われた。
それを「白人に認められた」と喜ぶ有色人種たちもいた。
もっとも、歯向かったものは全員が殺されたので、結果的に残ったのは、ほとんどが白人に抵抗しない、白人に恭順の意を示す有色人種だけとなってしまった。
ただ、そこに例外として存在していたのが、日本人だった。
日本人は、他の有色人種とは違っていた。
一八五三年に、アメリカ合衆国海軍のペリー提督が、黒船艦隊を率いて浦賀に来航した。
すると、その軍事的脅威を克服するために、日本は明治維新を実現し、富国強兵政策を取った。
維新は、一八六八(慶応四)年のことだ。
あれよあれよという間に、日本は、西洋から文化や技術を学び取り、なんと、一九○二(明治三十五)年には、日英同盟を締結。
さらに一九○五(明治三十八)年には、白人の大国ロシアを日露戦争で打ち負かした。
さらに第一次世界大戦で、日本はイギリス、アメリカと共に、戦勝国となった。
未だ植民地支配されることなく独立を保ち、白人列強と軍事力でも対峙できる国となっていったのが、日本だった。
これは、世界史の潮流の中にあって、特筆すべき偉業であった。
世界の大国となった日本ではあったが、他の国々に生きる有色人種の置かれた境遇には、同じ非白人として、ただ黙っていることはできなかった。
日本は、人類史上初めて、世界に向けて公に、「人種平等の世界の実現」を訴えた。
一九一九(大正八)年一月から行われたパリ講和会議の席上、日本が人種差別撤廃の提案をすると、オーストラリアのヒューズ首相は、署名を拒否して席を立ち、議長国アメリカのウィルソン大統領も、「本件は、平静に取り扱うべき問題だ」として、日本に提案の撤回を求めてきた。
詳細は後述するが、結果として日本の人種差別撤廃提案は、十一対五の圧倒的多数で可決したにもかかわらず、ウィルソン大統領によって葬り去られたのだった。

有色人種に同胞意識を持っていた日本

アメリカにとって、人種差別問題は、実にデリケートだった。アメリカ社会が、黒人奴隷を搾取することで成り立っていたからだ。
黒人に対する人種差別は、それこそケネディ大統領や、マーティン・ルーサー・キング牧師が「公民権」運動を掲げ、暗殺された一九六○年代までも、厳然として社会に存在した。
いや、いま現在のアメリカ社会でも、白人警官によって丸腰の黒人が射殺されるなど、深刻な問題となっている。
第一次世界大戦直後のアメリカで、人種差別撤廃など、全く受け入れられない戯言(たわごと)だった。
しかし、日本人は、同じ有色民族が、白人に搾取され、不当に差別され、奴隷のように扱われていることを許せなかった。
世界的な基準でみれば、日本人は、「野蛮人」では全くなく、むしろ「紳士、淑女」たちであった。
同胞のことを思いやり、自らの民族のこと以上に、他の民族を大切に思いやる、立派な民族だった。

『人種戦争』による日本の戦争の大義

私は、よく「なぜ日本の右翼のプロパガンダを応援するのだ」と、同僚の外国特派員に批判される。
何度も繰り返すが、私は日本の右翼のプロパガンダをしているつもりは、全くない。
むしろ、そう私を非難する東京特派員たちこそ、歴史を重層的に見る目を養う必要があろう。
少々冗長となるが、『人種戦争』が日本の戦争をどう捉えているのかを、引用しよう。

一八五三年に、マシュー・C・ペリー提督が浦賀にやってきた。
日本の二世紀以上に及ぶ鎖国が、破られた。
これは、衝撃的な出来事だった。
ペリーは上陸すると、背が高い屈強な黒人奴隷を二人伴って行進した。
歴史的な舞台に、黒人に一役を担わせた。
日本人は蒸気船にも驚いたが、久しぶりに見た黒人に、興味津々だった。
なぜ、ペリーが黒人を連れていたのか。
理由はわからない。
日本人を黒人のように奴隷にし得ることを、示したかったのかもしれない。
理由が何であれ、この黒船襲来が、人類史上に輝く偉業である『明治維新』をもたらし、「白人の優越」を断固拒否する、アジア人の先進国家が建設される道筋をひらいた。
歴史家のピーター・デュースは、『日本人は西洋の脅威から自分を守るために、近代国家の道を歩んだ。白人の奴隷になり、植民地支配を受けることへの恐怖だった。この脅威から多くの日本国民は、『白人の優越』を覆さねばと、心底から思った。
そのスケールは、『平民』を解放したフランス革命や、『労働者』を解放したロシア革命よりも、はるかに壮大なものだった。
それは、有色の民の解放という、『人類史の大革命』だったと呼んでも過言でない』と、指摘する。

これは『人種戦争』の序文で、ジェラルド・ホーン教授が書かれている歴史認識である。
私の認識と呼応するものだった。
私は『ペリーがパンドラの箱を開けた』と題して講演をしたこともある。
アメリカ海軍の黒船艦隊の来襲は、日本を西洋列強と対峙できる巨大な軍事国家に仕立てあげた。
その背景にあったのは、アジアの同胞のように、日本も欧米列強によって、植民地支配をされるのではないか、という脅威だった。
西洋人の中にも、私と似たような歴史認識を持つ者がいることを知って、心強かった。
『人種戦争』で第一に取り上げられているのは、大英帝国の版図になっていた香港だ。

中国人は、日本軍を救世主と崇めた

香港は、イギリスの階層社会をそのまま取り入れていた。
ただ、香港にやってきたイギリス人たちは、本国では役に立たないドロップ・アウトたちだった。
ロンドンの外交官は、「イギリスから香港へ渡った多くの者が"三流の輩″だった」と、認めている。
本国では、最下層の仕事にしかつけない連中が、香港では王侯貴族のような生活を謳歌できた。
何人ものメイドを持ち、クルージングや乗馬などの遊興に耽(ふけ)った。
夜は白人クラブで酒池肉林の生活。
酔って中国人を撃ち殺しても、白人が罪に問われることはなかった。
英国領中国で、イギリス人の階級的な優位を示す必要があった。
中国人を意図的に残酷に扱い、自分たちを大物に見せようとした。
『人種戦争』には、次の記述がある。

学者のチャールズ・ボクサーは、「香港は役立たずの掃き溜めだった。どこでも使いものにならないバカ者が、香港に捨て置かれたのだ」と述べている。クィーニー・クーバーは「私の階級の女子なら、本国では召使だったでしょうが、香港に住んだ五年間は、まるで女王のようだった」と述懐している。

香港では、居住区も人種によって決められていた。
香港島のヴィクトリア・ピークの山の上から白人の居住区が広がっていた。

戦前の香港では、地域区分も序列に従っていた。
頂点は香港島の山頂「頂上(ピーク)」だった。
そこでは、大富豪のホー・タン一族だけが、人種差別の呪縛の唯一の例外だった。
(略)
裕福な日本人は、ピークを脅かすことがない距離を保ったマクドネル通りあたりまで、住むことができた。その外のマクドネル通りからメイ通りまでが中間地帯で、その上のほうにポルトガル人、ユダヤ人、アメリカ人、パルシー教徒が住み、下のほうにニッポンニーズ(日本人)が住んでいた。
中国人は、ピークの麓にある、暗く汚いネズミの住処でもある安アパートに住んでいた。

多くの中国人は、九龍などの汚い長屋に住むか、路上生活をする乞食のような生活を強いられていた。

アルバート・フォード少佐は戦前の香港で勤務したが、「多くの中国人が住む場所もなく、香港でさえもイグサのマットを抱えて歩き、小道にマットを拡げて横たわり、マットを身に巻きつけて一夜を過ごしていた。まるでソーセージを並べたようだった」と語った。

一九四一年十二月八日、日本軍が香港に進攻すると、白人支配の社会が、一瞬にして逆転した。

日本軍を手助けし、イギリス人と戦った中国人

いまの時代に生きる多くの日本人や世界中の人々が知らないか、誤解をしていることがある。
それは、進攻してきた日本軍を、現地の中国人は、ありとあらゆる方法で手助けし、逆に逃げようとするイギリス人に、あらゆる妨害を試みたことだ。
香港で中国人は、日本人と戦ったのではなく、日本軍と共に、自分たちを奴隷のように扱って搾取し
てきた白人たちを、攻撃していた。『人種戦争』から引用しよう。

この地域のイギリス軍最高指揮官のC・M・マルトビー大将は、香港住民の中に数多くの日本の「情報員とスパイ」がいると感じていた。
マルトビーは、日本人が「労働者を装っている」と思い込んでいたが、日本軍は、「詳細な軍事偵察か、現地人なしでは知り得ない裏道を通って」きた。「詳細な情報を得ていたため、守備側に有利となる初動で、日本側が地の利を活用」した。「日本の諜報活動は完壁で、詳細な地図からイギリス軍幹部についての情報まで持って」いた。マルトビーは、「侵略部隊に多くの『中国人同調者』がいて、わが軍の運転手をしていた。一部は軍のトラックを運転して脱走した」と、語った。

ジエームズ・スミス神父も同様の体験をした。
「イギリスのトラックが九龍を抜けようとすると、中国人暴徒が妨害」した、と述べた。
ジャーナリストのエミリー・ハーンは、「輸送を妨げられたのが、敗北の主因だった。
中国人運転手は、あらゆる手を使った。
キャブレターを盗んだり、ガソリンを抜いたり、トラックを破壊したりした」と述べた。
香港にいたアメリカ人ジャーナリストは、中国人が裏切ったと憤慨し、「イギリス警察は、五万人の敵側中国人の名簿を先立って作成し、その活動も把握していた。なぜ逮捕しなかったのかわからない。射殺しておくべきだった」と、語った。

これは香港だけに限られた話ではない。
日本軍が進攻したアジア諸地域では、有色人の現地人が日本軍を応援していた。
そのことからもまた、真の侵略者が白人列強の宗主国側で、その侵略から、被侵略民族を救い出したのが、日本軍の軍事進攻だったことがわかる。
まさに、日本軍は、掛け値なしの「解放軍」だった。

全く逆転した人種の立場

香港に住んでいたイギリス人やユーラシア人は、驚天動地の出来事に狼狽した。
無敵のはずだったイギリス軍は、あっという間に日本軍に降伏してしまった。
ここでも、映画『猿の惑星』の世界が現実として起こったことに、白人たちは恐怖のどん底につき落とされた。
有色人種を自分たちがどう扱ってきたかを思い起こすと、その立場が逆転することにパニックとなった。
『人種戦争』の記述では、日本軍が捕虜にした白人たちを、「市内引き回し」にした様子も描かれている。それまで居丈高に、傲慢な態度や振る舞いをしていた白人の支配者たちが、縄に繋がれた猿のように、怯え、隷属していた。
その様子を見た中国人たちの態度は、一変した。
白人に媚びる黒人「アンクル・トム」同様だった中国人が、白人を見下すようになり、白人の言うことには従わなくなった。
白人の女性たちにも、同様の変化が起こっていた。
それまで強いと思っていた白人男性が、黄色い小人に指図され、従う姿を見た白人女性は、あろうことか日本人将兵に恋慕するようになっていった。
もちろん、それはサバイバルの必要性からでもあったろうが、人種階層の逆転劇が起こっていた。
中国人にとって日本軍は、白人による搾取と奴隷扱いから自分たちを解放してくれる「救世主」だったのだ。

日本はアジアの「希望の光」だった

『人種戦争』の第八章は、「『白人の優越(ホワイト・スプリーマシー)』と戦うアジア諸民族-東南アジア、インドで始まる差別からの解放」と題して、日本軍の進攻によって、燎原(りょうげん)の火のごとくにアジアに広がった親日感情について、数多くの例を示している。

日本と手を組んで大英帝国と戦ったインドの英雄、スバス・チャンドラ・ボースは、「一九○五年に日本がロシアに勝利したことは、アジア再興の前兆だった。その勝利は日本人のみならず、インドを揺るがす歓喜を巻き起こした」と、東京で演説した。
後に、世界最大の民主国家の建国の父の一人となったネルーも同様に、日本の勝利を熱狂して迎えた。
「日本に関する多くの本を買って読み」、叡智の手本とした。
日本の勝利は、「アジア諸民族を、日本に続けと奮起」させた。
ネルーはアジア諸民族と同じく、日本へ留学する中国人が、一九○二年の五○○人から、一九○六年には一万三○○○人まで増加したことに注目した。
もう一人のインドのリーダーだったR・ビハリー・ボースは、一九二六年に長崎で第一回「亜細亜民族会議」を開催したが、中国人、ベトナム人、インド人などが参加した。
会議ではインドの役割として、アジアを親日感情の基地とするために、インド人がひろくアジアに散ることを、提唱した。

日本が白人帝国のロシアをやっつけた衝撃は、世界中の有色民族に希望を与えた。
しかし、多くの有色人種の民にとって、それは「神話」のようなものだった。
実際に目にし、体験したことはなかった。
もちろん事実として聞いてはいたが、直接に日本軍を目にしたわけではなかった。
しかし、大東亜戦争は違った。
アジアを植民地支配していた白人の欧米列強の軍隊が、一瞬にして降伏し、排除される姿を、アジア人たちが目の当たりにしたのだ。
これは、衝撃的だった。
『人種戦争』は、次のように論じている。

マレー半島の歴史で傑出した二人の人物のマハティール・モハメッド(元マレーシア首相)とリー・クァンユー(シンガポール初代首相)が、日本の占領期間についての評価が一致していることは、特筆に値する。
マハティールは「日本による占領は、我々を一変させた」と言い、「日本軍は物理的にイギリス軍を排除したのみならず、我々の世界観を一変させた」と、語った。
マハティールは日本語を学び、親日政権を貫いた。
「日本の学校に行き、日本語を身に着けようとした者にとって、日本の占領は苦しみではなかった。もちろん中国人は、迫害され、殺されたり、捕えられたりした者も多かった」。
そしてマハティールは「今日も、日本人の中に、日本のアジア占領がアジア地域への侵略ではなく、アジアをヨーロッパの植民地支配から解放しようとしたものだという者がいる。この主張は、真実だ。日本の進攻によって、我々はヨーロッパ人が、絶対的なものではないのだと、知った。ヨ-ロッパ人も、負かせるのだ、彼らも同じアジア民族-日本人-の前で、卑屈になると、わかった」と、日本の右派の主張に賛同した。

『人種戦争』には、こうした記述がふんだんに盛り込まれている。
日本軍は、欧米が侵略しアジアの地域を軍事占領し、日本軍の将兵は、まるで「宣教師」のような使命感に駆られて、アジア民族に民族自決の精神を説き、独立へと導いた。
日本は、アジア諸民族に、民族平等という全く新しい概念を示し、あっという間に、その目標を実現させた。
それは、侵略戦争でもなかったし、植民地支配でもなかった。
日本は、アジア諸民族が独立することを、切望していたのだ。

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