★ 掲示板:『放知技(ほうちぎ)』 ★彡
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2018年元旦,金正恩,五輪外交を開始!平昌五輪を大成功に導く.習近平が金正恩を超国賓待遇!金正恩が米朝首脳会談を提案,これをトランプが即断で受諾!金正恩,板門店から韓国に入り,南北首脳会談.大成功!トランプが5月中の米朝首脳会談を示唆.マティス国防長官が「駐韓米軍の撤退」を示唆!…まさしく激動の2018年だ.この激動の切っ掛けをつくり,激動をリードしてきたのは,金正恩(34)だ!今後も金正恩は世界をリードする!目が離せない.深い考察と議論が必要だ.
(M部長・飯山一郎)
混沌に希望を見出す賢者の発信スレー41-
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1:堺のおっさん:
2021/01/24 (Sun) 07:25:51
host:*.enabler.ne.jp
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どういう訳か、本スレが消えてしまっている。
原因調査を行いますが当面、記事はここにお願いいたします。
前スレはまさに武漢ウイルスという世界を混沌の世界に変え、
希望を打ち壊すまっただ中で国家について検証してきた。
今後の世界に最大の影響を与える一つのイベントである
アメリカ大統領選挙の投票日を3日後に控え、
世界がどちらになるのか固唾をのんで見守っている。
どちらになるにも、選挙自体が混乱し政治的空白が生じる。
こうした局面で真に問われるのは明確な指針である。
日本の進む道を照らす投稿を期待したい。
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343:mespesado
:
2021/06/27 (Sun) 11:52:38
host:*.eonet.ne.jp
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>>342
塩野義製薬が新型コロナワクチン開発に挑むワケ/上
https://mainichi.jp/premier/health/articles/20210330/med/00m/100/009000c
↑今年4月の開発者へのインタビュー記事(ただし有料記事なので、無料部
分のみで考察します)。
> 接種が始まっているワクチンは遺伝子の一部を投与し、体内で抗原を
> 作らせるタイプですが、私たちのワクチンは工場で作った抗原を投与し
> ます。
明確に従来タイプ(つまり遺伝子注入タイプではない)であることを宣言
しています。さて、この記事には後編があり、そこで日本と外国の気質の違
いについて述べられています↓
新型コロナワクチン開発 「それでも海外についていけなかった」/下
https://mainichi.jp/premier/health/articles/20210330/med/00m/100/013000c
> 日本は「平時バイアス」が強いということです。平時バイアスとは、通
> 常のやり方に固執しようとする思考です。これは政府だけではなく、社
> 内、学会、医療界全体、メディアにもあるのではないかと思います。欧
> 米、特に米国では、事が起きると「今は『戦時』のようにとらえるべき
> だ。やるべきことは最低限に抑えても先に進もう」というコンセンサス
> がすぐに形成されます。ところが、日本は「そんなことをやっていいの
> か」「普段だったら許されない」という指摘が出てきます。そして、欧
> 米は過半数が「GO(進めよう)」と言えば前進しますが、日本は全員の
> 賛成が求められ、決断が遅くなりやすいのです。
確かにこういう気質の違いが、今回の対策の遅れの要因になったことは否
めないと思います。そして、この記事は次のように続きます↓
> そもそも、医薬品に対して、欧米は「効くことが一番大切。さらに安
> 全性があればなお良い」、日本は「安全性が第一。そのうえで効果の高
> いものを探す」という考え方の違いもあります。
この気質の違いは、一概に欧米の方がよいとも言い切れません。例えば、
非常に致死率の高い傷病などに対する「治療薬」の場合は、安全性よりも、
まずは薬効があるかどうかが優先されます。だから欧米の考え方の方が合理
的と言えるでしょう。しかし、それはそもそも「病気になった後」の「治療
薬」の場合の話です。惑珍というのは、問題となる病気にかかっていない人
が予防のために受けるものであるはずです。その場合は、薬効よりも安全性
の方を優先すべきだ、というのは一定の合理性がある考え方です。つまり、
この場合は日本人の考え方の方が合理的だとも言えるのです。それが証拠に、
今回の塩野義の惑珍は、安全性を重視したからこそ、遺伝子注入型を避けて、
従来タイプの抗原注入型の惑珍を選んだのではないでしょうか。
ところで、この安全性と効用のどちらを優先するか、という欧米と日本の
考え方の違いには、欧米流の「カネ儲けのためには他人の命は二の次」の思
想がどうもチラつきます。つまり、極端な話、「安全性を100%にするた
めにコストをかけるよりは、安全性を完璧にしなくても、被害に遭った患者
に対する補償金を支払った方がトータルで安上がり」ならば、平気で後者を
選ぶ、という気質が感じられるのです。昔の日本は、製造業の不良品率につ
いても「不良品を絶対に出さない。なぜならいくら不良品率が低くても、不
良品をつかまされた消費者にとっては100%だから」という、本田宗一郎
みたいな気骨があったものですが、今日のようなソフトウェア開発では、欧
米流の「プログラム開発にバグは当たり前。バグが発見されたら、後から修
正プログラムを売って更に儲けられる」くらいにしか考えてないように見え
ます。まあ、こういうのが「新自由主義」の本質なんでしょうね。