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金正恩の真実 金王朝の“深い謎”ビビンバ!北朝鮮!
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重大な名誉毀損?

1:飯山一郎:

2010/12/28 (Tue) 09:06:45

host:*.bbtec.net
鹿之助様
 論点を明確にするために、新しいスレにします。
 
 さて一昨日、私は、次のようなことを書きました。
「湯川秀樹博士のノーベル賞受賞は…、
核兵器の重要資料を米国に渡したことへの
論功行賞(御褒美)である!」
↑で、この出典はどこにある? とのことですが、
「湯川は、祖国をカネで裏切った売国奴」と、
はっきり書いてある本は以下の書籍です。

『ユダヤは日本に何をしたか―我が愛する子や孫に語り継ぎたい』
渡部 悌治 (著)
http://www.bidders.co.jp/dap/sv/nor1?id=121282441&p=y%23body

この本の真偽は別に議論するにしても、
ノーベル平和賞という権威的な制度が、
大衆の大半を占めるB層を騙しつつ、
服従を獲得するための政治的な道具
にしかすぎない! なんてことを、
理解させてくれる本です。

↑この本、以前は『攘夷の流れ』という題でしたが、
 この本に対しても、湯川博士のご遺族も、物理学会
 の関係者も、抗議の声ひとつあげていません。

理論物理学という最も先鋭的な学問を収めた多くの学徒は
ノーベル賞のウラにある「邪悪な本質」を見抜いていますし、
だんとつ世界最先端にあった、日本の戦前の理論物理学が、
米国の原爆開発にも、いろんな意味で、寄与していた!
なんてことは常識でしょう。

ただし私は、在日である湯川博士を「売国奴!」とまで罵倒する
のは間違いだと思っています。

 このへんの議論は『金王朝の深い謎』でやろう! と
思っていましたが…。
                 飯山一郎
2:鹿之助 :

2010/12/28 (Tue) 20:19:13

host:*.plala.or.jp
飯山一郎様

「この本の真偽は別に議論するにしても、ノーベル平和賞という権威的な制度が、大衆の大半を占めるB層を騙しつつ、服従を獲得するための政治的な道具にしかすぎない!」と言うご意見には賛同します。
例えば、2000年に北朝鮮の平壌で金正日との南北首脳会談が実現。この南北首脳会談などが評価され金大中大統領はノーベル平和賞を受賞したが、その後に会談実現のために金大中大統領から現代グループを通じて4~5億ドルを金総書記に渡していたとされる。
さらに中東パレスチナのパレスチナ解放機構(PLO)アラファト議長も1993年にはイスラエルとの歴史的な和平協定を果たしてパレスチナ暫定自治政府を建設する。これによって1994年にノーベル平和賞受賞したが、いずれもその後は平和進展しておらず、政治的・名誉的道具であることは周知の事実です。

『ユダヤは日本に何をしたか―我が愛する子や孫に語り継ぎたい』渡部 悌治 (著)は手元にないのですぐにチェックできませんが、湯川秀樹博士の中間子理論のノーベル物理学賞が「湯川秀樹博士のノーベル賞受賞は…、核兵器の重要資料を米国に渡したことへの論功行賞(御褒美)である!」 とのことですが、 たしかに、下記のように「戦前・戦中には荒勝文策率いる京大グループにおいて、日本の原子爆弾開発に関与したことが確認されている」が、このノーベル賞受賞が核兵器の重要資料を米国に渡した論功行賞(御褒美)であるとはちょっと信じられません。

「第二次世界大戦中、軍部には二つの原子爆弾開発計画が存在していた。大日本帝国陸軍の「ニ号研究」(仁科の頭文字より)と大日本帝国海軍のF研究(核分裂を意味するFissionの頭文字より)である。日本では1938年からウラン鉱山の開発が行われ、1940年に理化学研究所の仁科芳雄博士が安田武雄陸軍航空技術研究所長に対して「ウラン爆弾」の研究を進言したといわれている。研究には理化学研究所の他に東京帝国大学、大阪帝国大学、東北帝国大学の研究者が参加した。1941年4月に陸軍航空本部は理化学研究所に原子爆弾の開発を委託、アメリカ合衆国によるマンハッタン計画が開始された翌年の1943年1月に、同研究所の仁科博士を中心にニ号研究が開始された。この計画は天然ウラン中のウラン235を熱拡散法で濃縮するもので、1944年3月に理研構内に熱拡散塔が完成し、濃縮実験が始まった。他方、日本海軍のF研究も1941年5月に京都帝国大学理学部教授の荒勝文策に原子核反応による爆弾の開発を依頼したのを皮切りに、1942年には核物理応用研究委員会を設けて京都帝大と共同で原子爆弾の可能性を検討した。こちらは遠心分離法による濃縮を検討していた。ニ号研究・F研究には当時の日本の原子物理学者がほぼ総動員され、その中には戦後ノーベル賞を受賞した湯川秀樹(F研究)も含まれていた。関係者の中からは、戦後に湯川を始め被爆国の科学者として核兵器廃絶運動に深く携わる者も現れるが、戦争中に原爆開発に関わったことに対する釈明は行われなかった。」

ところで「1907年、東京府東京市麻布区市兵衛町(現:東京都港区六本木)に地質学者・小川琢治と小雪の三男として生まれる。1908年、父・琢治の京都帝国大学教授就任に伴い、父親の一家で京都府京都市に移住する。このため、麻布の家には誕生後1年2ヶ月しか住んでない。1歳から大学までは京都、大学を出て一時大阪や西宮にいたこともあるが人生の大半は京都で過ごしたことになる。母方の祖父・駒橘は元紀州藩の武士であり、また先祖代々和歌山県出身である。」とありますが、湯川秀樹博士が在日の証拠はありますか?

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