★ 掲示板:『放知技(ほうちぎ)』 ★彡
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2018年元旦,金正恩,五輪外交を開始!平昌五輪を大成功に導く.習近平が金正恩を超国賓待遇!金正恩が米朝首脳会談を提案,これをトランプが即断で受諾!金正恩,板門店から韓国に入り,南北首脳会談.大成功!トランプが5月中の米朝首脳会談を示唆.マティス国防長官が「駐韓米軍の撤退」を示唆!…まさしく激動の2018年だ.この激動の切っ掛けをつくり,激動をリードしてきたのは,金正恩(34)だ!今後も金正恩は世界をリードする!目が離せない.深い考察と議論が必要だ.
(M部長・飯山一郎)
飯山一郎へ伝言・密告・質問・短信etc -15-
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1:飯山一郎
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2016/03/28 (Mon) 21:19:22
host:*.ocn.ne.jp
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『放知技』の前説に「放射能地獄では議論は不要!」と書いた。そのとおりである。下手な議論は気まずさを残すだけだし。あと,「日本人が生き残る道は、自助努力と相互扶助。この二つしかない」とも書いた。が,もう一つあった。「情報交換」だ。ほかでは得られない情報を今後は牛~少し増やすつもりなので,本板も宜しく!(飯山一郎)
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204:mikionz:
2016/04/03 (Sun) 19:08:09
host:*.com.bn
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>>195:suyap さん、
詳しいレスポンスを有難うございます。
>「存在をあまねく映し出す鏡のような意識」を活用したコミュニケーショ
ンを成立させるためには、やはり「行動の主体としてのエゴ(=個我)」
の確立は必須ではないか、と、私は考えます。
>
「存在をあまねく映し出す鏡のような意識」を、仏教では大円鏡智というそうですね。これはあらゆる存在の根底に
あってそれらをカンバス(画布)のように支えている意識のことです。一神教から見たところの「プリミティブな社会
言語」は、日本文化に限らずこの存在を反映しているのでしょう。
私は、魂の飢え渇きを満たす存在への必要から一神教徒(スウェーデンボルグ主義のキリスト教徒)ですが、日々の
あり方としては、日本文化的、あるいは仏教的なんだろうと思います。ただの「路傍の石」でありたいです。
路傍の石、あるいは自分が蒸発した状態のあり方は、私にとって一番心地よく、私のこちら(=東南アジア)の親戚
たちもそのような一風変わった私を受け入れてくれています。
ただ会議などその場で何かを決めたりしなければならない時は、路傍の石では機能しないのでしょう。そのような場
では私なりに行動主体のエゴ(=個我)を発揮して動こうとしてきましたが、私の出自である日本文化の性質上、この
ように振る舞うことについて例えば欧米人たちには敵わないと感じます。
それで最近では、表舞台の上でも、「行動の主体としての人間」として行動するよりも、「意識の形態としての人間」
として存在することを試みています。
ミヒャエル・エンデの『モモ』の第2章では、主人公のモモが一語も発することなく、ただその場に存在することで、
住民同士の喧嘩が収まります。であれば、喧嘩の仲裁にだけに限らず、現存だけで何か結果が生まれるということも
あり得るのではと思ってます。
大円鏡智が全ての個別的存在同士の共存を可能にする以上、これを体現する日本的なコミュニケーションのあり方は
日本人がこれから出て行く世界の各地で、何か役に立つものを提供できるかもしれません。