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金正恩の真実 金王朝の“深い謎”ビビンバ!北朝鮮!
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自由に自己再生出来る部屋。

1:DNA :

2021/12/18 (Sat) 09:54:32

host:*.bbtec.net
こだわりを無くすことにこだわって、ああーまた自分はあれこれこだわってるなー
もうやめよーと思いながらこだわる事をやめることにこだわってしまう。
もっと自由に解放されたい!
そんなスレッドを目指したい。

という感じで、スレ立てしてみました。
685:mespesado :

2022/08/11 (Thu) 11:58:21

host:*.eonet.ne.jp

>>682


> 自己批判というのは何度も何度も自分の頭を分解して再構築することで
> ある。
> バカな心理学者が自己肯定を薦めるのは、
> まー時には癒しを与えないと剥き出しの自己否定は自分を害する可能性
> もあるので、
> 自己肯定感を高めた方が癒されますと言っているが、
> そんなのは貴香くんが言ってることと同じで、
> 自分を許しちゃいましょ!と言いながら、自己肯定感に包み込んで
> W理論やo先生やドラゴンヘッドなどの怪しい連中の思惑に心も体も引っ
> 張り込む方策なので、


 これについても一言コメントしておきたい。

 「自己肯定」というか、世間では、いわゆる「プラス思考」とか「ポジテ

ィブ・シンキング」というのがブームになったりしているが、貴殿が批判し

ているような意味にこれらを理解している人が非常に多いのは事実だ。

 今、自分が劣等感を感じていることがらがあるとしよう。ポジティブシン

キングとやらでは、しばしばこのような自分の「欠点」は無視して、自分の

「長所」とやらに目を向けて、そちらを伸ばすように努力しなさい、などど

説く。一見素晴らしい方法のように見えるけれども、それは「自分の欠点」

とやらから目をそらす「現実逃避」でしかない。自分の「欠点」を「忘れて」

いるほど長所を伸ばす努力に熱中している間はいい。でも、人間はず~っと

努力し続けているということもできないし、自分ひとりで生きているわけで

はないから、他人から思わぬところで自分の欠点に触れる何かを指摘される

ことだってある。そんなときに、今まで忘れていた自分の欠点を思い出して

落ち込む。そりゃ、自分の欠点なるものを「克服」せずに「見ないふり」を

してきただけなんだから、当然だ。

 そこで、貴殿のいうような「自己批判」を言い出す人がいる。確かに自分

の「落ち込み」の最大原因である自分の「欠点」を直視して、それを自分で

も「気が進まない」ような「否定」つまり「自己批判」をするのだから、一

歩進んで問題解決に踏み出したように見えるから、よいことのように見える。

いわゆるサヨクの人達は、この「自己批判」が大好きだ。なぜか?それは、

「自己批判」という、自分にとって一見嫌なことを進んで努力している自分

は「偉い」「一歩進んで進歩した」という、別の面での自分への「ポジティ

ブ評価」が得られるからだ。つまり、自己批判という「反省している俺偉い」

という高揚感だ。ところが、これをしたところで、自分の「欠点」とやらが

別に解消したわけではない。欠点は欠点のまま残り、それが消えるわけでは

ない。もちろん努力して克服する人もいるから、そういう人は確かに敬服に

値するが、人間というのは三日坊主であり、そう簡単にその「欠点」とやら

が克服できるわけはないのである。それに欠点を克服しようと努力している

間じゅう、ずっと辛い思いが続く。精神衛生上もこれは大きな問題ではない

のか。

 そこで、ふと立ち止まって考えて欲しい。その自分の欠点とやらを、貴方

はなぜ「欠点」と考えるのか?その欠点があると、自分は何が困るのか?つ

まり、その欠点とやら「そのもの」が問題なのではなく、その欠点とやらが

もとになって具体的に困ることを特定し、その困ることから解放されること

の方が本質ではないのか?

 そう考えたとき、「いや、この欠点があるとAということが生じるから」

「ふぅん、じゃあAが生じると何が困るの?」「Aが起きるとBになるから」

「ふぅん、Bが起きると何が困るの?」…。これをとことんまで追求してみ

て欲しい。そうすると、その答が途中で立ち消えになってしまうか、その根

本の悩みにまで到達するか、どちらかになる。そのとき、大抵は、その困る

という事柄が、自分の他者による評価だったりするものだ。それは自分の外

部の価値観によって定められた優劣の基準による劣の烙印に過ぎなくて、そ

んなものに自分が意味も無く囚われていただけだ、と気が付くこともある。

そうなったら、不思議なことに、その「欠点」なるものが、他人の決めた価

値基準による欠点に過ぎないと気が付き、自分の中ではどうでもよくなって

しまう段階が訪れる。そうなったらしめたもので、それはもはや「努力して

克服すべきもの」ではなくなってしまう。つまり「はい、私は○○ですが、

それが何か?」という気持ちに本当になってしまうので、放置しておけばよ

くなる。これはものごとを自覚した上での自然な感情に基づく放置なので、

現実逃避ではない。逃避していないにもかかわらず「努力して矯正する必要」

も無くなるのだ。これが貴香さんや私が主張するところの、真の意味の「自

己肯定」なのだ。つまり、自己を「正しい」と肯定するのではなく、自分の

ありのままを見つめて、それを正しいとか正しくないなどと言う善悪のレッ

テルを貼るのを止める、という意味で「自分の現状をありのままに認める」

という意味での「肯定」なのだ。そこを勘違いしてはいけない。

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