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金正恩の真実 金王朝の“深い謎”ビビンバ!北朝鮮!
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しとりごと(独言) 第2部 part2

1:774 :

2022/03/04 (Fri) 13:21:02

host:*.home.ne.jp
【日本語字幕】【閲覧注意】【年齢制限】ウクライナ・オデッサの悲劇

https://www.youtube.com/watch?v=1EZay_KOxJE

247:mespesado :

2022/12/03 (Sat) 13:51:34

host:*.eonet.ne.jp

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https://note.com/okinaki33/n/ndc30274fd551

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・民主主義のためには徹底的な議論が必要と普段はあれだけ主張しているマ
スコミも、この重大な問題について国民的な議論が必要であると声を上げる
ことはなく、むしろ異論を「デマ」と称して議論を封じるように動きました。
逆に顕在化したのは、政府の方針に疑問を持ったり、検証したりすることも
なく、それを素直に信じて行動する人々の動きです。

・リスクに対する個人の感じ方は様々で、それを一様に国家が規定すること
は人権に触れる問題でもあり、倫理の問題に関わります。

・対策は必ず負の効果も伴いますから、その効果を常に検証しながら勧める
ことが求められます。

・仮に政府の見解が正しかったとしても、国民がその見解を簡単に信じて行
動してしまうことは、政府の見解が常に正しいわけではありませんから、将
来に大きなリスクを残すことになります。

・全体主義は、一つの「正しい考え方」のもとで全体をまとめ、その考え方
に従う人々と従わない人々との間に境界線を引き、従わない人々を徹底的に
排除するように動きます。

・権力が特定の「倫理」を押しつけてくる場合には特に注意が必要です。な
ぜなら、そのような「倫理」は、「あなたのため」とか「社会のため」とい
うように、簡単には否定できず、すぐに信じてしまいそうな言葉を伴って、
人々の心の中に入ってくるからです。
自分の内部に権力が侵入するということは、管理される領域が広がるという
ことで、その分自由が制約されることになります。

・19世紀の数学者・哲学者ウィリアム・クリフォードの言葉。
「人間は軽々しく物事を信じてはいけない」
クリフォードは、軽々しく物事を信じることは悪であり、罪であると、厳し
く糾弾しています。

・権力が内面から人間を管理するようになると、人間は思考を停止し、指示
に従う機械のようになってしまうでしょう。

・新型コロナウイルス感染症対策が、国家の権力を利用して、国民を思考停
止にして「凡庸な悪」を生み出しているとすれば、それは政策の是非に関わ
らず、重大な事態が進行していることを意味します。

・社会は、それらが難問であるにもかかわらず、簡単に一つの答えを出して、
それに向かってすすもうとする傾向があります。そして、一旦進み出してし
まうと、その方向が正しいか否かについての議論までも封じ込めようとしま
す。

・何かを信じて疑わず、それを他人にも強要するようになれば、それは問答
無用の野蛮な社会でしかありません。

・私たちは、あまりにも政府や専門家の言うことを簡単に信用していないで
しょうか。政府が言うから、専門家が言うからという理由だけで信じていな
いでしょうか。政府が言うからという理由で、信用できる根拠はどこにある
のでしょうか。専門家だから信用できる根拠はどこにあるのでしょうか。そ
もそも彼らは、本当に専門家なのでしょうか。

・スペインの哲学者オルテガの言葉。
「専門家は、自分がたずさわっている宇宙の微々たる部分に関しては、非常
によく『識っている』が、それ以外の部分に関しては完全に無知なのである」

・一番の問題は、自分の専門領域でも限られた知識しかないのに、専門でも
なんでもない領域についても、まるで専門家のようにふるまうことです。
オルテガはこの点について、「自分の知らないあらゆる問題において無知者
としてふるまうのではなく、そうした問題に関しても専門分野において知者
である人が持っているあの傲慢さを発揮する」と述べています。

・実は専門外の分野なのに、専門家のふりをして発言する「専門家」が後を
絶ちません。

・堂々と「こうすべき」「ああすべき」という人たちは、オルテガの言葉を
借りれば、「専門家」というレッテルを貼っただけの野蛮人ということにな
ります。

・彼ら(科学者)は、データから学術的な結論を出して論文を書く行為につ
いては専門家ですが、その結論から実際の行動を判断する専門家ではありま
せん。

・日常生活では、実験室のように条件を一定にすることはできませんから、
研究結果をそのまま適用することには原理的に無理があるのです。

・因果関係が評価できないのは情報不足のためという「言い訳」が成立して、
いつまでたっても真相を究明しなくてよい構造になっています。

・ワクチンをめぐる専門家や科学者の説明が「科学的」ではない理由は、科
学ではない領域にまで踏み込んで議論しているからです。

・「ワクチンのメリットがリスクを上回る」という定番のフレーズは、専門
家が決めるべき問題ではなく、社会が決めなければならない問題のはずです。

・これほど緊急で対話や議論が必要な問題について、対話が成立していない
のは、ワクチンをめぐる対話や議論を封じ込めようとする力が働いているか
らです。
クリフォードは「疑問を押し殺したり、他人の質問を妨害したりする者は、
何世紀にもわたって、決して消し去ることのできない冒涜の罪を犯したこと
になる」と厳しく批判しましたが、その冒涜の罪がまさに起こったのです。
それは、正常な疑問や懸念までも「デマ」として封じ込めようとする圧力に
よって生じました。

・これらの「デマ」は、科学的に検証しなければ、「デマ」であることを決
めつけることができないものばかりで、むしろ誰もが持ちうる不安や疑問に
近いものです。しかし、それらが「デマ」とされているのです。

・もし、これらの主張を「デマ」であると科学的に主張したいのであれば、
それを証明する科学的根拠がないからというのではなく、それらが間違って
いるという科学的根拠を提出しなければならないはずですが、それは非常に
困難です。

・一方的に「デマ」であると決めつける行為は、科学的なものではありませ
ん。科学的な議論をせずに、科学的根拠がないという理由で否定することに
は、明らかな矛盾がありまあす。

・問題の核心は、「陰謀論」ではなく、ワクチンに関する正当な疑問の封じ
込めにあると見るべきでしょう。

・現時点での通説は常に修正される可能性に開かれているわけです。このよ
うな世界で「正しい」と言い切ることや、自らに対する批判を「デマ」や
「誤情報」と主張することは、科学の進歩をそこで停止させることと同じで
す。

・政府機関が「デマ」や「誤情報」とそれに対する「正しい情報」を示すこ
とは、本来、十分な時間をかけて科学的な討議を経て結論を得なければなら
ない問題に対して、議論を拒否するという姿勢を示していると見るべきです。
しかも、「正しい情報」に対する疑問や批判を、「デマ」や「誤情報」とい
うレッテルを貼ることで、正常な疑問までも封じ込めようとする圧力が存在
しています。

・公的機関からの情報であるから「正しい」とは限らない。

・「正しく恐れる」ということは、「このように恐れよ」と命令しているわ
けで、そこでは、私たちの「恐れ方」が決められてしまっています。
しかし、恐怖という人間の根源的な感情を、他人が決めることなどできるの
でしょうか。

・恐れ方を指示されて、それが間違っていたら、それこそ生命にかかわる場
合もあります。

・「恐れる」という感情は、リスクを回避しようとする人間の行動の源泉で
すから、それが何らかの指示でコントロールされてしまうと、その指示が生
命にかかわる場合があります。

・さらに見逃してはならないことは、「正しく恐れる」と言うことで、人間
の「恐れる」という感情面にまで、政府や社会が侵入してきていることです。

・「恐れる」という主観レベルになると、人間のより深いレベルがコントロ
ールされようとしていることを意味します。

・近代以前は血筋と宗教で統治されていた国家が、近代では民主主義と科学
で統治されるようになりました。しかし、その科学が、新型コロナウイルス
感染症という緊急事態を前にして、簡単に宗教化してしまっているわけです。
その理由は科学が政治の手段として利用されるようになっているからです。

・政治に利用される科学は、もはや科学者の良心だけに基づく純粋な科学で
はなく、自らの主張の神聖さを汚すものを一切認めない宗教と化してしまう
傾向を持ちます。一切の批判を許さずにワクチンを擁護する専門家の言説は
まさに宗教そのものです。
ワクチンの効果や安全性のみを強調する専門家の行為は、科学的行為という
よりも、ワクチンの正当性を高めようとする政治的行為であり、彼らがまと
っている「科学」はまさに宗教と同じ様相を呈してしまっているのです。

・経済人はワクチンについても、最終的には経済的合理的な判断しかできま
せん。…極端な言い方をすれば、「ワクチンを打って、感染症が治まって経
済が回る」なら、少しくらい犠牲が出てもやむをえないと考えていると言っ
ても、間違いではありません。

・生権力は自らの権力を、「あなたの健康のため」という、すぐには否定で
きない言葉を使って行使してくるので、普通の思考をしている限りは簡単に
抵抗できない仕組みになっています。抵抗するどころか、健康診断の数値に
一喜一憂する姿はまさに飼いならされた動物そのものです。しかし、これは
生命や健康という人間の最もプライベートな領域への権力の侵入なのです。

・生命や健康だけを重視するということは、人間の尊厳である精神性を排除
してしまう危険性を持つのです。…もし、人間の価値が生きることだけにな
ってしまうと、人間は動物と何も変わらなくなってしまいます。

・ほとんどの人は「健康になりたいから」とか「長生きしたいから」という
単純な理由で生権力の傘下に自ら進んで入っていくのです。その結果、不要
な治療を受けて亡くなってしまう人が後を絶たないのですが、それを恐れる
どころか、そこまで延命できたことを喜ぶようになってしまうのです。

・生権力は、病気から人間を守ることを目的のように見せかけて、人間を最
も深いところから統治することが目的ですから、実は病気そのものを撲滅す
ることを目指していません。むしろ、病気を作り出して、それを治療すると
いうマッチポンプ的なプロセスを通じて、膨張してきました。「早期発見・
早期治療」はその典型です。

・武器の代わりに薬剤を、兵士の代わりに医師を使い、そして敵を倒すため
に惜しみなく財政支出する姿は、まさに戦争と同じ構図です。

・人類が定期的にワクチンを接種してウイルスに備える生活になれば、生権
力はまた一つ人類を統治する武器を手に入れたことになるので、ウイルスを
撲滅するよりも大きな成果を得ることができるでしょう。

・すでに問題の焦点は、新型コロナウイルスの撲滅よりも、ワクチンの普及
に変わってきています。

・健康や延命を理由にすれば、人々はどんな権利の制限でも受け入れるとい
うことが分かってしまうと、生権力はそこからどんどん勢力を拡大していこ
うとするでしょう。そのときに、健康だけが人生ではないということが主流
になれば、生権力は退潮していくはずです。

・「役者」(=政治家、役人、科学者、専門家、経済人など)は、役を演じ
ることでシステムから生活の糧を得ているので、全力でシステムを守るよう
に動きます。もちろん、「代役」はいくらでもいますから、権力の指示に従
わない「役者」は交替させられます。

・民主主義のプロセスに従って抵抗しようとしてもまず成功しません。政治
家や役人に陳情しても、彼らはシステムの一部を構成する「役者」ですから
、ほとんど効果はありません。仲間を集めて議員に立候補しても、システム
の支援がなければ当選するのは非常に困難ですし、たとえ議会に少数の議席
を確保できたとしても、システムによる多数決の原理で簡単に否決されてお
終いです。

・問題の本質は、人間ではなくシステムですから、政治家や専門家を批判し
たり、製薬メーカーに抗議したりしても何も変わりません。

・権力を守るために、権力者はなりふり構わぬ動きに出ることがあります。
本来、思想信条の自由や表現の自由は民主主義国家の最高の規範のはずです
が、それすらも踏みにじって、自らと異なる意見をデマとして封じ込めよう
としているは、その表れと言えるでしょう。

・審査する専門家と製薬会社の利害が一致していたら、国民にはどうするこ
ともできません。科学と経済が結合してしまうと、そこに民主主義のプロセ
スは介入できないのです。

・システムは、自分自身の権力を損なう可能性のある対象については、議論
を避けようとします。…ワクチンについても同様の状況が生じたことは、生
権力にとって、それだけワクチンが重大な役割を担っていたからに他なりま
せん。

・ナチスに加担した人々は、根っからの悪人であったわけではなく、自分自
身で思考することなく、ただナチスに従っただけでした。アーレント(ドイ
ツ出身ユダヤ人の哲学者)は、この自らは思考停止して何かに従う行為その
ものを「凡庸な悪」と称し、これこそが全体主義の正体であると主張しまし
た。同調圧力に屈することは、それだけで全体主義へつながる悪になりえる
危険なことなのです。

・ナチス支配下でも、このような「凡庸な悪」に抵抗した人々は少数ですが
存在しました。ナチス体制に協力せず、公的な生活に関与することを拒んだ
人々です。ナチス支配下では、公然とした反対運動は死を意味しますから、
表だって行動はできません。しかし彼らは、ナチスに協力しないという抵抗
を示すことで、全体主義に抵抗したのです。

・これらの人々は、「大多数の人々からは無責任と批判されたのですが、あ
えて自分の頭で判断しようとした唯一の人々だったのです」。「凡庸な悪」
と「善」を分ける境界は、自分自身で考えるかどうか、つまり判断の基準を
自分の内部に持っているかどうかであったわけです。

・このような人々(自己をよりどころとして抵抗する人々)は、平時には見
分けがつきませんが、異常事態が生じれば、自分自身を基準にして行動する
ので、彼らは全体の動きとは反対方向に向かいます。しかし残念ながら、こ
のような人々はいつの時代も少数派です。

・「凡庸な悪」の側についてしまっている人々でも、完全に納得して従って
いるわけではありません。そこに少しでも、自分の頭で考える余地が残され
ているなら、将来、判断が変わる可能性は十分にあります。そこに人類の最
後の希望があります。そのために必要な行動は、自分が納得できない場合は
システムに協力しないことです。それが、迂遠に見えても、最も効果的な方
法です。

・システムに抵抗するためには、その必要性を感じたなら素早く行動を起こ
すべきです。自分自身の中でシステムに侵されていない部分、つまり一番自
然に近い部分を基準として行動することが求められます。自分にとって望ま
しくないと思ったら、誰が何と言おうと、頑なに拒否を貫くだけで、賛同者
が必ず現れてきます。
…そのときには、それぞれの人がめいめいに行動することが有効です。それ
は、当然無秩序で統制がとれませんが、このような非組織化された動きに対
処することが、システムは一番苦手です。

・「打つのも、打たないも自由」ではなく、十分に調べずにワクチンを「打
つ自由はない」のです。私たちは、人類の義務として、自分が納得するまで
は、行動してはいけないのです。なぜなら、すでに第1章で述べたように、
それが誤っていたときに、何世紀にもわたる害悪を残すだけでなく、たとえ
結果的に正しかったとしても、軽々しく信じてしまう習慣を強化することで、
次の大きな間違いを犯しやすくなってしまうからです。

・全体主義に抵抗するためには、行動の基準を全体に合わせるのではなく、
自分自身に合わせないといけません。

・社会を維持するために(ワクチンによる)少数は犠牲になってもよいので
しょうか。これは科学の問題でも、経済の問題でもなく、倫理の問題です。
この点についての議論を科学者や経済人に任せることは絶対にできないこと
です。にもかかわらず、医療の専門家がこの問題にまで、「専門家」として
口を出すことや、経済人が自らの組織の利益のためにワクチンを利用しよう
とすることに、誰も批判しないどころか、むしろ歓迎する風潮が生まれてい
ます。

・予防原則は、環境問題や遺伝子技術など、人類に対する未知のリスクにつ
いて、科学的に実証された因果関係が不明の段階でも、将来の予測されるリ
スクを前提に何らかの対策をとるべきという考え方です。それは、科学的な
証拠が出てから対応するのでは、手遅れになってしまう恐れが大きいからで
す。

・予防原則は、科学的証拠が十分にない場合に適用されるわけですから、現
在のワクチンをめぐる議論のように、科学的な証拠がないからリスクはない
などという主張は認められません。
…理論的にリスクが高いと推察されるならば、科学的証拠がなくても、その
活動を停止すべきという結論になります。
遺伝子技術は、人類にとって未知のところが大変大きいため、予防原則を適
用すべき最も重要な対象の一つとされています。しかし、それが人体に直接
注入する遺伝子ワクチンに適用されないのは、いったいどういうことでしょ
うか。

・科学的証拠がまだ十分蓄積されていないワクチンについて、リスクについ
ての科学的根拠がないことを理由に安全性を強調し、感染症対策については、
科学的証拠を収集できる段階になっても、検証を怠ってウイルスの恐ろしさ
ばかりを強調して、科学的根拠の乏しい感染対策を行ってきたのです。

・利己と利他の関係は、最も基本的な倫理的課題であり、宗教的な課題でも
あります。それは、人間がいかに生きるべきかという、とても深遠な課題で
す。しかし、そのような重大な問題であることをまったく考慮に入れず、新
型コロナワクチンをめぐって利他を強調する主張や宣伝が垂れ流されている
ことは重大な問題と言えましょう。
(←CMなどで「あなたとあなたの大切な人を守るためにも、ワクチン接種を
ご検討ください」とか言っていることに対して)
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