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1:サムライ:
2011/01/29 (Sat) 15:03:26
host:*.t-com.ne.jp
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有線LANを捨てられない、“引き籠もり族”のサムライです(苦笑)。
さて、習近平副主席が2010年10月19日、党中央軍事委員会副主席になったことにより、胡錦濤国家主の後継者となることが、表向きには確定したわけですが、実際には1年ほど前に行われた、今上陛下との2009年12月15日の拝謁により、事実上の次期中国の最高指導者になることが確定したことは、飯山さんの仰せの通りだと思います。このあたりについて、某国際ジャーナリストが、小生に対して以下のように語っていました。
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2009年12月15日に天皇陛下に中国の習近平国家副主席が面会。過去の慣例からも分かるように、中国の主席を指名してきたのが天皇である。これで、次の主席が習近平と決まった。また、今回の小沢一郎と羽毛田長官の対立であるが、長官と雖もあくまでも羽毛田は行政府の一職員に過ぎない。だから、小沢一郎を批判するのであれば、辞めてから批判を行うのが筋である。羽毛田の長州も天皇を玉として使った過去を思い出すべきだ。
************************
それから、数日前の『金王朝の深い謎』の中で遂にツランが登場、ツランの秘儀に関するお話を楽しみにしております。なお、ツランに関しては拙ブログでも取り上げています。
http://pro.cocolog-tcom.com/edu/2010/03/post-f66f.html
ツランという絆
ともあれ、今年は来年に起こる大異変の予兆が、世界至る所で出てくると思います。そのあたりは今年の歌会始の儀においても、隠されたメッセージとして出されており、「あけぼのすぎ」と題して拙ブログにも解説文を書きました。
http://pro.cocolog-tcom.com/edu/2011/01/post-27a8.html
あけぼのすぎ
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182:suyap
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2018/08/19 (Sun) 19:36:46
host:43.248.156.124
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>>181
↑↑
勝手にスレ主と同じHNを名乗るアナタは何者ですか?
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181:サムライ:
2018/08/19 (Sun) 13:14:00
host:*.ocn.ne.jp
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全国の社会福祉協議会様
口封じの意味はワイロ代わりか。
12年前岩手の盲ろう者友の会事務局長が読み書きの出来ない聾唖者の猜疑心から出たあいつの親父は馬鹿なのだというのを次期会長(現ろうあ協会会長)のためゴマすりのけしかけからお前の親父は馬鹿なのだ妥協しろと言い出し馬鹿らしいとして退会した。後から全通研が聾唖者はかわいそうなんですと改心を押し付けに来た。親を馬鹿とは石川会長の仕業と判る。
この頃から岩手の看板団体の暴走を隠すため完全沈黙のかん口令を敷かれ関わった人も団体も友達も全部取り上げた。どこの団体も行かせない。社会参加妨害は12年で12回になる。
昨年は花巻の全国大会に参加したが知事から誰も合わせるなとされて全国の友の会も全国協会もその勧めてくれた事務局長も全部あいつに関わるなと口説き伏せられて寝返らせた。完全孤立して全国協会賛助会員は退会した。
そして全国の社協に暴走目こぼし権があったらと問い合わせついでに岩手の暴走をばらし、県外との完全沈黙の囲みを破った。
今年2月もう12年目で疲れて親は好きなだけ馬鹿にしていいとしてこれまでの圧力は廃止を求めたが抹殺しか考えて居ない。
地元役場に説明抜きのかん口令が来たら孤立は深まるとして役場に出向き立場の説明をし、理解を求めた。
6月は打つ手も無く全国の社協にこれ以上は迷惑を招くとして最後の挨拶をし、初めて法務省にもう諦めたいとメールした。
それを諦めるなと言い水沢の法務局に行って直接話せと言われた。
ここで最後のチャンスと見ていたが中身は掲示板に実名使うなということだけ。社協への最後の挨拶も司法の手で妨害されていた。法務局に何度も行けなくて手紙を20回も出していたが直接話さないと判らないと言いながら暴走目こぼし権なんかないと知事をかばう事だけの返事が来ている。他は何も答えない。 法務局は時効までの時間潰しと揉み潰ししかしないのか、前から疑問になっていた。最後に地元の擁護係りが紹介された。これは別社会へ行くときのアドバイスだけ。初めから県庁は諦めろと言う。
法務局の受信拒妨害は県庁に有利に進めたことになる。対策も何も口にしない。友の会を辞めた頃は自立支援法が廃止にされていた。そして今は復興が叫ばれ、対して障害者の一人位として暴走はばれなければいいとする許可が容認されていたことになる。知事も厚生労働省も法務省も説明はしない。法務省へのメールは10回位だが数日後に返事すると言って1ヶ月も一つも返事しない。 厚生労働省はその倍でも完全沈黙。人権を守る立場で破壊を協力するとは。 障害者の一人位と言う感覚で仕事して居るのか。これでは疑問を県庁に電話すれば口封じのかん口しか来なくなる。それでもばれてしまえばただの暴走になる。社会参加はおろか通訳団体(派遣通訳、要約筆記の会、盲ろう者友の会)全部が3年前からの差別し説明しない。情報センターは会員のメール版もビデオなどの貸し出し拒否9ヶ月も続けている。親父は現代の名工に選ばれて知事表彰受けている。
盲ろう者友の会、ろうあ協会、全通研も仲間を守れと言う暴走に非難は避けられない。差別、妨害に12年も耐えて来たのだから。
聾唖者へのおだてけしかけを繰り返した友の会事務局長小笠原夫妻は通訳資格剥奪追放すべき。本気で反省するなら役員総辞任(無知から暴走を招いた石川会長も辞任すべき)して作り直すべき。知事に暴走目こぼし権が行き過ぎる。
岩手の知事の暴走は自立支援法が廃止になった次の年に友の会から馬鹿らしいとして退会したらかん口令を広げ親は馬鹿のままにし関わった人も団体も友達も全部取り上げた。どこの団体も行かせず社会参加は12年に12回妨害した。自立支援法が復活しても変わらない。暴走を暴走で隠し続けた。そしてかん口令は更生相談所にも障害者の社会参加推進センターにも地元一関の身障協にも及んだ。当時法律がなかったのと今は復興が叫ばれ、相手はたかが障害者一人となるとばれなければいいとして暴走は容認されたことになる。
6月の全国の社協に最後の挨拶としてのメールは司法が暴走を協力容認していた。人権を守る立場で破壊の協力とは。
ばれても謝罪する気はあるまい。こちらから全国に知らせることにします。 そしてこれが最後の挨拶になります。社会的復権のために。迷惑にならないよう知らせるだけです。
妻はがんで亡くなり息子は仙台の大学を出ると現場監督として働き。こちらは小脳萎縮でヘルパー付きで一人暮らしです。
裁判に駆け込む金も無い。
看板団体の暴走を隠すためとしてこちらはたかが聾唖者の一人くらいとしか見ず完全孤立しました。13年前に自立支援法が廃止になり悪用され今は復活してもなりふり構わなくなった。今は復興が叫ばれ相手はたかが障害者一人として岩手の暴走はばれなければいいとして厚生労働省も法務省も許可容認されています。裁判には金が無い。
全国協会の庵さんは全国大会への参加を勧めながら知事に口説かれて完全孤立しました。読み書き出来ない聾唖者の猜疑心がここまで来るとは。
そして本人は反省より知らなかったと言えば正義になると決め込んでいます。
ろうあ連盟も全通研も仲間を守れということしか関心持って居ない。 障害者が困っていると言っても全国の支援団体は全部が知らん顔している。
一番おかしいのは同じ障害者に軽視していてる全国協会です。障害当事者の会は発言力もない。
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180:サムライ
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2012/05/20 (Sun) 08:37:16
host:*.t-com.ne.jp
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★ 再開のお知らせ
舞台を「みち」の新掲示板に引っ越しました。
馬之助さんと相談の上、スレッド名も「コーヒーブレイク」と改めました。
http://michi2672.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=4085988
今後ともよろしくお願いいたします。
サムライ拝
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179:ホレジロウ
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2012/04/15 (Sun) 18:23:10
host:*.ccnw.ne.jp
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明瞭は脳への刺激がないから、エスプリと黒胡椒なんかを、利かしながらボチボチ行きましょうやねー!また見つけましたよ、価値の絶対の神器が?これで三人寄れば文殊の知恵!明治長州ファイブを超える平成ワールドワイズスリーだ!英語が分らなければエスプリは感じないね!どあホーはWW3。坊主待っとけよ!逢いに行くから
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178:サムライ:
2012/04/15 (Sun) 11:30:33
host:*.t-com.ne.jp
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ホレジロウさん、有り難うございます。意味明瞭でも意味フメーでもいいので、よろしくお願いいたします。m(._.)m
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177:ホレジロウ
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2012/04/15 (Sun) 08:40:33
host:*.ccnw.ne.jp
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アイアイサー!
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176:サムライ:
2012/04/15 (Sun) 08:12:38
host:*.t-com.ne.jp
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飯山さん、皆様
現在、『みち』の天童さんとメール交換を続けていますが、『みち』プロジェクトの一環として、新しい掲示板を立ち上げる方向で天童さんと小生との間で進めています。来週中にも『みち』の主な執筆者の方々とお会いして了解を得、その後はコメント投稿などのご協力を仰ぎたいと思っています。ただ、現在は小生の本業(翻訳)に追われることもあり、立ち上がりは少し先になりますが…。
立ち上がったら、本スレッドの「ツランという絆」を続ける他、『みち』の各々の記事をたたき台に、大勢の人たちが感想を述べたり、意見を交わしたりする交流の場にしていきたいと思います。管理人は小生が務める予定であり、天童さんからも掲示板への情報提供などが期待できそうです。。立ち上がったら、馬之助さん、ホレジロウさんをはじめ、皆様もお出かけください。
サムライ拝
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175:サムライ:
2012/04/13 (Fri) 10:03:52
host:*.t-com.ne.jp
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ホレジロウさん、えーっと、何を書いているのか余りよく理解できないんですが…、申し訳ない! m(._.)m それはそれとして、ホレジロウさん、馬之助さん、漸く仕事の修羅場から抜け出せました。
ここで突然ですが、飯山さんには私信でお知らせしましたが、現在本スレッド「ツランという絆」の引っ越しを検討中です。検討先は情報誌『みち』の掲示板です。実は、そこの掲示板は同時に、日本ツラン協会(天童竺丸氏は同協会の会長)の掲示板も兼ねているのですから、そこの掲示板をもっと活性化させなければならないと考えるようになった次第です。これは、ここ数週間、活発に同ホームページを更新されている天童さんに刺激を受けたことも大きいようです。天童さんに近くお会いし、話し合いたいと思いますが、もし引っ越すようなことになりましたら、ツランに関心のある方は一度アクセスしていただければ幸いです。
http://8119.teacup.com/tendoh/bbs
それから、天童さんで思い出しましたが、小生がブログで書いていた『悪の遺産ヴェネツィア』が刊行されたようです。したがって、シリーズで同書を紹介しようと思っていましたが、その必要もなくなったので、あと一回程度書いて本シリーズは終わりとします。ただ、本業・その他があるので、いつ記事を書けるかは不明です。
最後に、やはり拙ブログでフルベッキ写真関連で意見交換をしている高橋信一氏と、フルベッキ写真に群がる詐欺師を叩きたいと思っています。主に拙ブログで進める予定ですが、ここの掲示板でも新たにスレッド立ち上げる形で、場をお借りできればと思います。ただし、ここに相応しくない内容のスレッドだったら削除してくださいと、飯山さんには私信で連絡済みです。なお、高橋先生にも時々今度立ち上げるスレッドに寄っていただけると思います。
サムライ拝
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174:ホレジロウ
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2012/04/12 (Thu) 06:17:58
host:*.ccnw.ne.jp
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総まとめは、ななんと3.09と3.12の学校の授業だった?!最後のイミフでご勘弁!コナン君勝負だ。この道に入ったのは、10年以上前に知人から頂いた一本のカセットテープから聞こえる、驚き、桃の木、山椒の木!の関西弁のおっさんの講演が切っ掛け。放射能地獄と乳酸菌のツイッターから、たどり着いたのが雑談室改めの放知技のここ。3.09で世界レベルはとりあえず解決!暴政、覇道の終焉は近い、民本時代の幕が開きます!坊主!まずは、ネット時代は、良い人のいい本を見つけてむさぼりつけよ!会いたくなったら会いに行けばいい!
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173:サムライ:
2012/04/04 (Wed) 16:16:49
host:*.t-com.ne.jp
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馬之助さん、仕事に追われています。13日過ぎあたりまで、まともな投稿はできそうにありません。代わりに、翻訳者仲間でのやりとりを、一部伏せ字にした上で以下に公開します。
Oさん
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息子さんの寮は旧学舎の近くですか。なんか誘惑の多そうなところで...いや、歴史的なものが色々あって良いところですよ。私は若い頃は興味がありませんでしたが。今はきっと息子さん本人よりもお父さんお母さんの方が不安をかかえておられるんでしょうね。私も自分の息子があと4年たって自分一人で生活するなんてちょっと想像できないですね。
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それに対して、小生は以下のようなメールを投稿しました。
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お父さん(サムライ)としては全く心配していないです。自身も十代の頃に世界に飛び出して、三年間ほど世界放浪の旅をしてきたからね…。でも、カミさんは別れ際に目を真っ赤にしていたな…。
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すると、別の翻訳者が素晴らしいメッセージを彼らに贈ってくれました。
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子供さんと一緒に居られる時間は、人生の中で限られています。サムライさんの息子さんはその時期になった、Oさんのところも数年のうちにそうなる、ということですね。子供さんにも自分の人生がありそれがまさに始まろうとしているのです。この季節、日本では多くの子供たちが18歳で親元を離れて新生活を送ろうとしています。彼らの前途に幸あれ。
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愚息は高二の時に独りで京都へ行き、途中和歌山市の落合(完爾)さんの狸庵で草鞋を脱ぎ、数泊しています。その時は栗原(茂)さんや天童(竺丸)さんらも狸庵に居り、人生の大先輩からいろいろと学んだようです。その後も二回ほど京都に一人で行っていることもあり、全く心配していませんでした。この時の体験が、京都で学生生活を送ろうと決心させたのかもしれません。
追伸
過日送った堀川辰吉郎に関する秘ファイル、通読を終え、何か聞きたいことがありました私信にてらお知らせください。当方の分かる範囲で解説させていただきます。
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172:馬之助:
2012/04/02 (Mon) 23:30:50
host:*.bbtec.net
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サムライさん、こんばんは。
昨日の日曜日は、三番目の子どもの引っ越しで、大学の寮へ送り出してきました。自立していきたいという気持ちが、親の知らないレベルに徐々に高まっていたようで、荷物を部屋に運び入れた後も、あれこれと世話をやこうとする母親を煙たがっているようでした。これから自立のスタートという時に、いつまでも手を焼かれるのが嫌だったのでしょう。入寮式に参加するつもりでいた家内を促して早々と引き上げてきました。大学の敷地内をゆっくり散歩してから帰ったのですが、途中で入寮式の会場へ向かう我が子と偶然出くわして、その緊張と興奮と期待の入り交じった表情と、それでも未来を描いて生き生きとした立ち居振る舞いを見ることができて、親とすれば満足でした。
大学院に進んだ子から、入学手続きの連絡が来なくてやきもきしていたのですが、すべて自分で済ませたということでした。今は、授業料免除の申請をしようとしているようで、確認したい事項と必要書類等を母親に依頼していました。年齢によって、自立のかたちも違うようです。こんな子どもの姿に、逆に親の方が背中を押されて、重い足をひとつ前に進めているという状態です。
>堀川辰吉郎と中丸薫女史に纏わる深奥の情報交換は私信で進めましょう。
了解しました。解った分だけ、解らなくなっていく、というか、整理するのにもうすこし時間が必要なようです。
春休みということで、DVDを借りてきた(といっても、上記のようにひとりは大学へ、もうひとりは宮城の方へボランティアにでかけて子どもは、いま家にいません)ようで、それを観ました。ハリー・ポッターの最終章なのですが、おもしろかったです。我が家では、本は家族で回し読みし、そろって映画館にも足を運んでいたのですが、子どもの成長とともに、各自に嗜好が出てきて本を読まなくなるヤツが出てくるし、映画も見に行く暇がないというヤツがでてきたりで、久しぶりのハリー・ポッターでした。しかし、面白いというか、これどこの国のお話?という感じでした。死んだ両親やその友人がいつも見守っているとか、ハリーに託してダンブルドアもスネイプも死んでいくとか、三途の川(駅のプラットホーム)が出てきたり、そこから引き返して蘇ったり、手にした最強の魔法の杖を自ら折ったり…。ハリーにヴェルデモートの魂の一部が刻印されていたようで、ヴェルデモートを弱らすためにはハリーを倒させることで、自らが自らの魂を滅ぼさせる、そのためにハリーは死を決する。なにか、現在起こっていること、または、起こりつつあることと重なっているのではないのかという感覚を手放せないで観ていました。
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171:ホレジロウ
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2012/03/30 (Fri) 19:48:26
host:*.ccnw.ne.jp
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サムライさん有難うございます!
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170:ホレジロウ
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2012/03/30 (Fri) 18:04:56
host:*.ccnw.ne.jp
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見落としおおきに有難うございます。horejiro@md.ccnw.ne.jp宜しくお願いします。三島さんが呼んでるのか、知覧が呼んでるのか、西郷さんが、信長が呼んでるのか?!今は未だ、よ―分りもーさん!この子だけには会いたいね!生きる糧を見つけましょう
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169:ホレジロウ
:
2012/03/30 (Fri) 17:57:33
host:*.ccnw.ne.jp
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サムライさん、おいらも暗記は苦手なんですが、長年やれば身に沁みつくのを期待します。寺子屋で遣ってみたいですね。天孫降臨の地で!農民寺子屋文庫は水上勉氏の若狭一滴文庫にちなんで、霧島侍士文庫を提案してみます。お師匠さんに!09年11月の小沢主義から100冊以上が枕元に散らかって居ります。金ちゃんの北のバイブルと、古事記だけを手持ちにします。
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168:サムライ:
2012/03/30 (Fri) 17:35:35
host:*.t-com.ne.jp
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ホレジロウさん、写真を拝見しました。一穂社で出している『古事記』を入手したのですね、流石です。小生が毎晩風呂で暗唱してるのが、p.7からp.11の「この子を生みますによりて、みほとやかえて病こやせり」までです。また、滅多にやりませんが、仕事の合間にp.15の「右の件、八十禍津日神以下、速須佐之男命以前、十四柱の神は御身を滌ぎたまふに因りて生れませる者也)までを暗唱することがあります。
しかし、残念ながら、p.45までの上巻全てを暗唱するのは、小生の記憶力では到底無理…T_T…
尤も、栗原(茂)さんに言わせれば、中巻や下巻はたいしたことはなく、肝心なのが上巻であり、殊にp.15の「右の件、八十禍津日神以下、速須佐之男命以前、十四柱の神は御身を滌ぎたまふに因りて生れませる者也)までは非常に重要です。このあたりまでを栗原さんが解説記事を書いており、私信でメールアドレスをお知らせいただければ、栗原稿をメールで送りますよ。
さて、今晩も風呂でやるか…。「あめつちのはじめのとき、たかまのはらになりませる…」
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167:ホレジロウ
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2012/03/30 (Fri) 12:26:12
host:*.ccnw.ne.jp
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類は類をもって群れとなしフェロモンも悪臭も人相も心眼で感じる!人生の総決算が近い日顔かひとりでに語る!おとろしきかな人の心は?古事記を音読、大和魂の喚起の業。母は般若心境、親父は正信偈、じゃーおいらは古事記、まだまだ死んではおれんて!サムライさんへのお礼まで。
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166:サムライ:
2012/03/30 (Fri) 07:57:16
host:*.t-com.ne.jp
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馬之助さん、おはようございます。
> その「類」というのは、どういった「類」なのでしょう。
船井幸雄氏や副島隆彦氏の今までの言動を見れば分かるように、胡散臭さを感じさせるという意味の「類い」です。ただ、堀川辰吉郎の娘である中丸薫女史を加えざるを得ないのは残念だ。
> この辺りから、「近代日本とフルベッキ」という流れができていくのでしょうか?
「近代日本とフルベッキ」を執筆した当時は、落合氏の記事自体を知りませんでした。
>「ワンワールドの最高中枢は、世界史進行のための効率的手段として、配下の勢力を英露の2大集団に別け、互いに戦わせる弁証法を用いて、人類社会の改新を早めてきたものと思われる」という文章です。「世界史進行のための効率的手段として」にしても、「人類社会の改新を早めてきた」というのも、なにを顕そうとしているのでしょうか?すこし高い位置からの視線を感じないではいられませんが、これはどういったものの視線なのでしょう。
このあたりは、落合さん本人に尋ねた方が早いかもしれませんね。また、上記の行を理解する助けになると思われる、落合さんの過去の記事の電子データがありますので、後に私信にて送信します。
ただ、小生が思うに、ポイントは「ワンワールドの最高中枢」という行です。つまり、英国を支配しているのも「ワンワールドの最高中枢」だし、かつ露を建国したのも「ワンワールドの最高中枢」ということを考えれば、落合さんが言わんとすることも分かってくると思います。このあたりは、現在は本業に追われて書く暇がないのですが、拙ブログに掲載を予定している「悪の遺産ヴェネツィア」を参照してください。
> それはわかるのですが、その前に「ユダヤ資本やユダヤ財閥のエージェントも一緒に連れてきてください!」という文章があるので、
すみません、少し頭が混乱してきました。「ユダヤ資本云々」と書いているのは落合さんの記事ではなく、山浦(嘉久)さんの記事ですよね?
ともあれ、私はコスモポリタン派ではなくツラン派に属す人間なので、ユダヤ(ロスチャイルド)が主体になる新河豚計画に対して、諸手を挙げて賛成しているわけではありません。
ここで、一般に信じられている、「1930年代に日本で進められた、ユダヤ難民の移住計画である。1934年に鮎川義介が提唱した計画に始まるとされ、1938年の五相会議で政府の方針として定まった」とい“旧河豚計画”について、疑ってかかる必要があると感じている今日頃頃です。このあたりを明確にしたく、もう少しお時間をください。
馬之助さんが引用された『日本を動かした大霊脈』の一節を拝読。中矢氏もいいこと書いていますね。なお、堀川辰吉郎と中丸薫女史に纏わる深奥の情報交換は私信で進めましょう。
追伸
馬之助さん、実は仕事に使っているパソコンが壊れ、新しいPCを入手しました。Windows 7はなかなか良いOSです。しかし、新しいパソコンに慣れるのに手間取ったので、当面仕事に没頭せざるを得ません。がんばります…。
サムライ拝
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165:馬之助:
2012/03/28 (Wed) 21:57:11
host:*.bbtec.net
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サムライさん、こんばんは。
>類は友を呼ぶではありませんが、船井幸雄氏の周りには…
船井氏の本は、読まず嫌いで、私には以前からうけつけない感じがあります。名を連ねている方々の本は、結構読んだのもありますが、ここ一二年は手が伸びていません。特にサムライさんと話をするようになってからは、急速に興味を失っています。その「類」というのは、どういった「類」なのでしょう。
>この記事は、数年前の『月刊日本』に掲載された落合完爾氏の記事ですが、じっくりと行間を読めば、深奥の情報が得られるのではないでしょうか。
この辺りから、「近代日本とフルベッキ」という流れができていくのでしょうか?ただ解らないのが、この記事のなかの落合氏の「ワンワールドの最高中枢は、世界史進行のための効率的手段として、配下の勢力を英露の2大集団に別け、互いに戦わせる弁証法を用いて、人類社会の改新を早めてきたものと思われる」という文章です。「世界史進行のための効率的手段として」にしても、「人類社会の改新を早めてきた」というのも、なにを顕そうとしているのでしょうか?すこし高い位置からの視線を感じないではいられませんが、これはどういったものの視線なのでしょう。
>連中は魂を売り渡したコスモポリタンです。
それはわかるのですが、その前に「ユダヤ資本やユダヤ財閥のエージェントも一緒に連れてきてください!」という文章があるので、ロビイストを派遣するのが、ユダヤ資本やユダヤ財閥のエージェントになるわけですから、「新河豚計画」も毒気は多いということでしょうか?毒なのか、薬なのかはともかくとして、「ユダヤ資本やユダヤ財閥のエージェント」とコスモポリタンはイコールではないということでしょうか?そうなると、飯山さんがいうように「オバマと金正恩が知恵の限りを尽くして対決する」としたら、それは「世紀の大決戦」であり、「こんな面白い対決はない!」に違いありませんが…。
長くなってしまいそうなので、『日本を動かした大霊脈』から、話の流れに重なりそうな部分だけ、とりあえず引用しておきます。
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周知のとおり、張作霖は関東軍の陰謀により満州鉄道で爆殺されるが、この時、関東軍の動きを事前に察知した辰吉郎は、急いで駆けつけたが間に合わず、わずかに他の乗客を救い得ただけであった。
「中国軍革命援助の当初の目的は、このような暗殺と征服ではなかった。日本の軍閥は、中国の平和と自由を破壊する」
尊敬する張作霖の命を奪われた辰吉郎は、関東軍の名参謀・河本大作に強い態度で、こう迫ったという。
すると下田歌子は、孫文の顔を真正面から冷静に見つめ、観察していたが、
「革命成功の時は、満州を日本にくれますか、それで東洋の勢力の均衡がとれましょう」
驚くべきことを、ずばりと切り出した。
これにも、孫文は少しも驚かなかった。もともと中国本土の民衆は、満州を外夷(がいい)とあなどり、本国とは思っていない深刻な偏見を持っていた。
孫文は、科学や武力を主体として世界戦略を押し進める西洋の文化のことを、中国で古来から言われている「覇道」にあたる文明原理として批判し、一方の東洋の文化、とくにアジア圏で育(はぐく)まれた仁義道徳を主体とする文化のことを「王道」の文化ととらえ、これを西洋の「覇道」の文化より優位においた。
しかし、辰吉郎の場合は、無論共鳴はしながらも、少し違った考えを持っていた可能性もあると筆者は考える。つまり、日本国の場合は、王道よりさらに奥の深い、「皇道」の文化があるという考えを持っていたのではないかと思うのである。
たとえば、出口王仁三郎(でぐちおにさぶろう)もまた「皇道」という言葉を使い、一時は大本(おおもと)を「皇道大本」と称したりしたが、王仁三郎の言う「皇道」とは、むしろ天皇さえもが従わねばならない真理の太道を意味しており、宗教表現を用いれば「宇宙の秩序」あるいは「天地の法則」としてとらえているところがあった。
軍閥や為政者たちは、日本独特の精神文化の源であるはずの神道を利用し、天皇を担(かつ)ぎ上げて国家神道という人造宗教をつくリ上げ、西洋を模倣(もほう)した「覇道」の原理をもって戦略なき戦争に突入した。
辰吉郎は、このため、誤った大陸政策を強引に押し進める日本の指導者たちと命がけで戦ったのである。すなわち辰吉郎の目指すものは、天皇を中心とする神道的な宗教の復活ではあったかも知れないが、それは国家神道と呼ばれるものではなく…。
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164:サムライ:
2012/03/26 (Mon) 17:33:04
host:*.t-com.ne.jp
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馬之助さん、こんにちは
> 『悪の遺産ヴェネツィア 黒い貴族の系譜』
拙ブログに続編を書きたいと思っていますが、もう少し先になりそうです。
> 太田氏は船井幸雄氏やベンジャミン・フルフォード氏といった人たちと本を出している。おもしろい感じがします。
類は友を呼ぶではありませんが、船井幸雄氏の周りには、太田龍、ベンジャミン・フルフォード、副島隆彦のほか、前回の投稿で取り上げた中矢伸一や中丸薫らが同氏を囲んでいますね。お互いに波長が合うのでしょう。
> 原日本人が一割という少数派というのも複雑な気分で頷くほかないのでしょうか?
“日本人”の首相や前首相といった現代を生きる連中だけでなく、近代日本でも“日本人”の存在は至る処にありました。そのあたりを明白に教えてくれるのが以下の記事です。特に、「鹿児島城下の鍛冶屋町方限は伊集院の鉄砲鍛冶に淵源するが、ここにもタカスが混入した」という記述にご注目ください。
http://2006530.blog69.fc2.com/blog-entry-602.html
この記事は、数年前の『月刊日本』に掲載された落合完爾氏の記事ですが、じっくりと行間を読めば、深奥の情報が得られるのではないでしょうか。
>「新河豚計画」
「新河豚計画」については、山浦(嘉久)さんや飯山さんの今後の発言に注目していけばよいと思いますが、一方で“旧河豚計画”は何だったのかということになります。たとえば、小生の人生の大先輩方で、若い頃に河豚計画の関係者の一人から興味深い話を聞いたという人たちもいます。そうした人たちの話に耳を傾けながら、本当に旧河豚計画は日本軍部や日本政府が考え出したものか…、という疑問が頭に浮かぶ今日この頃です。
> 派遣されたロビイストに動かされる日本というのは、残りのツランに縁のない日本人の日本といったところでしょうか?
連中は魂を売り渡したコスモポリタンです。今後、そうした連中は、今後は遠慮なく叩いていくつもりです、ツラン同朋の為…(笑)。
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163:馬之助:
2012/03/24 (Sat) 22:49:07
host:*.bbtec.net
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サムライさん、こんばんは。
>ただ、太田氏が皇統奉公衆について言及していないのは当然の話でして、皇統奉公衆の存在を初めて世に知らしめたのは栗原茂氏だからです。
太田氏が文献などによって、ツランや、黒い貴族に辿り着いたにもかかわらず、皇統奉公衆には辿り着けなかったというのが、すごいと思いました。そして天童氏は栗原氏と知り合い、皇統奉公衆に触れ、『みち』の編集人であると同時に、日本ツラン協会の会長でもあるという道をすすみ、『悪の遺産ヴェネツィア 黒い貴族の系譜』を著すにいたっている(それが、サムライさんの手に渡っているというのもすごいと思います)。一方、太田氏は船井幸雄氏やベンジャミン・フルフォード氏といった人たちと本を出している。おもしろい感じがします。
>そのうちの一冊が『日本を動かした大霊脈』(徳間書店)という本です。実は、この本の中心テーマが、あの堀川辰吉郎です。だから、拙ブログでも同書を簡単に取り上げたことがあります。
太田氏の本は、後に回して、『日本を動かした大霊脈』を読んでみます。サムライさんのブログ、先を追っていくといろいろコワイ話題が満載ですね。栗原氏の“原日本人論”発言の、原日本人が一割という少数派というのも複雑な気分で頷くほかないのでしょうか?
追伸の、ひろみさんの質問に対する回答部分の、
>ロン・ポール氏の善戦(『月刊日本』三月号のp.68参照)、『横田めぐみさんと金正恩』の「河豚計画は生きていた」という小節(p.60)などから統合的に推測すれば…
どちらも、黒い貴族の影が窺えるような感じです。『月刊日本』にはロン・ポール氏の主張として、「さらに、これまで米国が異様なまでに肩入れしてきたイスラエルとの関係を全面的に精算することなどを提唱している」という表現がありますし、『横田めぐみさんと金正恩』には以下の文章が印象的です。
***********************************
しかし、世界は広い。「捨てる神あれば拾う神あり」だ。広い世界のなかで、北朝鮮の「河豚計画」だけは、「ユダヤの皆さん、どうぞ、北朝鮮にいらっしゃい!」と、やさしく歓迎してくれるのだ。
そして、こうも言うのだ。「ユダヤ資本やユダヤ財閥のエージェントも一緒に連れてきてください!」「こんどは、北朝鮮からアメリカやヨーロッパや日本に大勢のロビイストを派遣して、いままで以上の迫力で、世界を動かしていきましょう!」と。
***********************************
気になるのは、『月刊日本』の四月号で、すこし調子がかわってきたというか、山浦嘉久氏が「彷徨えるユダヤ人」として特別に書いたような記事がありました。そのなかにも「河豚計画」がでてきますが、すこしだけ引用させていただくと、「現在の世界的金融危機は、金融資本ユダヤ人に自らの生存がかかった、まさに生きるか死ぬかの局面なのである」というのが、四月号の基調となるトーンではないかと思うところで、金融資本ユダヤ人自らの生存にも、世界的金融危機の影響が及んでいるとわかってホッとするような気になりました。つづいて「そして、「新河豚計画」に則って北朝鮮を動かすことができる国家こそ、北朝鮮の旧宗主国である日本であると目されている」という部分。この号は読みのがすのは惜しいと思います。ここでの日本では、栗原氏の“原日本人論”の原日本人、およびツランに縁をもつ日本人となるのでしょうか?また、飯山さんの引用の部分での、派遣されたロビイストに動かされる日本というのは、残りのツランに縁のない日本人の日本といったところでしょうか?石原莞爾と東条英機との確執が、いまだにつづいているような感もありますが、東条英機が私たちをどこに導いていったかを考えると…。
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162:サムライ:
2012/03/22 (Thu) 14:24:40
host:*.t-com.ne.jp
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馬之助さん、
> 「かつては」というところが微妙ですね。
太田龍氏の本は読んだことはないのでコメントは控えたいと思いますが、ただ、太田氏が皇統奉公衆について言及していないのは当然の話でして、皇統奉公衆の存在を初めて世に知らしめたのは栗原茂氏だからです。つまり、栗原氏と天童氏が知り合った頃には、すでに太田氏と天童氏とは疎遠な間柄になっていました…。
このあたりの真因を天童氏に聞き及んだことはありませんが、様々な軋轢があったことは容易に想像できます。ここで天童氏が凄いのは、太田氏に散々罵倒されたというのに、一切言い訳がましいことはせず無言を貫き通したという点です。その点、小生なんか未だに未熟者だと思います(笑)。
ところで、中矢伸一も『ミロクの暗号 (日月神示と出雲・伊勢・シュメールで読み解く日本人の使命) 』(徳間書店)という、シュメール関連の本を出しています。小生は同氏の本は二冊読んだ記憶があり、そのうちの一冊が『日本を動かした大霊脈』(徳間書店)という本です。実は、この本の中心テーマが、あの堀川辰吉郎です。だから、拙ブログでも同書を簡単に取り上げたことがあります。以下の拙記事では、上記の船井幸雄氏や中矢伸一氏の他、山浦嘉久氏、中丸薫女史、落合莞爾氏、そして飯山さんも登場している記事なので、ご関心があればどうぞ…(笑)。
http://pro.cocolog-tcom.com/edu/2010/11/post-80ff.html
金王朝の “深い深い謎”
当然ながら、中矢伸一氏も京都皇統・皇統奉公衆・ツランの存在を知らずに書いているので、『日本を動かした大霊脈』はピント外れの箇所があるのは仕方が無いものの、それでも栗原茂氏の『真贋大江山系霊媒衆』に目を通した後、改めて『日本を動かした大霊脈』の目を通せば、今までは平面的だった辰吉郎像が、幾分かは立体的なものになるのではと思います。なお、同氏の著した『ミロクの暗号 (日月神示と出雲・伊勢・シュメールで読み解く日本人の使命) 』という本、機会があれば手にしてみたいとは思います。
追伸
ひろみさんの質問に対する回答を忘れていました。
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>フェニキア=カルタゴですが、フェニキア=黒い貴族ではありません。
これを聞いて、ほっとしました。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
申し訳ない。小生の書き方が拙かったですね。正しくは「フェニキア人の末裔が黒い貴族である」ということになります。つまり、フェニキア人がアフリカ北部に建設し活躍したのがカルタゴ(Carthago)という地であり、その後ご存じのとおりローマに“滅ぼされた”ということに史実上はなっています。しかし、実際にはローマという宿主に寄生虫のように、粘り強く生き延びたのであり、その後は長い時間を経て水の都ヴェネツィアという表舞台に再登場したということになります。その後のフェニキア人、すなわち“黒い貴族”は、活躍の舞台をヴェネツィアから、アントワープ→シティ(ロンドン)→ニューヨークへと移動しています。そして21世紀の今日、ウォール街の抗議デモ、現在進行中の米国大統領選挙の共和党の候補者の1人、ロン・ポール氏の善戦(『月刊日本』三月号のp.68参照)、『横田めぐみさんと金正恩』の「河豚計画は生きていた」という小節(p.60)などから統合的に推測すれば、重要になってくるのが飯山さんの記事に出ていた北鮮の咸鏡北道かもしれません。なぜなら、ユダヤ人と異なって黒い貴族すなわちフェニキア人は、土地に対する執着心が無い上に、好んで海に面した土地に棲むという性向があるからです。マンハッタン島なんか良く見れば典型的な北米のヴェネツィアであり、ここからもお里が知れるというものです。
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161:馬之助:
2012/03/21 (Wed) 23:28:15
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サムライさん、こんばんは。
>故太田龍と天童氏の場合、かつては師弟の間柄でした。
師弟関係と言うのは知りませんでした。人のつながりは面白いものですね。太田龍氏の本は、いままで読まず嫌いというところだったのですが、さらに何冊か読んでみようかと思っています。しかし、「かつては」というところが微妙ですね。「師弟関係」に、「かつては」というのは、つきものかとも思いますが…。一冊読んだだけの印象ですが、ツランまで行きながら、皇統奉公衆までは辿り着けなかったのではないでしょうか?それだけ皇統奉公衆の影働きというのは、すごいものだと思いました。光明天皇暗殺説とか明治天皇に関するところは、いままでのサムライさんの話のおかげで、明確に違和感をもつことができます。いまだにネットでも、天皇に関する記述や、ユダヤに関するものに、おかしなものが多いように思います。恣意的に、その部分ではそのように誘導しようとしているものさえあるようです。その辺はどちらかというと、ミスリードに乗っかってしまっている人が、まだ大半ではないでしょうか?
>「おことば無視事件」によって、多くの人たちが現政権への違和感というか、何かに気付いたのではないでしょうか。なぜ、野田首相をはじめとする“日本人”が、「おことば無視事件」を敢えて強行したのか…。
その部分も、やがて白日の下に晒されていこうとしているようですね。そういう意味でも、『横田めぐみさんと金正恩』の出版は大きかったのではないでしょうか。その飯山さんの最近の、世界経済予測!ある意味では慎重な飯山さんにしてこの発言ですから、いよいよという感がしています。
ベーカーシ女史の、「日本國民に訴ふ」の次の文章には勇気づけられます。
>>またツラン民族は、欧亜に跨る広大なる地域に離ればなれに散在してゐるにも拘らず、その世界観がほとんど一致してゐることは真に不可思議な現象である。この共通なツラン精神から、近き将来において、一つの新しい文化、新しい經濟組織、新しい政治組織が生れ出るであらうことを私は確信する。さらに欣ぶべき現象は、反ボリシェヴィキ、反パン・スラヴ的ロシア人の間にもまた、我々と同様の思想を抱懐せる者を見出すことである。これはツランの復興がいかに東欧およびスラヴ人の間にも歓迎されれつゝあるかの一つの証左に他ならない。
この部分はまさに、サムライさんのいわれる「①膠着語・②表意文字・③言霊で共通する民族は、シュメールと日本のみです。このあたりは我々の想像以上に大きな意味がありそうです。」という表現の、「我々の想像以上に大きな意味」という部分に重なりそうな気がしています。それが、太田氏がツランまで行きながら、皇統奉公衆までは辿り着けなかった、それだけすごい皇統奉公衆の影働きというものだとも思いました。もちろん、それも神格あってのことだと思います。
>また余裕が出てきたら、「悪の遺産ヴェネツィア」シリーズの記事を拙ブログに載せていきたいと思います。
そういう意味でも、おおいに期待しています。
昨夜、偶然にYouTubeで、以下のものを見つけました。すでに多くの人が知っていることかもしれませんが、私は、忌野清志郎は原発のことを唄ったから、それが反原発だったから、発禁になったのかと思っていました。が、それだけではなく、もっと凄い内容に踏み込んだので、発言を封じられたようです。相も変わらず、「おことば無視事件」と同じようなメンバーが関わっているのでしょうね。
君はLOVE ME TENDERを聴いたか?(フルバージョン)/RCサクセション
http://www.youtube.com/watch?v=EsaJ84w9_a0&feature=endscreen&NR=1
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160:サムライ:
2012/03/19 (Mon) 17:05:49
host:*.t-com.ne.jp
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馬之助さん、どうも。少し余裕が出てきました。
> アマゾンの書店で「ツラン」と検索すると、太田龍著
> 『古代シュメールは日本に封印された』が一番に出て来ました。
故太田龍と天童氏の場合、かつては師弟の間柄でした。翻訳監修という名目で太田氏は海外の本を数多く出していますが、最も多く翻訳のお手伝いをしたのが天童氏だったと思います。そして、現在の天童氏は『みち』の編集人であると同時に、日本ツラン協会の会長でもあります。それを考えれば、天童氏の“師範格”にあたる太田氏の本から、ツランという言葉が飛び出しても何等不思議ではありませんね。『みち』のバックナンバーにも大量のツラン関連の記事があり、ツランというテーマでまとめると、面白い本が出来そうです。
ともあれ、以前にも書きましたように、①膠着語・②表意文字・③言霊で共通する民族は、シュメールと日本のみです。このあたりは我々の想像以上に大きな意味がありそうです。しかし、一方でこの情報を何とか世に出させまいとする勢力が確実に存在しています。それは何も「六千年前のシュメルの汎神論的・万有宿神的神性が、アッカド、バビロンと段々に堕落・歪少化させられ、ユダヤによって完全に逆立ちさせられる道程」に関与した、フェニキアやユダヤらだけではありません。そこで以下の飯山さんの以下の記事に注目するべきです。
http://grnba.com/iiyama/#rr031210
「憂国の士が結集する日」
ともあれ、「おことば無視事件」によって、多くの人たちが現政権への違和感というか、何かに気付いたのではないでしょうか。なぜ、野田首相をはじめとする“日本人”が、「おことば無視事件」を敢えて強行したのか…。このあたりは、本スレッドで書いた栗原(茂)氏の“原日本人論”発言につながるのだし、以下の行政調査新聞の最近の記事にも繋がってきます。
http://www.gyouseinews.com/pdf/2012031701.pdf
日本を「破廉恥国家」に導く野田政権を糺す
また余裕が出てきたら、「悪の遺産ヴェネツィア」シリーズの記事を拙ブログに載せていきたいと思います。
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159:馬之助:
2012/03/18 (Sun) 21:17:30
host:*.bbtec.net
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サムライさん、こんばんは。
>仕事のため、1〜2週間ほど投稿できそうにありません。
了解しました。ゆっくりやりましょう。仕事に集中してください。私も、少しゆっくりさせていただきます。
アマゾンの書店で「ツラン」と検索すると、太田龍著『古代シュメールは日本に封印された』が一番に出て来ました。で、それを今読んでいます。この本にも、『みち』の天童氏のツランに関する記事、ベーカーシ・ジュンジ女史の「洪国(ハンガリー)ツラン同盟」がでてくるので、すこし驚きました。ベーカーシ女史の「日本國民に訴ふ」のなかでは、特に以下のふたつが気になりました。
>>東欧及びアジア復興のための新生活道は、ただ、ツラン伝来のアジア精神を明徴ならしめることに依つてのみ達成し得られる。
>>日本から洪牙利に至るツラン人種の世界は、人種的立場から観ても、また民族精神の立場から観ても、はたまた地理的および經濟的立場から観ても、まことに都合よき統一体である。もしこれらの民族が一致協力して、その種族的民族的性質・世界観・伝統等に従ひ、その独自世界の政治的および經濟的特殊関係をいよいよ発展せしめ得るならば、現在の功利主義的国際協調主義より出でたる国際聯盟よりは、ヨリ強固な、皇・王道的なツラン国際聯盟が誕生しうるであらうことを、私は信じて疑はない。そしてこれが、国際関係の動揺常なき不安定状態を防ぎ、そして世界平和の基礎ともなるであらう。
太田氏の本に共通した事柄として、次のような表現があります。三箇所だけ引いておきます。
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前章で紹介した井上芳郎氏の論文『皇国信仰の世界的地位』(『盟邦評論』昭和一九年一一月号)は、「六千年前のシュメルの汎神論的・万有宿神的神性が、アッカド、バビロンと段々に堕落・歪少化させられ、ユダヤによって完全に逆立ちさせられる道程」を、鮮やかに描写している。
…人の(文明の)悪は神によって罰せられる。そのことを、人は畏(おそ)れなければならない。
シュメール人が生みだした最大のものは、実はこの認識だったのではなかろうか。
シュメールの国王は祭司王であった(でなければならなかった)。シュメール人の生活が神の意志に順であるように、神の怒りに触れないように舵をとることが祭司王の神聖な職務とされた。
シュメールを起点とした人類文明六〇〇〇年史は、いま完結した、といわねばならない。
その先はない。人類文明はまったき袋小路に突き当たった。
そしてこの絶体絶命の時点で、突如として日本民族は、人類文明が実はそのひとまわり上で一万二〇〇〇年の歴史を歩みつつあることに気づきはじめている。
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またまた、『アイウエオの神秘 コトバの原典』に登場願うのですが、ユダヤによってなにが逆立ちさせられたのか、それが解りやすく説明してありました(残念ながら私たちは、戦後教育の恩恵を受けているためよっぽど気をつけていないと自覚することさえできないようです)。
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<需要と供給>の調和(バランス)が経済の鉄則のようだが、音図構造にも、アタフ(与う)とモトム(求む)という、ア次元・オ次元の相関関係がある。
マスコミで<需要供給>の需要(モトム)を先にした漢字表記が、抵抗もなく通用しているところに、いかにも生活ぎりぎりに生きている庶民感情を反映していて皮肉だが、豊かな供給を先にした<供給需要>の世の中こそ、経済立国の日本の在り方ではないだろうか。
音図ではアタフのア次元が先である。そのア次元・オ次元の相関関係で調和の位置にあるのが、母音ア→ウ←オのウ語(自然のエネルギー)の位相である。(前項図表)人の真実(マコト)のエネルギー(意思と行動)は、そのア→ウ←オであることを、コトバの原点(音図)が示している。
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『アイウエオの神秘 コトバの原典』、『古代シュメールは日本に封印された』とも、まだ読了していないので、読み終わったら、もう一度書き加えるかも知れません。
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158:サムライ:
2012/03/15 (Thu) 13:56:08
host:*.t-com.ne.jp
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馬之助さん、申し訳ない。仕事のため、1~2週間ほど投稿できそうにありません。今月は期末決算のため、日本の翻訳者は大忙しなのです。代わりに、『みち』平成16年12月1日号に載った、天童氏のツランに関する記事を以下に転載します。
サムライ拝
●ここに紹介するのはベーカーシ・ジュンジという名前のハンガリー人女性が今から七〇ほど前、「ツラン民族」同胞と見なした日本人に向けて訴えた一文である。七〇年も前と言えば、もちろん日本が大東亜戦争に敗北する以前の話である。だが、その叫びはこの間の時間の経過を超え、われわれの魂に響くものがある。それは時代とともに色褪せるものではなく、むしろ幾多の国難と試練とを経れば経るほど、ますます輝きを増す性質のものである。なぜなら、その叫びは西欧近代文明に対し激しい違和感と嫌悪を抱く「ツラン民族」へ向けて、新たなる固有の文明を築くように呼びかける訴えだからである。
今岡十一郎の紹介によれば、ベーカーシ・ジュンジ女史は「洪国(ハンガリー)ツラン同盟」の理論的主導者で、ハンガリーの豪農の娘であった。当時(昭和一六年ごろ)に年齢四〇歳前後であったというから、日本で言えば、明治の末ころの生まれの人である。若いころから熱烈なツラン運動家で、ツラン運動の発展のため自費でもって『戦の道』と題するツラン雑誌を発行し、文化・社会運動に挺身してきた女闘士である。ツラニズムのためなら殉じるも可なりとして、祖国愛・民族愛に燃える珍しい型の女性であった。
そのベーカーシ女史は昭和八年(一九三三))に大規模なツラン民族運動を提唱して、広くツラン世界全般に檄文をもって呼びかけた。わが日本の要人に対しても、数十頁の覚書を寄せたのであった。「日本國民に訴ふ」と題する以下の一文は、その覚書の序文とも称すべき部分に相当する。
引用は今岡十一郎『ツラン民族圏』第八章「歐洲におけるツラン民族」の「第十節洪国ツラン同盟の檄」に拠る。常の「巻頭言」の分量を超えて少々長くなるが、女史の訴えに耳を傾けていただきたい。
●「日本國民に訴ふ」
われわれハンガリー人は過去一千年来、中央ヨーロツパのカールバート盆地に生活して居るものゝ、その魂と自覚においては常にアジア人であつた。このアジア魂を我々の誇りとする洪牙利ツラン民族運動團體の名において、私は、我々の常に敬慕して止まぬ極東の兄弟民族たる大日本國民に訴へる。
茲に述べることはハンガリー政府筋の意向を反映するものでもなければ、また半官的『洪牙利ツラン協會』の公な意見でもない。……蓋し、私の提訴は日々の現實政治に関係するものではなく、同族の将来の運命、その政治および社会機構等に関するものであつて、その拠る所は最も信頼するに足る歴史的事実、即ち、ハンガリー国民の世代より世代へ伝はるところの民族の聲であり、国民精神の発露であるからである。
現在ツラン同胞の多くは、あの広大無辺なユーラシア大陸において、ボリシェヴィズムの圧制下に呻吟しつつある。その中の或る者は祖国を?ぎ取られ、他の者は外国の利益の枷に嵌められてその自由を失つて居る。
わがハンガリーの隣国たる東欧に住む諸民族の血管には、その地理的・歴史的関係からしてツラン民族の血が多量に流れて居る。されば将来、この共通の種族的・民族的自覚が振ひ興される時、彼等もまた、我等と手を携へ、共同の目標に向つて闘ふであろうことは、諸種の事情からして略ぼ明瞭となつた。然し、悲しい哉、現在彼等は、西欧の使嗾に依り、西とも東ともつかぬ不純な、信頼し得べからざる混合思想たる、汎スラヴ主義に魅せられ、無自覚にも盲動しつつある。
われわれハンガリー人は、永い間、種族的・民族的・文化的に東洋と西洋との接触點において孤軍奮闘を続けてきた。であるから、東洋のことも我々には能く分る。現に新世界への生みの悩みにもがきつゝあるさまも、また世界の重心が西洋から東洋へ向つて移動しつゝある大きな文化的・政治的地滑りについても、他の西欧諸民族より早く我々は豫知して居たからこそ、将来に対する準備工作として、同族の間に民族的自覚を促す可くツラニズムの運動を起し来たのである。
由来、東洋民族は、西欧白人の如く能動的攻撃的であるよりは、寧ろ、受動的内省的生活に傾く関係上、創造能力は多分に有してゐても、それを思ふ存分発揮して敵を圧服することが出来なかつた。それゆゑ、西欧の機械文明華やかなりし時代において、われわれ東洋人は、彼等白人により搾取利用される計りで、むしろ悲運の立場にあつた。然るに、この常勝無敵であつた機械文明も今や行詰り、すでに廃頽期に入つたとさへ言はれる。蓋し、極端なる物質主義、極端なる生産の機械化、極端なる社会機構の機械化は、却つて、生ける人間の有機的生活を圧迫し、生物を窒息せしめるからである。すでに無機物化した文明は屍も同様、時と共に腐爛し、毒素を発散して 生ける物を毒さずには措かぬ。そして遂ひにはその生命をも断つに至る。西欧物質文明の腐爛廃頽的産物であるボリシェヴィズムにしろ、国際的マンムート・カピタリズムにしろ、ともに生ける霊魂を圧殺し、極端なる物質主義に偽価値をもつて真正価値に代へ、凡ての生ける個性を単一化せんとするものに他ならぬ。
由来、東欧のアジア的民族は、異人種の文化たる西欧物質文明とぴったりしなかつたことは?史に照らして明らかなところである。従つて、この文明が機械文明を得意とする西欧民族におけるよりも、かれら東欧のアジア的民族において、ヨリ容易にヨリ速やかに腐爛崩潰し始めた事は寔に當然のことであつて、この腐爛廃頽の速度を促進したものは、實に、功利的インターナショナリズムを生活の根城とする猶太族であつた。このことは既に前世紀末において判明して居つた。同時にまた、アジア的精神の族長主義的農業生活は、かれら猶太族の得意とする国際資本主義とは無関係に存立し得るため、彼ら猶太族の世界征服的企畫に對し最大の障碍であることも明瞭になつて居た。されば、東洋的族長主義的農業生活形式は、かれら国際主義者に取つては未来永劫而も最大の仇敵である。然るにかれら国際主義者は、東欧のアジア的農業民族の肩に、その異質不消化な物質文明を彌が上にも積み重ね、遂ひにロシアにおいて西欧文明の『腐爛バチルス培養所』を建設するに成功したのである。
然しながら、既にこの剣呑な国際主義者の陰謀に気付き、それが防衛手段を講じたため、疾患は漸く快癒に向ひつゝある。今日、西欧におけるあの熾烈なる民族主義、國民主義の抬頭は、取りも直さず、西欧諸民族の民族的覚醒であつて、その仇敵たる国際主義者の陰謀・圧迫・残骸を振ひ落さうとする自衛手段に他ならぬ。我々ハンガリー人もまた、この西欧の甦生を心から喜ぶものである。蓋し、これは総ての國家に取つて危険なる国際主義的流行病の終焉を意味するものだからである。然し乍ら、我々が真の甦生を図るためには、われわれ自身で新生活の原理を創建す可きであつて、西欧のものを受け継いで、それに依つて甦生すると云ふことは出来ないのである。東欧及びアジア復興のための新生活道は、ただ、ツラン伝来のアジア精神を明徴ならしめることに依つてのみ達成し得られる。われわれハンガリー人は、ツラン人種の先祖たるスキート族、匈奴族、蒙古族等の欧亜に跨る大版図の極西部における云はゞ国境哨兵である。われわれツラン西部辺境の前哨は、常に、その顔と眼を、日出づる東方民族の彼方、あの偉大なる統一的ユーラシア大民族の東部辺境を護る日本民族の方へ向け、凝視つゞけて居るのである。
日本・洪牙利間の地理的距離は如何に大なるにもせよ、畢竟、われわれはツラン民族の運命共同体である。況んや、極東の富裕な日本も今日では幾千條の經濟的利害の糸によつて西欧の資本主義と繋がりを有し、かなりこれと密接な関係にあることゆえ、西欧資本主義の崩潰は直ちに極東の国々にもその影響を及さずには措かぬ。また西欧的・物質的・世界征服的・社会主義的毒素の伝搬も、更には蘇聯邦と界を接する国々に侵蝕せんとするボリシェヴィズムの思想的・政策的影響と同様、深甚の注意を払はねばならない。また極端に民族主義的に鎖国しつゝある西欧の國民主義もまたそれ自身において、東洋のためには決して有利なものではない。また西欧が自己の手足の自由を束縛せられつゝある国際金融資本主義の重圧を払ひ落さうとすればするほど、この国際金融主義者の圧迫及び組織的破壊バチルスは、われわれ東洋民族の頭上へ雪崩れかゝつて来ることもほとんど必然的である。
われわれハンガリー人は、我々の體内に喰入つてゐる極端なる西欧思想を調節するためにもまた、アジア的ツラン的強烈なる国粋主義的思潮は必要なものである。ゆえに我々は欣んで東洋思想を受入れ、さらにこれを西欧諸民族の間にも宣揚せんとさへ思ふのである。また日本は、その生活利益を、例へば、もし将来西欧列強から政治的に遠ざかつた際といへども、なほ對歐貿易を持続せんがためには、歐洲において新たに信頼し得べき連絡者を必要とするであらう。と同時にまた、彼地に到達するために最も安全なる連絡通路が絶対的に必要である。ヨーロツパにおけるこの連絡者の任務は我々ハンガリー人が引受けるであらう。また東亜と西欧を繋ぐ唯一の安全確実な連絡通路は、ツラン同族の居住地帯の他にはないのである。すなわちその順路は、同胞の祖先、ツラン民族の偉大なる人物アッチラ、成吉思汗、チムール等が、悍馬に鞭打ち亜細亜の中心から欧羅巴の心臓ハンガリーまで闖入したあの祖先伝来のツラン大道こそ、我々の欧亜連絡の正道である。されば、目下の我々の急務はこの大道を開拓するために、まづ富士山とカールバート山脈とを繋ぐ文化的橋梁を築くことより切なるものは無いであらう。
フジヤマからカールバートに至るこの厖大なるツラン民族地帯の大部分においては、現在、東方民族主義を毒するボリシェヴィズムの分解的破壊作用が死の舞踏を演じつゝある。もし将来、それが崩潰し廃虚に帰した暁には、我々は動機不純なパン・スラヴィズムや、デモクラシーの復興と、西欧の植民地政策や、功利主義的技巧生活の復活を防ぎ、生気?剌たる真の人間生活の更正を図らなければならない。これはツラン西部国境の哨兵ハンガリーの利益であると同時に、東亜安定の擁護者たる日本の利益でもある。この人種的にも地理的にも、はたまた人生観においても統一せる、広々とした原始産業地帯が、惜しいかな、われわれの自由活動の舞台から切離されてゐるため、ツラン西部辺境の小民族たるわれわれハンガリー人も、東亜の大民族たる日本人も、ともに雄飛すべき舞台から鎖されてゐる。すなわち我々は、民族的発展のための前提条件たる空間が制約されてゐるのである。我々は狭隘なる国境内に悲惨なる生活を為すべく余儀なくされ、自由な活気ある真の生活を営むことができないのである。
東洋と西洋とを結ぶこのツラン地帯は一つの完全なる統一体であるから、支離滅裂の混沌状態に放つておいてはならない。それは組織的永続的生活の連続的統一体であらねばならぬ。それがためには、総てのツラン民族は団結しなければならぬ。ツラン民族の生活は組織的でなくてはならぬ。そしてそれは気品あるツラン伝統に根を張るツラン精神の発展でなくてはならない。
東欧は人種的にも思想的にも東洋でもなければまた西洋でもない。この混合民族は西洋の指金によつて生れた東とも西ともつかぬ汎スラブ主義思想を拐り棄てゝ、全然、西欧に合体するか、あるひは、祖先伝来のツラン精神に復帰するか、今や二つに一つを決すべき転換期に到達してゐる。而してこの後者を選らばんと努め、最も民族的に覚醒しつゝあるものは、我々マジャール人である。我々は自分たちの亜細亜の兄弟を「蛮族」などと軽侮したり、彼らの民族的蹶起、彼らの精神的復興を、西欧白人におけるがごとく、危惧の念をもつて眺むるものでは決してないのである。
ツラン民族の広大なる居住地域において、その生活は統一的で、文化は共通である。このツラン文化の発展を促すために、その伝統的原始産業、一般的小工業および国民的基礎に立つ大工業等を発達せしめなければならない。そのためには、魂のない寄生的存在である、あの巨大株式組織も、カルテル組織も共に、ボリシェヴィズムと同様、我々の仇敵である。ただ両者の異なるところは、後者はテロルによつて人間生活を圧殺するのに對し、前者は限りなき競争組織により人間生活を圧迫し、総ての真正価値を紙に替へ、投機によつて絶滅し、生産者と消費者との連絡を絶ち、經濟生活の外的および内的の正しい調整を破壊し、いまだ国際的信用組織網に織りこまれざる村落生活を、根柢から覆さうとするものである。舊ツァール帝国においては、彼ら国際主義者は、ボリシェヴィキ暴力革命によつてまず伝統的・族長的・ツラン民族的文化を破壊しなければならなかつた。蓋しこれは、自然的自治的原始産業者に人為的工業化の足械を強制するために、不可欠な道程であつたからである。このボリシェヴィキ革命は、たゞに農業国の生活を破壊したばかりでなく、これと有機的に関連して、自然的に発達した真正の国民的工業国をも崩潰せしめてしまった。
しかし、いかに相互依存関係にある工業地方といえども、その度を越えて発展膨張するときは、すでにそれ自体活ける有機的世界組織の一部分ではなく、荼毒的腫物と化する。かくのごとき潰瘍が、あたかも現代世界破局の原因となり来つたのである。
日本から洪牙利に至るツラン人種の世界は、人種的立場から観ても、また民族精神の立場から観ても、はたまた地理的および經濟的立場から観ても、まことに都合よき統一体である。もしこれらの民族が一致協力して、その種族的民族的性質・世界観・伝統等に従ひ、その独自世界の政治的および經濟的特殊関係をいよいよ発展せしめ得るならば、現在の功利主義的国際協調主義より出でたる国際聯盟よりは、ヨリ強固な、皇・王道的なツラン国際聯盟が誕生しうるであらうことを、私は信じて疑はない。そしてこれが、国際関係の動揺常なき不安定状態を防ぎ、そして世界平和の基礎ともなるであらう。……(ママ)この宏大にして豊沃なる農業国の生産物は、ただに西部辺境諸民族の需要を充すばかりでなく、東亜の発達せる工業に必要な原料をも充分に供給することができるであらう。
またツラン民族は、欧亜に跨る広大なる地域に離ればなれに散在してゐるにも拘らず、その世界観がほとんど一致してゐることは真に不可思議な現象である。この共通なツラン精神から、近き将来において、一つの新しい文化、新しい經濟組織、新しい政治組織が生れ出るであらうことを私は確信する。さらに欣ぶべき現象は、反ボリシェヴィキ、反パン・スラヴ的ロシア人の間にもまた、我々と同様の思想を抱懐せる者を見出すことである。これはツランの復興がいかに東欧およびスラヴ人の間にも歓迎されれつゝあるかの一つの証左に他ならない。
かくのごとく、いまやユーラシア大陸においては、新しい精神世界、新しい經濟世界、新しい政治世界が生れ出でやうとしてゐる。この機運を促進して同胞の運命を開拓するためには、我々ハンガリー人の小さな物質的および精神的力だけでは充分ではない。ここに、我々は極東の兄弟から何分の協力と援助を懇請する次第である。しかし、我々の仕事は前にも述べたごとく公のものではなく、国民的の文化運動である。同族の救護、人類文化の物心両面の発展を促すといふ真正なる使命達成のためには、どうしても我々は、ツランの盟主と仰ぐ日本國民と常時連絡を保持することが肝要である。この目的のために、われわれ西部ツランの統率者をもつて任ずるハンガリー國民は、東部ツランの指導者、偉大なる日本國民からの常設的ツラン代表を、なるべく速やかに当地へ派遣せられんことを切望してやまない次第である。
(『ツラン民族圏』三三五~三四三)
●この透徹せる文明的洞察より湧きでた?剌たる叫びは、必ずや諸賢同志の胸奥に熱い発憤を呼び覚すものと固く信じ、ベーカーシ・ジュンジ女史のわが日本國民に宛てた檄文の全文を紹介した。時代状況の些少の差異を差引いて考えれば、それはまさにツラン新文明の誕生を宣言する呱々の声ということができる。これを自らに承けて、いかに育てるか、それが我々に問われているのである。
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157:馬之助:
2012/03/13 (Tue) 22:16:48
host:*.bbtec.net
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サムライさん、こんばんは。
>古事記の讀み方
教えていただき、ありがとうございます。毎晩のお風呂での暗誦までは無理かもしれませんが、自分でもできるやり方を探っていこうかと思います。
>自分は何者で何処から来たのか、つまり己れの生琉里を知ることにより、大地に根が生えたような思想・哲学というか…
その辺りに関係することが、『アイウエオの神秘 コトバの原典』にありました。わかりやすい表現なので引用しておきます。
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いってみれば私たちの住む現象界は表面の世界であって、目に見えぬウラ(形而上)に何かを認めなければ安心して生きていけないことになる。それは仮面(カリのオモ)の世界だからである。仮面の世界であればこそ、昨日まで美姫に見えていたのが、突然夜叉の面に変わっても不思議ではない。人のココロ(心)もまた、オ次元のコトバだ。
目には見えぬカクレタ・ウラの真実(まこと)と縄なうように、交感一体化しようとする努力をウラナヒ・ウラナフというが…。
***********************************
「謂はば古事記と云ふものは徹頭徹尾國體を書いてある本」であり、「国体=天皇」でもあるわけですから、ツランがシャーマンの流れであり、その長としての天皇という存在であるならば、そういった目で今話題の、東日本大震災一周年追悼式での今上陛下のお言葉を、読みくだいてみるのも一考かと思います。
冒頭に「失われた多くの人々に深く哀悼の意を表します」となっていた表現が、最後は「御霊(みたま)への追悼の言葉といたします」で締めくくられていることに、なぜだかわかりませんが、よかったなあ、というか、救われたような思いがしました。これが神格なのだと、思いを新たにするとともに、深く頭を垂れる思いもしました。そして、文中に「多くの人々」が「御霊」になっていった理由として、「多くの人々が被災者のために様々に心を尽くしてくれ」たことをあげられていました。さらに重ねて、「国民皆が被災者に心を寄せ、被災地の状況が改善されていくようたゆみなく努力を続けていくよう期待しています」とあります。上記引用文に従えば、天皇は「意」=目に見えぬウラ(形而上)であり、我々国民は「心」という現象界(ココロからの行い)、表面の世界で、オモテはウラと一体でしっかりと支えられてあることで、「多くの人々」は「御霊」になっていくことができるのだなあ、と、安堵し、愚考した次第です。
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156:ひろみ
:
2012/03/12 (Mon) 15:53:23
host:*.rima-tde.net
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サムライさん、ほんとよく見たら、(赤不動)って書いてありました。
別の方が書かれたものだったのですね。。。
早とちりをしてしまいました。
>フェニキア=カルタゴですが、フェニキア=黒い貴族ではありません。
これを聞いて、ほっとしました。
カルタゴの一部=黒い貴族なんじゃないかなぁ~と思っていたので。。。
ローマとカルタゴとヨーロッパ先住民の関係をもっと深く掘り下げないと、
本当の意味での歴史は、語れないんじゃないかなぁ~と思うのです。
これは、日本も同じでしょう、縄文人、弥生人、その後の渡来人との
関係の中で、日本の歴史書を書いた人達は誰なのか、今、影響力を
持っている人たちが誰なのか、そこをはっきりさせないと、見誤って
しまうんだろうな・・・と思います。
往々にして、記録がない人達の歴史は消され、悪者として扱われ、
わざわざ記録をして自分達の正当性を語る人達ほど、怪しい・・・という
気がしますし。。。
差しさわりのない程度で、書いていただければ嬉しいです。
知ることによって、日本人の真の姿や誇りを取り戻し、世界の平和への
原動力になればいいなぁ~と思います。
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155:サムライ:
2012/03/12 (Mon) 08:11:52
host:*.t-com.ne.jp
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ホレジロウさん、おはようです。
> 戦の前に、詩でも吟ずるか?
愚生は毎晩、風呂の中で古事記(上巻)を暗誦しています。ただ、1回あたり20分かかるので、冬でも汗びっしょりになりますが…。ホレジロウさんもどうですか? 無論、使っているのは幸田成友校訂の『古事記』です。
ところで、飯山さんの記事を読みました。NHKには天誅を加えるべきだな…とつくづく思った。
なお、昨日の311に関して、以下はアルゼンチンの親友からのメールです。
Dear Samurai,
Today a memorial ceremony is planned at 2.46pm in Palermo to remember the victims of the last year tsunami, I just wanted you to know that all my family is beside you and through you to all the japanese people, their suffering we can not imagine we can only be there in spirit sharing the loss. I just wanted you to know we also remember.
A big hug.Take care.
your friend...always.
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154:ホレジロウ
:
2012/03/11 (Sun) 15:20:09
host:*.ccnw.ne.jp
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コトタマ!なるほど、おおきにありがとう 戦の前に、詩でも吟ずるか?
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153:サムライ:
2012/03/11 (Sun) 10:08:19
host:*.t-com.ne.jp
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最初に、ひろみさん残念でした、シッチンが出てくる記事を書いたのは天童さんではありません。
> 私の疑問は、シュメールとツランとフェニキアとの関係なんです。
> 関係があるような気がするのですが、どうなんでしょう?
> そうなると、フェニキアーカルタゴーヴェネツィアの「黒い貴族」という存在は、果たして悪の存在といえるのかどうか・・・。
ここで簡単に回答を言うと、フェニキア=カルタゴですが、フェニキア=黒い貴族ではありません。このあたりは、十分な背景を説明しないと分かって貰えないので、いずれ記事にしたいとは思っています。
ホレジロウさん、今回も面白い記事を最後の方に転載しておきます。コーユー記事が読みたいんだけどというリクエストがあれば、お知らせください。
馬之助さん、
> シュメールとツランの結び付きをさかのぼると、ここまで来てしまうのですか。ちょっと面食らう気もしますが、シッチン、二ビル、アヌンナキなどの情報はどこかで読んだことはあります。しかし、書籍にあたったことまではないのですが、それが『みち』の記事になっているとは。
シッチンの本は読んだことがありますが、小生は信じていません。寧ろ、シッチンをしてあのような本を書かせた背景を知りたいと思っています。だから、なぜシッチンのような情報を赤不動さんは『みち』に載せたのかは小生も疑問ですが、そうした点を除けば面白いツラン記事だと思います。
> まあ、三人目も大学が決まり、
そうですか、合格、誠におめでとうございます。お父さんも肩の荷が下りた…!
> ただ、ここで黒い貴族がどこに位置し、我が天皇がどのような役割を得ていられるのか
このあたりは、ひろみさんにも語ったように、いずれ拙ブログで記事にしたいと思います。忘れていたら指摘してください。
> 「仏道をならふといふは、自己をならふ也。自己をならふといふは、自己をわするるなり。自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。万法に証せらるるといふは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。…」
自分は何者で何処から来たのか、つまり己れの生琉里を知ることにより、大地に根が生えたような思想・哲学というか、自身の立ち処が確実に定まるようになり、これは強いです。そうなると、今までは五里霧中だったのが、一気に霧が晴れたような気分になるはずです。
> また、紀野氏は、ただ読んだってわからない、声に出して読まなくては響いてはこない、といっています。
ここに音読と大切さがあるのだと思います。そこで、本日の記事です。
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古事記の讀み方
▼古事記を讀みたいと思つてゐる人がゐるに違ひない。讀みたいと思ふほどでなくても、讀んでみようか、讀まなくてはいけないと思つてゐる人はゐるだらう。とりあへずは口語譯とか解説本の類ひを買つてくるか、勉強會でもあれば出てみようかと思ふ。
口語譯は實にいろいろなものが出てゐる。漫畫本も出てゐるが、これは御勸めできない。全くといつていいほど内容を變へてしまつて、よくまあ「古事記」などと銘打つたものだと思はれる駄本が出囘つてゐる。口語譯は昔から今日まで、名のある作家や學者が手掛けたものも市販され、なかには版を累ねたものもある。だが、いかに名譯 と稱されやうとも、物語の筋をたどることは出來ても、古事記を讀んだことにはならない。あくまでも原文を讀まなくては、古事記を讀んだとは言へない。
幸なことに、古事記は原文は漢字で表記されてゐるが、讀み下し文を收録した文庫本が何種類も出てゐる。そこでまた頭を惱ませることが出て來る。どの文庫のがよいかといふことである。
▼實は、嚴密に校訂された漢字書きの原文を使用しても、その讀みは人によつて異なるのである。どこに、どのやうな讀みが行はれるかは學者によつて説がいろいろある。幾通りもの讀み方を事細く併記したテキストまで出てゐるほどである。
獨斷と偏見を恐れずに言へば、私が御勸めするのは、戰前の岩波文庫本の幸田(こうだ)成友(しげとも)校訂の『古事記』である。これは昭和二年初版で、昭和十五年には改訂第五刷が發行されてゐる。全文、讀み下しで、總振り假名つきだが、解題は短く改定版凡例も簡潔である。ただし、戰後の岩波文庫本は採らない。岩波文庫では、戰前刊行された古典を、戰後も再發賣してゐるが、とりわけ解説・解題の部分は注意が肝要である。大抵は新たに書き直されてゐるが、しばしば水で割つたやうな内容になつてゐることがある。古事記はあくまでも、戰前の幸田成友博士校訂のものに限る。
もちろんこの版は古書店でなければ入手できない。御勸めしたいのは、この版を入手して、擴大コピー(B5判)にすることだ。振り假名もはつきり讀めるし、書込みも自由だ。兩面コピーにして擴大まるごとコピー本にしてをくとよい。この場合、卷頭の漢文の「序」を落さないこと。
▼さて、一應テキストは決つた。古事記は、撰者・太安萬侶の序と、上・中・下の三卷の本文で構成されてゐる。おもむろに頁を開く。最初に目に入るのは、見慣れない文章の「序」である。普通は、何をどう讀んだらいいのか戸惑ふだらう。この難解と見える部分を讀むのは後囘しにしたくもなるだらう。ただし、かういふ話があるといふことは記憶に留めて置いていただきたい。
戰前から戰後にかけて國語國文學の泰斗であつた山田孝雄先生の話である。
山田先生はもちろん古事記については研究はしていて、いづれ自分の研究を著述に殘して置かうとは思つてゐた。だが、人前で古事記の講義をしやうといふことは全く考へてゐなかつた。ところが、神皇正統記についての著述を出版した直後のことだつた。ある學者、その人は古事記を專門に研究したといつてもよい人だつたが、その人が山田先生にかう言つたといふのである。
「神皇正統記を讀むと、日本の國體といふものが誠によく分りますけど、古事記を讀んでみましても、ちつとも國體は分りませぬな」
これを聞いて、山田先生は驚いた。
「そこで私の眼で見ますと、謂はば古事記と云ふものは徹頭徹尾國體を書いてある本であります。結局國體の爲に古事記がでて居ると思ふ位の書物でありますに拘はらず、それを讀んで見ても國體は分らぬと云ふ風に古事記を研究して居たものと見えます。而もそれは最高學府での研究を通つて來た人なのであります。それで私が古事記のことをあちこちで御話すると云ふことが實は生じて參つた譯であります」(山田孝雄『古事記概説』、昭和十五年、中央公論社)
▼古事記は文學であると云ふ人がゐる。神話を書いたものだと云ふ人がゐて、歴史を書いたものだと云ふ人がゐる。一應「御尤も」なのだが、それだけではないのである。今の流行りである多數決で行くと、文學・神話・歴史のどれも絶對多數を獲得することはできないのである。
それでは何か。實は「序」を讀むと、古事記の梗概も精神も分る、と云ふのが山田先生の説である。
▼で、いきなり本文から讀むか、「序」から讀むかはあなたの選擇にまかせるとして、總振り假名付きのテキストを開いたとしても、あなたはまだ讀めないかも知れない。注釋本が必要だと思ふだらう。確かに注解本は必要だらう。だが、それは旅行案内のやうなものだ。道がずっと續いてゐるのに「この先、行止り」と表示されてゐることがある。アテにしてはいけない。信頼してゐると、どこへ連れられて行くか、分らないものである。
▼では、どうしたらよいのか。音讀することである。聲に出して讀むことである。少々意味なんか分らなくてよろしい。理想は、少なくとも上卷、神代の卷を百囘、音讀することである。テキストは大體のところ、幾つかの段落に區切られてゐるから、一つの段落を五囘から十囘、繰り返し聲に出して讀む。これが唯一の古事記の讀み方である。
繰り返し音讀すると、口が言葉に付いてゆく。身體が古事記を捕へる。さうすると、始めは自覺しなくても、注解本のをかしい所や訓みの不自然な所に、何となく氣付くものである。注解本に讀まされるのではなく、あなた自身が讀み、他の意見は取捨選擇するだけでなく、あなた自身が「意味」を發見するやうになつて行くのである。これは「コトタマ(言靈)」の力である。江戸時代の寺子屋で行はれてゐた漢文の「素讀」の力である。これが唯一の讀み方だ。(赤不動)
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152:ひろみ
:
2012/03/10 (Sat) 18:02:27
host:*.rima-tde.net
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サムライさん、ブログ読みました。
天童氏の文章の中に、「シッチン、二ビル、アヌンナキなど」が出てくるのは予想外でした。
ブログにコメントを書いたのですけれど、今住んでいる村が含まれる県の中心地のサラマンカは
カルタゴの侵略が起源でローマ化された都市らしいと言うことをつい数日前に知りました。
私の疑問は、シュメールとツランとフェニキアとの関係なんです。
関係があるような気がするのですが、どうなんでしょう?
そうなると、フェニキアーカルタゴーヴェネツィアの「黒い貴族」という存在は、果たして
悪の存在といえるのかどうか・・・。
そんな気がするんですよね。。。
フェニキアにも光と闇があったんじゃないか、って気がするんです。
そして、「獅子」です。
ヴェネツィアといえば「獅子」。
サラママンカが含まれるカスティージャ・レオン州は、もともとレオン王国で
「獅子」です。
この獅子が、ども「ドラゴン」の絵に見えるのは私の目がおかしいのかな・・・とか。
取り留めなく独り言のような事を書いて、すみません。
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151:ホレジロウ
:
2012/03/10 (Sat) 10:42:13
host:*.ccnw.ne.jp
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感謝感激です。ツランという絆149 サムライさん、多きに有難うござります。
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150:馬之助:
2012/03/09 (Fri) 22:15:24
host:*.bbtec.net
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サムライさん、こんばんは。
>9/09/01 改めてツランを想ふ
シュメールとツランの結び付きをさかのぼると、ここまで来てしまうのですか。ちょっと面食らう気もしますが、シッチン、二ビル、アヌンナキなどの情報はどこかで読んだことはあります。しかし、書籍にあたったことまではないのですが、それが『みち』の記事になっているとは。いま改めて読んでみると、構図的にはすべて納まっていますし、天照大御神、月読命、須佐之男命の三神も揃っています。ただ…
>多數の奴隸を生産するための〝原料〟をどこから得たのか。ツラン民族がその原料であつた。
これは、すぐには受け入れがたい思いがします。しかし…
>ツランといふのは、シュメール語で、天子・天の保持者・天の帝などを意味した。
この辺は微妙なニュアンスで…
>黄色人種の幸福な生活に羨望の念に堪へなかつたのが、月であつた。…その子孫が白色人種である。
ということは、奴隷という言葉に引っかからないで考えてみる必要も感じます。まあ、三人目も大学が決まり、これからの私の生活が奴隷ではないとは言いきれないところも、確かにあります。ただ、ここで黒い貴族がどこに位置し、我が天皇がどのような役割を得ていられるのか、そこに興味があります。
>日本人も廣い意味でのツラン民族に入るが…
>眞にツラニズムを掲げうるのは、わが國だけだつたのであるが……。
この思わせぶりな表現には、わくわくするものを感じないではいられません。
少し話題を戻しますと…。
>己れが何者かを明確に理解するようになれば、他人の言動に惑わされることもなくなると思うように至りました。
同感です。次のような道元禅師の有名な句が、正法眼蔵にあります。「仏道をならふといふは、自己をならふ也。自己をならふといふは、自己をわするるなり。自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。万法に証せらるるといふは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。…」正法眼蔵をわかるには、法華経がわからなければいけない。法華経がわかるには、正法眼蔵がわかっていなければならい。といわれるくらい、密接な関係があります。また、紀野氏は、ただ読んだってわからない、声に出して読まなくては響いてはこない、といっています。この辺りは、言霊の領域にもはいってくるかもしれません。同じよなところを『アイウエオの神秘 コトバの原典』から引くと、
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例えば茶碗というモノは、湯茶を飲むというコトのために存在する道具(モノ)である。もしもその茶碗に煙草(たばこ)の灰を落としたり、吸殻をねじこんだりすれば、それはもう茶碗ではなく灰皿である。形は茶碗であっても質的には灰皿というモノになってしまう。…まさに“コトによってはどう変わるか解らない”という日本語(コトバ)が当然のコトのように使われるコトとモノの関係である。
茶碗を灰皿に、机を踏台に変えても大した問題ではないが、これが人間自身、人間というモノと人間というコトを真剣に考えたら、これは大きな問題である。普段コトバに対して無神経(観念的)でいると、茶碗がいつのまにか灰皿にされていても気がつかない。茶碗という形(モノ)は変わっていないからである。
コトもモノも人間自身の意思ではなく、それは自然の真実(マ)の存在である。従ってコトもモノも、そのままマコトでありマモノになる。人間の意思がどちらを主体にするかによって、真実(マコト)にもなり魔物(マモノ)にもなるということである。
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ここでの観念的という言葉の使い方が、非常におもしろいと思います。また、意思の使いどころも、日本的というか、眞にツラニズムを掲げうるわが國的なものを感じます。
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149:サムライ:
2012/03/08 (Thu) 07:02:03
host:*.t-com.ne.jp
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馬之助さん、皆様、『みち』からシュメールとツランを結びつける記事を発見しました。
H19/09/01 改めてツランを想ふ
▼世界地圖を廣げ「ツラン平原はこのあたり」と指し示せる人が居たらよほどの通であらう。地圖にはそんな地名など載つて居ないものがザラにある。アジアからヨーロッパにまたがる大陸をユーラシア大陸と呼ぶ。ユーラシア大陸の面積は五千五百萬平方キロメートルで、世界の陸地の三分の一におよぶ。この廣大な地域に生活する人々がツラン民族と呼ばれる黄色人種である。
日本人も廣い意味でのツラン民族に入るが、ツラン民族の系統・分類については學者により異見が多い。ドイツ生れの英國の比較言語學者・宗教學者マックス・ミューラー(一八二三ー一九〇〇)は、初期にツラン民族を北ツラン民族と南ツラン民族の二派に分け、前者をウラル・アルタイ民族として五つに分ち、後者を四つに分けたが、後にはウラル・アルタイ語族のみをツラン民族と呼ぶに至つた。北ウラル・アルタイ民族の五派とは、ツングース、モンゴル、トルコ・タタール、フィン・ウゴール、サモエードであり、南ツラン民族の四派とはタマル(タミル語族)、ボーチャ(ティベット・ブータン語族)、タイ(シャム)、マライである。
▼これに對し、ハンガリーのツラン協會會長チョーノキ・イェノ博士は①フィン・ウゴル族、②トルコ・タタール族、③アルタイ族、④日本人、⑤蒙古人、⑥支那人と分類する。また金田一京助博士も獨自の分類を試みた。北川鹿藏は、①ツングース族、②蒙古人、③トルコ・タタール族、④フィン・ウゴル族といふ分類を提示してゐる。
▼ハンチントンで名高い「文明の衝突」は、あたかも世界にはイスラム文明と歐米文明としかなく、その〝二大〟文明の最終戰爭が起こることを豫言した。歐米文明はとりもなほさずキリスト教文明であり、文明は宗教の名を冠せられて強大となる。これに對してツラン文明には冠せられる宗教がない。あえて言へばもう亡び去つてしまつたゾロアスター教であり、今なほ現に行なはれてゐる地方があるシャーマニズムである。
シャーマンはトルコでは「カム」と呼ばれてゐる。カムは一人で祈祷者・預言者・醫師を兼ねる。危險・病氣・死・家畜の病氣等が起こると、家長はカムを招く。トルコ人は先祖の諸靈と同樣、太陽・月・火・空氣・土地・水のやうな自然物を禮拜すると西歐の學者は述べて居る。だが、西洋人にとっては、シャーマニズムは〝魔術〟(呪術)であり、迷信であつて宗教ではないのである。
トルコではシャーマニズムはアルタイ地帶の溪谷に生活する二,三の種族に傳はるのみで、東は佛教に、北と西はキリスト教に、他の地方はイスラム教に影響されシャーマニズムは撲滅されてしまつた。だが、ツングース人の間では全種族がシャーマニストであり、蒙古人やバイカル湖畔のブリヤート人、カザック・キルギースの間等々では、この古代宗教の明白な痕跡が見られるのである。
▼ツランを愛する人々は、近代文明の先駆となつた世界最古の文明シュメール文明はツラン民族圏に栄えたツラン民族の所産であり、ユダヤ人あるいはアーリア人はあたかも自分たちの祖先の創建にかかるものであるかのやうに執拗に宣伝して居るけれども事実はその反対で、ツラン文化を継承したものに過ぎないと主張する。
だが、この主張は妥当ではない。ユダヤ人ゼカリア・シッチンが明らかにしたところによれば、シュメール粘土板の研究によりシュメール文明なるものは、惑星ニビルより飛来した高度の知性を有するアヌンナキが構築したものである。ただしアヌンナキ(旧約全書ではネフィリムといふ)は知性のみを有する特殊な異星人であり、遺伝子操作により、神に奉仕する奴隷を開発、繁殖させた。そしてより快適に自分たちがこの地球で生きて行くために、シュメール文明といふシステムを奴隷人間に与えたのである。シュメール文明は最初から支配のシステムであつた。
▼シュメールは間違なくツラン圈であつた。そこでアヌンナキが奴隸人間を造り出したといふことも間違のない事實であつた。彼等はロボットを開發したのではなかつた。生身の人間に遺傳子操作を加へ子供を産ませて勞働の場で働かせたのである。多數の奴隸を生産するための〝原料〟をどこから得たのか。ツラン民族がその原料であつた。
ツランといふのは、シュメール語で、天子・天の保持者・天の帝などを意味した。ツラン神話學者によれば、ツラン神話にほぼ共通する物語は次のやうなものである。
太陽の神が最初地球を創造した。そして太陽の子が地上に降下した。ある日、彼は地球の乙女と出會ひ夫婦の契りを結んだ。その子孫が繁榮して、太陽の血統者である黄金色の民族すなはち黄色人種となつた。
黄色人種の幸福な生活に羨望の念に堪へなかつたのが、月であつた。月も子供を地球に降下させ地上の乙女と結婚し、子孫を殖やした。その子孫が白色人種である。
太陽は善美の基である。その熱は冬の寒さを追ひやり花を咲かせ果實を實らせる。すべての美、すべての善は太陽から生れる。故に、太陽の子は善良で恩情がある。月は冷やかで妖怪の横行する夜、現れる。故に、月の子は冷酷で猜疑心が強く、異種族を敵視し壓迫し搾取する……、すなはち白色人種である。
シュメールで生活してゐた人のよいツラン民族は、突然進入してきた知惠の長けたアヌンナキに物の見事にしてやられた。このアヌンナキの末裔がユダヤ人である。
▼ツラニズムはわが國へは昭和一七年に今岡十一郎著『ツラン民族圈』(龍吟社)によつて紹介された。英國が植民地支配の網を全世界に廣げ、それに對してハンガリーを初めツラニズムの波が澎湃として起こつた時期だつた。植民地支配のノウハウに長けてゐる英國はすでに詳細なるツラニズム分析を試みてゐた。そしてツラニズム怖るるに足らずと見通してゐた。眞にツラニズムを掲げうるのは、わが國だけだつたのであるが……。 (赤不動)
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148:サムライ:
2012/03/07 (Wed) 07:51:00
host:*.t-com.ne.jp
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馬之助さん、お早うございます。
> 『悪の遺産ヴェネツィア 黒い貴族の系譜』
現在、同書を読み進めていますが、赤子の手を捻るように日本を翻弄している宮廷ユダヤも、ヴェネツィアにかかっては一堪りも無いことが分かります。カルタゴ、ヴェネツィア、アムステルダム、シティ、マンハッタン…と転々としてきたヴェネツィアは、今度は何処へ行くのかと思うと興味が尽きません。
> 「ア」は「オ」によって現象界に顕われる。ツランにふさわしい色ですね。
何か、『アイウエオの神秘 コトバの原典』から受けた影響が滲み出ていますね(笑)。それは兎も角、馬之助さんのご意見に同感です。
結局、ツラン、言霊といったことに興味を示すようになったのも、「己れ(サムライ)とは何者か」ということを知らず知らずのうちに追い求めてきた結果なのだと、最近になって思うことがあります。同時に、己れが何者かを明確に理解するようになれば、他人の言動に惑わされることもなくなると思うように至りました。しかし、己れを十全に知るまでの道程は険しく、まだまだ納得出来るレベルまで己れを知るまでには時間がかかりそうだな…。
> 少し古い映画ですが、「ショーシャンクスの空に」というDVDを借りてきて、観ました。
興味深い映画の紹介、有り難うございました。特に、蛙の釜茹と日本のアナロジーは正にその通りなので、笑うに笑えないところがあります。
再度、『悪の遺産ヴェネツィア 黒い貴族の系譜』を読み進めながら背筋が寒くなるのは、ヴェネツィアすなわち黒い貴族の深謀遠慮です。同時に、敵の深謀遠慮を見抜けるようにするためには、己れが何者かを知ることなのだと、つくづく思う今日頃頃です。
一方で、ヴェネツィアの深謀遠慮と較べれば、メーリングリストや掲示板でコロコロとハンドル名を変えている某御仁などは可愛いもんで、とっくに正体を見抜かれているというのに本人が気づいていないのは、まことに哀れに思えて仕方が無い。
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さて京本のセガレ売り出しの本論。ホモ隠しで結婚して無理してつくった一人息子が小学生なんだそうだ。その息子を「京本政樹の息子は“絶世の美少年”と2ちゃんを含むあっちこっちのネットに自分で書き込んでいるのだそうだ。
この情報を得て、早速、パソコン教室の教官をやっている知人に調べてもらった。数日後、「あの(ネットへの)貼り付け方は自然発生的な書き方じゃないです。同一人物であまり知性のない文章です。我々は仕事ですから一発で見抜きます。一人の人間がどんなに言葉を変えても独特の癖が出てしまうんです。人間一人の脳みそで何十人もの書き方は無理なんです。どうしてもパターン化します」の報告。
知人からの報告がある前に、筆者も調べてみた。なるほど美少年と銘打った息子の顔写真あった。何のことはない。どこにでもいるじゃないか。京本そっくりののっぺら顔。これくらいの顔を美少年というなら、隣近所にも数段上の美少年がゴロゴロいる。それ以上に京本の息子は親に似て品がない。2丁目でも売れる顔じゃない。バカか京本。
http://maglog.jp/nabesho/Article1374632.html
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147:馬之助:
2012/03/05 (Mon) 20:54:49
host:*.bbtec.net
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サムライさん、こんばんは。
>天童竺丸氏の著した、世の中に1冊しかない『悪の遺産ヴェネツィア 黒い貴族の系譜』を栗原さんから譲り受けました。
そういった本が存在するんですね。凄いとしかいいようがありません。サムライさんの今後のブログに注目ですね。
>今年の歌会始の儀にある今上陛下の御製に織り込まれた「青」は、ツランそのものを指しています。従来の御製で詠まれた色は白黒灰のみでした。…「津波来し時の岸辺は如何なりしと見下ろす海は青く静まる」
ジャパンブルーは、ツランブルーだったのですね。それが「青く静まる」というのですから、まさに競わず争わずの感じが滲みでているようで、これも、すごいとしか言いようがありません。「青は藍より出でて藍より青し」という言葉もありますから、そこには往還の感じもあって、たのもしいです。言霊っぽくいえば、「アオ」というのは、ア次元(高天原=昔から日本人の誰もが、そこを神々の世界と考えている)の「ア」と、オ次元(現象界)の「オ」からなるわけです。「ア」は「オ」によって現象界に顕われる。ツランにふさわしい色ですね。しかも、いままで白黒灰色だったものから極彩色への変化ですから、稲村公望氏の「日本は戦後政治の分水嶺を越えた」にも繋がりそうで希望を感じないではいられません。
少し古い映画ですが、「ショーシャンクスの空に」というDVDを借りてきて、観ました。終身刑の刑に服している囚人のはなしですが、何十年も投獄されていると、施設に慣れ、塀に慣れて、やがては塀に頼るというのです。塀の中にいてそこでのルールに従ってさえいれば、最低限の安全は保障されというのでしょうか、だから、仮釈放を望みながらも、それを恐れるようになっていく。ブルックスとい老人は、五十年も服役して、壁の外側に出たのにもかかわらず、現実世界での不安から解放されたくて自殺する。なんか、いまの日本の状況を重ねて観てしまいました。主人公のアンディは、懲罰で独房に入れられた時も、モーツアルトを聴いていたから快適だったというような男で、独房なのにどうしてレコードがあるんだと訝る仲間に、頭の中で聴いていた、自分の心の中で聴いていたと答えるんですね。そういう音楽は誰にも奪うことはできない、どんな状況でも心の豊かさを失ってはいけないと主張します。それは誰にも奪うことのできないものだから、人の心は石でできているわけじゃなく、大切なものとつながっているのだからと。そこで考えをすすめて、その大切なものは希望だ、と答えをだすのですが、年配者のレッドは、希望は危険だ、壁の中では正気を失わせる、現実をしっかり見ろ、おれたちは囚人なんだと諭すのです。この辺も、いまの日本の状況のようです。現実をしっかり見ることが、壁の中での正気を失わせないための方便でなければいいのですが…。やがて、レッドも仮釈放されるのですが、ブルックス同様に社会では正気を保てない自分を持て余すようになります。そして、レッドは一足先に塀の外へ出たらしいアンディに希望をみて、それをたよりに、新しい生活に自ら一歩を踏み出していきます。それからすれば、いまの日本には希望が見出せないように感じます。
しかし、大切なものにつながるという意味からも、私は御製のブルーに希望をみたような気がしました。
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146:サムライ:
2012/03/02 (Fri) 07:44:44
host:*.t-com.ne.jp
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馬之助さん、お早うございます。
来週の火曜日か水曜日まで書き込めない仕事が明日からスタートしますので、今回は早めに書き込みさせて戴きます。
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漢字の“神”は、thien(シン)またはjien(ジン)と発音しカミとはいわない。漢字が国語化してからは、神はカミと読むと教えられるが、考えてみると、それは主体性を失った主客転倒の教育であって、本当は日本のカミを漢字では神と書くというべきであろう。
コトバは漢字渡来よりずっと古い。
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1年ほど前までは、栗原氏を囲んで“栗原流古事記講座”を5~6名の仲間と受講していました。その栗原氏が時折主張していたのは、「漢字は平仮名のルビーに過ぎない」というものであり、これは上記の引用と重なってきますね。
ここで、『アイウエオの神秘 コトバの原典』に目を通してつくづく思うのは、古事記は言霊の書、すなわち日本語は言霊の言語であるということです。過去において、日本語と同様の言霊の言語であったのはシュメール語でした。そのシュメール語は日本人が使っている漢字のような表意文字を使用していたのだし、かつシュメール語も日本語も膠着語であるという点で共通しています(ツラン圏で使用されている言語は押し並べて膠着語)ここまでシュメールと日本が一致してくると、ではシュメールの末裔が日本人か…ということに興味が湧くと思いますが、そのあたりは『これから50年、世界はトルコを中心に回る』(佐々木良昭著 プレジデント社)について近く拙ブログで取り上げますので、ツランと日本人に関する佐々木氏の考え、および小生の意見をお伝えします。同時に、天童竺丸氏の著した、世の中に1冊しかない『悪の遺産ヴェネツィア 黒い貴族の系譜』を栗原さんから譲り受けました。現在、仕事の合間に読み進めていますが目から鱗の連続で、この本にいても近く拙ブログで取り上げたいと思っています。
> これは、法華経の考え方のように私には思えます。
過日お会いした栗原氏も、「古代日本の骨格は法華経」と断言していました。しかし、このあたりをにさらに突っ込んでお聞きしようと思っているうちに、今度は別のテーマにいつの間にか話題が移っているという按配で、今回もかなり消化不良の状態で別れています。だから、小生にとっても「古代日本の骨格は法華経」は宿題になると思いましたが、馬之助さんの言葉で、宿題をやっていく方向性が仄かに見えてきました。多謝。
『月刊日本』の三浦小太郎氏の大本教に関する論考は、同誌の山浦嘉久氏も高く評価していますが、この大本教についても過日栗原氏に突っ込んで聞いており、大本教と大江山霊媒衆との深い結びつきを思い知らされた1日でした。
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コトタマへの道が閉ざされたために、大陸へ漢字の仏教を求めた。それを移植する際には、日本独自の大乗仏教となり、ナンマイダーとかナンミョーホーレンゲキョーとして納まった。そうなると、ツランは往還の道のように感じられてきました。そしていま、私たちは神国日本において、“和”という日本人独自の作業をしているのではないでしょうか?
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このあたり、昨日のひろみさんに対して返したツイートにある、今年の御製と深く結び付いてくると思います。
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今年の歌会始の儀にある今上陛下の御製に織り込まれた「青」は、ツランそのものを指しています。従来の御製で詠まれた色は白黒灰のみでした。今回、初めてお使いになられた極彩色の青に注目しましょう。「津波来し時の岸辺は如何なりしと見下ろす海は青く静まる」
https://twitter.com/#!/fibonacci2010/status/174625081874591746
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以上の道筋をたどって妄想をふくらませると、「支配者層は実質的にすっかり入れ替わっていた」歴代首相の変わった水の飲み方をする人たちは、『横田めぐみさんと金正恩』によって、私たちとは逆に、往還の道を塞がれることにもなるのではないでしょうか?
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このあたり、飯山さんが以下の記事を書いたのは流石だと思います。
http://grnba.com/iiyama/more25.html#ws1026
本スレッドのNo.25で、小生も以下のように書きました。
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この中川親子は不幸な人生を閉じていますが、この中川家は原日本人の血が濃く流れていました。詳細は大勢の人の目に触れる掲示板に書くわけにはいきませんが、ヒントだけを挙げておけば、戦後の歴代の首相は全員が“非”原日本人、すなわち日本の9割を占める日本人であると、栗原氏に直接小生は聞いています。ただ、43代(1945/08/17~1945/10/09)の東久邇宮稔彦は原日本人と思うのですが、このあたりは栗原氏が東久邇宮稔彦について頭に無かったのでしょう。それは兎も角、中川親子、就中一郎は総理の器だったと思いますが、原日本人を総理にさせない圧力が当時、そして現在も確実に存在しています。
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上記の書き込みでも触れているように、このあたりは危険ゾーンでして深入りするわけにはいかなのですが、過日栗原氏の話を聞いて、「戦後の歴代の首相は全員が“非”原日本人」および「原日本人を総理にさせない圧力」のカラクリが、実は過日の栗原氏が語ってくれた話の主テーマでした。
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145:馬之助:
2012/03/01 (Thu) 22:20:19
host:*.bbtec.net
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サムライさん、こんばんは。
>『みち』のバックナンバー(平成18年11月15日)に載った古事記関連記事
これは凄い内容ですね。ありがとうございました。また、栗原氏との会話も興味をそそられるところです。機会がありましたら、可能な範囲でご紹介下さい。
『アイウエオの神秘 コトバの原典』(松下井知夫・大平圭拮共著 東明社)を読みはじめています。先に、そこから引用させていただきます。
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漢字の“神”は、thien(シン)またはjien(ジン)と発音しカミとはいわない。漢字が国語化してからは、神はカミと読むと教えられるが、考えてみると、それは主体性を失った主客転倒の教育であって、本当は日本のカミを漢字では神と書くというべきであろう。
コトバは漢字渡来よりずっと古い。
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「考えてみると、それは主体性を失った主客転倒の教育であって」というところに、ドキッとしました。確かに、「漢字が国語化」したのでした。この主客転倒は、私の頭の中にもあります。知らないうちに、漢字で物を考えることが習慣となってしまっているようです。最近では、テレビの日本語の番組にも漢字混じりの文字が字幕として出ていますから、音として日本語を捉えるよりも、漢字として入力しまっているところがあります。この辺は、「支配者層は実質的にすっかり入れ替わっていた」と、無縁じゃないと愚考するところです。「コトバは漢字渡来よりずっと古い」ということです。
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漢字の民(ミン)mienは、“恐らく本来は逃亡を防ぐためにメクラにした奴隷のこと”(藤堂明保著「漢字語源辞典」より)とあるように、それが中国の歴史を背景にした民ならば(図形C)、日本語のタミとはおよそ意味がちがう。タミとはタ(天性の個)ミ(その現われ)であって、カミに次ぐ存在である。タカには尊・貴・隆などが当てられる。
こうして漢字と日本語の区別が明瞭になると、古代に漢字を移入した知識人指導者が、タミを見る眼が民になったのだとすれば、これは由々しい問題である。日本の指導者の言動に、タミ(大衆)不在なのはそのせいだろうか。
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ここにも、「支配者層は実質的にすっかり入れ替わっていた」というものが窺えますが、この一連の流れは、『みち』のバックナンバー(平成18年11月15日)に載った古事記関連記事の、
>>天皇と神とは「同床共殿」であつたのを、ことさら天照大神を宮中から遠ざけて伊勢に遷した。
という時期と、さほど違わないのではないでしょうか。そうなった理由が続いて書いてあります。
>>歴史や個人の業績を見れば、神はときどき「囘り道」をさせることがあることに氣付く。個々人の不幸不運と見える運命も、その人に力を付けさせるため機會を與へてゐるに過ぎないことが見えてくることがある。
これは、法華経の考え方のように私には思えます。前に話題にした諸法実相で、紀野氏は法華経とは「絶対肯定」の世界だというのですが、「月刊日本」3月号の「近代の闇 闇の近代」で三浦小太郎氏が、出口王仁三郎が最も影響を受けた国学者のことを紹介しています。「個人的には彼の主たる仕事とされる言霊論よりも、仏教、特に法華経を研究し、古事記との思想的関連性を追求した点が興味深く、そこには正直受け入れがたい極論(法華経は古事記の讃歌である、など)はあっても、後の国柱会、北一輝、さらには文学面での宮沢賢治などにも通じる、日本精神と仏教の高次の合一を模索するものだった。」以下の『みち』の文章も含めて考えると、仏教の位置づけも私の中では再考する必要を感じています。
>>物質に關する知識にしても、それが人間にとつて非常に大切な知識であるだけに、これを習得させるために神は「囘り道」をさせた。精神世界に關する道に入つてよけいな勞力を費やさないよう、神は精神への囘路を一旦封印した。かうしてコトタマへの道は閉ざされることとなつた。
コトタマへの道が閉ざされたために、大陸へ漢字の仏教を求めた。それを移植する際には、日本独自の大乗仏教となり、ナンマイダーとかナンミョーホーレンゲキョーとして納まった。そうなると、ツランは往還の道のように感じられてきました。そしていま、私たちは神国日本において、“和”という日本人独自の作業をしているのではないでしょうか?
>>かつて物質世界において、限りなく眞理に近い世界に近づいたわれわれが、精神世界において限りなく眞理に近い世界に旅立つ時が、いよいよとなつたのである。
これなどは希望を感じられるコトバですね。まさに、それが今、起ころうとしているように感じないではいられないのですが、それではあまりにも楽観的でしょうか?希望をもって未来を見るため必要なことも、丁寧なことに『みち』の文章にはありました。
>>ただ一點、コトタマは神の創造であるといふ點を受け入れることを拒んでゐるのである。
以上の道筋をたどって妄想をふくらませると、「支配者層は実質的にすっかり入れ替わっていた」歴代首相の変わった水の飲み方をする人たちは、『横田めぐみさんと金正恩』によって、私たちとは逆に、往還の道を塞がれることにもなるのではないでしょうか?
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144:まわりで話題だったので
:
2012/03/01 (Thu) 20:53:50
host:*.panda-world.ne.jp
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2月半ばのやりとりですが。呆れました。
しつようなバッシング。上から目線。マイルールの押しつけ。万能感、、、。
女性たちは見ていますよ。黙っていても。
仕事でも、知識でもなく。
殿方の人となり、を。
どなたの前で撫子となるかは、女性たちが自ら選ぶことでしょう。ご心配なく。
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143:サムライ:
2012/02/28 (Tue) 09:16:28
host:*.t-com.ne.jp
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馬之助さん、お早うございます。
馬之助さん曰く、
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>>へンリー八世が英国の教会を国教会としてローマから分離独立させ、それが新旧両教の対立抗争を生んで、清教徒革命と名誉革命につながりヴェネツィア党の天下にいたる流れについて…
こういった芸当を仕掛けようとしたものの、神国日本では直接にはできなかったということでしょうか?稲村公望氏の映像も観ましたが、二つを重ねると、日本では王さまは無理だったけど、「支配者層は実質的にすっかり入れ替わっていた」ということなのでしょうか。
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御意。
先週の金曜日にお会いした栗原(茂)さんから、半日にわたって深奥の情報を提供してもらったのですが、上記に関連する話題も当然出ました。結論から申しますと、馬之助さんのお問い合わせには、イエスという回答になります。つまり、栗原さんに言わせれば、東京皇室(国体)は微動だにしないが、一方の政府・官庁・マスコミ(広義の政体)では、非常に恐ろしいことが起きている。このあたりは飯山さんの以下の記事と深く関連してきます。
http://grnba.com/iiyama/more25.html#ws1026
ただ、小生は皇室インナーサークルでもないことから、確認のしようのない情報ばかりではあるものの、栗原さんが謂うのだからまず間違いあるまいと受け止めている状態です。
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稲村公望氏は『月刊日本』の二月号の『気炎万丈』でたびたび「日本は戦後政治の分水嶺を越えた」といっています。なんだか、政治というヤツが曲者ですね。でも分水嶺を越えたというのであれば、いままでとは違った見方をしていけば、いままでとは違った行動がとれるのではないのかとも思えます。
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その稲村氏が『月刊日本』の三月号で特集として取り上げていますね。それは兎も角、昨日近所の歯医者で治療を受けるため、待合室で目にした『週刊新潮』で以下のような内容の記事がアンテナに引っ掛かりました。
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あるマンションの場合、30年前には朝日新聞のトラックが来て大量の新聞を下ろし、それを少年達が各戸に配達していたが、30年が経った今日、同じマンションで朝日新聞を購読しているのは一戸のみである。それだけ、大勢の人たちが今までの朝日新聞の記事が出鱈目であることに気づいた証であり、筆者としては嬉しく思う。
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特に、311を境に大勢の人たちが目が覚めつつあるようです。
> だったら、シュメール人の末裔は?という話の流れですよね。
ツランを取り上げると途端に嫌な顔をするのが宮廷ユダヤでしょう。シュメールとツランの絆を隠してきた張本人こそが彼らだからです。このあたりも、栗原さんから興味深い情報を提供して頂きしました。これは古事記と関連するのですが、長くなりそうなので別の機会に書きたいと思います。
> 『アイウエオの神秘 コトバの原典』(松下井知夫・大平圭拮共著 東明社)は入手可能のようです。早速、読んでみます。
同書の骨格を成している種本こそ『古事記』であり、ますます小生も『古事記』に没頭していかねばと思った次第です。以下は、『みち』のバックナンバー(平成18年11月15日)に載った古事記関連記事です。
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古事記とコトタマ
▼我が國は「言靈の幸はふ國」であると言はれる。だが、近代科學の知識、情報、理論に染つた人は、往々にしてこのことを、「言葉には魂が宿る」といふことの美辭麗句としてしか受け取らない。實質の伴はない記號の選擇の一つとしてしか受け取らない。単なる空疎な紋樣の一つに過ぎない。だから、口では別として、心には響かない。
古事記とりわけその神代卷は、實は「コトタマの書」である。歴史書として讀むことはできるが、史書としては説明のつかないところが出て來る。そこで古事記僞書説がまことしやかに唱へられる。
▼コトタマに深く分けいつて行くと、どうしてこんなことが分かつたのであらうかといふことに、たどりつく。近代科學が誕生する何千年も前に、よほどズバ拔けた頭腦の持ち主が現れない限り、このやうにコトタマを作るのは信じられないことなのである。
言語學は、單音を母音・子音・父音に分類しただけだが、言靈學は清音をアイウエオの五母音、ワヰウヱヲの五半母音、キシチニヒミイリの八父韻、其他に子音三十二ならびにン、さらに根源の音としてイとヰを特別な音・親音とみなす。そして、人間の生命現象はこれら五十個の清音によつて營まれるとみなし、それを一覽するものとして五十音圖を掲げる。
▼人間が、物質とは何かを極めやうとして原子・分子等を發見したのは、ごく最近のことであった。目に見える世界のことを極めやうと粒粒辛苦したあげく到達したところが、ここであつた。目を見開いた世界は、これで分かつたと思つてゐるが、目を閉ぢた世界のことはまだ五里霧中である。
五官で感知できる範圍のことは何とか理解できるやうになつたが眞の人間の生命創造現象については、その構造がつかめてゐない。コトタマがその謎にヒントを出してゐるにもかかわらず、その答へを引き寄せてゐない。目に見える世界の探求に用ひた分析的方法に捉はれ、それを引きずつてゐる。
ただ一點、コトタマは神の創造であるといふ點を受け入れることを拒んでゐるのである。
▼古事記とりわけ神代卷がコトタマの書であるといふ理解を拒んでゐることが、古事記を空想の書であるとさせてゐる。
歴史を顧みると大きな謎に行き當る。我が國の政治は古代に於てはコトタマ原理によつて行はれていたにも拘らず、ある時期からコトタマ原理は隱されるやうになつた。これは「神の陰謀」であるのか、神はだうしてこんな意地惡をしたのだらうか。神は決して意地惡をしたのではなく、ここには宇宙的な「深謀遠慮」が見られる。
天皇と神とは「同床共殿」であつたのを、ことさら天照大神を宮中から遠ざけて伊勢に遷した。同時にコトタマに關する知識は、伊勢の各所にそれとわからぬ形に祕め忍ばせて傳へられた。あるひは御伽噺に、物語に、歌謠に、時がくれば人々がそれと氣付くやうに、忍び語らせられた。實に「深謀遠慮」ではないか。
▼歴史や個人の業績を見れば、神はときどき「囘り道」をさせることがあることに氣付く。個々人の不幸不運と見える運命も、その人に力を付けさせるため機會を與へてゐるに過ぎないことが見えてくることがある。キリストや釋迦が、なぜ崇められるのか、なんら不幸にあわず聖人君子となった人々よりも苦勞を積み艱難辛苦を經て來た人の方が、はるかに徳を積んでゐるからだ。
物質に關する知識にしても、それが人間にとつて非常に大切な知識であるだけに、これを習得させるために神は「囘り道」をさせた。精神世界に關する道に入つてよけいな勞力を費やさないよう、神は精神への囘路を一旦封印した。かうしてコトタマへの道は閉ざされることとなつた。
▼ところが時代は變つた。氣象は變り、人心も變つた。隱されてゐたコトタマ原理も姿を露はしてきた。コトタマ原理だけでなくさまざまの眞理が一齊に花を開かせやうとする時を迎へてゐる。いまや古事記はフルゴトブミとして、そして、コトタマの書として迎へられる時期に來たのだ。
▼かつて物質世界において、限りなく眞理に近い世界に近づいたわれわれが、精神世界において限りなく眞理に近い世界に旅立つ時が、いよいよとなつたのである。
確かにテレビのチャンネルを捻れば、忌まわしいニュースの流れない日はない。イジメ、親殺し・子殺し、環境破壊、汚職……社会のどこもかしこも、途方もない音を立てて崩れて行く感を否めないが、いみじくも武田鉄矢が言つたやうに、今強くならなければならないのは、イジメル方ではなくイジメラレル方であらう。
かういふ時期に、真理の世界に旅立つ時が来たと言っても空疎に響くかも知れないが、古事記がコトタマの書であるといふことは、自分達が解けない謎を頭ごなしに否定するのではなく、神が作つたものは神が作つたものとして素直に肯定する態度が事態解決に必要なのではあるまいか。(赤不動)
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142:サムライ:
2012/02/25 (Sat) 13:34:17
host:*.t-com.ne.jp
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馬之助さん、昨日栗原氏に会ってきました。そしてお伺いした話をもとに、「民をあはれむ」と題した記事を書きました。この記事を書いていたら仕事の〆切りがギリギリになってしまったので、ここへの投稿は火曜日あたりまでお待ちください…m(._.)m
http://pro.cocolog-tcom.com/edu/2012/02/post-ac33.html
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141:馬之助:
2012/02/24 (Fri) 12:40:16
host:*.plala.or.jp
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ひろみさん、こんにちは。
佐藤優著『日本国家の神髄』の中に、次のような文章があります。以前、サムライさんとのやり取りの中で引用した、『国体の本義』の「抑々(そもそも)我が国に輸入せられた西洋思想は、主として十八世紀以来の啓蒙思想であり、或はその延長としての思想である」というのは、この辺りから来るのではないかと思うに至っています。
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人知によって、政治エリートが考える理想を記した憲法を構築するという発想は、わが国体に合致しない。人間の理性に基づいて、理想的な社会や国家を構築できるという発想自体が、一七八九年のフランス革命のときに議長席から見て左側にすわっていた人々、すなわち左翼の思想なのである。左翼は、人間は誰も等しく理性をもっていると考える。従って、完全情報が与えられているならば、人間は理性に基づいて、共通の結論に至ると考える。左翼にとって、真理は一つなのである。現行憲法を改正して、理性に基づいて、理想的な憲法を作ろうという発想に、左翼理想の罠がひそんでいると私は考える。
これに対して、フランス革命のときに議長席から見て右側にすわっていた人々、すなわち右翼は、人間の理性には限界があると考える。ここで重要なのは、右翼は理性を否定しているのではないことだ。理性の限界を強調しているのである。各人には偏見があるので、ある人がいくら理性に基づいて、客観的かつ誠実に考えているつもりであっても、偏見から完全に逃れることはできないのである。裏返して言うならば、限界の内部においては、右翼であっても理性に基づいて議論することは当然のことである。ただし、右翼は、理性の限界の外においてこそ、人間の真価があらわれると考える。私自身の立ち位置は、右翼である。これを国家との関係に則して述べるならば、国体を肌で感じることができる者が右翼なのである。
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左翼と右翼、また理性というものをもう一度整理してみることを、お勧めします。私もこの文章に出会って、一度立ち止まりました。ここを明確にしないままだと、騙されていても分からないというか、突かれる隙をつくってしまうような気がするのです。老婆心ながら、失礼しました。
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140:ひろみ:
2012/02/23 (Thu) 22:26:48
host:*.rima-tde.net
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サムライさん、馬之助さん、
つむじ風のブログのコメントで、紹介されていた、Thrive批判のブログを読みました?
Thrive の語源がラテン語と書いてあったので、違います、と言ったら・・・、
このような返事がきました。
「「THRIVE」は古典ラテン語(スラング)で、権力者の栄光と言う意味があり、
奴隷が王のパレスを作るという意味合いを持っています。
元々はフェニキア語から派生した言葉です。
この動画の制作者は、意図的に音の「スレイブ(奴隷)」と「スライブ(繁栄)」を
もじって付けられたタイトルだと私は思いました。」
奴隷のスペイン語は、今、Esclavoです。
ラテン語は、Slave または Slav (スラブ人から)
確かに似ているといえば似ていますが・・・。
Sとth、lとrの置き換えが起こるのかな?って気がします。
起こるとしたら、故意に単語を作ったとしか考えられません。
フェニキア語は私は知りませんし、そうだといわれたら、
そうなのかも、でもなぁ~って感じです。
どう思われます?
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139:馬之助:
2012/02/23 (Thu) 22:16:22
host:*.bbtec.net
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サムライさん、こんばんは。
天童竺丸氏の『悪の遺産・ヴェネツィア 47 ゲルフ復活のシナリオ 1』から引用すると、
>>かくして二度の革命によって、王さまをはじめとする支配者層は実質的にすっかり入れ替わっていた。
>>へンリー八世が英国の教会を国教会としてローマから分離独立させ、それが新旧両教の対立抗争を生んで、清教徒革命と名誉革命につながりヴェネツィア党の天下にいたる流れについて…
こういった芸当を仕掛けようとしたものの、神国日本では直接にはできなかったということでしょうか?稲村公望氏の映像も観ましたが、二つを重ねると、日本では王さまは無理だったけど、「支配者層は実質的にすっかり入れ替わっていた」ということなのでしょうか。「ルーズベルト大統領は狂人(mad man)」というフーバー元米国大統領の発言からすると、私達は単純に米国の属国ではなく、米国とてルーズベルト大統領によって戦争に駆り立てられた米国で、真の姿とは恐らくいえない米国のその属国で、背後には…また黒い貴族にぶつかってしまいます。その米国は戦争相手が見出せないままリーマンショック以来、戦争の代わりに貧困に国民を駆り立てているようで、ここにもおぞましき『我が子を食らうサトゥルヌス』の姿を垣間みるような気がします。飯山さんは「まさに今、日本は、『サトゥルヌス』に食い殺されようとしています」といっていますが、このレベルでは日本国民も米国国民も政治を介さなければ分かり合えるような気がします。稲村公望氏は『月刊日本』の二月号の『気炎万丈』でたびたび「日本は戦後政治の分水嶺を越えた」といっています。なんだか、政治というヤツが曲者ですね。でも分水嶺を越えたというのであれば、いままでとは違った見方をしていけば、いままでとは違った行動がとれるのではないのかとも思えます。
>同じ天童氏「ツラン魂は健在なり」という別の記事
これも面白いですね。なかでも、
>ツラン民族とはシュメール人の末裔(メソポタミアを逐われてユーラシア中央の大平原へと移動定着したとされる「シュメール系諸民族の子孫」とは、つまり「遊牧騎馬民族」なのである)
>この二つの条件を満たすのは、日本人しかいないのではないかと思われる。
だったら、シュメール人の末裔は?という話の流れですよね。紹介いただいた本で、『アイウエオの神秘 コトバの原典』(松下井知夫・大平圭拮共著 東明社)は入手可能のようです。早速、読んでみます。
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138:サムライ:
2012/02/21 (Tue) 16:35:05
host:*.t-com.ne.jp
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馬之助さん、
> ただ気になるのは、ガコナハープについて触れられていない点
そこに気づくあたり、流石です。「Thrive」が黒い貴族の他、ガコナハープにも触れていないことから、これで同映画の大凡の背景が読み取れますね。ただ、「ガコナハープの奥の院まで首を突っ込むと危ない」と、「文明の未来図ガコナハープ」を著した栗原氏が忠告してくれたことがありますので、頭の隅に置いておきましょう。
http://michi01.com/rekisiyami.html
つまり、
> パトロンとして登場して来たのがユダヤ人というのはお決まりで、これだったら許される
という目安が、宮廷ユダヤ(ロスチャイルド・ロックフェーラー、モルガン等)まで、ということになりますね。
>>「自由な競争こそ社会発展の原動力」などという御都合主義理論を撒き散らして徹底的な不安定化工作を発動しつづけた。これすべて、みずからが商売をやりやすい状態を保つためである。
このあたりの天童氏の指摘、なるほどと思わせる文章が至る所にありますので、少しずつ紹介していきます。
さて、天童氏の別の論文と関連して、注目したい今晩の番組が1本あります。それは、NHKの「クローズアップ現代」で、今晩放映される番組です。
http://cgi4.nhk.or.jp/gendai/yotei/index.cgi#yotei2program
世界を魅了する日本の歌謡曲 ~由起さおり ヒットの秘密~
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今、アメリカ・カナダ・イギリスなど世界各国で、音楽チャートのトップを飾る日本語の歌のCDがある。由紀さおりの「1969」。昨年末、アメリカのジャズオーケストラ「ピンク・マルティーニ」と共演したアルバムだ。坂本九の「SUKIYAKI]以来の異例の快挙となるのではと注目されるのが、“日本語で”歌った曲が、海外の人々に受け入れられたという点だ。これまで、由紀さんが童謡や唱歌などを歌い続けることで培ってきた“日本語の歌”には、母音の使い方・イントネーション・発声方法など、世界でも稀に見る独特の“美しさ”があると見直されている。番組では、専門家による様々なアプローチで由紀さんの“日本語の”歌声を分析。世界中の人々の心をとらえる、日本語の響きと日本語の繊細な世界を、今改めて考える。
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数日前、同じ天童氏「ツラン魂は健在なり」という別の記事を、6年前の『みち』のバックナンバーで読みました。一読して目から鱗が落ちるおもいでした。
・ツラン民族とはシュメール人の末裔(メソポタミアを逐われてユーラシア中央の大平原へと移動定着したとされる「シュメール系諸民族の子孫」とは、つまり「遊牧騎馬民族」なのである)。
・シュメール語は言霊の言語(…もっとも望ましいのは、表意文字を母国語として書くことに慣れていること、そしてシュメール語が膠着語であるとするなら(確かにそうなのだが)、母国語が膠着語であること、この二点を満たす学者なのである。そうすると、思わざる見落しがあるやも知れないが、ざっと見渡した限りでは、この二つの条件を満たすのは、日本人しかいないのではないかと思われる。さらに、日本人をしてシュメール語の研究へと向かわせる特徴がこの古代言語には存在する。それはシュメール語が「言霊」の言語だったという特徴である…)
ここで、シュメール語が言霊の言語であるという記述から、咄嗟にシャーマン、さらにはツランの頂点に立つ神格シャーマン(天皇)にまで連想が及ぶことでしょう。
ところで、「言霊の言語」とは一体全体どのような言語か…。これについては天童氏の主張する「一音語」を明確に理解することが必要です。以下の天童氏の記事を参照してください。
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●さらに、日本人をしてシュメール語の研究へと向かわせる特徴がこの古代言語には存在する。それはシュメール語が「言霊」の言語だったという特徴である。
まず、クレイマーはシュメール語が印欧語やセム語などのような屈折語ではなく膠着語であると認めて、膠着語のトルコ語やハンガリー語また数種のコーカサス系言語との少なからざる類似を指摘している。
それはシュメール語の言語としての独自性とシュメール文字の存在を抹殺しようとしたヨセフ・ハレヴィの暴論が学会を攪乱してから半世紀以上の時間を経て、ようやく同じユダヤ人自身の専門学者がその暴論を正したという意味があることに注目しなければならない。佞論久しからずとは、この一事をもって知るべし。
その後にクレイマーの指摘する重大なこと、それがシュメール語はもともと一音語から構成されて出来上がった言語だという特徴である。
それはほんの序でに関説したという按配で、クレイマーも自分でもその重大性にまったく気づいていない。だが、それは取りも直さずシュメール語が「言霊」の言語であると認めるのと同じ重大な指摘と考えるべきである。
ある言語が本質的に独立した意味をもつ一音一音から構成されているなどと言っても、表音文字体系を是とする連中には、何の意味もないことであろう。もちろん、表音文字体系の言語においても、単語としての一音語は存在する。英語でのa(一つの、ある)とか、フランス語のy(そこに)などの単語がそれである。だが、その数は非常に乏しく、各言語に一つか二つあるだけであろう。
一音語では、すべての言葉がもともと意味のある一つひとつの音から成り立っていて、複数の音からなる言葉もそれを構成するもとの一音一音の意味を残して影響を受けている。それらが複合総合されて新しい意味が出て来るのだ。
ここで新しい言葉として「一音語」を提案したい。「一音語」を一つの音からなる一単語という意味に止まらず、言語が総体として語源的に一音の言葉から成り立つ、すなわち言語の重大な特徴を謂う意味をも敷衍できるようにしたいのである。
幸運にも[言霊の幸はふ国」に生まれ合わせた日本人は、言葉が文字である以前に「音」であることを、骨身に染みて分かっている。ひとつの言葉はもともとそれぞれ相異なる香りと勢いと風格を持っていた痕跡を、われわれはかすかに記憶している。
だから、ユダヤの聖典に「はじめに言葉ありき」というとき、その言葉は文字ではなく、音の響きだったとまず思ってしまう。それこそ永い永い悠久の時間に養われた言葉の豊穣なる香りと勢いと風格をもっていて、言葉の意味とはそのほんの一部が文字に表わされるだけであることもわれわれは知っているからである。
したがって、膠着語である特徴にも遙かにまして、シュメール語が「言霊」の言語であると確認できたことから、わが日本語とシュメール語とは本質的かつ密接な関係にあるとここで断言することができる。 『みち』平成18年5月15日号 p.4
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天童氏の謂う「一音語」を理解する早道として、以下の著作をお薦めします。
『音語のなぞ 日本語の発掘ノート』(望月長与著 六芸書房)
『アイウエオの神秘 コトバの原典』(松下井知夫・大平圭拮共著 東明社)
長くなりましたので、今日はここまでにします。
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137:飯山一郎
:
2012/02/19 (Sun) 23:11:14
host:*.ocn.ne.jp
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『我が子を食らうサトゥルヌス』
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ひろみさんは、こう↓書いた。
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>それにしても、「サトゥルノス」の話題を何故・・・今?って感じです。
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この脳天気ぶり↑。ふつう、こういうシトとは会話が成り立たない。
この理由を下に書く。
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前回、鷲は次のような↓文章を書いた。
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>スペインの太陽は、万人に平等ではありません。
>その過酷な不平等性を、ゴヤは、連作「黒い絵」で描ききりました。
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>その「黒い絵」の一つ、『我が子を食らうサトゥルヌス』。
>この恐ろしい絵画は、我が子を頭から食い殺す凶行が残酷きわまりない
>筆致で描かれています。
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>まさに今、日本は、「サトゥルヌス」に食い殺されようとしています。←注目
.
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いまの日本の現状をどう見るか? これは千差万別、十人十色だ。
ひろみさんのような脳天気もいれば、鷲のような「悲観論者」もいる。
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しかし、未曾有の原発災害が発生し、今も収束していない! これは確かだ。
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だから、常に最悪のシナリオを念頭におき、楽観的に生きる! この姿勢が、
もっとも助かる確率が高い。このことはリスクマネジメントの鉄則なのだ。
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いっぽう、「放射能は恐くない! あまり不安を煽るな! 大丈夫!」と言って
何の対策もしなくてもEー! などと言うシトは、殺人予備罪該当者だ。
.
もう一度言う。
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いま、下手に、あるいは故意に、楽観論をブツ人間は、よほどの大馬鹿者か、
殺人予備罪を犯している犯罪者だ。
.
このことが分からないシトは、ちゃらちゃらとモノを語る資格がない。
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とにかく、いま、日本は、「サトゥルヌス」に食い殺されようとしています!!
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そう思って、おさおさ準備をおこたらず、鬼手仏心、おおらかにいきましょう!
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スペインを代表する画家フランシスコ・デ・ゴヤが描いた地獄絵…、
『我が子を食らうサトゥルヌス』は、↓下のURLをクリックすれば見られます。
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http://grnba.com/iiyama/cht/saturno.htm
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飯山一郎夜狸
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136:馬之助:
2012/02/19 (Sun) 21:02:45
host:*.bbtec.net
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サムライさん、こんばんは。
>つまり、“敵”が知られたくないのは、「金正恩のオモニ(実母)は横田めぐみさんである」こと、および「藤本氏が未だ子ども時代を知っている“金正恩”は金正雲であって、今の金正恩ではない」という点であり…
サムライさんのご明察によって、すこしだけ頭の整理がついていっているように感じます。
天童竺丸氏による『悪の遺産・ヴェネツィア』の二本の引用、ありがとうございました。『世界権力の正体を明かす』の方から抜粋しますと、
>>われわれは後者、すなわち世に謂う「陰謀史観」にかならずしも与するものではない。ひとつの意図で貫かれていると見ると、その意図に反する事柄や逸脱・祖語とも見るべき事件が歴史の随所に見られるからである。
ここのところは私が疑問に思っているところで、陰謀論の一部からは陰謀組織は強力かつ巨大で抵抗する術はなく計画は順調にすすんでいるというところを
匂わそうとしていのるが鼻についてしょうがないという印象です。勘ぐれば、Thriveにもそんなところを裏の部分に感じます。
>>二一世紀には彼らの邪悪なる意図の鉾先が、このアジアに向けられる徴候がある。すなわち、エネルギーをめぐっての血で血を洗う動乱が仕掛けられようとしているのだ。アフリカ大陸の悲劇はけっして他人事ではない。
ここの部分は、Thriveと合致していますね。ただ気になるのは、ガコナハープについて触れられていない点で、フリーエネルギーさえ手にすればハッピーって感じが、眉にツバをつけないではいられない気にさせます。
>>たしかにユダヤ人は世界権力の一翼を担う重要分子ではあるが、その本質はあくまで「宮廷ユダヤ人(ホーフユーデン)」に止まるというのが、現在の研究成果の教えるところである。すなわち、黒い貴族という主人に仕える従僕の地位にすぎない。
>>汚れ役はもっぱら「宮廷ユダヤ人」に任せみずからは超然としているのが、英国女王を表看板とする黒い貴族である。
これもさまざまな陰謀論から漂ってくる部分で、先日DVDを借りてきて『ウォール・ストリート』を観たのですが、そこに飯山さんが話に出していた『我が子を食らうサトゥルヌス』がでてきました。商敵を罠にはめて自らが金融界のトップ踊りで出た人物が書斎に飾っているその絵を見て、自分は喰う側だというのですが、自分が失脚させた別の人物に仕掛けられて地位を追われる時に、自分もまた喰われる側の人間だったと悟り、この絵を引き裂きます。新たにトップに立った人物の事務所がロンドンにあると描写されているところまではいいのですが、そこにパトロンとして登場して来たのがユダヤ人というのはお決まりで、これだったら許されるということでしょうか?サムライさんが言われるようにThrive完全版と同じく「三角形で表示した階層の頂点が、確かロスチャイルドやロックフェーラーになっていた点です」が疑問の一つです。サブプライムローンの破綻で、大損をしたヤツもいれば儲けたヤツもいるといいたいようなのですが、この辺の判断が私にはつきません。絵画という天賦の芸術品を引き裂けるというのが、人間の思い上がりを上手く描写していますが、結局サトゥルヌスが食らっているのは我が子だというのがミソで、私はそこに神格という存在を感じてしまいます。
>>ゲルフ領袖とされたウェルフ家が現英国王室ウィンザー家となるには、永い永い紆余曲折の歴史がある。それこそ、「特定の勢力」の意図通りには、歴史が進まないという何よりの証拠である。
ここにあるように、黒い貴族の計画はけっして上手くは行っていないと、思いたいです。それがガコナハープまたは電離層については触れられていないところではないかと思いますが、これは憶測にすぎません。
>>「自由な競争こそ社会発展の原動力」などという御都合主義理論を撒き散らして徹底的な不安定化工作を発動しつづけた。これすべて、みずからが商売をやりやすい状態を保つためである。
長くなってしまったのでこの辺りで終わりますが、上記の事柄に多くの人たちが気づきはじめていることは、確かで力強いことだと感じています。
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135:ひろみ:
2012/02/18 (Sat) 17:52:41
host:*.rima-tde.net
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サムライさん、先日の書き込みは、ちょっとおふざけが過ぎたようで、申し訳ありません。
陛下が国民と共にありたい、を体現されていることに、日本人は大きな勇気をいただき、
もっとがんばることができるんだなぁ・・・と、しみじみ思います。
本日の、手術も無事終わったようで、ほっとしています。
以前からいろいろな書籍をご紹介いただいていて是非読みたいと思っているのですが、
私の趣味の部分で両親に負担をかけるわけにはいかないので、日本へ行く事ができるとき、
または自分で取り寄せても問題ない状況になったら、取り寄せようと思っています。
現段階では、本を日本から取り寄せ読むような状況でないのが本当に残念です。。。
飯山さん、サトゥルノスの絵は、プラド日ジュ武官で見ました。
巨人や砂漠の犬とか見て、強烈なものを感じました。
その後、オルチャタ・デ・チュファを飲まれたんですか!
あの思い絵の後に、あの爽やかな味は、気分転換にはぴったりですね。
それにしても、「サトゥルノス」の話題を何故・・・今?って感じです。
というのも、今ちょうどカーニバルの時期で、昨日も村の子供達のカーニバルのパレードがありました。
今日は大人がパレードするようです。。。
実は、カーニバルの起源について、こんな記述を見つけ、驚いているんです。
『ローマ帝国時代の「サトゥルヌスの祭日」との関連が考えられています。
サトゥルヌスの祭日は、本来はクリスマスの項にも書いたように12月の祭日だったのですが、
どういう訳か年末から年始後に移動して謝肉祭の前身になった、と伝えられています』
そして、ヨーロッパでカーニバルが有名な都市は、ヴェネツィアなど、フェニキアと縁のある
都市です。。。
サムライさんが投稿された「世界権力の正体を明かす」との関連を感じ驚いています。
ただ、私が前々から気になっているのですが、ヨーロッパ先住民とフェニキアとローマとの
関係なんです。。。
今の歴史はローマ側から書かれた歴史ばかりですし、その視点からみた「黒い貴族」って
本当の意味でどのような位置づけになるんだろう・・・って気がするんです。
そして、今、話題になっている、「Thrive」です。
先日も書きましたが、語源的に古ノルウェー語から入っているようですが、その語源は不明のようです。
先程、つむじ風のブログにこのあたりのことをコメントを入れました。
まだ、全体像を掴まずに言っているだけですので、私の個人的な印象によるたわごとなのですが、
全てが何らかの関連があるような気がするんです。
そしてこれを発端として大きなうねりとなっていくような、予感があります。。。
(また、具体的な論もなく、こんな事書いたら、現実を見ろ、って言われちゃいますね)
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134:サムライ:
2012/02/18 (Sat) 08:32:11
host:*.t-com.ne.jp
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飯山さん、ホレジロウさん、お二人の絶妙なやりとりを毎回楽しませて戴いております。小生も此処の掲示板で、“もみもみ”ビデオなどを皆様に紹介させていただき、気の滅入る環境の中、ほんの一時でも腹の底から笑ってもらえればと思い、以下の素晴らしい“もみもみ”ビデオを紹介したことがあります。
http://www.youtube.com/watch?v=ycdeFgpRQCA
さて、昨日御紹介したのは天童竺丸氏による『悪の遺産・ヴェネツィア』のNo.46であり、続くNo.47もご参考までに最後に転載させていただきますが、再びカタカナの羅列に戻っていますので、No.48以降は割愛させて頂きます。このシリーズはいずれ本の形となって刊行されると天童氏から聞き及んでいますが、何分にも財政上厳しいようなので発行に漕ぎ着くまでは暫く時間が掛かりそうです。
なお、この『悪の遺産・ヴェネツィア』を土台にして書かれたのが、昨年末に完了した栗原茂氏の『アッシリア文明論』でした。基本的にローマ史まででしたが、それを引き継ぐ形で今年から連載が開始されたのが、同じ天童竺丸氏の『究極・ガザール興亡史論』です。いずれベネチアの黒い貴族まで辿り着くと思いますので、是非ご期待ください。
馬之助さん、今回の仕事は延期となりました。従って、通常の細かい仕事のみですので来週の月曜日まで缶詰にならずに済みました。
ところで昨夜、TBSで「中居正広のキンスマ」という番組の「金正日が最も心を許した日本人」を見ました。そして分かったことは、金正日の専属板前であった藤本健二氏は、墓場に持って行くような秘密を沢山抱えている御仁だということです。また、一般視聴者を間違った方向に導こうと、同番組が藤本氏を利用していることが丸見えの番組でしたよ。
つまり、“敵”が知られたくないのは、「金正恩のオモニ(実母)は横田めぐみさんである」こと、および「藤本氏が未だ子ども時代を知っている“金正恩”は金正雲であって、今の金正恩ではない」という点であり、このあたりは金正日と高英姫の仲睦じいシーンを流すなどして、今の金正恩の生母は高英姫であり、藤本氏が世話をした子ども時代の“金正恩”と現在の“金正恩”が同一人物であることを、必死に視聴者に植え付けようとする、TBSというか毎日の涙ぐましい努力というか、思想的背景が良く分かった“優れた”番組だったと思います。
最後にひろみさん、昨日は厳しいことを書いたかもしれないが、改めて1年前から伝えてきた、竹本忠雄氏の著書に一度目を通すようお薦めします。そうすれば木庵さんの謂う「東日本震災のときの、天皇陛下と皇后陛下の被災者の方に心から同情なさっている姿を鏡にして、己もあのようにへりくだりたいと思うだけでよい」の言葉の意味も、心から分かるようになると思います。馬之助さんが読後感を述べておられた『天皇 霊性の時代』よりも、『皇后宮美智子さま 祈りの御歌』を読んだ方が、大和撫子を再認識する意味で良いかもしれません。
それでもひろみさんの玉体の安康を祈る気持ちは十分理解しているつもりですので、今回のことに挫けず、またいつの日か此処に投稿してください。
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悪の遺産・ヴェネツィア 47 ゲルフ復活のシナリオ 1
●英国王への道程
清教徒革命と名誉革命とはヴェネツィアによる英国纂奪の策謀がまんまと奏功した二大事件であるが、これはいずれ改めて取り上げるとして、いましばらくウェルフ家の英国王位への道筋をたどることにする。
一六九二年に神聖ローマ帝国の第九番目の選帝侯としてゲルフ復活の第一歩を象徴したのはウェルフ家当主エルンスト・アウグストであるが、選帝侯から英国王位へというこのゲルフ復活のシナリオには、ヴェネツィアの関与した痕跡がふんぷんと臭ってくる。
一般的には、永い逼塞を余儀なくされてきたブラウンシュヴァイク・リューネブルク公ウェルフ家の選帝侯への昇格を画策したのは、名誉革命で英国に迎えられたウィリアム三世(在位一六八九~一七〇二)とされている。
みずからと同じくジェイムズ一世の血を引く妻を持つエルンストに狙いを付け、まず第一に皇帝フェルディナンド三世にはたらきかけて選帝侯位への昇格を謀り、次いで子供のない自分の王位継承者として、エルンストの妻ゾフィア(と夫エルンスト)の地位を確実なものとするために王位継承令(一七〇一)を発布したというのである。
ちなみに、ウェルフ家がハノーヴァーと名乗るに至るのは、選帝侯に昇格されたことが契機となっている。ゲルフの領袖ウェルフ家はいまやカール大帝時代にさかのぼる家名を「ハノーヴァー」と改めることになったのだ。もっとも、すでにブラウンシュヴァイク公とかリューネブルク公などと名乗って久しく、正式家名の「ウェルフ」は使われる機会が少なくなっていたのではあるが……。
英国王ウィリアム三世が王位継承令を発布した当時、ジェイムズ一世の血を引く王位継承資格者は四〇人も生存していた。その最中、「英国王位はステュアート王家の血を引く、プロテスタントに限る」という継承令が出されたのである。
これによって、並み居るステュアート家の王位資格者がそろって不適格となった。その結果、ウィリアム三世の共同統治者である妻メアリー二世の妹アンが第一位の王位継承者となったのは当然としても、ハノーヴァー選帝侯の妻ゾフィアが第二位の英国王位継承者に躍り出ることになったのは、誰にとってもまさに青天の霹靂であったろう。
王位継承令の表向きの目的は、カトリック信仰を表明して憚らなかった前王ジェイムズ二世(一六三五~一七〇一、在位一六八五~八八)の皇太子ジェイムズ・フランシスへの王位継承を封じることにあった。王位に就く前のヨーク公時代に結婚した最初の妻アン・ハイドとの間に儲けた娘のメアリーとアンはプロテスタントだったが、再婚相手メアリー・オブ・モデナは敬虔なカトリック信者であり、旧教信者同士の間に生まれたジェイムズ・フランシスはまぎれもなく旧教信者だった。もし彼に王位が継承されれば、英国を簒奪しヴェネツィアの牙城たらしめるという大戦略が水泡に帰する恐れがあった。
直系の正嫡子孫による血脈相続というもう一方の原則からすれば、ゾフィアは五親等の遠い縁戚に当たるに過ぎない。メアリー二世の曾祖父ジェイムズ一世の娘エリザベスが、ドイツのファルツ選帝侯フリードリッヒ五世に嫁いで生まれた娘である。ステュアート家から一〇〇年も前に他家に嫁いだ女の娘なのである。庶民の感覚からすれば、ほとんど親戚ともいえない薄い関係になる。そんな者が王位継承の最有力者として躍り出ようなどと、誰が想像しえただろう。
一七〇一年の王位継承令は、そのゾフィアに英国王位を継承することを狙ってわざわざ発布されたとしか、考えられないのである。そして、さらにその奥に秘められた意図は、ウェルフ(ハノーヴァー)家による英国王位の纂奪である。
この王位継承令を発布する九年も以前に、ゾフィアの夫エルンストの選帝侯への昇格を支援したウィリアム三世の深謀遠慮が、敬服に値する洞察力として、一般の歴史家に大いに評価されている。私に言わせれば、とんでもない見当違いである。たとえて言うならば「泥棒に追い銭」を与えるようなものだろう。
それは洞察力でも何でもない。ウィリアムは周到に用意された「ゲルフ復活のシナリオ」に従ってひとつの役を演じた役者に過ぎないのだ。そのシナリオにとって一〇年や二〇年の歳月はほんの一瞬である。
カトリック対プロテスタントの対立抗争によって国力を疲弊させていたのは、ドイツに限らない。フランスしかり、英国もしかりである。ただ、国情によって対立抗争の震度は違う。しかし、この対立によって同国民同士が血で血を洗う戦いに狂奔した点は共通している。
英国の場合は清教徒革命と名誉革命という二つの大激震に見舞われて、王統の断絶を余儀なくされた。その間のドサクサにまぎれて、ヴェネツィアに通じる売国奴たちが英国を売り渡し、みずから新しい支配者層に連なった。ヴェネツィアによりヘンリー八世下の英国に送りこまれ王爾尚書まで登りながら対立抗争の種を蒔いたヴェネツィア工作員トーマス・クロムウェル(一四八五?~一五四〇)、その子孫で国王を処刑しみずから護国卿(!)に任じて共和制時代を現出したオリバー・クロムウェル(一五九九~一六五八)、国王軍の中核にありながら外国に寝返って国を売り渡しモールバラ公爵に叙された裏切者ジョン・チャーチル(一六五二~一七二二、英国首相ウィンストン・チャーチルの祖先)などが、ヴェネツィア党の中心となって活躍した人物である。
かくして二度の革命によって、王さまをはじめとする支配者層は実質的にすっかり入れ替わっていた。後は、せっかくオランダ総督オラニエ家へと奪いきたった英国王冠を仲間内の誰かにすげ替える仕上げの儀式が残されていた。やはりその冠には、永年ゲルフの領袖を務めてきたウェルフ家が相応しかったのである。
●潜伏しつつ時を待っていたゲルフの血
ヘンリー八世が英国の教会を国教会としてローマから分離独立させ、それが新旧両教の対立抗争を生んで、清教徒革命と名誉革命につながりヴェネツィア党の天下にいたる流れについては、やがて本稿でもっと詳しく説く予定である。
ただ、いまここに関連あることを少しだけ述べておくと、名誉革命で英国を追われる破目になるジェイムズ二世、つまりメアリーとアンの父を英国から引きはがし大陸へおびき出す手引きをしたのも、やはりゲルフの一員だったのである。
すなわち、ジェイムズ二世の再婚相手となった二五歳も年下のモデナ・オブ・メアリー(一六五八~一七一八)は、その名前からも分かるとおり、イタリアのモデナ家の出身だった。すなわちモデナ公アルフォンソ四世の娘である。ところで、モデナはフェラーラやレッジョと同じく長い間エステ家によって支配され、フェラーラ公とかレッジョ公ないしモデナ公などと、それぞれ領有都市の名前を称したが、いずれもその実はエステ家にほかならない。
そしてそのエステという家名も、ある時代からエステという都市を支配したことから帯びた名前であり、さらにさかのぼれば、私がフェニキア=カルタゴの末裔ではないかと疑っている黒い貴族オベルテンギ一族にたどりつく。
エステ家の始祖はイタリア・ゲルフの中心人物アルベルト・アッツォ二世〔九九六~一〇九七)とされているが、彼は同時にドイツのゲルマン兵士だったウェルフ家に黒い貴族の血を持ちこんでドイツ・ゲルフを創始した当人でもある。
すなわち、アルベルト・アッツォがドイツのウェルフ一世の娘キューネゴンドと結婚して儲けたウェルフ四世(一〇三〇~一一〇一)がドイツ・ゲルフの始祖となり、イタリアにもどってアーマンガードという娘と再婚して生まれたフォルコ一世(?~一一三五)が、ヴェネツィアの影響圏にある北イタリア諸都市を支配することになるイタリア・エステ家を継いだ。
アルベルト・アッツォ二世はゲルフの血をフランスにも扶植しようと謀り、もう一人の息子ウゴに期待したが、こちらは成功しなかったようだ。
アルベルト・アッツォの子孫オビッツォ二世が一二六四年にフェラーラの永代領主となり、一二八八年にはモデナが、さらにその翌一二八九年には同じくレッジョもエステ家の軍門に下ることになった。これらすべては、イタリアを長く震撼させたゲルフ対ギベリンの争闘の果ての戦後処理の一環で、ゲルフの敵ホーエン・シュタウフェン家が殲滅されてこそ可能となった、いわば論功行賞なのであった。ドイツでは逼塞させられたゲルフの血が、ヴェネツィアの影響圏下にあるイタリアの数都市で支配をつづけた。そして、ジェイムズ二世の王妃メアリーはイタリア・ゲルフの本宗エステ家モデナ公の娘でイタリア名はマリエ・ベアトリーチェ・デステだった。
ジェイムズ二世とメアリー・オブ・モデナの結婚は王政復古後、チャールズ二世治下の一六七三年のことである。チャールズ二世は正嫡子に恵まれなかったので、血統から言えば、王位は王弟のヨーク公ジェイムズに継承されることになる。
ところが、カトリック信仰を公然と表明するジェイムズへの王位継承は、王政復古なったとはいえ依然として根強い勢力を張るプロテスタントの忌み恐れるところであった。
ジェイムズは清教徒革命による英国王室の亡命中にフランス陸軍に入隊し、名将アンリ・ドゥ・テュレンヌに指導されて優秀な軍人となった。王政復古の後に兄チャールズ二世の海軍卿に任命されると、これに一大改革を施して一新した。オランダに抑えられていた北米新大陸のニュー・アムステルダムを奪い(ニュー・ヨークと改名されたのはヨーク公ジェイムズを顕彰する意味がある)、さらにはソールベイ沖海戦でオランダ海軍を大破するなど、次々に輝かしい戦功を挙げた。海の覇者オランダをその地位から引きずりおろし英国に取って代わらせた功績の第一はヨーク公ジェイムズに帰すべきものであり、まさに国民的英雄と謳われるに相応しい人物だったのである。
ジェイムズへの王位継承を阻止しようという動きは度々起きた。一六七九年と翌年の二度にわたって、シャフツベリー伯クーパーらによるジェイムズ排斥法案が提出されたほか、その一方ではチャールズ二世の庶子でプロテスタントのマンマス公ジェイムズ・スコットを擁して王位継承者にしようという蠢動も見られた。
しかし、いずれの動きにもチャールズ二世は屈しなかった。庶子とはいえ、みずからの実子であるマンマス公を斥け、王位継承者に弟のジェイムズを定めて揺るがなかった真意は歴史家によって謎とされている。
だが、チャールズ二世は清教徒革命によって父チャールズ一世を処刑(!)され、みずからも王位継承者でありながら亡命を余儀なくされる一方で、英国の国政がヴェネツィア党によって恣に蹂躙されるのを見てきた当事者である。
その心中を少しでも察すれば、実子への譲位よりもっと重いことを王が優先した事情を理解できよう。それは、ステュアート家の名実ともなる存続であり、ひとりヴェネツィア党だけの専横に委ねない国政の安泰であったはずである。
兄チャールズ二世の定めたとおり、王位はジェイムズ二世が継いだ。さらに、一六八八年六月一〇には王妃メアリーが皇太子ジェイムズ・フランシスを出産した。かくて、革命という非常手段に訴えるほかにヴェネツィア党に残された途はなくなった。 (つづく)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
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133:馬之助:
2012/02/17 (Fri) 21:46:13
host:*.bbtec.net
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サムライさん、こんばんは。
>来週の月曜日夜あたりまで仕事部屋に缶詰になりそうな気配です。
了解しました。
私も身内に不幸があったりで、サムライさんがお手すきになるまで沈黙しておきます。それにしても、日米関係はネットでは属国論的なものが主流になりつつあるような感じがしますが、そんな単純な見方は危険な感じですね。“今”というタイミングで、確かに何かが起ころうとしているようです。
『世界権力の正体を明かす』の「つづき」、私も期待しています。
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132:ホレジロウ
:
2012/02/17 (Fri) 20:00:05
host:*.ccnw.ne.jp
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ラジャーです!お師匠さん
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131:飯山一郎
:
2012/02/17 (Fri) 19:52:48
host:*.ocn.ne.jp
-
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だからーー
.
ココは、馬之助氏とサムライ氏のレベルの高い対談の部屋なんだからー
.
鷲とホレちゃんはーー
.
ホレちゃんのゴミ箱みたいな部屋に移るべ!>ホレ
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130:ホレジロウ
:
2012/02/17 (Fri) 19:52:13
host:*.ccnw.ne.jp
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良く噛み砕かんと、庶民は免疫力に疎いから食あたりする前に読んでも分らない?は余計な心配ですかね?東大出のバカの壁で固まった感性のかけらもない官僚が、天皇に代わって、我らが治めるという穿った思想は改めねばね
お呼び出ないかな?失礼をばしもうした!お師匠殿
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129:飯山一郎
:
2012/02/17 (Fri) 19:27:33
host:*.ocn.ne.jp
-
.
レベル・ダウン!!
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鷲とホレちゃん(イチロウとジロウ)が、ココに出しゃばると、ココの
レベルが地に落ちるよーな噴霧器になるにゃーー
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ほんと、ここの読者に申し訳ないっす m(__)m
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128:ホレジロウ
:
2012/02/17 (Fri) 19:08:04
host:*.ccnw.ne.jp
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昨日もおそがい夢で目が覚めた!今日もまたおそがい夢を見そうです?自分の子に殺されるという妄想から、子を食らうギリシャのどたわけー!腰は抜かしておれんて、出てきたら、たたっ斬ろう
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127:飯山一郎
:
2012/02/17 (Fri) 17:51:56
host:*.ocn.ne.jp
-
.
サムライ殿
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『世界権力の正体を明かす』の「つづき」を御願いします。
m(__)m
飯山一郎拝
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126:飯山一郎
:
2012/02/17 (Fri) 17:48:34
host:*.ocn.ne.jp
-
.
信号機さん
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モスクワ発の情報として、「金正男の困窮」と「金正恩の持病」なる憶測記事が
流れていますが、ガセネタです。デマを真実情報に見せかける諜報工作です。
.
「金正男の困窮」は、北朝鮮の財政当局が送金をストップしたのは確実ですが、
金正男にはまだ充分な貯金があり、もしも万一、資金が枯渇したとしても、即、
資金を提供するパトロンがあらわれます。
金正男が、「滞在先のホテル代を支払えないほど金に困っている」などという
記事は、貧乏な一般庶民の感覚で書いた憶測情報です。
.
いっぽう、「金正恩の持病」も、少々肥満した金正恩の体型から憶測した妄想
記事です。
金正日も、20年以上も前から、糖尿の、狭心症の、脳溢血と書かれましたが、
想像を絶する激務に耐え、脳溢血で倒れてからも大酒を呑みながら生きていま
した。
.
ヒトが言ったこと、ヒトが書いたことは、いったんは先ず完全に疑ってかかる。
ヒトが言ったことや、ヒトが書いたことは、一見真実げに見えても、信用しない!
以上が、玉石混交、あふれるような情報の嵐のなかで生きる者の知恵です。
.
飯山一郎夜狸
.
.
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125:ホレジロウ
:
2012/02/17 (Fri) 17:28:54
host:*.ccnw.ne.jp
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ロサンゼルス決戦から つまり彼らの狙いは資源です。目的が資源なら先住民は邪魔なだけ、植民地化の常です
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124:信号機
:
2012/02/17 (Fri) 16:37:40
host:*.infoweb.ne.jp
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飯山先生、脇から乱入して済みません
>>同誌は、中国が金正男氏を保護する理由について、糖尿と高血圧に苦しむ金正恩
氏の体制に変化が生じた場合に備えているためと分析。
http://shadow-city.blogzine.jp/net/2012/02/post_4a31.html#more
本当に体調悪いんですか?
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123:サムライ:
2012/02/17 (Fri) 13:18:08
host:*.t-com.ne.jp
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馬之助さん、11年ほど前に発行された『みち』平成13年4月1日号の「悪の遺産・ヴェネツィア」シリーズの中に、“黒い貴族”について天童竺丸氏の記事があったので、参考の意味で転載致します。ソロスのことも取り上げており、時宜を得た記事と云えそうです。
__________
●世界権力の正体を明かす
前回までウェルフ家の消長を追ってドイツの黒い森や地中海、はてはパレスティナまでさんざん彷徨ってきた。やたらカタカナ名前がいっぱい出てきて、しかも同じ名前で父子だったり敵同士だったり、読みづらくて仕方がないとの苦情をさんざん頂戴した。
そして何よりのご批判は、こんな西洋中世史の些細な事柄をいまさら読まされて、いま国家存亡の危機にあるときに何の意味があるのかというお怒りだった。
ごもっともである。そして、そのお怒りに対しては、わが筆力の不足をただただお詫びするしかない。ただ、なぜにいまさら西洋中世史をなぞり返して、ウェルフ家という一貴族の歴史をたどってきたのか、弁明をしておく必要は感じている。それが改めて、本稿の意図をご説明することにもなるからである。
歴史を偶然の所産と観る見方もあれば、特定の勢力の意図に基づいた人為の所産と観る見方もある。
われわれは後者、すなわち世に謂う「陰謀史観」にかならずしも与するものではない。ひとつの意図で貫かれていると見ると、その意図に反する事柄や逸脱・祖語とも見るべき事件が歴史の随所に見られるからである。
歴史はそれほど単純ではあるまい。大きくはこの地球の変動があり、ときどきに剥き出しになって人間を圧しつぶしてきた自然の猛威もある。また、敵対する強力な勢力が出現し彼らの前に立ちはだかることもあるだろう。ひとつの勢力の意図通りに歴史が作られたと見ることは、とてもできない。
しかしまた一方、歴史をすべて偶然の所産と観るには、あまりにも暗合・符合するもの、出来すぎた事件が多いのも事実である。
とくに「戦争の世紀」ともいわれ、戦争と殺戮に彩られた先の二〇世紀には、天然資源の独占を通して世界を支配しようという意図が数々の事件の背後に見え隠れする。そして、天然の膨大な資源に恵まれたアフリカ大陸がいま、数々の戦争と革命とクーデタと疫病とによる殺戮の果てに、荒涼たる死の大陸と化しつつあることを偶然と見るならば、それは知の怠慢であり精神の荒廃であると誹られても仕方あるまい。アフリカ大陸に住み着いていた人々は天然の富に恵まれていたがために、その富の纂奪・独占を狙う勢力の犠牲となって大量殺戮に処されたのである。
二一世紀には彼らの邪悪なる意図の鉾先が、このアジアに向けられる徴候がある。すなわち、エネルギーをめぐっての血で血を洗う動乱が仕掛けられようとしているのだ。アフリカ大陸の悲劇はけっして他人事ではない。
われわれは、世界の覇権的支配を意図するこの特定の勢力を、「世界権力」と呼んでいる。日本でも戦前からこの一派をユダヤ人と観て、「ユダヤの陰謀」なるものへの警戒を発した諸先輩があった。たしかにユダヤ人は世界権力の一翼を担う重要分子ではあるが、その本質はあくまで「宮廷ユダヤ人(ホーフユーデン)」に止まるというのが、現在の研究成果の教えるところである。すなわち、黒い貴族という主人に仕える従僕の地位にすぎない。
それは、一介の運転手から米国国務長官へと成り上がりながらエリザベス女王に忠誠を貫いて爵位を得たヘンリー・キッシンジャーの役割に端的に見ることができる。また最近では、「金融の神様」ジョージ・ソロスもこうした「宮廷ユダヤ人」の典型的人物である。
永年にわたって英国アリストテレス協会を牛耳った哲学者カール・ポッパーは、かつて一世を風靡したアダム・スミスやトーマス・ホッブス、ジョン・ロック、チャールズ・ダーウィンやハックスレー兄弟、バートランド・ラッセルなどと同じく、英国ヴェネツィア党による世界支配のための理論を提供する御用学者である。
その主著『開かれた社会とその敵』は自由な市場原理による競争社会という理論を掲げつつ、実は社会秩序ないし国家存在を目の敵にしてその破壊を指示する戦闘指令書だった。カール・ポッパーの忠実な弟子となり、恩師の過激な理論の祖述的実践者となったのが、ハンガリーに生まれたナチス協力ユダヤ人の息子であるソロスだった。
ソロスは恩師の「開かれた社会」理論を実践する役割を与えられて、金融バブルを世界各国で仕掛けたが、ソロスの投資会社であるクォンタム・ファンドに原資を提供したのは誰あろう、英国女王その人である。
英国女王の私有財産の運用を任されて実力を発揮したソロスは「金融の神様」などと畏怖され、またマレーシアのマハティール首相など各国指導者の怒りを買ったが、何のことはないインサイダー情報によるインサイダー取引の実行責任者だったにすぎない。
注目すべきはソロスのもうひとつの活動である。彼は世界各国とりわけ東欧圏を中心に「開かれた社会基金」(Open society Fund)を創設して、「慈善事業」にも精を出しているといわれたが、じつはこの「慈善事業」なるものが曲者で、ソロス基金こそソ連の崩壊を導き、東欧圏の社会主義からの離脱を促進した「トロイの木馬」であったのだ。
中共の支那に対しても、ソロスの「開かれた社会」工作は仕掛けられていた。その支那側の協力者が趙紫陽である。一九八九年に起きたいわゆる「天安門事件」は、このソロスによる中共政権解体工作に対し、鄧小平など当時の中共指導部が断固たる粉砕措置に出た事件である。
汚れ役はもっぱら「宮廷ユダヤ人」に任せみずからは超然としているのが、英国女王を表看板とする黒い貴族である。その英国王室という表看板を掲げるに当たって、いかに永年の執拗な粒々辛苦があったか、その前端をつぶさに見るために、縷々ウェルフ家の歴史を本稿でたどってきたのである。ゲルフ領袖とされたウェルフ家が現英国王室ウィンザー家となるには、永い永い紆余曲折の歴史がある。それこそ、「特定の勢力」の意図通りには、歴史が進まないという何よりの証拠である。
そして、中世イタリアの都市国家の間あるいは貴族同士の争闘という矮小化された形で一般にも伝えられている教皇派(ゲルフ)と皇帝派(ギベリン)の争いは、ドイツないしイタリアをも巻きこんで一大地中海国家へと国家的統合を目指す勢力に対して、これを分断し宗教的・精神的呪縛の軛に縛りつけてみずから地上権力としても君臨しようとするローマ教皇と国家間の分裂抗争こそ商売の最大好機と見るヴェネツィアとが結託して粉砕しようとした動きにほかならない。
ダンテ・アリギエーリやニッコロ・マキアヴェッリが悲願としたイタリアの国家的統合を妨げた最大の障害は、ヴェネツィアという一都市国家とローマ教皇庁の存在であった。そしてさらに言えば、ローマ教会をして地上権力へと変質させたのは、ヴェネツィアの無神論的自由市場理論だった。
この「市場経済理論」すなわち「自由交易理論」は、なにも英国ヴェネツィア党の御用学者たるアダム・スミスやカール・ポッパーらの発明ではない。もともとヴェネツィアの専売特許的主張なのである。
キッシンジャーが唱えた「勢力均衡理論(バランスオブパワー)」とて、その地政学的粉飾を剥ぎ取ってみると、「自由にのびのびと商売ができるのが何よりいいのだ」というヴェネツィアの本音が聞こえてこよう。
その本音はのんきに聞こえるかも知れないが、こと「自由交易」が犯されそうになるや、ヴェネツィアは本気になった。国家の存亡を賭けても、「自由交易」を犯す敵との戦いを敢然と挑んで止まなかった。第四次十字軍を誑かして東ローマ帝国を一時的に中断しラテン帝国を樹立したのも、トルコ帝国との度重なる海戦にめげなかったのも、「自由交易」という国家的悲願を守るためだったのだ。
寡頭勢力による巧妙な支配の機構によってみごとなまでに自国の国家的秩序を保ちつづけた(もちろん例外的な国家危機もあった)ヴェネツィアは、イタリアないしヨーロッパの各国に対してはさまざまな粉飾を凝らした「自由な競争こそ社会発展の原動力」などという御都合主義理論を撒き散らして徹底的な不安定化工作を発動しつづけた。これすべて、みずからが商売をやりやすい状態を保つためである。
イグナティウス・ロヨラのイエズス会創設とマルティン・ルターによる宗教改革運動の両方とも、そのスポンサーはヴェネツィアだった。ゲルフとギベリンの抗争では味方同士だったローマ教会の強大化を牽制するためである。宗教改革は外から仕掛けられた揺さぶりであり、イエズス会は内奥深く打ちこまれた楔に喩えることができよう。
そしてさらに、このヴェネツィアの主張はみずからいっさいの歴史記録を残さなかったフェニキア=カルタゴが黙々孜々として実践したところのものである。
メソポタミア文明とエジプト文明の狭間にあって海洋交易都市として繁栄したフェニキアの存在は、いまではアルファベットの元になるフェニキア文字の発明によってわずかに記憶されるにすぎないが、もし彼らをして語らしめれば、「自由交易経済」こそ人類発展の原動力であると言いつのって、まるでソロスの口吻を彷彿とさせるに違いない。
ユダヤ人の王ダヴィデが思い立ちその息子ソロモンによって実現されたエルサレム神殿およびソロモン宮殿の建設は、設計から資材の調達、施工に至るまでことごとくテュロスの王ヒラムの協力なしには実現できなかったであろう。
ソロモンの栄華をもたらした「タルシンの船」による交易も、いわばヒラムの勧誘による投資事業だったのだ。強権による独占を主張しないかぎり、投資家は多いほどリスクが分散されるのは古今の真理である。交易品の調達から交易船の建造、そして実際の交易事業まで、すべてはテュロスの王ヒラムの意のままに運ばれたに相違ない。
二大文明の間隙に位置し交易で栄えたフェニキア海岸都市群は一時期ペルシア帝国に従属させられ、最終的にアレキサンダー大王によって破壊されたが、そのひとつテュロスは地中海全域に交易中継のための植民都市を建設しており、それらの中心だったアフリカ大陸北岸のカルタゴに拠って生きのびた。
そのカルタゴは数次のポエニ戦争によってローマ帝国に滅ぼされたとされるのだが、実はカルタゴは亡びなかったというのが、本稿の仮説である。たしかに、アフリカ大陸北岸の植民都市そのものはローマによって徹底的に破壊されつくし、塩まで撒かれて地上から姿を消した。そして、カルタゴがスペインなどの各地に建設した交易拠点もローマに簒奪された。
しかしカルタゴの遺民たちは秘かにローマや各地に潜入し、ジッと時の経つのを窺いつづけた。そして、ローマ帝国の分裂・衰退の時が来るや、アドリア海の深奥、瘴癘はびこる不毛の小島に忽然として姿を現わしたのである。
フェニキア=カルタゴの遺民でなくして、誰がこのような悪条件の重なる不毛の地に都市を建設しようなどと企てよう。テュロスしかり、カルタゴしかり、ニューヨークしかり、彼らが拠る海洋都市は、「海に出るに便なる」ことが必要にして充分な条件であるらしい。彼らには、陸の民には窺い知れない嗅覚と美学とがあるのであろう。その不毛の地に都市国家を建設するために注ぎこまれた途方もない富と努力を想像すると、気も遠くなるほどだ。
彼らを誰がヴェネツィアと呼びはじめたのか。自称か他称かは知らないが、VeneziaのVeni- は紛れもなくローマ人がフェニキア=カルタゴを呼ぶときの名称Poeniである。V音とP音ないしPH音は相互に容易に転訛しうるからである。ローマに破壊され尽くしたカルタゴの末裔ヴェネツィアが、ローマを再建しようとするあらゆる試みを粉砕してきたのも、無理からぬところではある。(つづく)
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122:サムライ:
2012/02/17 (Fri) 07:58:54
host:*.t-com.ne.jp
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飯山さん、本掲示板で好き勝手なことを言わせて戴き、馬之助さん同様誠に感謝申し上げます。今度も好き勝手なことを言わせて戴くかもしれませんが、大目に見て戴ければ幸いです。。昨日、栗原茂氏と電話で情報交換をしていたところ、すでに飯山さんの本に目を通したとのことでした。来週後半にお会いしますので、支障のない範囲で報告させていただきます。なお、「横田めぐみさんは生きている! (13)」にあった、ブログ「つむじ風」さんの情報、小生も情報は本物と確信しております。また、これは三島由紀夫が古林尚氏と昭和45年11月18日、即ち自決一週間前の対談内容にも繋がっていると、改めて確信した次第です。
http://www.amazon.co.jp/%E4%B8%89%E5%B3%B6%E7%94%B1%E7%B4%80%E5%A4%AB%E6%9C%80%E5%BE%8C%E3%81%AE%E8%A8%80%E8%91%89-%E6%96%B0%E6%BD%AECD-%E8%AC%9B%E6%BC%94-%E4%B8%89%E5%B3%B6-%E7%94%B1%E7%B4%80%E5%A4%AB/dp/4108300912/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1329432316&sr=8-1
馬之助さん、先ほどアメリカからメールが入り、来週の月曜日夜あたりまで仕事部屋に缶詰になりそうな気配です。なお、馬之助さんに紹介していた完全版、どういう訳かもう見られなくなっています。ただ、にこにこ動画なら観られるそうです。小生の場合、昨日一気に見ておいてラッキーでした。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm16792470
ただ、飯山さんの『横田めぐみさんと金正恩』出版の異常な経緯同様、このビデオが何故“今”というタイミングで公開されたのか、小生は興味があります。同ビデオは頷ける点も多いものの、一方で反論したい点が幾つかありましたが、その最大のものに三角形で表示した階層の頂点が、確かロスチャイルドやロックフェーラーになっていた点です。そうした国際金融ユダヤを影で操ってきた、“黒い貴族”が登場していないのは何故なのでしょうか…。これは、飯山さんや山浦(嘉久)さんらのいう第二次河豚計画と繋がっていると朧気ながらも思った次第です。
ひろみさん、「天皇陛下へは、サムライさんを通じ、栗原氏を通じて、進言されたらいかがでしょう?」という言い方は、栗原さんや小生は兎も角、今上陛下に対して大変失礼な物の言い方です。これでは、高松宮喜久子妃のことを、「高松宮の喜久子夫人」などと失礼な書き方をした、知の巨人某と何ら変わりません。小生は、「高松宮の喜久子夫人」という書き方に違和感を持ち、それを心から皇室を大事に思っている、小生の人生の先輩某(栗原さんのことではない)に伝えたところ、以下のように言っていました。
「高松宮喜久子妃殿下を夫人と呼ぶのは、今の日本では通るかも知れないが、国際的には阿呆扱いとなり、恥晒し以外のなにものでもない」
ひろみさん、何故小生が失礼な言い方だと言うのかを知りたければ、以下のブログ記事を参照してください。以下の木庵氏の意見は、飯山さんの「天皇陛下 万歳! (1)」と根底で相通じるものがあることに気づくまでは、自身の天皇論を書くのは止めた方が無難です。
http://blogs.yahoo.co.jp/takaonaitousa/39472874.html
__________
天皇論は難しい。ある保守の人が言っていた。「日本にただ天皇がおわします、それだけでよい。凡夫のわれわれがいろいろと皇室のことを議論すると間違う。歴史的に日本に天皇が長くおわしました、それだけに思いをいたすだけでよい」。
木庵もそう思う。だから、「天皇崇拝」などと大きく言う必要はない。ただ皇室の無私の生活ぶりをみて、われわれも精神的に皇室に近づくようにすればよい。東日本震災のときの、天皇陛下と皇后陛下の被災者の方に心から同情なさっている姿を鏡にして、己もあのようにへりくだりたいと思うだけでよい。
なまじっか天皇論を振りかざすと、真の天皇信仰から外れることになり、結局天皇を政治の道具に使うことになる。天皇は日本の文化の象徴であり、政治とはまったく関係のない、信仰の世界だけにとどめておくべきである。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
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121:飯山一郎
:
2012/02/17 (Fri) 02:03:43
host:*.ocn.ne.jp
-
.
スペインの『光と影』を想いつつ…
.
ひろみさんと私は、議論・論点が全く噛み合わない…。
議論するのが、なんとも虚しいです。
.
>天皇陛下へは、サムライさんを通じ、栗原氏を通じて、
>進言されたらいかがでしょう?
こういう実現不可能で、無意味で、無駄な『当為論』を、ひろみさんは
相変わらず繰り返す。『当為論』の意味さえ分からない。
.
天皇陛下は、いまさら豆乳ヨーグルトで助かろう! なんて下衆なこと
をお考えになる御仁ではありません。
もしも万一、助かりたい! 命が惜しい! と、お考えなら、とっくの昔に
京都御所に逃げられてます。
.
>太陽の光が、全ての人々、生き物に平等にあたっているんだなぁ~。
>これこそ、無償の愛だなぁ~。って思ったんです。
.
人類世界の最大の難点は、太陽の光が、全ての人々に平等ではない!
ということです。
とくに今の日本は、放射能地獄の真っ暗闇です。
.
天皇陛下までが! たび重なる「東北巡幸」の結果、重篤に被曝されて、
マイコプラズマ症に続き、心筋梗塞でバイパス手術です。
しかも、天皇陛下は、かくなる事態を、最初から御覚悟のうえです。
このおいたわしさは、脳天気には、到底、理解出来ないでしょう。
.
陛下の病状は、バルーン療法やステント療法が適応できない重篤な
心臓障害です。
この心臓障害、医師陣の想定外の速度で進行してしまっていました。
.
天皇陛下にすら、太陽の光が当たらない日本という国家…。
この最悪の現実が理解出来ないまま、脳天気は、「太陽の無償の愛」
を存分に楽しんでください。
.
飯山一郎夜狸
.
【追記】
スペインという国家・社会・歴史・文化の全てを、一言であらわす言葉が
あります。
それは、『光と影』という言葉です。
.
スペインの太陽は、万人に平等ではありません。
その過酷な不平等性を、ゴヤは、連作「黒い絵」で描ききりました。
.
その「黒い絵」の一つ、『我が子を食らうサトゥルヌス』。
この恐ろしい絵画は、我が子を頭から食い殺す凶行が残酷きわまりない
筆致で描かれています。
.
まさに今、日本は、「サトゥルヌス」に食い殺されようとしています。
.
このメタファーが分からなかったら、プラド美術館に行き、「サトゥルヌス」
の凶行を、30分ほど眺めているがよろしい。
.
私は、1時間眺めていて、気が遠くなり、欝になりました。
.
このウツ状態を治してくれたのが、例の、「オルチャータ・デ・チューファ」
でした。(終)
.
.
-
120:ひろみ:
2012/02/17 (Fri) 00:35:37
host:*.rima-tde.net
-
飯山さん・・・
私はスペインから高みの見物をして、ただただ、脳天気な事を言ってるわけじゃないです。
今まで飯山さんがお書きになってきたことを読んで、私なりにもいろいろ調べたからこそ、
人類の、微生物の、そして自然の底力を信じているんです!
だから、私のひろみさんの「楽観」は、底抜けに明るい「夢」、「白昼夢」の元になって
いるのは、飯山さんの説とその他いろいろ調べた自然(地球)の営みを信じるからこそなんです。。。
体調が悪くなっている方々は、飯山さんがおっしゃっている事に少しでも耳を貸して実行されていたのでしょうか?
もしもそうなら、かなり、重大ですよね。。。
だったら、私の、この楽観も方向転換しないといけないかもしれません。
天皇陛下へは、サムライさんを通じ、栗原氏を通じて、進言されたらいかがでしょう?
もうすでに対策は練られているとは思いますが、プラス飯山さんがお勧めになっている豆乳ヨーグルトを
大膳の方に伝授して毎日召し上がっていただいたら、今からでも遅くはないのではないでしょうか・・・?
聞く耳を持たない人のことまでは責任はもてないんじゃないでしょうか?
ある意味、私達は今は自己責任で生き延びるかどうかの瀬戸際にいるんじゃないですか?
日本だけではなく、他の国々にも影響が出ているかもしれませんし・・。
ところで、サムライさん、今、Thriveの単語がすごく気になって、調べてみたら、
古ノルウェー語から古英語に入った単語なんですね。
サムライさんが、以前、ノルウェーはツランの流れだとおっしゃっていませんでしたか?
どうりで、スペイン語にthriveに近い単語がないはずです。
スペイン語には、ラテン語からのProsperだけです。これは英語でもありますよね。
スペイン語では、あちこちのサイトで、共有されていて、いくらでも無料で見れる状態です。
なのに、日本は・・・。
Thriveは眠っているツランの魂を呼び覚ますんじゃないですか?
だから日本人には見せたくない・・・。
そして、日本人は、単純じゃないから、単に暴力的な解決をしないし・・・。
本当の意味で、今の世界をひっくり返すだけの力を持っているような気がするです。
そして、その頂点に天皇陛下がいらっしゃる・・・。
最後の最後まで民と共に・・・を体現されていらっしゃる・・・。
太陽の象徴ですから・・・。
先日、近くのバトゥエカス渓谷で撮った写真です。
最初はただの光のスポットライトで綺麗だなぁ~って思っていただけなのですが、
今日ふと、太陽からのスポットライトって、全ての人々、生き物に平等にあたっているんだなぁ~。
これこそ、無償の愛だなぁ~。って思ったんです。
-
119:飯山一郎
:
2012/02/16 (Thu) 01:01:46
host:*.ocn.ne.jp
-
.
ひろみさんの「楽観」は、底抜けに明るい「夢」だ。
「白昼夢」。
.
だから、まるで現実を見ていない。
スペインは遠いからなぁ。見えんの蛇ろー(爆)
.
長崎・広島の土地がたった数年で普通に?!
冗談じゃない!
数年で草木は生えたが…
わずか数キログラムのウランが爆発して、ピカドーン! と、
一瞬間の放射線を出しただけなのに、何十万人の人々が
何十年も苦しんできた…、悲惨な現実がひろみさんには
見えないらしい。
.
F-1では数百トンのウランとプルトニウムが基底部に落下
し、2千数百度の超高熱で沸騰し、連日連夜、致命的な量の
放射性物質が猛烈に噴射されているというのに…、
見えない。分からない。理解出来ない。
.
もうすでに、放射能障害が続出していて、バタバタと人間が
死にはじめている。
マスコミは一切何も報じないが、東京の下町では、火葬場が
1週間待ち、10日待ちという悪夢のような状態だ。
.
免疫が極端に低下してきているので、インフルエンザやノロ
や、マイコプラズマで、5000学級以上が閉鎖状態。
.
幼い子をもつ母親は、夫と義両親に、「放射能キチガイ!」 と
怒鳴りまくられ、着の身・着のままで家出。実家に帰っても、
実の兄弟や両親にからもキチガイ扱いされる、という現実…。
.
こんな残酷無残な現実を、ひろみさんは一切おかまいなし!
.
言うことは、「☓☓をすべき」「☓☓をやるべき」の『当為論』。
>…解析をもっとするべきです。
>…もっと真剣に考えないといけません。(考えるべき。)
.
そうして、何の根拠もない楽観「論」。
>でも、私達はきっと大丈夫。
>…ってなるんじゃないか、って私は信じているんです。
>みんなが魂を揺さぶられるように、徐々に覚醒していく・・・
.
そして結局、最後は、自分は何もできない! という逃げ口上。
>スペインがもっと近ければ、私ももっといろいろと参加できる
>のですが・・・。
.
いったい…、
貴女は、何が言いたいの? 何がしたいの? 何ができるの?
.
楽観「論」の前に、先ずご自分が何ができるのか?
「当為(☓☓すべき)論」ではなく、現実論で述べて下さいな。
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飯山一郎夜狸
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PS 口先だけなら、どんな「夢」でも語れます。
鷲も、沖縄に逃げて、夢だけ語って生きていきたい…。
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118:馬之助:
2012/02/16 (Thu) 00:15:47
host:*.bbtec.net
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飯山さん
>お二人の有意義な対話に改めて敬服の意を表したいと思う次第。
スレッドでは、我が物顔に振る舞っているにもかかわらず、過分なお言葉をいただきありがとうございます。引き続きお邪魔します。
サムライさん、ひろみさん、
>小生に完全版を教えてくれたシトは、この掲示板にも良く来ますよ。
朝食を食べる習慣がないものですから、その時間でネットに目を通しています。そこでこのThrive完全版を、なにも知らないまま見つけて冒頭部分を見たところ、ひろみさんと同様、これは栗原氏の理論に似ていると思いサムライさんに、フラーのベクトル平衡体が出てきたので梶川氏に、オッチョコチョイなものですから慌ててメールしたのは、私です。
>このあたりはフラーも関連してくるので…
映像にある、フォスター・ギャンブル氏の書斎にある三つのオブジェは、全てフラーのモデリングです。三つとも『宇宙エコロジー』に収録されていたと思います。前にもここで紹介し、サムライさんが図版を貼付けていたと思いますが、同書のp161のベクトル平衡体(ジターバグ・システム)による対照的な収縮・拡大がポイントになっていると思います。ベクトル平衡体は動的なモデリングだと思うのですが、残念ながら映像ではその部分があまり強調されていませんでしたが、書斎の右手にはちゃんとp151にあるベクトル平衡体の四つの回転軸で回転する車輪が映っていました。この人はきちんとフラーを研究されてきた方だと思います。梶川氏からは、お礼の言葉と映像を見てみるという返事はもらっています。何か感想めいたことがメールされて来たら報告します。
この映像で面白かったのは、ひろみさん同様、楽観論を展開していたのは女性の科学者でしたね。その内の一人、バーバラ・マルクス・ハバートの次の言葉は興味深いです。
"我々の危機が誕生です。我々は1つ生きているシステムであり、私たちは有限の地球上の自然な成長の一つの相の限界に来ている... "
今上陛下にも重なる思いもするのですが、ジターバグ・システムは四角形の部分が変態することによって収縮・拡大していくのですよね。
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117:ひろみ:
2012/02/16 (Thu) 00:14:06
host:*.rima-tde.net
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おぉ~!飯山さんのお出ましですね!
私が、悲観的に考えていないのは、自然の営み、人間の叡智・底力を信じているからです。
そして、玄米とぎ汁乳酸菌という、いつでもどこでも誰でも作ることができる、秘密兵器の存在を
知っているからです。
飯山さんの"自称"遠隔弟子ですからね♪
現状は悲観せざるを得ないことばかりですが、そこにどっぷり嵌まり込んで、もがき苦しむよりも
長崎・広島の土地がたった、数年で普通に住める土地になった理由の解析をもっとするべきです。
あの頃と、明らかに違うのは、農薬・化学肥料で土に微生物がいなくなっていることなんですよね。。。
でも、私達はきっと大丈夫。
天皇と共に歩んできた歴史は日本人のDNAに刻み付けられています。
ただ、そのことを思い出して、今何をすべきかを一人一人が考えなくてはいけない、そういう時に
きてしまっただけなんじゃないでしょうか・・・。
日本人の一番悪いところは、一般庶民は、お上がやることが絶対で、自分達の日々の糧を得る事に
ついては考えていましたが、それ以外の政治・経済の仕組みについてはお上がやることだから、と
考える事をしなかったことです。
たまに、突出した人が出てきていますが、基本的に一般庶民と政治の世界は関係のないものでした。
それが明治以降、昭和、平成と徐々に一般庶民にも門戸が開かれるようになりましたが、それでも
まだまだ一般大衆の意識は、「お上のことだから・・・」が大半を占めているんじゃないでしょうか。
一人一人がとにかく、今をどう生きるか、どう生き抜くか、ということをもっと真剣に考えないといけません。
それができるようになるんじゃないか、って私は信じているんです。
みんなが魂を揺さぶられるように、徐々に覚醒していく・・・それを促すために、私はこの数年ブログや
twitter、facebookでメッセージを出し続けてきたんだと思っています。
人間の中に存在する「アメーバ」の危機意識を呼び覚ますために。
実際、最近の動きの中に、偶然では済まされないほどの、出来事がいくつか重なっていますので、
たぶん、確実に動き出していると思われます。
その動きを信じているから、私は、とても楽観的でいられるんじゃないかと思っています。
多分、飯山さんのベースにもそれがあるからこそ、今いろいろと行動されているんだと思います。
できる準備はどんどん始めておいたほうがいいですもんね!
スペインがもっと近ければ私ももっといろいろと参加できるのですが・・・。
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116:飯山一郎
:
2012/02/15 (Wed) 21:00:02
host:*.ocn.ne.jp
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サムライさん、馬之助さん
飯山一郎です。
お二人の対談は、この掲示板、『放知技(ほうちぎ)』の“珠玉”といってよく、
お二人の知的レベルの非常に高いダイアローグのお陰で、『放知技』自体の
レベルが上がって見えます。
.
私は、浮気というか、あっち向いてホイ! というか、ほかの掲示板にばかり
行ってて、ココにはあまり来ない。
でも時折ココをのぞく時は、お二人の密度の濃い言葉のやり取りを、懸命に
熟読します。
以上、お二人の有意義な対話には改めて敬服の意を表したいと思う次第。
.
ところで、私の天皇論が悲観的だという評は、意外でした。
私は、過去、悲観論をブッたことは一度もありません。
私は、どちらかと言うと、楽観主義者です。
悲観論に見えても、それは、事実に基づいた論評が悲観的に見えるだけで
しょう。
.
今回の天皇論も、
1.福島県は、放射線量が非常に高く、本来なら人間が住んではいけない
地域になっている。(事実)
2.天皇陛下は、その致命的な危険性を充分にお知りになった上で、平然と
「東北行幸」を繰り返しておられる。(事実)
3.これは一種の自害行為で、現に、狭心症やマイコプラズマ症など、免疫
不全症を発症してしまわれた。(事実)
4.天皇陛下は、「国民とともにある」ことが皇道の第一義であることを実践
されていた。(事実)
5.この10ヶ月間の今上陛下の「東北行幸」は、「国民とともに崩ず」という
御覚悟が充分に窺える。(事実、あるいは論理的帰結)
以上、私の論には「悲観論」ではなく、事実に基づいた評論です。
.
ひろみさんは…
>私は、悲観的には考えていません。私達はきっと今の状況を好転させること
>ができるんじゃないか、って全然根拠もないのに、確信しているんです
と、おっしゃってますが、全然根拠もないのに、「今の状況を好転させることが
できるんじゃないか」って、無茶すぎます。
.
いま、日本を滅亡させる重篤な癌は、F-1の4基の原発が、メルトクラッシュの
ステージになっていて、これは現在の技術では修復不可能です。
そして、F-1からの致命的な放射性物質の噴出は、永久に続くのです。
この日本民族滅亡にも繋がる今の状況を好転させる方法など、皆無です!
.
はっきり言いますが、ひろみさんの「楽観」は、「論」ではありません。
不安から逃げたい人々を惑わして騙す原発ムラの御用学者と同じ、楽観デマを
煽る物言いです。
何の根拠もなしに「楽観」をブッてはいけない! と、私は思います。
.
今回、日本民族が遭遇した原発災害は、人類史上、最悪の災厄です。
かかる逆境においては、さらなる最悪事態を冷静に想定して、その最悪事態に
対処する戦略・戦術をたて、できうる対策を探っていく…。
この際、最も自重しなくてはいけないことは、事実を凝視しないで、根拠のない
楽観主義におちいることです。
.
ひろみさん。
私は、貴女を責めているのではありません。
天皇陛下を頂く日本民族の今の逆境を直視しないと、道を誤りますよ! という
ことが言いたいだけなのです。
以上。
飯山一郎 夜狸
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115:サムライ:
2012/02/15 (Wed) 18:13:37
host:*.t-com.ne.jp
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ひろみさん、御無沙汰しております。
> サムライさん、Thrive完全版ありがとうございます。
小生に完全版を教えてくれたシトは、この掲示板にも良く来ますよ。この行を見たら、サムライに完全版を紹介したのは俺だと言って欲しいです。
> あそこで出てくる、エネルギーの流れの図は、以前教えていただいた栗原氏の図と同じ?
ひろみさん、流石に鋭いね…、このあたりはフラーも関連してくるので、馬之助さんの方が上手に説明してくれるカモ…。トーラスの真理を古代人に伝えたのがET(異星人)だったのかどうかは兎も角、小生が注目したのは64という数字です。この数字については、東明社の故吉田寅二社長と良く語り合った想い出があります。また、64という数字でインパクトがあったのは『易経の謎』(今泉久雄 光文社)という本でした。
> 飯山さんの、天皇陛下についての今日の記事。。。本当に・・・って感じです。
> でも、私は、悲観的には考えていません。私達はきっと今の状況を好転させることができるんじゃないか、って全然根拠もないのに、確信しているんです。。。
飯山さんの「天皇陛下 万歳!(1)」という記事は悲壮感が漂っている。一方で、ひろみさんは全く逆で、「悲観的には考えていません」…。これが女性の直感というのだろうか…。実は、今日の午前に栗原氏に電話をして近く会おうということになった。それは飯山さんの「天皇陛下 万歳!(1)」について、栗原茂という皇室インナーサークルから、徹底的に聞き出してみたいという衝動に駆られたからです。ともあれ、今月中には会ってくるつもりだ。
それにしても、飯山さんは悲壮感に溢れ、ひろみさんはあっけらかん…というか、大地に根が生えているが如く平然としている…。どちらかと言うと小生は飯山さんのように悲壮な覚悟をしているのだが、果たして、栗原氏からはどのような言葉を聞くことになるのかな…。
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114:サムライ:
2012/02/15 (Wed) 17:41:29
host:*.t-com.ne.jp
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馬之助さん
>>…そして人類最後の戦争によって法華教を護持する天皇が、世界人類から仰がれて、世界の王者になられるのだという予言を、日蓮上人精神であると説いた。
この行で思い出しましたが、先週中にも玉井禮一郎氏のお宅に御邪魔するつもりが、約束した日に仕事が入っていたのをすっかり失念…。後になって慌ててアポを取り消しましたが、いやお恥ずかしい…。よって、改めてアポをとっり直して来週中にも行きたいと思います。なお、玉井さんは新しい日蓮宗の流れを汲む新宗派の開祖でもあり、日蓮に関する書籍も数冊執筆されています。当然乍ら、毎回深い宗教、特に日蓮宗に関するお話を伺っており、今回はどのような話になるか楽しみです。
さて、稲村公望さんとは時折お会いしていますが、いつも同氏とは楽しいお酒になります。なお、拙ブログで書いた角田儒郎氏の『日本の宿痾 大東亜戦争敗因飲む研究』、稲村さんも絶賛していました。その稲村さんのビデオを改めて拝見しましたが、ここでも日米開戦の定説を覆すに十分なインパクトがありました。
http://youtu.be/uevM_QyNbwM
http://youtu.be/I-xfXd9GP1E
話のテーマは、『Freedom Betrayed』というフーバー元米国大統領元大統領が執筆した回想録であり、47年間もの間発行止められていたものが、漸く先月になって遺族の強い意思で発行の運びとなったものであり、同元大統領が20年位かけて何回も原稿を書き直し、「出版されて大騒ぎになろうとも私は絶対に後悔しない」と覚悟していたほどの本です。下、同ビデオで知ったフーバー元大統領の本の内容を並べておきます。
__________
ルーズベルト大統領は狂人(mad man)
ルーズベルト元大統領は、政治家にあるまじき道の踏み外しをした男
1941年にスターリンと同盟を結んだのは間違いだった
近衛首相の和平提案を拒否したのは間違いだった
昭和天皇の90日間冷却期間の提案を拒否して、無条件降伏を要求するに等しいハルノートを突き付けたのはルーズベルト大統領であった
原子爆弾の投下はトルーマン大統領の非道徳的命令
……以下省略……
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
さて、ひろみさんにも後にレスを付けておきましょう。
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113:ひろみ
:
2012/02/15 (Wed) 06:51:23
host:*.rima-tde.net
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サムライさん、Thrive完全版ありがとうございます。
先日、Youtubeアップの話を聞いて、早速行ってみたら、削除の後で見れなくて、
仕方ないのでスペイン語版を検索したら、紹介しているサイトがあってみたのですが、
全体的にほぼ知っていることだったので、ツイ寝てしまったり、スペイン語の理解が
たりなくて、やっぱり、日本語は分かりやすくていいなぁ~って感じです。
あそこで出てくる、エネルギーの流れの図は、以前教えていただいた栗原氏の図と同じ?
ちょっと今、すぐに栗原氏の図が出てこないので、あやふやなのですが・・・。
あのときに私が気になっていたハートのエネルギーの流れに近いものを感じたのですが、
今回は、それがはっきりと理解できました。
巴を組んで巴紋を作ると、ぐるぐる回る螺旋のエネルギーをあらわしますが、巴を対峙させると
ハート型の収縮と拡散のエネルギーをあらわし、それを2つ上下にあわすと、Thriveに
出てくる、エネルギーの流れの図になるんですよね。
途中、真ん中にラインが入っているような図が出てきて、あぁ、やっぱり、と思いました。
一点(核)を中心に、上下にエネルギーの収縮と拡散が繰り返されることなんだろうな、と
私は理解したんですけど、それで、あっているんでしょうか?
いろんな意味で、2月に入ってから、変化を感じています。
その変化が個人的なものなのか、全体にも関わっていることなのか、そのあたりは、まだ
よく分かりませんが・・・。
飯山さんの、天皇陛下についての今日の記事。。。本当に・・・って感じです。
でも、私は、悲観的には考えていません。私達はきっと今の状況を好転させることができる
んじゃないか、って全然根拠もないのに、確信しているんです。。。
そのためには真実を知ることですが、それで、誰かを敵として対立するのではなく、
その次元から一人一人がどうやったら、抜け出ることができるのか、冷静に考えて行動する
ことが一番大切なんじゃないかと思っています。
まさに、一昨年から、バカのひとつ覚えのように繰り返している「アメーバ」です。
独立した「個」が共鳴・共振しあって、自然発生的に「全体」を動かす・・・そんなイメージです。
これは、私にとっては祈りでもあります。
そして、この祈りは天皇陛下の祈りにも似ているのかもしれません。
(似ているなんて恐れ多いことですが・・・)
天皇陛下は最後の最後まで、黙々と私達の理解の及ばない次元で勤めを果たされ続けるんだろうな、
と勝手に想像しています。。。
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112:サムライ:
2012/02/15 (Wed) 06:01:22
host:*.t-com.ne.jp
-
馬之助さん、皆さん、
過日、飯山さんの本を本邦で初めて紹介(書評)した『みち』の記事が、同誌のホームページに掲載されましたのでお知らせいたします。
http://michi01.com/sekaibunseki.html
__________
◆2012/02/08(水) 横田めぐみさんは生きている! (11)
北朝鮮による日本人拉致事件には、日本政府が関与していた!
こんな衝撃的な事実をスッパ抜いたのは、情報誌 『みち』 である。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
また、昨日『THRIVE』完全版の存在をさる方から教えていただき、前々から見たかったこともあって仕事を途中で中断、一気に2時間12分の同ビデオを見ました。その後多くの知人らにもメールで連絡したところ、ブログ「つむじ風」の飄平さんが早速広めてくれました。
http://hyouhei03.blogzine.jp/tumuzikaze/2012/02/thrive_0451.html
それから、角度は異なりますが、やはり小生からの知らせを受け取った知人から、以下のような返信内容のメールもありましたので、ここに併せてご紹介いたします。
__________
月刊日本の来月号には、隠されていた筐底から光があてられた、フーバー第31代米国大
統領の回想録について、拙者の記事を掲載します。日米関係の書き換えを迫る内容です
YouTubeにも出しております。
http://youtu.be/uevM_QyNbwM
http://youtu.be/I-xfXd9GP1E
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
馬之助さん、開戦敗戦だけでなく、広く日米関係を考察する上で、上記記事も注目ですね。
以上、取り急ぎ
追伸
昨日の馬之助さんの投稿への返信は、後日させていただきます。
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111:馬之助:
2012/02/14 (Tue) 22:21:15
host:*.bbtec.net
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サムライさん、こんばんは。
>佐藤優氏は同志社大学神学部に進学した生粋のキリスト教徒ですが…
私の場合は、紀野一義著『法華経の風光』から始まって、日本的霊性に触れていくことができたように思います。小松茂朗著『陸軍の異端児 石原莞爾』にも石原莞爾の次のような言葉がありますが、佐藤優著『国家の神髄』に収録されている『国体の本義』には、法華経やそれを解説した道元の『正法眼蔵』にみられる叡智の流れを明確に感じることができます。それは、キリスト教や仏教を受け入れて、新たな血や肉としていけるだけの母なる大地(日本的霊性)というしっかりとした土台が太古から不変なものとしてあったからに他ならないのではないかと思います。
>>…そして人類最後の戦争によって法華教を護持する天皇が、世界人類から仰がれて、世界の王者になられるのだという予言を、日蓮上人精神であると説いた。
>どのような形であれ、日本を飛び出して世界を知った人間が、再び日本的霊性に目覚めるか否かは…
>引用文の内容ですが、折に触れて本スレッドで展開編を繰り広げていきましょう。
大いに賛成です。引用のこの部分は非常に重要なところだと思います。私にとっては、これも「アレ?」という感じでした。これが昭和十二年に文部省から出ているというのも驚きですが、当時共同執筆した右翼系国粋主義者が、我が国に輸入せられた西洋思想が、西洋の伝統的かつ歴史的なものではなく、主として十八世紀以来の啓蒙思想だと喝破しているのですから恐れ入ります。コスモポリタンが、再び日本的霊性に目覚めざるおえなくなる理由はここにあるのではないかと思います。
小松茂朗著『陸軍の異端児 石原莞爾』にも、同じ問題を別の角度から扱った部分があります。会話文は原文のままで、前後を要約して以下に記しておきます。
石原莞爾はソ連将校が、彼の天皇に対する尊敬の念というか信仰のごときものをあざ笑った時に、
「お前はスターリンを神のように信仰しているくせに、他人の信仰をさげすむような下司野郎と話したくない。トットと帰れ」
と、どなりつけたそうです。そして、通訳の重ねての取りなしを承けて重い口を開いたといいます。
「ソ連では芸術を尊ぶか?」
「もちろん、芸術を尊ぶ」
「芸術は信仰である。君らにとってスターリンは絶対だ。スターリンの命令には、いかなる場合でも反駁(はんばく)は許されないであろう。絶対なものは信仰だ。どうだ、ちっとはわかったか。自分自身が信仰をもっていながら、他人の信仰をあざ笑うような阿呆と話はご免だ」
と、だけ言って、そっぽを向いてしまったといいます。
スターリンの命令を絶対としてそれに服従しているから、それは信仰だといってしまえるところも凄いですが、これを信仰だとすると、現在の日本、殊に政界、財界、マスコミにも確たる信仰があるように思います。信仰を持っていながら、他人のそれをあざ笑ってしまうのは、もしかしたら自分の信じているものに絶対なるものを見いだせないからではないでしょうか?何かを信じる前に、前提条件が必要で、それが自分にとって損か得かという自己の判断だったりすると、なんか薄ら寒い思いがしてきます。それが個人主義の突き詰めたところになるのではないのでしょうか。
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110:サムライ:
2012/02/12 (Sun) 06:48:17
host:*.t-com.ne.jp
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馬之助さん、お早うございます。
> いま、佐藤優著『国家の神髄』を読んでいます。
馬之助さんも『月刊日本』の定期購読を開始されたので、佐藤優氏が同誌で『太平記を読み解く』を連載の形で執筆していることはご存じだと思います。小生は同記事を毎月注目していますが、なかなか良いことを佐藤氏は書いています。たとえば1月号の以下の記述…。
__________
こうした考え方は、皇統を考える上でも大切です。われわれは皇統は万世一系と言いますが、ここに染色体やDNA鑑定などという近代科学的観点を持ち込んではならないのです。万世一系とは、皇統は万世一系であると受け止めて、代々伝えてきたわれわれの祖先から引き継いで今に至る、わが国の歴史・文化そのもののことなのです。
たとえ、今後、何等かの方法でイエスが存在しなかったことが歴史的・科学的に証明されたとしても、キリスト教が滅びるとこはありません。信仰において真実であるものは、科学や歴史実証主義とはカテゴリーが異なるからです。同様に、皇統をDNAで考えることはカテゴリーがまったく異なる問題なのです。
『月刊日本』1月号 p.77
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
佐藤優氏は同志社大学神学部に進学した生粋のキリスト教徒ですが、その佐藤氏が外交官だった当時、同省の若手を集めて太平記の勉強会を開いており、外務省を去った今では不定期に世間一般から有志を募り、小学館日本古典文学全集『太平記』をテキストに、熱の籠もった解読を進めてます。
本来なら、旧ソ連で外交官を体験した人間であれば、日本的なるものを脱ぎ捨ててコスモポリタンになるのが普通なのに、日本的霊性を堅持した佐藤氏は流石と思います。佐藤氏が霊性を悟っていることは上述の引用文でも明かですが、小生の場合は十代の頃に海外を数年間放浪し、帰国してから暫くはコスモポリタンでした。漸く霊性に目覚めたは、最近数年と言っても過言ではありません。
どのような形であれ、日本を飛び出して世界を知った人間が、再び日本的霊性に目覚めるか否かは、あたかも帰還する宇宙船のようなものだと思います。つまり、無事に母なる大地(日本的霊性)に戻ることが出来るか、あるいは大気圏突入に失敗してはね飛ばされ、永遠に宇宙空間(コスモポリタン)を彷徨って生涯を終えるか、という道に人は別れるのだと思います。
> 「日米開戦を巡る“定説”が覆りつつある」というのは、この辺りに起因しているのでしょうか?
小生も未だ佐藤氏の本は数冊は購入していますが、やはり未だに目を通したことはありません。ただ、東京新聞と月刊日本の他、ネットで「まほろばジャパン」のビデオ、「週間現代」の記事など、佐藤氏の記事はよく読みます。でも、一番面白いのは『ビッグコミック』誌で連載中の「憂国のラスプーチン」かな…?
「日米開戦を巡る“定説”が覆りつつある」については、小生は拙ブログにも書いた角田儒郎氏の『日本の宿痾 大東亜戦争敗因飲む研究』、その他の書籍から情報を得ました。また、開戦と同時に敗戦前後の一連の出来事も、新たな事実が浮かび上がりそうですね。飯山さんが最近述べておられた、三島由紀夫事件もそれに繋がっていくのだと思います。
>>議院内閣制のもとで、総選挙で勝利した政党が内閣を組織する。そして、与党となった政治家と政権交代とは関係なく存在する官僚によって構成された政府が、対外的には国家と擬制される。しかし、日本国家を成り立たせる根拠は、このような人間の側によって構成される権力だけではない。祭り主として、高天原より伝えられる天と地の秩序を保持される天皇陛下の存在により、国家の見えざる根源が担保されているのである。
このあたりは、前述の大気圏突入に失敗したコスモポリタンには分からない論点だと思います。たとえば、高松宮宣仁殿下の「高松」を使って高松某なるペンネームを名乗り、三流経済誌に得意になって記事を連載した或コスモポリタンについて、一昨日栗原さんに電話で伝えたところ呆れ返っていましたよ。本人はアナグラムで高松某というペンネームを作ったと得意に書いていましたが、その無邪気さに栗原氏も苦笑していました…。
> 以下、『国体の本義』の本文にも同様に面白ものがありました
貴重な引用文、有り難うございました。引用文の内容ですが、折に触れて本スレッドで展開編を繰り広げていきましょう。
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109:boxokroy:
2012/02/11 (Sat) 06:12:07
host:*.trinity-systems.info
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108:馬之助:
2012/02/10 (Fri) 23:29:17
host:*.bbtec.net
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サムライさん、こんばんは。
>ともあれ、最近は日米開戦を巡る“定説”が覆りつつあるような気がします。
まだ途中なのですが、いま、佐藤優著『国家の神髄』を読んでいます。昭和12年に文部省が出した(!)『国体の本義』(GHQによって禁書にされてしまった)の紹介と、その解説なのですが、分かりやすくまた、面白いです。そこに以下の文章がありました。「日米開戦を巡る“定説”が覆りつつある」というのは、この辺りに起因しているのでしょうか?
>>一九四五年にまずファシズムが崩壊した。そして、一九九一年のソ連崩壊で共産主義の破綻も決定的になった。現在も中国、ベトナム、キューバは共産主義を一応建前に掲げているがソ連型共産主義とも、マルクスやレーニンが考えていた共産主義ともまったく異なる国家資本主義(中国、ベトナム)もしくは、国家社会上(北朝鮮、キューバ)の道を進んでいる。グーローバルな共産主義を指向する運動は、もはや生命力を失ったと見ていい。
結果として、残っているのはアトム的な人間観と世界観によって形成されている自由主義だけだ。その限界も国際的には二〇〇八年九月のリーマン・ショック以降明白である。国内的にも、格差では済まされない絶対的貧困の増大という形で顕在化している。
佐藤優氏の文章はあちこちで目にするので、それなりに読んではいるのですが、本として読むのは、恥ずかしながら今回が初めてです。というのは、政治や経済の話題に深入りしたくない気分が、私にはあって、特に佐藤優氏に手を出すと引きずり込まれそうで、敬遠していました。政治や経済にはどこか決定的に不毛なところがあって、時間の無駄としか思えなかったのですが、その理由が佐藤氏の下記の文章にありました。
>>議院内閣制のもとで、総選挙で勝利した政党が内閣を組織する。そして、与党となった政治家と政権交代とは関係なく存在する官僚によって構成された政府が、対外的には国家と擬制される。しかし、日本国家を成り立たせる根拠は、このような人間の側によって構成される権力だけではない。祭り主として、高天原より伝えられる天と地の秩序を保持される天皇陛下の存在により、国家の見えざる根源が担保されているのである。
このスレッドの現在と過去を統合してもくれる文章ではないかと思います。話が繋がったというか、整理できたように思います。ツランが身近なものと感じられるのではないでしょうか?話を戻すと、制度が不毛なのではなく、現在の取り扱いが不毛なのですね。以下、『国体の本義』の本文にも同様に面白ものがありましたので、引用しておきますが、ツランが対抗しているものの姿を的確に捉えているように思います。
>>>抑々(そもそも)我が国に輸入せられた西洋思想は、主として十八世紀以来の啓蒙思想であり、或はその延長としての思想である。これらの思想の根柢をなす世界観・人生観は、歴史的考察を欠いた合理主義であり、実証主義であり、一面に於いて個人に至高の価値観を認め、個人の自由と平等とを主張すると共に、他面に於いて国家や民族を超越した抽象的な世界性を尊重するものである。
>>>抑々(そもそも)社会主義・無政府主義・共産主義等の詭激(きげき)なる思想は、究極に於いてはすべて西洋近代思想の根柢をなす個人主義に基づくものであって、その発現の種々相たるにすぎない。…即ち個人主義の行詰りは、欧米に於いても我が国に於いても、等しく思想上・社会上の混乱と転換との時期を将来してゐるといふことが出来る。…即ち今日我が国民の思想の相剋、生活の動揺、文化の混乱は、我が国民がよく西洋思想の本質を徹見すると共に、真に我が国体の本義を体得することによってのみ解決せられる。而してこのことは、独り我が国のためのみならず、今や個人主義の行詰りに於いてその打開に苦しむ世界人類のためでなければならぬ。こヽに我等の重大なる世界史的使命がある。
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107:bolokcoy:
2012/02/07 (Tue) 14:09:07
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106:サムライ:
2012/02/07 (Tue) 09:09:04
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馬之助さん、今年から本格的付き合い出した幾つかの会社は、ジェットコースターに乗せられているみたいで、出発してから徐々に上がっていく時(割合ノンビリできる日々)があるかと思うと、上がりきって一気に急降下する時(予告無しに一気に大量の仕事を割り当てられ、1~2週間アタフタする日々)のパターンに分かれそうです。昨年までお付き合いしていた外資系の某大企業の場合、今年に入って日本の大企業とのパートナーシップを縮小させたため、そのしわ寄せが小生ら翻訳者にも来たわけで、一気に仕事が無くなりました。しかし、捨てる神もあれば拾う神もありで、時間の合間を見てはコンタクトを取ってきた会社からの仕事も復活して、ホッとしている所です。急に来るのと納期的に厳しい新しい取引先が出来たのは嫌と謂え、贅沢を言っていられません。
さて、
>ハッキリ言えば、金正恩の自信と、貫禄と、オーラ、胡錦濤でさえ一目置く、“金正恩の存在感”は、すべて“金正恩の生まれと育ち”から来ています。
横田めぐみさんの母親の出自を巡って、京都皇統を『月刊日本』などで連載している、落合莞爾さんらからメールなどで意見を聞いているのですが、やはりポイントはめぐみさんの母親が「京都で誕生している」という点でしょう。旧宮家であることは間違いないく、詳しくは『月刊日本』に連載中の落合さんの「公武合体政権と京都皇統」を追っていくと良いと思います尤も、落合さんがネットにすら載っていない出自を書くかどうかは分からない…。
> 「我が子のような金正恩」というのが気になるところです。この辺りに、堀川辰吉郎の影をおぼろげながら感じないではいられません。
馬之助さん、流石です。
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しかし、満州国の誕生に際しての経緯は、一般には認識されていない。これは後世の歴史家によって、あらためて検討を要する重大問題であり、世界的意義を有するものである。このままでは誤って後世に伝えられることになる。
元来、満州というところは、東亜諸民族混在の地で、各民族おのおの言い分があり、民族間の闘争の絶え間がなかったところである。はげしいこの闘争と苦悶の結果、協和がなくては生存も、繁栄もできないことを悟って、民族協和という新道徳が創造され,民族協和のうるわしい理想郷の建設を目指して、満州は生まれたのである。
満州国は、日本軍が武力で勝手につくったように、世間では思っているようだ。
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> これを読むと背後に、広大な計画を感じないではいられません。そのスケールは人格の想い及ばないもののようにも感じられます。覇権とか、損得勘定のレベルであるとは、到底考えられません。
小生の場合、“知識の巨人某”が満洲・日本帝国陸軍・阿片の繋がりを盛んに強調していたので、暫くは満洲の秘密とは「阿片」のことかと思っていましたよ。なるほど、確かに阿片は隠れた儲かるビジネスではあるけど、小生も栗原氏や落合氏から京都皇統を知らされてからは、阿片云々といった話が吹き飛ぶほどの石原莞爾の実像が、朧気ながらも分かってきたような気がします。今週急ぎの仕事が来なければ、久しぶりに玉井禮一郎社長を訪問し、近状報告や“知識の巨人某”の経緯を報告する旁ら、石原莞爾について色々とお聞きしてこようと思います。なお、同社のホームページを小生は作成していますので、ご関心があれば訪問してみて下さい。石原莞爾関連の本もあります。
http://www.nextftp.com/tamailab/books.htm
> これには「アレ?」という感じがしました。
実は、小生も同じような「アレ?」を体験しています。それは、最近チェックを引き受けた、角田儒郎氏の『日本の宿痾 大東亜戦争敗因飲む研究』です。続刊として東京裁判も予定されているとのこと。ともあれ、最近は日米開戦を巡る“定説”が覆りつつあるような気がします。
> サムライさんは、石原莞爾はお隠れになった後も国のために働いたと言われていましたが、この辺りに私は、出口王仁三郎と辰吉郎につながる清吉の役割が重なって見えてきてしまいます。
もうお一方、“高貴なお方”もお隠れになっていました。これは公開できないので、後に馬之助さんに私信を送ります。
> それにしても月刊日本での山浦氏が指摘していた、「金正恩」の「恩」という字の意が気になるところです。
気になるも何も、金正雲と金正恩は別人ですよ。例えば、韓国語で「雲」も「恩」も日本人の耳には「ウン」と同じに聞こえますが、朝鮮の人たちははっきりと区別が付けられるそうです。例えば、Smithの最初の“S”と次の“th”は同じ「ス」でも違うという具合にです。
また、飯山さんの本にあった、“金正日が金正恩を後継者に決めたのは、金正恩が生まれた時だ”(p.102)という記述を思い出して下さい。つまり、オートバイ事故に遭ったというニュースが本当なら、それは正雲が起こしたニュースということになります。
その他、『月刊日本』のいつ頃の号だったかは忘れましたが、山浦さんも「恩」は日本に対するメッセージであると明確に述べています。
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105:蓬酢慧
:
2012/02/06 (Mon) 22:52:37
host:*.plala.or.jp
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「間違っても日本のマスメディアは信用しない」
こんなスレ如何かな、私も同感だ、テレビは切らなくても切れてしまい
そのまま放置。新聞は包装紙、掃除用具以外利用価値なし。
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104:馬之助:
2012/02/06 (Mon) 22:20:28
host:*.bbtec.net
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サムライさん、こんばんは。
了解しました。ゆっくり行きましょう。
『横田めぐみさんと金正恩』を読みました。以前このサイトで読んだ時には、まだサムライさんから皇統奉公衆などの話を聞き及んでなかったので、トンデモ話?という固定観念を拭いきれなかったところがありましたが、本となったもので再読してみるとまた異なった印象を得ることができました。
>これまで私達が議論してきたことは、金正恩の神がかり的な自信と実力、そして中国の異常なほどの気の使い方でした。
>ハッキリ言えば、金正恩の自信と、貫禄と、オーラ、胡錦濤でさえ一目置く、“金正恩の存在感”は、すべて“金正恩の生まれと育ち”から来ています。
この二文は、神格天皇との繋がりを感じさせます。とすれば、今生陛下に対してはどうなのかというところが気になるところです。確かにサムライさんの言う通り、「ツランを取り上げないことには同書の深層は見えない」ようですね。次なる出版物に期待したいところです。
>ようするに胡錦濤は、「金正恩を支援していく!」と改めて明確に表明したのだ。
これは、もちろん「我が子のような金正恩」のためでもあるが、中国の国家利益のためでもある。
「我が子のような金正恩」というのが気になるところです。この辺りに、堀川辰吉郎の影をおぼろげながら感じないではいられません。ところで、同時に小松茂朗著『陸軍の異端児 石原莞爾』を読んでいたのですが、この件と通じるような箇所がありましたので、以下に引用しておきます。
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しかし、満州国の誕生に際しての経緯は、一般には認識されていない。これは後世の歴史家によって、あらためて検討を要する重大問題であり、世界的意義を有するものである。このままでは誤って後世に伝えられることになる。
元来、満州というところは、東亜諸民族混在の地で、各民族おのおの言い分があり、民族間の闘争の絶え間がなかったところである。はげしいこの闘争と苦悶の結果、協和がなくては生存も、繁栄もできないことを悟って、民族協和という新道徳が創造され,民族協和のうるわしい理想郷の建設を目指して、満州は生まれたのである。
満州国は、日本軍が武力で勝手につくったように、世間では思っているようだ。
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これを読むと背後に、広大な計画を感じないではいられません。そのスケールは人格の想い及ばないもののようにも感じられます。覇権とか、損得勘定のレベルであるとは、到底考えられません。
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…東條首相は日米開戦にあたり、ルーズベルト大統領からの最後通牒、つまり日本との妥協のための希望条項を天皇にも国民にもひたかくしにして握りつぶし、戦いに突入したのである。ルーズベルトの妥協案は、戦後の東京裁判によって明らかにされたが、それは、
「(一)三国同盟を廃止すること。(二)北満に集中せる兵力を減少してソ連に脅威を与えざること。(三)支那本土及び仏印より撤退すること」
の三項であり、石原の主張と同様な趣旨のものであった。
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これには「アレ?」という感じがしました。浅はかにも私は、ルーズベルト大統領からの最後通牒は日本とすれば到底受け入れることのできないもので、それを見越しての米国側からの計画的な通達であって、日本とすればそれゆえ戦争という選択をせざるをえなかったものと、思い込んでいました。石原莞爾は東條に関しては次のように言っていたようです。
「皆は東條とわしの間に意見の対立があるように言うけれど、それはピントはずれというものだ。なぜならば、わしには多少なりとも意見があるけれど、東條には意見というものがない。それでは意見が対立しようにもできないだろう」
ここに、現代の病根そのものの指摘があるように思いました。しかし、そんな東條が国の命運を左右する事柄を、天皇にもひたかくしにしたというのですから、東京皇室に対してあまりにも失礼な扱いだと思わないではいられません。しかし、歴史は東條を選び敗戦という結果になるわけですが、それに対して石原は「神意」と答えています。石原は三年あまり京都に留め置かれています。サムライさんは、石原莞爾はお隠れになった後も国のために働いたと言われていましたが、この辺りに私は、出口王仁三郎と辰吉郎につながる清吉の役割が重なって見えてきてしまいます。
それにしても月刊日本での山浦氏が指摘していた、「金正恩」の「恩」という字の意が気になるところです。
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103:サムライ:
2012/02/06 (Mon) 06:18:32
host:*.t-com.ne.jp
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早々と有り難うございました。
なるほど…、そうなると緒方洪庵の遠祖が空海というのは、もしかしたら小生の聞き違いかもしれませんね。では、この辺りは栗原氏本人に直接確認したいと思います。なにか判明すればお知らせします。今回は有り難うございました。
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102:電柱でござる
:
2012/02/05 (Sun) 15:42:54
host:*.plala.or.jp
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ご質問をいただきましたが、私自身は佐伯姓でも緒方姓でもないので、あまり詳しい事は聞いておりません。
ただ、父の実家から伝達されている系図によりますと、
父の祖父につきまして、
備中賀陽郡足守藩士佐伯瀬左衛門(閑鷗)ノ男 緒方弘庵ハ閑鷗ノ弟 九州緒方姓ヲ嗣グ
と書き込みがありますから、http://ogatakoan.com/kakei.html にある通り、
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もともと、洪庵の先祖は、九州の豪族であったといわれています。
九州は豊後に緒方三郎惟義という豪族がいて、源平合戦における源氏方の功労者として、 今も地域にその名を残している武将ですが、彼こそがまさに洪庵の先祖であるといわれて います。
そして、彼の数代後の子孫である惟康という人が佐伯荘というところに住みつき、以降、 土地の名を取り佐伯氏を名乗っていました。
この佐伯惟康が、洪庵の生まれた佐伯家の初代ということになります。
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と、いうような事で間違いないのではないかと思います。
なお、この父の祖父、つまり洪庵の甥が、洪庵が初めて種痘を施した患者(実験台?)だと伝えられております。
洪庵の死因については、何も聞いておりません。
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101:サムライ:
2012/02/05 (Sun) 06:18:35
host:*.t-com.ne.jp
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電柱でござるさん、
昨日、栗原茂氏より電話があって色々と情報提供(特にネット関連)を行いましたが、その時は緒方洪庵のことはすっかり忘れていた自分がおり、同氏に空海と洪庵の血の繋がりを突っ込んで聞きませんでした。いずれ近く再会した折に忘れなければ尋ねてみたいと思います。
その栗原氏、『歴史の闇を禊祓』と題する本を著しており、その中に短いですが緒方洪庵について言及した個所があります(以下に転載)。特に、最後の行にあった栗原氏の二点の問題提起(以下の●)ですが、緒方洪庵と縁のある電柱でござるさん、もしお分かりでしたら公の場で可能な範囲でご教示いただければ幸いです。ちなみに、『歴史の闇を禊祓』は朝鮮総連の土地問題から始まり、複雑な糸が絡み合いながら、ゾルゲ(1944年に尾崎と共に死刑になった人物)出生の秘話、佐藤・岸・阿倍家を巡る田布施の謎、そして最終的に毛沢東と金日成に到達する内容となっています。
◆佐伯が何ゆえ緒方を名乗るのか
◆死因を巡る謎
お時間のある時で結構です。よろしくお願い致します。
※追伸
「マヨのブログ」で豊臣秀吉に関する電柱でござるさんの卓見を拝読しました。概ね同意致します。
__________
備中国足守(岡山市足守)藩士の佐伯瀬左衛門三男が緒方洪庵と名乗るのは長崎遊学27歳ころと云われる。藩の大阪蔵屋敷留守居役となる父に随行16歳その翌年から思々斎塾で蘭学4年間を学ぶと江戸へ出て坪井信道/宇田川玄真のもとで学習する。長崎へ出向きオランダ人ニーマンに師事して医学を学び大阪に戻るのが29歳これより医業開設して同時に「適々斎(適塾)塾」も開き億川百記の娘(八重)と結婚し子は6男7女を設ける。適塾の生徒が増え手狭となり北浜の商家を購入して移転さらに牛痘種痘法による切痘を始めるため古手町(道修町)に「除痘館」を設立する。奥医師兼西洋医学所頭取として出仕せよとの幕府命令を拒みきれず江戸へ向かうのは洪庵53歳と伝わる。出仕後すぐ歩兵屯所付医師選出を申し渡され手塚良仙(漫画家/手塚治虫の曾祖父)ら7名を推薦している。ところが翌年つまり洪庵54歳のとき役宅で突如の喀血そして窒息のため死去というのが通説記事である。適塾の門下代表格に福沢諭吉/大鳥圭介/橋本左内/大村益次郎/長與専斎/佐野常民/高松凌雲など広く知られる著名人もいる。洪庵の事績は病理学書[病学通論]が日本最初の啓発書と云われ種痘を広め天然痘の予防に尽力また安政5(1858)年のコレラ治療の手引き書[虎狼痢(これら)治準]は医師への配布で貢献度の高さが抜きん出ている。洪庵没後の適塾は維新後に大阪医学校が開設され教師/塾生ともに移籍して引き継がれ現在の大阪大学医学部に連なる。日本最初の公的な西洋医学講座の開設は仙台藩学校蘭科(1822)と云われ現在の東北大学医学部に引き継がれている。私立適塾を営む洪庵が幕府出仕を何度も拒む事情とか出仕2年目54歳で感染病理に勝れた事績を刻む佐伯が何ゆえ緒方を名乗るのか死因を巡る謎は尽きないが次第は兎も角も本題に集注する。
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100:サムライ:
2012/02/04 (Sat) 07:08:46
host:*.t-com.ne.jp
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馬之助さん、漸く修羅場から抜け出せつつあります。今年に入ってから新規のお付き合いを開始したクライアントが数社増えており、そうしたクライアント独特の仕事の進め方に慣れていなかったのが、納期や仕事量を勘違いした原因でした。ただ、新しいクライアントらは納期的に厳しく、量的にも多いので、今後は1~2週間程度、投稿する時間も取れない時があると思いますが、そうした場合は申し訳ありませんが、今回のように暫くお待ち戴ければ幸いです。
さて、一年ほど前に立ち上げた本スレッドも丁度百回目を迎えました。この「ツランという絆」は311の前に拙ブログで初めて書いたツラン関連の記事ですが、一年が経った今、その後の展開を考えれば、時宜にかなったテーマだったと思います。さらに昨年暮れ、清水寺の森清範貫主が特大の和紙に墨で、「絆」と書き上げており、絆の大切さを身に染みて知った一年でもあったと思います。
最初に飯山さんの『横田めぐみさんと金正恩』。前回の投稿で指摘させていただいたように、ツランを取り上げないことには同書の深層は見えないと書きましたが、その飯山さんがマヨさんのブログに登場、マヨさんにツランと絡めて「お種理論」を書けとか、飯山さん自身も三五館の社長と掛け合って、ツラン関連の本を書くとか語っていますので、大いに期待しましょう。
ツランと謂えば、東京皇室と京都皇統ですが、わずか2年ほど前は京都皇統のことは、世の中に知られていなかったのだし、その京都皇統を公開したのが、栗原氏から京都皇統について驚愕の事実を聞かされた落合莞爾氏でした。その後の落合さんは『ニューリーダー』と『月刊日本』とで、京都皇統について精密な論考を今でも毎月続けています。
http://pro.cocolog-tcom.com/edu/files/ochiai01.pdf
ここで、飯山さんが東京皇室の行く末を案じているのが良く分かります。しかし、明治幕末に何が京都で進行していたかを考えれば、“平成版の京都皇統計画”なるものが密かに地下で進行しているかもしれません…。しかも、再び同じ京都で…。
竹内忠雄の『天皇霊性の時代』、得るものがあったようで嬉しく思います。再読してみたくなりました。
> 教育費という投資は考えてみれば、ほとんど見返りを期待できない投資で、受益者がいるとすれば、それは社会ということになるのではないでしょうか。
その通りだと思います。全くもって同感!
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99:馬之助:
2012/01/30 (Mon) 22:01:29
host:*.bbtec.net
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サムライさん、こんばんは。
お仕事、頑張って下さい。その間に、竹内忠雄著『天皇霊性の時代』の中から、非常に面白く感じた部分を、ここにメモしておきます。
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…後世、「八百万の神々」も加わって、神道をただの多神教とのみとらえる見方が一般化しました。しかし、一番の根元に何があったのか、意外にこのことはあまり注目されてこなかったように思われるのです。
日本書紀の冒頭に、ただ「神聖」(かみ)として記されたものが、それであると私は考えます。
…天、まづ成りて、地、後にさだまる。しかして後に、神聖(かみ)、その中に生まれます。
そのやや先に、もういちど繰り返して、天地開闢(かいびゃく)の折りに、世界がまだ浮きただよっていたときに、そこに「一つの物が生まれた。形はアシカビ(葦の芽)のようだ。すなはち、神となる。クニトコタチの尊(國常立尊)と号す…」と記され、初めてこの「神聖」に名があたえられるに至ることは、周知のとおり。つまり、初めに、名づけがたき何物かとしてあったものが、日本の神性の元である。と記されています。
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栗原氏のいう霊言という順序にもなぞらえられますし、アシカビは乳酸菌等の微生物と考えてみることもできるかと思うのですが、つぎの、フランスの宗教祭祀学者、ピエール・ゴルドンの『人類祭祀通観』から引用したという文章を重ねると、また、おもしろいのです。
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自然を神たらしめたのは、神聖との接触あればこそなのである。自然現象から始まって自然現象を神々たらしめたのではない。人間の思いを介して、神的エ
ネルギーが下り、事物の上に留まったのだ。
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この人間の思いを介する重要な役割を担っているのが、神格天皇という存在と考えたらいいのでしょうか。私は、自然の神秘をそのまま安易に神に置き換えて、神を認識したとする人たちに、どうしても違和感を拭いきれなかったのですが、この文章でスッキリしました。神格を人格から認識しようとする向きにも同様の違和感を持っていました。所詮、物事は自分なりにしか理解できないにしても、その自分が口にしている言葉を、絶えずこれでいいのかと疑ってみるという遠慮がないとどうも居心地が悪いです。
今月からやっと定期購読をはじめた「月刊日本」の雑誌の方が、『横田めぐみさんと金正恩』の本より早く届きました。それにしても、「月刊日本」の日朝関係の特集は時宜を得ているというか、早いですね。平野貞夫氏の「マネー資本主義という病根との闘い」というのも時代の問題を的確に捉えた、間髪を入れない勢いを感じないではいられません。
『横田めぐみさんと金正恩』もやっと届きましたので、読んだらまたコメントします。
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98:サムライ:
2012/01/28 (Sat) 15:27:57
host:*.t-com.ne.jp
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馬之助さん、
仕事(翻訳)の締め切り日を勘違いしていた案件、先ほど1件発見…。数日ほど掲示板に書き込む時間も取れなくなりました。再び書き込めるようになるまで、別のサークルで最近書いた新聞配達時の想い出の転記で誤魔化しします…^^;
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昔、小生は新宿二丁目に住んでいたことがあります。と言ってもホストをやっていたわけではなく(そんなE-男じゃないス)、二丁目にあった新聞販売店が契約している安アパートに住み、朝夕新聞配達をしながら専門学校に通っていました。
あの当時、色々な人間が新聞店に居ましたね…。東大を出ながら新聞配達で生活している若い男、しかし流石に話す言葉には物凄い教養を感じさせてくれました。汚い部屋で互いに酒を酌み交わしていた時に、酔って彼の歌う五木の子守歌は今でも耳に残っています。それほど悲哀の籠もった凄い歌だった…。そう言えば、小生に新聞配達を教えてくれた親父は、人を殺めてムショを出たばかりの親父であり、その親父とも時々酒を酌み交わしたこともありましたが、あれ以来ヤクザ(より正確には仁侠)に対する偏見が無くなったような気がします。その他色々な連中が居ましたが、どいつもこいつも凄まじい生き方をしていた連中でした。
そうした連中の一人に、当時駒澤大学に通っていた福島県郡山市出身の学生H君と馬が合い、毎晩のようにサントリーの角瓶をストレートで煽ったものでした。小生がテープレコーダーのヘッドをクリーニングするために買った無水エタノールの小瓶に目を付けた彼は、「サムライ君、これで酒が出来るぜ」と言ってくれたものです。
前置きが長くなりました。手許の乳酸入りエタノールが酒に生まれ変わるのなら、手許に置いてもいいのですが、そうゆーわけにはいかねえだろうなぁ…。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
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97:馬之助:
2012/01/26 (Thu) 22:32:12
host:*.bbtec.net
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サムライさん、こんばんは。
アマゾンに注文していた『横田めぐみさんと金正恩』、今月末か、来月早々には送られてくるようです。読んだ後に話を続けたいと思います。
サムライさんが以前紹介されていた竹内忠雄著『天皇霊性の時代』の中に次のような文章がありました。
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人生と同じく、一つの民族にも、運命線があります。
それは、時代別の変遷に基づく通常の「歴史」では見えず、「霊性」のサイクルからしか見えてきません。これを見失えば民族は亡び、摑み直すことなしには再起は永久に不可能です。
日本は、いま、自らを摑み直すことができずに、もがいています。(中略)政治的国家としてはほとんど死に体、(中略)
中国の圧力に屈し続けてきた姿からすると、さながらこれは溺れる人のごとくですが、溺死に至らないのはなぜでしょうか。
歴史の濁流に重なって、見えない、高い霊性の清流に支えられているからにほかなりません。日本文化全体を縦断して常に現存している万世一系の天皇の存在に見る、ある実在の世界であって、現行憲法の定義する「象徴」ではありません。
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もしかしたら、三国共通の国益になろうとしているのではないでしょうか。それがツランという絆というものでしょうか。
>以下の栗原茂氏のガコナハープ取材内容とで織りなす反物が、朧気ながら見えてきた様な気がします。
妄想を臆面もなく述べれば、電離層がまるで高天原の一部を織りなすもののように感じられてきています。
>小生も1年間ほど東京で新聞の奨学生を体験しましたが、
サムライさんはいろいろ経験されているのですね。『タダで大学を卒業させる法』を読みました。私も今回三人目を大学に送り出そうとしていますので、本書の技術的なところは流石にほとんど知っていましたが、精神的な部分は誰もが同じような苦労をしているんだと、共感するとともに安心もしました。「…父親・母親というものは、子どものために苦労して初めて本当の父親・母親になっていくのではないかという気がしたのである。」経験した者だけが噛み締める言葉だと思いました。教育費という投資は考えてみれば、ほとんど見返りを期待できない投資で、受益者がいるとすれば、それは社会ということになるのではないでしょうか。社会に役立つ人材となることで、子どもも報酬を得ることができるわけで、親の想いは公私が混交しているとしても、子どもという存在があるがために「公」としても機能させてもらっているような気がします。
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96:サムライ:
2012/01/24 (Tue) 12:24:21
host:*.t-com.ne.jp
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馬之助さん、お早うございます。前回の投稿の翌日、小生の田舎にある“大型”書店を数軒回りましたが、何処にも『横田めぐみさんと金正恩』は売っていませんでした…(T_T) すると翌々日、『月刊日本』の山浦さんから電話がかかってきて、東京でも同書が手に入らないと言う…。それで、秩父山地の麓から上京して池袋の大型書店で見つけ購入しました。その後、近くの出版社の事務所で待つ山浦さんに同書を手渡し、その後集まってきた数名の同志で山浦さんを囲み、『横田めぐみさんと金正恩』が緊急出版された背景について、山浦さんの話に半日ほどかけて耳を傾けました。
ところで、同書のp.169に山浦さんを紹介する行を読みましたが、ナント! 誤植と言うか誤記がありました…。→飯山さん
それは、「〝帝王〟の風格をもった思想家・哲学者」の行です。小生が、「山浦さん、飯山さんのポカミスですね。〝帝王〟ではなく〝夜の帝王〟ですよね…」と言うと、「ワッハハハー」と豪快に笑っていましたが…。
冗談(?)は兎も角、『横田めぐみさんと金正恩』が出版されたことで、山浦さんが読み取ったのは、背景でイスラエル、ロシア、中国が、北鮮を巡って複雑に絡み合いながら動いているというものでした。お話に耳を傾けながら、あたかも壮大な絵巻物を見ているかのような錯覚に陥りました。
中国と北鮮の関係は、『横田めぐみさんと金正恩』の「金正恩と胡錦濤のキズナ」に描かれており、このあたりは大手マスコミが流す北鮮像しか知らない人たちにとって、俄には信じ難い内容の章だと思います。しかし、《金正恩は、胡錦濤主席でも最敬礼するような、〝神の条件〟を備えている》(p.157)という同書の行をスンナリと理解できる読者であれば、何ら不思議なことではないでしょう。
胡錦濤も金正恩の生母が誰であるかを熟知しているはずであり、だからこそ息子のような年下の金正恩に“最敬礼”するわけです。これは、本スレッドの冒頭に小生が習近平が今上陛下に謁見した記述とも関連しており、当然習近平も、“金正日が金正恩を後継者に決めたのは、金正恩が生まれた時だ”(p.102)という背景を既にお見通しです。
こうした流れを感覚的に理解するには、ツラン、そしてツランの頂点に立つ東京皇室と京都皇統の流れを知る必要がありますが、残念ながら『横田めぐみさんと金正恩』では一切言及しておらず、この点で説得力に欠ける本となってしまったのは残念です。飯山さんの第二弾で、皇室とツランを取り上げてくれると嬉しいのですが…。→三五館の社長さん
「在朝日本人と移住イスラエル人」の章も、イスラエルと北鮮の深い関係を描いた興味深い章であると思います。このあたりは、現在のユーロ危機、過日のウォール街デモ、大統領選で善戦しているロン・ポール氏(共和党)といった、山浦さんに教えて戴いた流れを述べる必要がありそうですが、長くなりそうなので割愛します。
最後に、『横田めぐみさんと金正恩』で最もインパクトがあったのは、「金正恩と超小型水爆とは?」の章であったと小生は思います。以下の栗原茂氏のガコナハープ取材内容とで織りなす反物が、朧気ながら見えてきた様な気がします。
http://michi01.com/rekisiyami.html
> ちなみに子どもは、二男二女です。今年受験しているのは次男なのですが、センター試験の結果、少しだけ目標が見えて来たようです。
これからが大変ですね。『タダで大学を卒業させる法』に一応目を通しましたが、タダで大学を卒業させるには、防衛大など給与の出る大学に行かせるか、新聞の奨学生として住み込みで新聞配達しながら通学する方法を著者は挙げていました。小生も1年間ほど東京で新聞の奨学生を体験しましたが、授業中に居眠りばかりしていたので余り勧められないなぁ…。なお、著者の吉本康永氏のブログを覗いてみたところ、昨年の暮れに急逝されたとのこと。ここにご冥福をお祈り申し上げます。
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95:馬之助:
2012/01/22 (Sun) 21:49:29
host:*.bbtec.net
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サムライさん。こんばんは。
>栗原氏にお会いした際、「満洲に日本の秘密が隠されている」と主張されていました。
そうなると、『横田めぐみさんと金正恩』を読むのがますます楽しみになりました。また、この時点(欧米の弱体化など)に同書が世に出るというのも興味深いものがありますね。国益を考えてのものなのでしょうか?佐藤守氏のインタビューのビデオの内容から考えると、今の政体のテイタラクを横に見ながら、北朝鮮からのサインにギリギリの時点で応えたものとも考えられますし、栗原氏の言葉からは、日本の秘密が徐々に明かされていくような気もします。それがなにかのサインでもあるようにも思えます。
>同書に目を通した後、栗原情報や山浦情報を支障のない範囲で流したいと思います。
期待しています。
>このあたりは互いに『横田めぐみさんと金正恩』を読み終えたら、さらに本スレッドで展開してきましょう。
賛成です。ですが、この本、いざ入手しようとすると大変なようですね。早速、書店を廻ってみたのですが、まだどこにも置かれていませんでした。急な出版だったようですし、ネットでは有名にしても初出版の本に多くの宣伝料をかけるということのようですから、異例といえば異例尽くめのような感じがしますが、それでいて実際の本の入手には時間がかかる。宣伝するからには初版本もある程度の量を確保しているでしょうし、販売ルートに対してのアプローチもそれなりの手を打っていることでしょうに、不思議です。
>『タダで大学を卒業させる法』(吉本康永著)
『横田めぐみさんと金正恩』は、取り合えずアマゾンに注文しました。同時に『タダで大学を卒業させる法』も頼んだのですがこっちの方が先に届きそうです。ちなみに子どもは、二男二女です。今年受験しているのは次男なのですが、センター試験の結果、少しだけ目標が見えて来たようです。これから親のほうに負担がかかってくる番なので、こちらの本も楽しみにしています。
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94:サムライ:
2012/01/20 (Fri) 08:21:57
host:*.t-com.ne.jp
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電柱でござるさん、貴重な写真を有り難うございました。今後、緒方洪庵について色々とお尋ねするかもしれませんが、その時は宜しくお願いいたします。今上陛下の御写真は、明日『月刊日本』の関係者とお会いしますので、プリントしておきたいと思います。
馬之助さん、御無沙汰しております。再びの登場に嬉しく思います。今週の月曜日だったと思いますが、『横田めぐみさんと金正恩』について、飯山さんとスカイプで語り合いました。どうやら、『月刊日本』の山浦嘉久氏が同書の「後書き」に登場するようです。山浦さんとは先週の日曜日にお会いし、老酒を酌み交わしながら飯山さんの新刊本について話題を振ってみると、「サムライさん、実は飯山さんから電話が来てね、今度の本に俺の名前を出して良いかと云うから、即座にOKしたょ」と、豪快に笑いながら語っておられました。昨日発売されたようですから、今日辺り街に出て書店を巡ってみたいと思います。ただ、秩父山地の麓という田舎なので、あるかどうか不明ですが…。
> ここでいう国益というのは、国体というものを念頭に置いたもの
御意。国体については難しいことを考える必要はなく、国体=皇室です。
国体と言えば、ここ2日ほど時間が取れたので、依頼されていた角田儒郎著『日本の宿痾 - 大東亜戦争敗因の研究』の校正に取り組み、昨日終わったのですが、校正中に内容に惹かれてしまった自分がおり、特に以下の発言が記憶に残ります。
「わが国の滔々たる洋化の流れの中で急速な堕落に至らなかったのは、何よりもご皇室が健在だったということと、まだ官民ともに、武士道の高い精神が消えることなく残っていたからである」
> 北朝鮮が残地国家
このあたりで、栗原茂、山浦嘉久、そして飯山一郎の三氏が根底で繋がっていると思います。今日、飯山さんの新著を入手したら、ツラン・京都皇統・堀川辰吉郎といった事柄が取り上げられているか確認してみたいと思います。本来なら筆者の飯山さんが知っているはずなのですが、飯山さん本人すらゲラに目を通していない状態で緊急出版された本であるため、「京都皇統」について取り上げてあるかどうか分からない」と仰せでした。いずれにせよ、同書に目を通した後、栗原情報や山浦情報を支障のない範囲で流したいと思います。
> 「日清開戦や日露休戦」とあるのもシビレますが、北朝鮮が残地国家だというのとも合致して興味深いところです。
昨年の師走か別の機会だかに栗原氏にお会いした際、「満洲に日本の秘密が隠されている」と主張されていました。このあたりは互いに『横田めぐみさんと金正恩』を読み終えたら、さらに本スレッドで展開してきましょう。
>「ハープなど、最高機密にあまり突っ込むと危ない。我々は「ふることふみ」(古事記)の研鑽レベルに留まっていた方が良い」という栗原氏の発言は、「みち」のホームページの「文明の未来図ガコナハープ」を読むとよく分かりました。
小生も、最低でも息子たちが大学を終えるまでは生きていたいと思うので、それまでは危ない橋は渡らないようにします(苦笑)。そういえば、話題の次元が日常的なものになりますが、飯山さんの新書を出版した三五館で『タダで大学を卒業させる法』(吉本康永著)という本の存在を知り、早速取り寄せてみました。まだ、五分の一しか目を通していませんが、四人の息子さんを抱える馬之助さんにも一読をお勧めします(笑)。
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93:馬之助:
2012/01/18 (Wed) 23:41:46
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サムライさん、こんばんは。
策など弄しようもない事柄なので、いつもと変わらないようにみえる日常が戻って来はじめた現在、またこちらに書き込ませていただきます。時間の許す範囲でおつきあい下さい。今回のように中断することもあるかも知れませんが、その時はご容赦下さい。
>公開しない理由として、①国益を損ねる、②関係者に迷惑をかける、③己の命が危ない、といった理由が挙げられるかと思います。
前回の続きです。②と③はよく分かります。①も分かるのですが、最近は国益という言葉は手前勝手に平気に使われていて、まるで属する政党や省庁の利益を正当化するための言葉のようです。それをサムライさんから聞くと変な感じがしてしまったのですが、これも妙な話ですね。ここでいう国益というのは、国体というものを念頭に置いたものだと思うのですが、「国益を損ねる」と言われた時、国体から国土とか風土という風に連想が進み、このどこに政体、議員や官僚の入り込む隙があるのだろうと思ってしまいました。正月ボケでしょうか。
サムライさんがどこかで紹介されていた佐藤守氏のインタビューのビデオ、面白く拝見しました。残地兵という話は佐藤氏の著書にもあったのですが、北朝鮮が残地国家だという概念は新鮮でした。先の大戦では、海軍は太平洋で敗れたけど、陸軍はベトナムからアメリカを追い出した時点で勝利に終わっているというのもなるほどと思いました。それは陸軍ではなく、玄洋社だという説もあるようですが…。
栗原氏の『真贋大江山系霊媒衆』のなかに、
「御所の焼失で聖護院三年間の仮御所生活をした光格天皇の神意によるが、東京遷宮の暴挙を犯した人為は大江山系シャーマニズムを編むと兵制に基づく疑似天皇制を仕立て上げた。これが役小角(えんのおずぬ)らの呪術的伝承とともに、似非の神を奉じるユダヤ病ウイルスの増殖と重ね合わさり、日清開戦や日露休戦を通じて広く大陸各地に拡散していく。」
とあります。この文章によると「東京遷宮の暴挙を犯した人為」は神意によると読めます。さらにその神意は、「大江山系シャーマニズムを編むと兵制に基づく疑似天皇制を仕立て上げ」て、「役小角(えんのおずぬ)らの呪術的伝承とともに、似非の神を奉じるユダヤ病ウイルスの増殖と重ね合わさり、日清開戦や日露休戦を通じて広く大陸各地に拡散して」いったということです。ここに「日清開戦や日露休戦」とあるのもシビレますが、北朝鮮が残地国家だというのとも合致して興味深いところです。話を戻すと、「似非の神を奉じるユダヤ病ウイルスの増殖」単体ではなく、それに「重ね合わさり」というのが意味深いところで、それは先のビデオの陸軍はベトナムからアメリカを追い出した時点で勝利に終わっているというのに繋がっていきそうです。
「ハープなど、最高機密にあまり突っ込むと危ない。我々は「ふることふみ」(古事記)の研鑽レベルに留まっていた方が良い」という栗原氏の発言は、「みち」のホームページの「文明の未来図ガコナハープ」を読むとよく分かりました。
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92:電柱でござる
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2012/01/18 (Wed) 19:46:04
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次の画像をごらんください。
http://agastia123.img.jugem.jp/20110115_1632733.jpg
天皇陛下の手も、月丘と金星丘が発達しています。
それから、太陽線が非常に深く刻まれているところも共通します。
これは人気者の相であり、人々から支持を得られ、特に異性から好まれるものです。
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91:サムライ:
2012/01/06 (Fri) 12:03:07
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ichiro.jrさん、今朝アップした新記事ですが、関係者から迷惑だという指摘がありましので、一旦削除しました。詳細は以下の小生のコメントを参照願います。
http://pro.cocolog-tcom.com/edu/2012/01/post-c42d.html#comment-68160880
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90:サムライ:
2012/01/06 (Fri) 06:50:31
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馬之助さん、明けましておめでとうございます。
諸事情了解致しました。実は、小生も昨秋のゴタゴタのけりを付ける為、ブログ投稿を開始したことから、当面はそちら方面に時間を取られると思うので、お互いに暫く本スレッドへの投稿を休みましょう。因みに、内容は「藤原肇の素顔」というシリーズです。
http://pro.cocolog-tcom.com/edu/cat23047954/
では、いずれまた…
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89:馬之助:
2012/01/04 (Wed) 20:30:03
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サムライさん、明けましておめでとうございます。
年末年始とPCを開く気になれず、特に三が日はお酒が入って普段に増して腑抜けていました。知らない間にこの掲示板
でも論争があったようで、それも今知ったところです。そうこうしている間に、身内にちょっとゴタゴタが起きまして、
さっきその連絡が入ったものですから、しばらくそれが落ち着くまで、失礼ささせて下さい。
2012年は年頭から波乱含みの様相を呈しています。
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88:サムライ:
2011/12/30 (Fri) 06:17:32
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馬之助さん
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>と同時に、どのような闇なのかを苦難の末に知った人たちは、知り得たことを決して公にはしないと思います。
それは、どうしてなんでしょうか。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
公開しない理由として、①国益を損ねる、②関係者に迷惑をかける、③己の命が危ない、といった理由が挙げられるかと思います。
①の国益に関しては国家機密にも通じると思いますが、無論、小生程度の人間が国家機密に触れる立場に居るわけではないし、相手も仮に国家機密を知っていたとしても、何処の馬の骨かも知れぬ小生に語ってくれるわけもありません。ただ、自民党の時代には意外に、(国家機密かどうかは意見の意見の分かれるにせよ)、色々と世間に情報が漏れていたと思います。しかし、民主党政権になってからは、民主党の首脳から情報が政治評論家や新聞記者などに入って来なくなったため、民主党が何を考えているのか、分からなくなっているのが本当のところではないでしょうか。そのあたりを適確に指摘しているのが、『月刊日本』の12月号と1月号の佐藤優氏の記事、「新帝国主義時代の日本の進路」だと思います。
ただ、新聞やテレビだけの情報からだけでも、その人にインテリジェンス能力があれば、国家機密レベルの情報を掴めると思います。このあたりについては、インテリジェンスの達人である佐藤優氏の著書を参照にしてください。
②関係者に迷惑をかけるについては、当然のマナーです。特に、数名だけの仲間で耳にした情報は、情報源が情報源だけに世間に公開すると、関係者に多大な迷惑がかかるからであり、そうした情報は公の場は無論のこと、小生は小人数の会合時の報告書を独自に作成し、関係者に配布していますが、そうした報告書にも一切書きません。一度うっかりして書いてしまい、直ぐに相手の方の命が狙われかねないと山浦嘉久氏に叱られたことがあります。幸い未然に防げました。
③己の命が危ないにしては、多言を要しさないと思いますが、小人数の集いで栗原氏がもらした、以下の発言だけを公開しておきましょう。
「ハープなど、最高機密にあまり突っ込むと危ない。我々は「ふることふみ」(古事記)の研鑽レベルに留まっていた方が良い」
> 決して「茹で釜の蛙」にはならないことを信じるしかありません。
我々は、未来ある若者に茹で釜の蛙にはさせてはなりませんね。拙宅の下の息子も生き物に強い関心があり、その道に進むかもしれません。
さて、明日は大晦日、例年通り大掃除をそろそろ始めます。
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87:サムライ:
2011/12/30 (Fri) 05:59:43
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電柱でござるさん、大変御無沙汰しております。今年の前半でしょうか、乳酸菌に関する記事には大いに学ばせていただきました。
さて、
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緒方洪庵の兄は、佐伯瀬左衛門惟正、又の名を緒方惟正、号を閑鷗と称します。
惟正は、私の曽曽祖父に当たりますが、幼名が馬之助だったかどうかは聞いておりません。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
緒方洪庵と血のつながりがあることを知り、驚愕しております。電柱でござるさんが乳酸菌に詳しいのも、もしかして“血”かなと一瞬思いました。
さて、緒方惟正が馬之助だったという情報は、以下の佐伯馬之助を語るホームページなどで知ったのですが、洪庵と縁のある電柱でござるさんが言うのであれば、ホームページの記載は間違いの可能性が高く、鵜呑みにした小生の責任です。誠に申し訳ない。
http://ogatakoan.com/kakei.html
次に、
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また、佐伯家は、もともと九州の豪族緒方氏の系譜とされ、洪庵が緒方を名乗ったのもそのためであり、
空海の佐伯とは、たぶん関係がないものと思われます。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
緒方洪庵と繋がりのある電柱でござるさんが言うのであれば、言葉に重みがあります。
ただ、普通の史家の発言であれば、直ぐに電柱でござるさんのご意見に納得出来るのですが、あの栗原茂氏の発言だけに、同意する前に確認作業が必要です。同氏の緒方洪庵に関する行を再読し、来年早々にも本人に直接確認したいと思います。
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86:馬之助:
2011/12/27 (Tue) 22:53:35
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サムライさん、こんばんは。
>と同時に、どのような闇なのかを苦難の末に知った人たちは、知り得たことを決して公にはしないと思います。
それは、どうしてなんでしょうか。わずかな情報を膨らませてもっともらしいことをまるでそれが事実であるかのように、普通は書かれるものですが、栗原氏の場合は、莫大な情報を惜しげもなく端折りながらテーマにそって書き進め、肝心な部分になると自分の手柄にしようとはしないでそれぞれの判断に委ねています。その解答までは一見近そうで、なかなか踏破できるような距離ではないように私には感じられます。歴史というのは、与えられるものには裏があり、自らが解き明かしていくものだということでしょうか。そうだとすると、それは歴史というと当然共通認識だと思い込んでいるものが、個に属するもののように感じられます。個々人が向い合うもの。そもそも現実それ自体が個々人の向い合うものですから、その集合体としての歴史もそういうものなのかも知れませんね。私の場合は、単に歴史の“闇”をまだ底なし沼のようにも実感できないないのでこうして軽口がたたけるだけで、それが実感を伴うものとなったときは口を閉じるばかりかもしれませんが…。でも、恐いもの見たさで、闇の正体を恐る恐る追求してみたい気はします。ただ、歴史に限らず、今は放射能や北朝鮮など、現実に起こっていて私たちの生活に関わってくる出来事でさえ、その実際のところを窺い知ることが難しいのですから大変で、気の遠くなっていくような気分がしてくるばかりです。
>また、同胞である日本人は、決して「茹で釜の蛙」にはならないことを信じたいと思います。
同感です。私も強く信じたいと思います。サムライさんがその証拠として女子高生の記事をあげられているところが面白いです。その感覚は分かるような気がします。
四番目の子どもが農業高校に通っている話をしましたが、先日、道徳の授業参観があって家内が行ってきました。道徳では「命」というテーマに取り組んでいるようで、子どもが属する畜産科では、各自の育てた鶏を絞めてそれを食したり、牛の出産に立ち会ってそれが死産だったりしたこともあって、道徳の授業にはそれなりに真剣に取り組んでいたようです。参観日にはどこかの大学の教授の講演もあって、演題が「命の尊厳」というもので畜産科の生徒は楽しみにしていたようですが、それだと道徳の授業内容と重複するという教授の判断で、演題が「命とは何か」に替わったそうです。LIFEという言葉の説明から始まったその講演、家内の観察によると、畜産科の生徒の大半は途中から睡魔に襲われて熟睡の態だったそうです。「命の尊厳」には興味を示していたのが、「命とは何か」では興味がわかないというのが面白いと思うのです。今日は豚の出産予定日だとかで、休みに入ったにも関わらず学校に出掛けています。何時になるかは分からない出産、その親豚と子豚の姿を見届けるのだそうです。この子たちには「茹で釜の蛙」になるとかならないとかは眼中にないようで、目の前の命の輝きに夢中のようです。そこに「茹で釜の蛙」云々という話題は持ち出せなくて、「茹で釜の蛙」になっているのかもしれませんが、私としては目の前の命の輝きに夢中な子どもを支え、見守っていくしかないと思っていますので、決して「茹で釜の蛙」にはならないことを信じるしかありません。
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85:電柱でござる
:
2011/12/27 (Tue) 11:31:24
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>洪庵の兄は佐伯馬之助
緒方洪庵の兄は、佐伯瀬左衛門惟正、又の名を緒方惟正、号を閑鷗と称します。
惟正は、私の曽曽祖父に当たりますが、幼名が馬之助だったかどうかは聞いておりません。
また、佐伯家は、もともと九州の豪族緒方氏の系譜とされ、洪庵が緒方を名乗ったのもそのためであり、
空海の佐伯とは、たぶん関係がないものと思われます。
なお、空海の「密教」はニセモノと認識しております。
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84:サムライ:
2011/12/24 (Sat) 07:54:15
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馬之助さん、お早うございます。
>「繁盛したとはいえ一私塾にすぎない適塾を営む洪庵がなにゆえに幕府出仕を何度も拒んだのか…」
栗原茂氏の著した『歴史の闇を禊祓う』からの引用ですね。こうした歴史の“闇”の存在を知ったからには、闇の正体を追究したくなろうというもの…。と同時に、どのような闇なのかを苦難の末に知った人たちは、知り得たことを決して公にはしないと思います。しかし、小生レベルでは、その闇が底無し沼のようにしか見えてしかたがありません…。
> ある意味では311震災が、日本民族をして「和魂」を思い出させ、和魂を取り戻そうという運動のきっかけになるかもしれない…。
この山浦氏の言葉に同感です。また、同胞である日本人は、決して「茹で釜の蛙」にはならないことを信じたいと思います。そのあたりの証拠として、【女子高生の9割は「政府・マスコミを信用していない」】という記事を紹介したツイートを以下に紹介します。
http://twitter.com/#!/save_child/status/150067131130712064
> 北朝鮮の状況に目が離せなくなって来ましたが、上記のように考えを進めてくると、私には正恩氏が将軍吉宗と重なって見えて来ました。江戸の系を同じく短命な日本の政権としての話ですが、舞台は外つ国にまで及ぶかのようです。
金正日の死去が発表されて以降、飯山さんが貴重な記事を連日書いておられます。小生も後に、1年前の以下のスレッドに愚見を簡単に書きましょう。
http://grnba.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=12972745
それから、吉宗ですが、時折メール交換をしている落合莞爾氏の話では、「将軍吉宗が秘かに霊元上皇に会いに修学院離宮に行った」とのことです。このあたりは『月刊日本』か『ニューリーダー』の落合氏の記事を参照下さい。
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83:馬之助:
2011/12/21 (Wed) 21:55:16
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サムライさん、こんばんは。
> 空海の幼名って、佐伯真魚(まお/まな)
>洪庵の兄は佐伯馬之助
こんなところに馬之助という名が出てくるとは、面白いですね。名前の話のついでに、四番目の子どもは、漢字は違うものの読みは空海の幼名と同じです。この名は紀野氏に縁あって付けて戴いたもの(他の名との二択で、偶然私がそれにしました)で、最初の子どもの予定日がお釈迦さまの生誕日と同じだったので付けてやろうとなったのが始まりです。ところが予定日より少し早く生まれて、その日が近隣地域の「おせったい」の日で、毎年子どもの誕生日には、お四国の八十八箇寺を模した小さなお地蔵さまの祠でお菓子などが振る舞われます。その日ばかりはにわか遍路が、町中の辻辻や里山の小道などにも湧き出て、普段は静かなところも俄然活気づきます。この「おせったい」、形態は多少変わるものの全国的に行なわれているようですし、全国に弘法井戸が1500箇所近くもあるといいます(別の視点で観るとまた凄いと感じます)。もう宗教とかという括り方ではなく、ごく自然な形で庶民に浸透しているもののように思います。
「繁盛したとはいえ一私塾にすぎない適塾を営む洪庵がなにゆえに幕府出仕を何度も拒んだのか…」『歴史の闇を禊祓う』
この辺りが洪庵と背後の動きとの関係を示唆しているところでしょうか。
>空海は明らかにツランに連なる人物だったと思います
洪庵の行状もさることながら、空海という長く庶民に自然な形で親しまれている人物までもが、ツランに連なるとなると、話は少し違ってくるというか、もっと深いレベルでとらえていく必要がありそうですね(まさに立体史観という名に相応しい)。愚考するに、まるで自然の理を代行して行なおうとしているというか、『超克の型示し』の栗原氏の「もともと人は開かれた空間に生まれ、神の発する信号を情報に組み立てる使命を与えられている」という言葉のままに生きようとしている集団のようですね。元来そういう生き方が本来の日本人の姿であり、それができるのが原日本人であり、空海が広く庶民に受け入れられている所以のように思います。山浦氏の話の次の言葉も頷けます。
>ある意味では311震災が、日本民族をして「和魂」を思い出させ、和魂を取り戻そうという運動のきっかけになるかもしれない…。
竹本忠雄の『天皇霊性の時代』、面白そうなので読んでみます。
北朝鮮の状況に目が離せなくなって来ましたが、上記のように考えを進めてくると、私には正恩氏が将軍吉宗と重なって見えて来ました。江戸の系を同じく短命な日本の政権としての話ですが、舞台は外つ国にまで及ぶかのようです。以下、『歴史の闇を禊祓う』
「江戸の系が絶えて、紀州系の吉宗三三歳が将軍に着任する…問題は吉宗の素性である。紀州徳川家の二代目藩主光貞の四男として吉宗は生まれ、生母は巨勢氏が出自である。巨勢氏は第二五代武烈天皇(在位四九八〜五〇六)期の家職(姓・かばね)重役五氏中の一氏で…」
古の絆が蘇ろうとでもしているのでしょうか?
いずれにしても、歴史は大きく動こうとしているようですね。
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82:サムライ:
2011/12/19 (Mon) 07:05:49
host:*.t-com.ne.jp
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馬之助さん、ひろみさん、
昨日は、「悪い奴ほどよく眠る」を見ました。これで、1年前に購入した黒澤明監督のDVD集の半分以上見終わったことになります。今日は、数十年ぶりに「生きる」を見ようかな…。ただ、明日からは再び仕事に追われるので、多少は仕事部屋の掃除を始めたいと思います。
> 空海の幼名って、佐伯真魚(まお/まな)じゃなかったでしたっけ・・・?
御意。佐伯姓と云えば、実は一昨日『月刊日本』の山浦氏を囲み、忘年会を兼ねて半日語り合ってきました。その時に出た話題を一部以下に紹介しますと…
__________
・311震災後、日本人の心の奥底で、何かが変わり始めている。それは「想定外」を繰り返す政府・官公庁・東電・学者らの言う事を、もはや信用できなくなったという日本人が増加していることからして明かであり、ここに既存の権威の崩壊を見るのだ。それでありながら、未だに日本が立ち直るための道標が見えていないのも本当のところだ。ここに、明治維新以来、推し進めてきた日本近代化モデルの崩壊を見る。すなわち、日本の心を保持しながら、西洋に学ぼうというのが、本来の「和魂洋才」の意味だったはずなのに、次第に原義から離れていき、ついには先の第二次大戦後の日本人は、和魂を捨て去って洋才に徹する道を歩んできた。だから、ある意味では311震災が、日本民族をして「和魂」を思い出させ、和魂を取り戻そうという運動のきっかけになるかもしれない…。
・近代日本の闇を炙り出そうとしている、三浦小太郎が『月刊日本』に連載中の「出口なおが見つめ続けたもの」に注目したい。何故なら、闇を見つめることで、初めて立体史観が得られるからだ。なお、平面史観と立体史観の解説として、以下のツイートを参照。
http://twitter.com/#!/kozenbo/status/24778284608782336
・近代の超克の観点から見逃せないのは、今年の5月16日、産経新聞に載った京都大学教授・佐伯啓思氏の記事である。同記事は本報告書の最後に転載したので参照のこと。【竹本忠雄の『天皇霊性の時代』(海竜社)も霊性を考察する上で見逃せない。拙ブログを参照のこと。http://pro.cocolog-tcom.com/edu/2010/01/post-1d2b.html(サムライ)】
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
これは、当日の山浦氏の話の主テーマであった、「日本的霊性への覚醒」に関するお話を小生なりに纏めたものですが、この中にも現在京大の佐伯啓思氏という教授の名前が出ました。彼が空海との繋がりがあるかどうかは兎も角、その人の姓と家紋が分かれば、、大凡の人物評が出来ると思います。
実は、拙宅も空海とは多少の縁があり、菩提寺は高野山智山派という新義真言宗の一派ですが、元を辿れば空海と繋がることは間違い有りません。この空海の出自が「佐伯は、蝦夷から移住させられた人々の集団」と書いているWIKIとやらは、余り信用していません。
この佐伯氏の子孫で近代日本の医学の礎となった人物がおり、それが緒方洪庵です。緒方洪庵は江戸後期の蘭学者・医者・教育者(大坂に適塾を開校)を開いた備中の人であり、馬之助さんは栗原氏の書籍を読んでいるのでピンと来ると思いますが、洪庵の父親の名前は佐伯惟因、洪庵の兄は佐伯馬之助でした。つまり、緒方洪庵のルーツを辿れば、空海に辿り着くというわけであり、空海の子孫である緒方洪庵が何故に周知の仕事をしたのかというヒントも、栗原氏の一連の書籍に隠されていますので直接当たってください。
それは兎も角、空海は明らかにツランに連なる人物だったと思います。そのツラン圏の兄弟でもあるトルコの青年も上記の山浦氏の会合に出席、「震災と日本人」という非常に興味深い話をしてくれました。このあたりの話も『みち』に載ると思います。
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81:馬之助:
2011/12/18 (Sun) 21:16:58
host:*.bbtec.net
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サムライさん、こんばんは。
黒澤作品の鑑賞。いいですね。
のんびりできる時には、のんびりするのが一番だと思いますが、ひろみさんからご指名がかかっているようなので、あとを宜しくお願いします。
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80:ひろみ:
2011/12/18 (Sun) 19:23:58
host:*.rima-tde.net
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変なロシア語の投稿・・・2つもあるんですけど・・・。
不気味ですね。
何故に・・・?
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79:ひろみ:
2011/12/18 (Sun) 02:51:30
host:*.rima-tde.net
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>馬之助さん
空海につながるんですか・・・。
空海の幼名って、佐伯真魚(まお/まな)じゃなかったでしたっけ・・・?
「まな」となると、かなり意味深です。。。
以前「マナ」については、twitterで真言宗のお坊様、ハワイ在住の方などと、
話しをしました。
佐伯は、蝦夷から移住させられた人々の集団と、WIKIなどにもでていますよね。
日本は縄文時代、豊かで平和な土地だったのに大陸からどんどん人がやってきて、
どんどん追いやられてしまって、東北・北海道へ・・・。
恕もん時代は1万年くらい争いの形跡がないと言われているのに、文明と言われる
ものができてから、この数千年、戦いの連続ですよね。。。
どうしてなんだろう、とずっと疑問なんです。
何がきっかけだったのか・・・と。
日本だけで考えたら、大陸からの人の移住でしょうけれど、世界的、地球規模で
考えたときには・・・?
この謎の解明が、ツランにもかかわってくるような気もしています。
どうなんでしょう?サムライさん・・・。
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78:馬之助:
2011/12/17 (Sat) 23:33:32
host:*.bbtec.net
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ひろみさん
弁財天ですか。面白いところに出て来ましたね。
般若心経の「ぎゃーてー、ぎゃーてー」といえばお遍路さんですが、そのゴールは高野山であり空海です。空海は高野山の水源に弁財天をお祭りしているそうです。弁財天との関わりが深い人のようですね。水の時代という話とも繋がりそうですが、空海は全国に1500箇所も井戸を作ったという話もあります。この空海が蝦夷の出であることが平凡社の大百科事典に書かれてあるそうで、それを聞いた今は亡き弁護士の遠藤誠氏がすぐさま本屋(紀伊国屋)で確認したという話をどこかで読んだ記憶があります。蝦夷だから外国語に長けている(当時の中国語を空海ほど完璧に使いこなせた人はいない)というはなしを紀野氏からもうかがいました。空海は高野山に入る前にその土地の神社にお伺いをたてたそうで、サンカに入山の許しを請うたのではないかと思いますが、その許しを得たのも自らの出自と無関係ではないと思います。高野山の大塔がある辺りを壇上というそうですが、その一番奥まったところに神社が建っています。高野山では行事の度にその神社に詣でるそうで、非常に大切にしているようです。
蝦夷といえば出雲だと思っているのですが、知人が出雲大社のお祭りに地元の人に誘われて行った時、般若心経を写経して奉納したと言っていました。別の知人は高野山で修行して得度したのですが、空海は唐に渡っても勧請を受けたくらいで修行らしきことはそれほどやっていないといっていました。その空海が、恵果阿闍梨からどうして、両界曼荼羅をはじめ数々の宝物を譲り受けたのでしょう。どうしてここに修行にきたのか、元は日本のものだから日本で勉強するのが一番だろう、と阿闍梨に言われたという話もどこかで読んだことがあります。
出雲といえば大国主命ですが、以前サムライさんが「先帝の御巡幸と大国主命の国創り」ということも話していました。こういうのを「絆」というのでしょうか。
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77:ひろみ:
2011/12/17 (Sat) 04:32:54
host:*.rima-tde.net
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すみません、連続で・・・・。
観世音菩薩=観自在菩薩=アナーヒターとなると、アナーヒターはサラスバティーとも
関連がありますので、=弁才天となってしまうんです。
法隆寺には百済観音がありますが、この百済(くだら)が前々から気になっていて、
ある人から、百済の「だら」はターラー菩薩やケルト整地のタラの丘につながるんじゃ
ないかと話していたことがあります。
そして、イタリアの先住民(民族系統不明)にトゥランという名前の女神がいる
のですが、こちらもターラー菩薩につながるのでは・・・という話をネットで
見ました。
また、キュベレーは、ハワイの火山の女神ペレにつながるのでは、とか、妄想は
広がる広がるです。。。
最近はメドゥーサやギルガメッシュのフンババも気になっています・・・。
フンババは、キュベレーの古い名といわれる、クババと関連があるかもしれません。
なんだか、頭がこんがらがってくるのですが、私の中では全ての女神と称される存在は、
元をたどっていけば、古層の大地母神に集合されるのでは・・・と思うのです。
というか、すべtの神々と言われる存在が、大いなる存在が、時代によって民族によって
宗教によって、別の名前を付けられただけなんじゃないか、って思ったりもします。
このときに、日本の神々との関連がどうなるのか、というところは私は古事記をきちんと
読んだことがないため、全く手付かずの状況なのですけれど・・・。
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76:ひろみ:
2011/12/17 (Sat) 03:08:30
host:*.rima-tde.net
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今日、ニュースで野田総理の会見をちらりと見ていて、
「原発問題は日本だけでなく、人類全体が解決すべき問題で・・・」
というような言葉を聞いたような気がして、野田さんもいい事言うなぁ、
たとえ、ポーズだけであっても、人類全体という言葉を使うなんて、
やるなぁ~って思いました。
ともすれば、世界の視線が「日本が悪い」になってきているところを
そもそも原発という技術が人類が使っていいものだったのかどうかという
議論とそして、人類の叡智を全てかき集めてとにかく解決しなくては
いけないほど、重大な問題だということを全世界に訴えたのではないか、
という気がしています。
>サムライさん
トルコの青年から見た「日本の天皇論」凄く興味があります。
内の人ではなく、外の人が観て感じること、考えること、って違いますから・・・。
>馬之助さん、
何となく気になって、観自在観音と観世音観音と2つの呼び方になったのは何故だろう・・・って思ったら、
玄奘三蔵と鳩摩羅什の翻訳の違いなんですね。。。
このサイトに書いてありました。
http://structure.cande.iwate-u.ac.jp/religion/kanjizai.htm
一部引用すると・・・
「「般若心経」の始めにある
観自在菩薩、アヴァローキテーシュヴァラ菩薩
この菩薩は古くから観世音菩薩として知られていた。
なぜ、観自在菩薩は観世音菩薩と称されたのであろうか。
それは、法華経を訳した鳩摩羅什(クマーラジーヴァ)が
観音経の趣意をとってそのように美しく訳したというのである。
観音経には
「善男子、もし無量百千万億の衆生あって、もろもろの苦悩を受けんに、
この観世音菩薩の名を聞いて一心に名を称せば、
観世音菩薩、即座にその音声を観じて、皆解脱することを得せしめん」
という名句がある。
羅什はこの性格にもとづいて、「観世音」と訳した、というのである。
もう一つの考え方は、この菩薩の名は、実は
「アヴァローキタ・スヴァラ」だったという説である。
「スヴァラ」とは、「音声」の意である。
しかし、玄奘は「観自在」と訳した。
おそらく、アヴァローキテーシュヴァラを、「観(アヴァローキタ)」+
「自在(イーシュヴァラ)」の合成語と見て、
こう訳したのであろう。
そして、般若心経の場合、「観自在」という訳語は実にぴったり納まっている。
一般的には、
「観音」というときには「大悲」を強調し、
「観自在」というときには「智慧」を強調して
このように訳出したのだといわれている。 」
う~ん、深いんですね~。
「観世音」というと、「世と音を観る」で静のイメージになりますが、
「観自在」だと、動のイメージになりますよね。
あと「観世音菩薩」WIKIに、
「起源は中国への仏教伝来よりも古いものとも考えられ、ゾロアスター教において
アフラ・マズダーの娘とされる女神アナーヒターやインド神話のラクシュミーとの
関連が指摘されている。」
とあり、アナーヒターは、以前から私がとても気になっている水系の大地母神であり、
アナトリアのキュベレーとも関連があるようなのです。
そうなると、キュベレーは、キリスト教では聖母マリア信仰に吸収されているようなので、
マリアにもつながってくるという、壮大な話になるんですよね。
引用が多く、長くなってしまいすみません。
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75:サムライ:
2011/12/16 (Fri) 16:21:31
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馬之助さん、
先ほど仕事が一段落し、ふと気がつけば師走も半分過ぎている…、慌てて海外の友人らにクリスマスカード書き、家の者にクリスマスカードの投函、ついでに年賀状を購入してくるように依頼したところです。
> 黒澤監督の作品の中で、私はとりわけ『まあだだよ』が好きです。
実は、同作品を初めて観たのが、半年ほど前でした。『生きる』、『羅生門』など、若いときに観た黒澤作品は多いのですが、『まあだだよ』は“後手”にまわりました。それは、黒澤明監督の作品が、35本ほどDVDになったシリーズに入っていたからで、一年ほど前に購入、極力早く全てを観ようと思っているのですが、未だに半分も見終わっていません。今晩辺り、海外から大量の仕事が入らなければ、明後日の日曜日あたり、立て続けに数本を観ようと思います。思い出させてくれて感謝です。それは兎も角、馬之助さんが『まあだだよ』がとりわけ好きとのこと、何となく馬之助さんの人柄が分かったような気がするなぁ…。確かに、あれは良い映画です。
ご参考までに、黒澤監督については、ツイートもしています。
http://twilog.org/tweets.cgi?id=fibonacci2010&word=%E9%BB%92%E6%BE%A4
> 最近は、師弟関係のその核には、天皇という存在があるのかと思うようになっています。
同感です。
天皇と謂えば、機関誌『みち』で栗原氏の『アッシリア文明史論』が終わり、今度はツランを研究しているトルコの青年の眼から観た、「日本の天皇」論がシリーズとして始まります。よって、今後は栗原氏からトルコの青年の話に、シフトすると思いますので宜しく。昨日も、『月刊日本』の関係者らと忘年会が東京の浅草で行われ、小生も出席してきましたが、そのトルコの青年も参加していました。今度のシリーズの売りは、ツランの観点・トルコ人の観点で見た天皇論なので、話題を呼びそうです。
本スレッドの題が「ツランという絆」ですが、311の大震災前に立ち上げたスレッドであり、それが徐々にツランに収斂されてきたようです。そして、清水寺の森清範貫主によって力強く書かれた今年の文字が、「絆」であったのも神計らいだろうという気がしてきました。
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74:馬之助:
2011/12/14 (Wed) 22:54:08
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サムライさん、こんばんは。
年の瀬だからでしょうか、あわただしくしています。
>栗原氏の『超克の型示し』から、馬之助さんはよくぞ家族に関する記述を良く見出したものだと、感心しております。
これはサムライさんのご指導の賜物でしょう。例え10%であったとしても、漏れ聴こえてくる話やそこに滲む雰囲気によって、ただ読んだだけでは引っかかって来なかったようなものが、繰り返し読むごとに感覚の端に引っかかって来るようです。
>今までに様々な角度から当日のことを話してくれたのですが、一言で云えば「ふることふみ(古事記)」の世界に浸っていたと云えるかもしれません。
「観」に似つかわしい話ですね。紀野氏も同じ話を様々な角度から繰り返ししてくれます。おもしろい話は、そんなにたくさんあるもんじゃないといって、聴き様によっては同じ話なのですが、毎回腹を抱えて笑い、感涙に咽ぶといった風情です。それが「ふることふみ(古事記)」の世界というヤツでしょうか。ひとつの話を様々な角度で繰り返しできるというのは、元の出来事が本物であるからだと思います。だから毎回語られるごとに新しく、聴くものを虜にして放さない。表意というのでしょうか、意が語るもの、聴くものの区別なく、駆け巡っているような感じです。
黒澤監督の作品の中で、私はとりわけ『まあだだよ』が好きです。永遠なるものを描写しようとしてやまなかった監督が、一番それに肉薄したのではないかとみています。内田百閔とその教え子たちの師弟関係の日々の一コマを坦々と描写した作品ですが、師を持つが故に理解が及ぶという風な作品(師という経験がなければ面白味のない作品として映るかもしれません)で、それを劇場映画として掲げることができるのが黒澤監督といえるところでしょう。師という感覚を理解できる人が、その頃の日本にはまだ多くいたのかも知れません。いつだか、テレビで映画監督もしている漫才師が、この作品が面白くないと評していました。まあだだよじゃなくて、テメーが、もういいよだろうと、毒舌と言えば聞こえはいいですが、暴言を吐いていました。漫才の世界にも師弟関係はあるだろうにと思ったのですが、所詮損得勘定がその核となる世界ではその程度の理解度かと納得して、それ以来その人物をいくらマスコミが持ち上げようと一切関心がなくなりました。最近は、師弟関係のその核には、天皇という存在があるのかと思うようになっています。
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73:馬之助:
2011/12/14 (Wed) 22:12:45
host:*.bbtec.net
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ひろみさん
>「意」って「音」と「心」から成り立っているんですね。そして、「音」は、「日」と「立」から。
面白いですね。ちなみに、観自在菩薩のまたの名を観世音菩薩というそうです。親しみやすい言い方だと、観音さまでしょうか。これって、音を観るという話ですから、どうやって観るのかってつっこまれそうですが、「意」=「音」+「心」であれば、音を心で観るというところでしょうか。この観音さまが登場する観音経は「ねんぴーかんのんりき…ねんぴーかんのんりき」と繰り返しが耳につきます。「どうして観世音というのか」という問いに答えて観音力の効能を長々と説明しています。例えば、「或漂流巨海 竜魚諸鬼難 念彼観音力 波浪不能没」もしかして、「意」というのも同じ力があるのかも知れません。
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72:サムライ:
2011/12/12 (Mon) 10:09:03
host:*.t-com.ne.jp
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ひろみさん、どうやら苦難を乗り越えられた様子、安堵しました。栗原氏の話ですが、今までもそうでしたが、今回も全体の10%前後しか公開できないと思います。ただ、今回の雅子妃バッシングの背景を正確に知る資料の一つに、中川八洋氏の著した『悠仁天皇と皇室典範』(清流出版)があり、折があれば一読をお勧めします。
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71:ひろみ:
2011/12/12 (Mon) 04:51:40
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サムライさん、馬之助さん、
お久しぶりです。
「競わず争わず」の世界っていいですね。
「意」って「音」と「心」から成り立っているんですね。そして、「音」は、「日」と「立」から。
凄く意味深だなぁ~と思っていました。
「知情意」という言葉があるので、どうしても「知」が上位なような気がしますが、さかさまなんですね。。。
いろいろな意味で変化が具体的に現象として現れてきているような気がします。
徐々に徐々に・・・。
私の環境の変化もその一つの顕れなんだろうな、と、大きな流れには逆らえないのだと思って、私なりに前に進むだけです。
最近、龍(鳳凰・火の鳥・鵬なども含む)と隕石(流星群も含む)との関連が気になっています。
去年から山の中の村に住んでいるので、流星群を見るのをとても楽しみにしていて、いろいろチェックしていたのですが、今年は何故か流星群の最大の時期にいつも月明かりが強くて、ほとんど見ることが出来ませんでした。
今年最後の12月14日のふたご座流星群最大も、満月をすぎて下弦の月になるまでの間の時期なので、あまり期待は出来ないようです。
月明かりで見えなくても、流星群は毎年同じように、年によって数の増減はあるとしても、発生しているということは、見える見えないということは関係ないのだろうな・・・という気が最近しています。
曇りや雨の日もお日さまは雲の上で輝いているように・・・。
栗原氏がどんな見解を示されるのか、楽しみです。公表できる範囲でよろしくお願いします。
いろいろな憶測や噂が飛び交う中、何が一番か、何をなすべきか、今私達は人として、試されているのだろう、と思っています。
その一番先頭にいらっしゃるのが天皇陛下をはじめ皇族の方々なのでしょうから、語るに尽くせないほどの思いを抱えていらっしゃるのでしょう。
そういう方々がこの国、この地球上にいらっしゃる、ということは、本当に救われます。
でも、私達一人一人はそのことを、頼りにするのではなく、それぞれの足で立って、心で感じて頭で考えて、生きていかなくてはいけないんですよね。。。
なんだか、取り留めないことをだらだら書いてしまいました。
失礼いたします。
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70:サムライ:
2011/12/11 (Sun) 11:19:06
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馬之助さん、
> 天皇が新嘗祭に参加されなかったという振る舞いが確かに気になりますね。
この辺りは、数日中にも栗原茂氏に会いますので、多分当方から尋ねるまでもなく、栗原氏から今回の経緯を解説してくれることでしょう。よって、次回の本スレッドの投稿で、支障のない範囲で書かせていただきます。特に、昨今の新潮、文春を中心とする週刊誌による雅子妃バッシングは異常であり、「女性宮家」創設を野田総理に進言したという、宮内庁長官・羽毛田信吾も同様です。なお、デヴィ夫人の例の問題発言は、ハードコピーして先日栗原氏に送っていますので、そのあたりの裏の動きも判明すると思います。ただし、この場で書ける内容ではないかもしれませんが…。
> 「鶴瓶の家族に乾杯」
山浦嘉久氏も栗原茂氏も己の家族というものを非常に大切にしています。それにしても、栗原氏の『超克の型示し』から、馬之助さんはよくぞ家族に関する記述を良く見出したものだと、感心しております。
中学時代の同窓生の中に、9月に初孫が誕生したという二人目の仲間がおり、先日その祝いも兼ねた忘年会を行いました。孫を持つもう一人の同窓生も出席、どうも二人の話に耳を傾けるに、子と孫という存在は大分異なる存在のようです。
栗原氏も還暦を迎えた10年前、長男の初孫が誕生したのですが、栗原氏は初孫が産まれた当日、ガラス越しに立ちっぱなしで初孫を“観ていた”そうです。今までに様々な角度から当日のことを話してくれたのですが、一言で云えば「ふることふみ(古事記)」の世界に浸っていたと云えるかもしれません。その栗原氏、その日を境に今までは「競い争う」の世界の住人だったのに、その日を境に「競わず争わず」の世界の住人に成れたと言っています。
>「意」と「意の自在性」と「表意」。若い世代がそれらを捕らえようとしているようで、地殻の変動は確実に起きているように思いました。
子供達が観たという「BECK」、機会があれば観てみたいですね。拙宅の子供達にも後で聞いてみましょう。小生は半年前から気になっていた山田太一の『偉人たちとの夏』を入手、一気に読みました。やはり、この小説の世界にも「意」と「家族」というテーマが流れていました。
さて、そろそろ今年も終わりだ。「知」という無駄な枝葉を勢いよく切り落とし、「意」という枝葉だけになってサッパリしたので、今度は頭髪の方もサッパリしに、近所の床屋に行って来よう(笑)。
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69:馬之助:
2011/12/09 (Fri) 22:16:40
host:*.bbtec.net
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サムライさん、こんばんは。
子どもが捌いた鳥が食卓に上ってきました。先生が三日かけて薫製にしてくれたとかで、この時点ではどれがだれの鶏かは分からないようですが、切り分けて残ったものも、肉を歯でこそいで丁寧に食しました。後は家内がスープのガラにして使うそうです。古事記のオホゲツヒメノ神が鼻、口、尻から出したものから食べ物を作るのを、スサノオヲ命が食べ物を穢して差し出すとは何事かと言って、オホゲツヒメノ神を殺してしまった話を思い出しました。その殺された神の身から蚕や稲、粟、小豆、大豆が生ったという話ですが、今食物からの放射能物質が出ている話とどこかでしっかりと繋がっているのだろうと感じています。それにしても、天皇が新嘗祭に参加されなかったという振る舞いが確かに気になりますね。
>この「意」の世界を良く顕しているものの一つが、NHKの「鶴瓶の家族に乾杯」という番組だと思います。
やはり家庭というものが物事の基本なのでしょうか。栗原氏の『超克の型示し』の中に、「場に刻まれる歴史的生命メカニズムを解きほぐすと、人は血脈に伴う遺伝情報を含む営みのもと家を最小単位とし、家族はヒト・モノ・コトの共時性を分かち合い生活している。この共時性を司る統一場のエネルギーとしてもっとも透明度が高い情報は家族構成員の振る舞いであるが、このような実証の型示しを言葉に置き換えるのは容易なことではない」というのがあります。「鶴瓶の家族に乾杯」という番組はこの透明度の高い情報を、このような実証の型示しを言葉に置き換えるのは容易なことではないにもかかわらず、見せようとしているというのでしょうか。
子どもがテレビで放映されていた映画を録画していて、どんなものに関心を示しているのだろうかと思って観てみたのですが、それが面白くて二回、三回と繰返して観てしまいました。「BECK」という邦画で、原作はコミックでテレビアニメになったものが実写版で映画化されたようです。ロックバンドのメンバーが固まっていって、ついに大勢の聴衆を魅了して行くという青春物なのですが、観ながら何に惹き付けられているのかが分かりませんでした。それで、繰り返し観ることになったのですが、どうやら陰のテーマが「意の自在性」にあって、それに惹き付けられているのではないかと思い至りました。メンバーが揃って演奏の場も整ってくると構成員にビジョンが降りて来るのです。新しいメロディーも相前後して降りてくる。だからといって物事が決してスムースに進む訳でもないのですが、かといって皆がビジョンに向かって必死になるわけでもなく、構成員それぞれが各自の責務は懸命に果たそうとする。困難によって行く手を見失いそうにもなるけど、その時には不思議とビジョンが後押してくれる。そして最後には大衆に受け入れられていく。個が集まり私からはじまって公としてはたらこうとしていく、そこに意が介入して様が描かれているようでした。面白いのは、登場人物がテキトーに醒めている感じのするところで、そこが「観」に繋がっているような感じでした。それを納得するのに以下の二文が役立ちました。
「吾我を離るるには、無常を観ずる是第一の用心なり」手元のメモに書き記してあるものなので出典は不明ですが、この「無常」は「無情」ではなく「常なるものは無い」ということ。栗原氏のリサイクル・システムとか開かれた世界ということでしょうか。
「自ら他に訴える情報の主体は表意であり、言葉を使わない段階の意を司る情報源は神の信号ゆえ、神通力不足の客体に意が通じるとは限らない。」(『超克の型示し』)
「意」と「意の自在性」と「表意」。若い世代がそれらを捕らえようとしているようで、地殻の変動は確実に起きているように思いました。
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68:サムライ:
2011/12/06 (Tue) 11:36:00
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馬之助さん
師走に入り、あちこちから忘年会などの声がかかる季節になりました。
>「意の自在性」の話、すこし続けます。
禅問答を思い出します…。鈴木大拙の本も1~2冊買った記憶がありますが、結局積ん読で終わりました。^^;
で、小生は身近な所から「意の自在性」について簡単に書いてみましょう。
小生の場合、この「意の自在性」の「意」に重きをおいている、人たちとの付き合いが最近は増えてきており、殊に311以降、「知」よりも「意」の人たちとの付き合いが、質量ともに増えました。そして例の掲示板での出来事は、その流れから発生したものと云えるかもしれません。つまり小生が盆栽とすれば、樹齢ん十年超となっているため、無駄な枝も多くなってしまっており、己れに合った樹形にするためにも、周囲が驚くほどに太い枝も遠慮なく、バサバサと切り落とした一年でした。
この「意」の世界を良く顕しているものの一つが、NHKの「鶴瓶の家族に乾杯」という番組だと思います。この番組は、「意」というものを深く知る山浦嘉久氏や栗原茂氏が、機関誌『みち』の月二回の発送作業を数名のメンバーと終えた後、DVDに焼いた過去の放送を寛ぎながら見るのが何時ものパターンとなっていますが、お二人が鶴瓶の番組を好きなのも、そこに「意」の世界が展開しているからに他なりません。
> その「意の自在性」を、今上陛下の退院時の尊顔から窺い知ることができたように思います。
その意味で、来月注人の歌会始の御製・御歌に注目したいと思います。なにせ、御製は天皇のツイートですから…。今年の“ツイート”から何等かのメッセージが読み取れたら、、ブログにでも発表したいと思います。
そう云えば、歴代の天皇で最も多くの御製を詠まれたのが明治天皇であり、生涯にわたり9万3032首を詠んでおられる…。実は、御製の大半は、京都御所に居られた京都皇統(明治時代を生きた孝明天皇、その子である睦仁親王、さらには睦仁親王の子である堀川辰吉郎)に向けて発したメッセージでした。堀川辰吉郎と云えば、昭和天皇が孝明天皇陵参拝時の御製(昭和42年)、「百年のむかししのびてみささぎををろがみをれば春雨のふる」は、堀川辰吉郎を詠んだ歌であると栗原に教えてもらいました。その辰吉郎は、前年の昭和41年12月19日に逝去しています。ちなみに、落合莞爾氏が『月刊日本』と『ニューリーダー』に京都皇統について執筆中です。
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67:馬之助:
2011/12/03 (Sat) 23:04:45
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サムライさん、こんばんは。
「意の自在性」の話、すこし続けます。
『歴史の闇を禊祓う』の中での、北里氏の話のところでは、意の自在性を失えば、いくら滅私奉公に徹していたとしても、只の人であるということになります。これによると、滅私奉公よりも、意の自在性のほうに重きが置かれているように感じます。そこで思い出したのが、般若心経の冒頭の「観自在菩薩」。書くと堅苦し気ですが、「かんじぃざいぼーさー」と読むと親しみが感じられます。これによると「観自在」は「菩薩」の名ですから、栗原氏の言う通り只の人ではないんですよね。それで、どうも「自在」は「観」するもののようです。ジル・ボルト・テイラーの『奇跡の脳』によると、左脳の言語野の出血によって言語による理解を失ってみると、右脳が各器官や臓器に出している命令系統のダイナミックなシステムを感じられるようになってそのサイレントな世界に圧倒され深く感動したそうです。考えてみると自律神経といっても自分の脳が命令を出しているのですから、それが言語的な命令ではないので気がつかないだけで、もし言語によるものだったらうるさくてしょうがないわけです。それだけではないにしても、そういう働きとそれらとの関係を、「観自在」というのだろうかと愚考しています。これだと、「菩薩」が自分のなかに秘して存在しているわけで、神性が自らなのかにある。この「観」の話だったと思うのですが、紀野氏によると、戦後間もなくの頃、鈴木大拙師が東大で教授陣を集めて講義をした際に、「花を見て、花と見ず」と話したそうです。言葉にすると対象物になってしまうというか、本来ひとつであるものが一枚ではなくなってしまう。これは言霊ではなく霊言だというのと繋がっているのではないかと思います。言語より先に霊の存在があるのですよね(この場合、意かも知れませんが…)。そういう「観」によってはじめて「自在性」は失われないように思います。花伝書の「秘すれば花なり」でしたっけ、サムライさんも引用されている「理性主義というものの陥穽」で、要は言語化してはぶち壊しですね。観て分からない奴は言っても分からないと言う感じでしょうか。その「意の自在性」を、今上陛下の退院時の尊顔から窺い知ることができたように思います。やはり、取り留めがなくなってきたようです。
>馬之助さんの感じたこと(勘)も肯けます。
勘というと頼りないもののようにも思われますが、右脳のサイレントな非言語的な情報という存在を考えると、情報=神というものとして理解しえるようにも思えます。それが、さらに意の自在性と等しいとしても、許容できる範囲のように感じられます。なんか、頼りないものとか、一方では、修行を要する特別なものとしてしまいがちなところが、身近なものと捕らえにくくしているようです。般若心経の最後が「ぎゃあてー、ぎゃあてー、はーらーぎゃあてー、はらそーぎゃあてー、ぼーじーそはかー」とマントラになっているのも頷けるような気がします。
>ますます“吉野”が迫ってきた
>栗原氏は当面世間から姿を消します。
平和裏に運べる道もあるような気もして来ました。ロードマップ通りのようで安心です。
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66:サムライ:
2011/12/01 (Thu) 06:50:14
host:*.t-com.ne.jp
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馬之助さん、お早うございます。
> 「意の自在性」とはこのことなのかと、今思ってみたところです。私が頂いたのは、不思議な安心感です。
アイヌより先に日本列島に住んでいたのが天皇一族(原日本人)とのことだし、そうした何千年もの風雪に耐えてきた点を思えば、馬之助さんの感じたこと(勘)も肯けます。そのあたりは、『皇統は万世一系である』という書籍のアマゾンレビューにあった、以下の発言からも分かります。
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皇統が男系であったことの証明よりも、私が本書から強く感じ取ったのは、理性主義というものの陥穽である。我々はいつの間にか、理性や論理というものは絶対で、それによってユートピアの実現が可能であると思い込んでいるのではないだろうか。しかし、現時点でのどんなに崇高な理性的・論理的判断も、100年後、どうなっているかはまったくわからないのである。社会主義・共産主義の瓦解がそれを端的に物語っている。
そんなものよりも、何世紀もの間、その間を生きてきた多くの人たちによって支えられ、連綿と続いてきた伝統の方が、よほど信頼に足るということである。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
> 入学早々に卵から育てた鶏を先日屠殺したとかで、その夜はゆっくり休んでいたようです。
同じ兄弟でも全く異なり、上は人間に関心がある一方で、下(高一)は人間よりも自然に興味があるようで、幼少の頃の昆虫から始まり、現在では薬草を研究しています。なんでも、天童竺丸氏からもらった『墨攻』という漫画本から、薬草・毒草の面白さを発見したとか…。そのあたりの経緯を知った天童氏から、今度はファーブル昆虫記に関する素晴らしいビデオDVDを戴き、時折熱心に観ているようです。
ところで、過日の今上さんの退院時の尊顔と合わせて、過日の秋篠宮殿下の「天皇定年制」という御発言も、ますます“吉野”が迫ってきたことが分かりますね。
じつは、栗原茂氏も今月の15日に発行される『みち』への「アッシリア文明史論」が最終回を迎え、栗原氏は当面世間から姿を消します。今後どのような形で登場するかは、その一部始終を聞いてますが、はっきりと公の目に触れるようになるまで、暫くお待ちください。以下は本日発行の号(12月1日)から…。
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天皇家に係る海外ネットワークに鑑みると、天皇家のみならず、天皇の存在を絶対的と自負する皇統奉公衆の存在があることを識らなければ、万世一系の核心あるいは本義への開明など啓けようがあるまい。立憲議会制一二〇年の歩みに触れるとき、国政の場に政策議案を持ち込むのは政治家に限られないし、むしろ政治家よりも、それを職能と問われる役人のほうが行政に通じており、政治家は単なるパフォーマーと見なすのが現代ジャーナリズムとされ、近年その醜態は余りある傾向で表面化の一途をたどっている。いつ日本の国籍を手に入れたのか、天皇制の破壊を企む尖兵が首相になったり、英霊を無視その穢れ足で四国遍路を刻む妖怪が首相になったり、今や外つ国の政治的パフォーマンスに被れた隷従の臣が国政の場を満たし、再び祖國は天皇制を強めようとしている。
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65:馬之助:
2011/11/28 (Mon) 23:34:42
host:*.bbtec.net
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サムライさん、こんばんは。
『歴史の闇を禊祓う』の中で、滅私奉公に徹する北里氏の話がありましたが、「ただし北里柴三郎も意の自在性を失えば只の人である。」と終わっています。この「意の自在性」というのに引っかかって、返事が遅れています…。
それについて話すと取り留めがなくなりそうなので止めます。ただ、今上陛下が退院された際の報道で、車上での写真がありますが、この写真から私は今まで感じたことがないほどの複雑で豊穣で、さらに大らかなものを得たような感じがしました。凄みもあるようでいて、秘めたいたずらをしている子どもっぽさも感じられて、光も発しているようなので簡単に表情とは言いにくくて、「意の自在性」とはこのことなのかと、今思ってみたところです。私が頂いたのは、不思議な安心感です。
放射能の話題は、生命に関わることなので、「只の人」は、ますます「意の自在性」を顧みることをしなくなって、生命からかけ離れていくばかりのようです。
>これで、再来月の歌会始めが非常に楽しみになった次第です。
確かに。それを楽しみにするばかりのような感じです。
>栗原茂氏には、息子が京都に行く前に氏姓鑑識に関する、簡単なレクチャーをお願いしており…
>佐藤優氏の「太平記を読み解く」という、小人数の講演にも毎回出席するなど、自ら関心を持ったことに積極的に取り組んでいます。
やあ、これは羨ましいばかりです。自ら関心を持ったことに積極的に取り組むのが一番のような気がします。こんな準備の上で、京都で生活を送るというのはいいですね。
我が家も一番上の子は、JAXAのコズミックカレッジが気に入ってしまって、小中と応募しては、筑波や種子島の長期合宿のようなものに参加していました(作文の審査を通れば合宿の費用はJAXA持ちだったと思います)。で、大学院ではそっち系の研究室に入るようです。獣医を目指している四番目は、中高一貫校を中学で止めてしまって、現在は農業高校の畜産科に通っています(親からすれば、進学校のほうが獣医になるには有利だと思うのですが…)。入学早々に卵から育てた鶏を先日屠殺したとかで、その夜はゆっくり休んでいたようです。まだ、子豚も丹誠込めて育てているようですが、出荷の日にはどんな経験をするのでしょうか。「意の自在性」のままに育ってくれることを親とすれば願うばかりですが、それには親自らが「意の自在性」のままに生きようとするしかないように思いますし、そうしなければ生き残れない時代なのかも知れません。やっぱ、「只任運にして、心に挟(さしはさ)むこと莫れ」というところでしょうか。
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64:サムライ:
2011/11/25 (Fri) 16:33:19
host:*.t-com.ne.jp
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馬之助さん、こんにちは。
> 氏姓鑑定に興味があってそれで京都に住みたい
栗原茂氏には、息子が京都に行く前に氏姓鑑識に関する、簡単なレクチャーをお願いしており、小生も急ぎの仕事が入っていなければ、同席して栗原氏の話に耳を傾けてみたいと思っています。
人生は片道切符であり、悔いのない生涯を送れと、常日頃息子たちには伝えてありますが、来春京都に行く上の息子の場合、佐藤優氏の「太平記を読み解く」という、小人数の講演にも毎回出席するなど、自ら関心を持ったことに積極的に取り組んでいます。この姿勢を保って、京都生活を送ってくれればと願っています。
> 不安の背景に共に栄えようという意思の広がりのようなものを感じます。
デヴィ夫人の署名運動から、『週刊文春』や『週刊新潮』などの大合唱、さらには宮内庁が「女性宮家検討」を、野田首相に求めていたことが判明するなど、皇室を巡る動きが慌ただしくなりました。そうした中、新嘗祭が“中止”(神格シャーマンという観点から見れば、天皇の欠席した新嘗祭というものは有り得ません)された翌日、退院された今上陛下…、その筋書きに思わず唸りました。これで、再来月の歌会始めが非常に楽しみになった次第です。
ともあれ、羽毛田長官が野田首相に検討求めたのが、先月10月5日ですから、何故このタイミングで明らかにしたのか、裏を読み取ると中々面白い発見ができそうです。
いずれにせよ、中川八洋氏が著した『皇統断絶』の腰帯に、以下のようなことが書かれており、これを読めば「女性宮家検討」は、百害あって一利なしということが一目瞭然です。(これは悠仁親王生誕前に出版された本のため、当然乍ら以下のような表現になっています)
__________
必ず男系男子を立てよ
儲君(次々天皇)は、賀陽「宮」家、東久邇「宮」家、竹田「宮」家、久邇「宮」家、朝香「宮」家のご男子を奉戴申し上げる以外に、日本国の皇統の断絶は不可避である。愛子内親王殿下におかれては、畏れ多いことながら、皇后陛下になっていただくほか、もはや皇位を護る方法はないのである。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
この“男系因子”については、栗原氏が次の、そして最後の本『アッシリア文明史』で述べると思います。
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63:馬之助:
2011/11/23 (Wed) 21:15:05
host:*.bbtec.net
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サムライさん、こんばんは。
>ところで、馬之助さんのご兄弟は
優秀なのは兄弟の子ども達の方で、といっても、競い争う世界で優秀なだけで、見るべきものが見えずに、それ故に首都圏に囚われようとしているのではないかと、先のことを透かせない身をかえりみず危惧しているのです。サムライさんのご子息のように、氏姓鑑定に興味があってそれで京都に住みたいというように、場の歴史のようなものに感応する方が面白いと思います。私も勉強嫌いで、でもその頃は嫌なら不良に成るくらいしか道がないような脅迫的な感じを何となくもってしまっていました。サムライさんのように一年仕事して海外に飛び出すという度胸もなく、なんとか大学に潜り込んで今日に至っているだけです。でも、今は子どもが感応する方向にあちこちぶつかりながら歩ませられる時代というか環境になっている訳ですから、子どもに競い争う世界に進ませようという気にはなりません。親の損得勘定をなるべく子どもに押し付けたくないものだと思うのです。
>いよいよ正念場を迎えそうです。
栗原氏の三部作を読み返そうとしているところです。が、前にサムライさんが言っていた『持丸長者—幕末・維新篇』が気になりだしてそちらも読んだりしています。広瀬氏のものは先に『私物国家』を読んでいて、気持ちが塞いだのですが、栗原氏のものを読んだおかげで今までと違った読み方ができるようです。栗原氏の三部作を一度読んだ限りでは、天皇と言う存在は、再々サムライさんが引用されている以下の仁徳天皇の御製に集約されているように思います。
高き屋にのぼりて見れば煙(けぶり)立つ民のかまどはにぎはひにけり
天皇は天地自然を我がこころとしている存在であり、それを担保しているのは私たち民のひとり一人ではないかと思います。競い争わなくても、古事記で語られているようにあらゆるもの、あらゆる神が既に用意されているこの国においては、ともに栄えることのみが肝要ではないかと思えるのですが…。そこに感応していくしかないというか、最近はそれが内側から広がって来ているような感覚がしています。いよいよ正念場だと私も思いますが、不安の背景に共に栄えようという意思の広がりのようなものを感じます。
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62:サムライ:
2011/11/20 (Sun) 16:02:12
host:*.t-com.ne.jp
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馬之助さん、こんにちわ。
> サムライさんのご子息が関西方面に進学されるという話は、放射能を避けてのことではなく、こっちの方に関わってくるのでしょうか。
息子は栗原茂氏の氏姓鑑識に大変関心があるようで、それが京都に住みたいという理由の一つのようです。だから、京都に住めれば大学は何処でも良いようです…(専攻は歴史を予定)。拙宅のルーツですが、本家が23年前の平成元年に過去帳などで調べたところ、宝永4年(皇紀暦2367年、西暦1707年)に遠祖の一人が仏になっていることが分かったとのことです。しかし、それ以前は皆目分からなかったようですが…。
その後、栗原氏に拙宅の家系を氏姓鑑識をしてもらったところ、何と平安京時代の舎人に遡ることができました(自分で調べた訳ではないので何とも云えないのですが…)。さらに拙宅の場合、京都府の亀岡市にルーツを求められるようです。因みに、昔の亀岡は亀山と呼んでいました。亀岡市と云えば、出口 王仁三郎、さらには大江山を思い出しますね。栗原氏の著作にも『真贋大江山系霊媒衆』があります…。このあたりが、どのように結び付くのかは、今のところ小生には皆目分かりませんが…。
> 鎌倉武士のいざ鎌倉という感じでしょうか
今上陛下に纏わる最近のニュース、特に今年の新嘗祭が中止になったということは、小生にとっては衝撃でした。その他、つまらないことですが、デヴィ夫人の「現皇太子を廃嫡して、皇太子位を秋篠宮文仁殿下へ移譲せよ」という署名運動、播磨屋本店の運動、『週刊文春』や『週刊新潮』が毎週のように書き殴っている皇室関連のニュース、さらに暗雲立ち込める世界経済と、いよいよ正念場を迎えそうです。
ところで、馬之助さんのご兄弟は「東大、早稲田、慶応と進み、霞ヶ関の住人になったり、江戸時代からつづく日本橋に本社があるような会社に就職したり」と、まさに日本のエリートの道を歩んでおられますね。小生の叔父にも東大出とかがいますが、小生は勉強が嫌いだったし、小田実の『何でも見てやろう』に刺激を受け、高校を出た後は1年間仕事をして資金を貯め、それで3年間近い世界放浪の旅をしてきた人間です。しかし、類は友を呼ぶではありませんが、現在付き合っている人たちは東大、早稲田、慶応の出が多いものの、エリートコースには見向きもしなかったユニークな人たちなのが面白いところです。
> 目の前にある現実が、師家から与えられたものではなく、神仏に与えられた公案=悟りだというか、つべこべ言わずにただやれ、自分のやるべきことを坦々とやりなさいと受け取っています。
全くもって同感。
>『宇宙エコロジー』のp206に「包括的概念による宇宙の階層構造」という表のようなものがあって、
現在、色々な本で道草をくっているので、なかなか『宇宙エコロジー』に進めない…^^;
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61:馬之助:
2011/11/18 (Fri) 23:00:32
host:*.bbtec.net
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サムライさん、こんばんは。
>いま、日本で、「除染」とは、死の灰が降り積もった表土をはぎ取る作業のことだ。こんなアホらしい作業でも、すでに利権構造化している。
飯山さんがホームページの方に書かれていますが、官僚にとっては放射能騒ぎはこの利権を手にするためのもので、そのために誘導されている攻守に渡る攻防ではないかと思うに至っています。騒げば、人心は不安の方に傾いて行きますから、「由らしむべし、知らしすべからず」を巧妙に使っている訳で、そのために今後も放射能の功罪については玉虫色のままではないかと思います。ですから、飯山さんがよく言うように「すでに日本という国家は亡国している。すでに滅びている。」は、ある意味においては正解ではないかと思います。こんな臣に天誅が下らないはずないと思うのです。
> 不二を東に拝む本来の姿に戻っていく…
うっかりしていましたが、サムライさんのご子息が関西方面に進学されるという話は、放射能を避けてのことではなく、こっちの方に関わってくるのでしょうか。ということは、遠くは栗原氏が自宅に預かっていた書籍をちり紙交換に出したということにも繋がってきそうな話ですね。この期に及んで、換金のための書籍に縛られるなんて馬鹿げた話ですもんね。鎌倉武士のいざ鎌倉という感じでしょうか(例えが不適切かもしれませんが…)、なんかいよいよという感じは伝わってきます。
私は、道元禅師の「只任運にして、心に挟(さしはさ)むこと莫れ」という言葉が好きで、まあ要するに、行き当たりばったりというか、成るように成ると、私の場合はとぼけているだけです。ところが、私の兄弟や家内の兄弟の子供たちは優秀で、目標をもって人生を切り開いて行くタイプのようで、それぞれが東大、早稲田、慶応と進み、霞ヶ関の住人になったり、江戸時代からつづく日本橋に本社があるような会社に就職したりしています。みんな首都圏にいるのですよね。私んところは、親がこの調子ですから、こっちから大学を選ぶというよりギリギリまでねばって出て来た大学に入るというような感じで、それぞれにいろいろなことが起こって来ましたが、最後は落ち着くところに落ち着いたというか、二人とも関西方面の大学に行っています。
>「生命の設計図、それが神である」
ついでに言いますと、道元禅師の「現成公案」というのも好きな言葉で、臨済禅では、師家が公案を与えてその解答を坐禅の中に求める(考えに考えた結果、解答が違う方向からやってくるといった感じでしょうか)のですが、道元禅では只管打坐(ただ坐れ)で、「現成」が「公案」だというのですね。「公案」が「現成」かも知れませんが…。「現成」というのは道元の造語だそうで、現に成っているものが悟りであり、公案も悟りのためのものですから、悟りを二つ重ねた言葉のようです。私なりの解釈では、目の前にある現実が、師家から与えられたものではなく、神仏に与えられた公案=悟りだというか、つべこべ言わずにただやれ、自分のやるべきことを坦々とやりなさいと受け取っています。
『宇宙エコロジー』のp206に「包括的概念による宇宙の階層構造」という表のようなものがあって、階層構造の最上位は、
UNIVERSE<UNKNOWN<NATURE<SYNERGY<COSMIC INTEGRTY となっています。知だけではこのUNKNOWNは越えられない壁でないかと思うのですよね。フラーは神とはいいませんが、このINTEGRTYというのが、「生命の設計図、それが神である」に等しいのではないかと思います。
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60:サムライ:
2011/11/16 (Wed) 03:09:01
host:*.t-com.ne.jp
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馬之助さん、八空さん、お早うございます。
今回はお二人への返信なので、少し長くなります…。
その前に、お二人とも「ホームページ」と言っていますが、「教育の原点を考える」から「舎人学校」に変更したアレは、ブログですぜ。
ホームページと言えば、FC2に「宇宙巡礼」を引っ越す昨年あたりまで、「宇宙巡礼」は小生が個人的に契約しているプロバイダT-comにありました。以下のURL…
http://www2.tba.t-com.ne.jp/dappan/
引っ越した後に「尖閣列島を護れ!」というタイトルのコンテンツを、試験的に上記URLにアップして、そのままにしておいたところ、国体だか何だか得体の知れぬコンテンツが、宇宙巡礼と一緒にグーグルに引っ掛かるのはけしからんだの、宇宙巡礼に「尖閣列島を護れ!」のような右翼のコンテンツを入れておくのはけしからんだのと、外野が騒いでいたので一気に廃止して、以下の新しいURLにしました。(このあたりの経緯は、件の掲示板の過去ログ倉庫に入れた「掲示板やHPの維持管理を今後どうするか 考える」に詳しい)
http://www2.tba.t-com.ne.jp/toneri/
ともあれ、上記の新しいURLで問題となった「尖閣列島を護れ!」は、以下にアップしてありますので、関心のある方はアクセスしてみてください。
http://www2.tba.t-com.ne.jp/toneri/senkaku/
尖閣列島を護れ!
さて、最初に馬之助さん
> 舎人として更なる覚悟をされたご様子
と言うか、過去の穢れを御祓払いをしたのにすぎません…^^;
> サムライさんは、机上の空論はもういいと一刀両断されている。
栗原茂氏が尖閣諸島を護りたいということで、同氏の行動に対して応援する意味で「尖閣諸島を護れ!」というホームページを立ち上げたのだし、大麻を世の中に広めたいという天童竺丸氏の場合も少しですが、小生は様々な準備のお手伝いをしており、このような形でお二人の「意」の行動に応えたつもりです。一方で、行動の伴わない「知」に応える気持ちは、もはや全くありません。
> それをキャッチできる人だけが残っていったようにも思います。
そのあたりは、至るところで感じています。だから、ブログ「舎人学校」で紹介した天童氏の「栗原茂“生命の設計図、それが神である”」が、どれだけ理解出来るかによって、その人が残れるかどうかが分かるように思います。
> 不二を東に拝む本来の姿に戻っていく、本当にロードマップの通りに物事が進んでいるのが感じられるような気になっています。
よく、分かっておられる…。小生としては、これ以上付言することはありません(笑)。
八空さん、
落合氏とはここ一週間、数回メールを交わしましたが、やはり『間脳幻想』については回答してきませんでしたねぇ…T_T。まぁ、昨年の夏に同氏の狸庵を訪問した時に、それらしき在庫も目に入らなかったので、多分もう無いのかもれません。
落合氏と交わした情報は、『月刊日本』だか『ニューリーダー』だかで言及していた、「将軍吉宗が秘かに霊元上皇に会いに修学院離宮へ…」といったあたりです。今後、なかなか面白い展開になりそうなので、機会があれば『月刊日本』と『ニューリーダー』を手にしてみてください。因みに、落合氏のホームページは以下のとおりです。
http://kishu-bunka.org/
ところで、天童竺丸氏の「栗原茂“生命の設計図、それが神である”」ですが、あれには幾つもの凄いことが書かれています。読み方によっては、『間脳幻想』以上の凄いヒントが隠されていると言えるかと思います。たとえば、「フィンランドに行って電子立国を手助けした窪田規」という行…。最初に、フィンランドと言えばツラン圏に入るのだし、かつ同国の電子立国を示す代表企業と言えばノキアであり、その他にWindows OSに対抗する形で登場したリナックスOSの存在もあります。そうした誕生の裏に、同じツランの“日本”の支援がありました。
さらに、窪田規氏の過去の実績をネットで調べると分かりますが、同氏は銀の持つ特異な抗菌機能を解明したのみならず、実用化への道も開きましたが、これはノーベル賞レベルを遙かに凌駕しています。そのあたりの技術的な背景について、栗原氏から詳細を聞いていますが、公の場では割愛させていただきます。
その他、さまざまな凄いヒントが、天童氏の「栗原茂“生命の設計図、それが神である”」に埋まっていますので、楽しみながら一つ一つ見つけてみてください。
先ほど、マヨさんのブログを再訪してみました。どうやら『平成幕末のダイアグノシス』の一部電子化が終わったようです。過日お話ししたように、ヤクザ関連の真の情報は、真に胆がすわった人間でなければ、到底「取材」出来ない類のものだし、その意味で同書に書かれているヤクザ関連の情報の大半は、ヤクザを「取材」した栗原茂氏あるいは同じ臭いを持つ人間から引き出したモノと思ってほぼ間違いないでしょう。
ただ、同記事を読む限り(当たり前の話ですが…)、栗原茂氏が全てを話している訳ではなかったようで、そのあたりは藤原氏が瀬島龍三について言及している、以下の個所を読めば一目瞭然です。
__________
瀬島竜三や佐藤誠三郎のような十以上の委員会に顔を連ねる常連は、その収入のほうが本業の給料を上回る月も多く、乞食と政府委員は三日やったらやめられないと、口の悪い連中から妬まれる種を作るほどだった。しかも、やっていることの多くは、中曽根がそうしようと考えたことを受け、意向をそのまま反映させて恰好を作るだけの、傀儡としての役割を演じたにすぎないのだ。要するに、その頭脳が役に立ったわけではなくて、お殿様の言いなりになって身も心もささげ尽くし、学術用語を使って春の歓楽をもてなす、象牙色の肌をもつ今様の白拍子として、彼らは集められていたに他ならないのである。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
山崎豊子原作の『不毛地帯』が、唐沢寿明主演でTVシリーズ化されており、その番組を小生も見ましたが、あれは瀬島龍三を持ち上げた感のあるシリーズに過ぎないし、真の瀬島龍三像を顕していません。一方、瀬島龍三を貶めている感のある上記の『平成幕末のダイアグノシス』にしても、やはり真の瀬島龍三像を顕していません。いずれにしても、両者とも群盲象を撫ずの域を出ていないことは確かです。
小生は、政治経済関連の本や記事を読むにあたり、そのレベル(質)を計る「物差し」の一つとして、「瀬島龍三」の人物をどのように解釈しているかを判断の拠り所といます。それは、瀬島との深い交流があった栗原氏から、瀬島龍三像の一部を教えてもらっているからですが、ただ、内容は残念ながら公にするわけにはいきません。無論、そのためにサムライは法螺吹きだと言われても一向に構わないのであり、分かる人が分かればよいというスタンスを今後も貫きます。
ただ、その一方で堂々と公開しても支障のない小生の「物差し」の一つに、フルベッキ写真があります。ご参考までに、小生は拙ブログで高橋信一氏と一緒に、フルベッキ写真関連の記事を公開しています。
http://pro.cocolog-tcom.com/edu/cat4229856/
「あの額の広さを見れば、フルベッキ写真に写るのは明らかに大村益次郎…」だの、「体躯と風貌からして、フルベッキ写真に写っているのは西郷隆盛に間違いあるまい」だのと言っている連中を見ると、ホント可哀想になります。このフルベッキ写真という物差しで、その人の持つ史観レベルとやらが透けて見えてしまう所が、実に痛快です。
今回は小生の持つ幾つかの物差しのうちの二つを紹介しましたが、「瀬島龍三」は中身を公開できない物差しであり、一方で「フルベッキ写真」は堂々と中身を公開できる物差しという違いがあるにせよ、一つのテーマを徹底的に追究することによって、己れの物差しを出来るだけ多く持つことは大切なことであると、つくづく思う今日この頃です。
長々と書いて済みません。
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59:八空
:
2011/11/15 (Tue) 02:19:05
host:*.netvigator.com
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サムライさん
落合さんへの『間脳幻想』のご確認の件、
ありがとうございました。
古事記とゲーテですか。古今東西を問わず、
真理というか原理は一つですから、
それを洞察する力があれば、符号するのでしょうね。
光合成を基点とした生命の発展現象。
栗原氏のご研究は面白そうですね。
サムライさんのホームページで、
さらに勉強させて頂こうと思います。
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58:馬之助:
2011/11/14 (Mon) 22:07:45
host:*.bbtec.net
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サムライさん、こんばんは。
サムライさんのホームページの名称が、知らぬ間に「舎人学校」に替わっていますね。なんだか、舎人として更なる覚悟をされたご様子。一連の出来事はこの一点に集約されて来るようです。「知」を離れ「意」に生きんとする覚悟というものでしょうか。どこかで、だれかが、「予想されたような十月クラッシュはなかったが」といわれていましたが、うっかりしていると現実から乖離してしまっていることにすら気づきにくいのが現実というもののようです。そんな現実に取り囲まれそうな、踊らされそうな自分自身を感じることがあります。不安要素を提示してやれば、喜々としてストーリーを作るのが左脳で、仲間が多ければそれを安心材料に変えるのが人格のように思えてなりません。そこを、サムライさんは、机上の空論はもういいと一刀両断されている。
>本日は 11/11/11 と区切りが良いので、今までのブログ名「教育の原点を考える」から「舎人学校」に変更した。その記念すべき日の初記事として、『みち』250号(平成19年5月15日号)に掲載された、天童竺丸氏の記事を以下に転載しておきたい。なぜなら、自分が今進んでいる道で間違いないことを教えてくれたのが、同記事に他ならないからだ。
「生命の設計図、それが神である」という記事、おもしろく拝見しました。似たような体験を、梶川氏のところで繰返していました。講座修了後、研究生としてプロジェクトに参加しての、レクチャーというかミーティングでのことです。こういう場合、メモを取って、レポートの提出を求められるのですが、そのレポートには必ず、その場では気づかなかった、正に「生命の設計図」のようなものが、立ち顕われるんです。頭によぎることを少しもどかし気な感じで話す梶川氏ですが、彼が口にした話とは違ったニュアンスのものがレポートしたものから伝わってくるのです。それによってプロジェクトはさらに発展していく感じでした。いまから思えば、それがおもしろくて続けられたのかも知れませんし、それをキャッチできる人だけが残っていったようにも思います。だからサムライさんの「自分が今進んでいる道で間違いないことを教えてくれた」という感じはそれとなく分かります。知ではなく意というか、それがほんとうの現実、実相ではないかと思います。
いよいよ神格による禊祓という運びになるのでしょうか。不二を東に拝む本来の姿に戻っていく、本当にロードマップの通りに物事が進んでいるのが感じられるような気になっています。気のせいか、あちこちのブログで天皇の記事がチラホラ目につくような気がします。
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57:サムライ:
2011/11/13 (Sun) 04:03:21
host:*.t-com.ne.jp
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八空さん、返信ありがとうございます。
別件で落合さんと私信を交わしていたので、ついでに『間脳幻想』の在庫があるか聞いておきました。ただ、同氏も主題に関することしか返信して来ないことが多いので、あまり当てにしないでください…^^;
さて、
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
昔、座禅三昧であった時、自分は光で全てのものも光、
人も石も何もかもと深く感じました。
物質は光(エネルギー)が比較的固化しただけで、
表層意識では自分と他は別に感じるが、
深層では深く繋がっているか、同根だと感じました。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
この件を読み、咄嗟にゲーテの最後の言葉、「もっと光を!」を思い出しました。
そして、次に思い出したのが「古事記」です。これは栗原茂氏の古事記説に基づくのですが、同氏に言わせれば古事記の冒頭に登場する高天原は我々の銀河を指しており、そして我々の太陽系の中で地球と他の惑星を分けるものこそ、“光合成”すなわち生命であると主張しております。この栗原氏の古事記観は、拙ブログ【舎人学校】の「古事記」編で、いずれ取り上げなければならないテーマと心得ています。その栗原氏が「●通称ツランと呼ばれる信仰心」という、『みち』に掲載した記事の中で、光合成について以下のように述べていますので、一部を以下に転載します。
******************************
光合成を以て出現した生命メカニズムは、その生い立ちを示す遺伝子により、宿命的な要素と運命的な要素が絡まり、その歴史を遺伝情報に刻んでいくが、定住あるいは移住を問わず、植物細胞と動物細胞の関係は多くの近似性を有する。帰巣本能が働くのも、種の絶滅を畏れる本能が働くのも、細胞内の遺伝子に蓄えられた情報により、普遍的自然性と結ぶ機能を持つからだ。人が植物観察に興趣を深めるのも、もとより近似性を有する遺伝細胞に由縁があり、往古その観察は現代以上に丹念を尽くしていた。
植物細胞に同じ遺伝子セットを有し、形態組成に伴う分化表現の一つに出現するものを斑(ふ)というが、葉身に現われた斑紋(ふもん)の分類法もあり、緑色植物すべてに原因また表現が違う様々な斑の出現が見られる。これら斑を生み出す原因の一つにキメラもあるが、ギリシャ神話に出るキメラ=キマイラは、頭がライオン・体がヤギ・尾がヘビゆえ、言葉が乱れる現代はキメラとモザイクの分別も見失い、神話を読み込む力も衰えているために、敢えてキメラとモザイクの違いを明らかにしておきたい。
******************************
ここで、漸く栗原氏の古事記観とゲーテが結び付きます。現在、小生はゲーテの著した『ゲーテ形態学論集・植物編』(ゲーテ著 キムラ直司編訳 筑摩書房)を、誠意精読中です。
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56:八空
:
2011/11/12 (Sat) 21:04:23
host:*.netvigator.com
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サムライさん、
貴重なご情報ありがとうございます。
『生命の設計図』を拝読させて頂きました。
昔、座禅三昧であった時、自分は光で全てのものも光、
人も石も何もかもと深く感じました。
物質は光(エネルギー)が比較的固化しただけで、
表層意識では自分と他は別に感じるが、
深層では深く繋がっているか、同根だと感じました。
座禅を続けると、明滅する光と共に
今迄考えつかなかったような考えが浮かぶのですが、
空間と時間の間から降りてくるような感覚を覚えました。
最近は、仕事や子育ての忙しさから全然座禅も出来ておらず、
そういった感覚を忘れかけていますが、
『生命の設計図』を拝読して、再度座禅をという思いが強くなりました。
『間脳幻想』についてのご助言ありがとうございます。
落合氏に連絡を取るよう致します。
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55:サムライ:
2011/11/12 (Sat) 09:54:13
host:*.t-com.ne.jp
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八空さん、情報をどうもありがとう。
マヨさんか、懐かしいです。早速彼のブログにアクセスしてみましたが、『平成幕末のダイアグノシス』の一部を引用しているのですね。大変良い仕事をしていると思います。
今日の日本を原発乱立国にしたのは、アメリカの下っ端だった正力松太郎と中曽根康弘だったし、その中曽根が性倒錯者であったのは知る人ぞ知る周知の事実です。また、同書には性倒錯グループだけではなく、ヤクザについては日本で最も詳しい栗原茂氏から、相当量のヤクザに関する情報が入っているので、知らない人にとってはマヨさんが現在公開している記事は、かなり読み応えがあるはずです。
また、飯山さんも関連した記事を書いており、ブログ友の飄平さんも以下のように飯山さんの記事を紹介してるのも流石だと思いました。
http://hyouhei03.blogzine.jp/tumuzikaze/cat10314589/
飯山一郎さんの思わせぶりな結構真相を衝いた記事!!
追伸
『間脳幻想』につて、昨日拙ブログで触れました。一読ください。同書は落合莞爾氏が社長をやっていた東興書院で出した本なので、落合氏に確認すれば在庫があるかもしれませんよ。
http://pro.cocolog-tcom.com/edu/2011/11/post-5eec.html
生命の設計図
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54:八空
:
2011/11/12 (Sat) 08:22:50
host:*.netvigator.com
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サムライさん
マヨさんとこ経由で件のスレを拝見しましたが、
知の巨人は結構頑迷ですね。
長らくの副管理人のお仕事、本当にお疲れ様でした。
結局『間脳幻想』の購入方法が無くなってしまいましたね。
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53:サムライ:
2011/11/12 (Sat) 06:58:59
host:*.t-com.ne.jp
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馬之助さん、お早うございます。
> 一段落してよかったですね。
ありがとうございます。件の掲示板は、小生にとって最早過去の話になりました。問題のスレッドは大勢の識者に知らせて読んでもらったし、ネットをやっていない栗原氏などにはハードコピーを手渡し済みです。ともあれ、小生は分かる人が分かればそれで良いというスタンスです。
> 先帝の御巡幸と大国主命の国創り
今週のはじめに栗原氏を囲む会合に出席しました。それに先立ち、昭和天皇の戦後の御巡幸の跡を日本地図に記し、かつ大国主命の足跡も照らし合わせた地図を一枚の用紙に纏め、参加者全員に配布した上で上記の件について少し問い合わせてみました。結論として、当時と今とでは時代背景が違う(たとえば、北海道。大国主命の当時は倭人進出前だった)ことを念頭に置くことを、うっかりして忘れていた反省点はあるものの、大国主命と昭和天皇に共通して流れてるものこそ、「国創り」の精神であったことが分かって収穫でした。
> 人智を越えた、自然の偉大なはたらきに、ただ驚くばかりです。また、人智を越え、自然の偉大なはたらきを行なえるのは、神格だけだということでしょうか。
このあたりは、以下のよう回答させていただきます。
最初に、引き合いに出されていた神助さんが最近ブログを立ち上げましたが、昨日だったか「焼き塩で食品を無害化し、おいしくする!」という記事をアップしていました。
http://shinjidai.blog.fc2.com/blog-entry-3.html
このように、一民間人からすら放射性物質に汚染された食糧を、無害化してしまう術が公表されている事実から推測できるように、それ以上の情報を皇統奉公衆が掴んでいるはずであり、かつ実践しているという点です。
その上で、現在今上陛下が退院が延期になったことを併せて考えれば、分かる人には見えてくるものがあるのではないでしょうか。
追伸
10月10日の拙記事「平成24年度の御製カレンダー」のコピーを栗原に渡したところ、「今までの記事で一番良い」と誉めていただきました。以下の御製に出てくる「宮居」と「あさぼらけ」の個人的な解釈に間違いはなかったようです。
静かなる世になれかしといのるなり宮居の鳩のなくあさぼらけ
http://pro.cocolog-tcom.com/edu/2011/10/post-7a9f.html
また、同時にブログ[つむじ風]のオーナーである飄平さんが、「天皇陛下の真実!!」と題する記事をアップしていましたが、同記事を読んだ栗原氏は、「この記事も素晴らしい」と誉めていました。一読をお勧めします。
http://hyouhei03.blogzine.jp/tumuzikaze/2011/11/post_c07d.html
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52:馬之助:
2011/11/10 (Thu) 21:51:57
host:*.bbtec.net
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サムライさん、こんばんは。
>古巣の掲示板で一悶着を起こしていましたが、お陰様で漸く一段落しました。
一段落してよかったですね。ちょうどその頃、私は『真贋大江山系霊媒衆』の終盤に差しかかっていました。その中に、『真(本義)と贋(虚偽)との分かれ目は「奉公」か「奉私」かで定まるが、前者と後者の違いは立身出世欲に端的に顕われる。』とありました。私は、サムライさんが「公」を指向する中で、今回のこと(といっても、詳しくは知りませんが)は当然の帰結ではないかと思っています。実は、むしろ指向性の違うものがサムライさんの中で、どう折り合っているのか、訝しく感じていました。これで納得がいきました(本当にお陰様だと思います)。「奉私」の場合、担ぎ上げられようとする方は、神格ならぬ人格のため、自らを神格たらんと欲するあまり、神格を人格に貶めて恥じないところが漏れ出てくるのではないでしょうか。そして、担ぎ上げようとする方は、自らの「奉私」を正当化するあまりに人格を神格と見ようとする。損得勘定の需要と供給のバランスはこれでとれる訳ですから、こちらの方も、メデタシメデタシというところでしょうか。なんと「私」を落としていくのは、人格に取って(もちろん私も含みます)は、大変なことだなと、つくづく思います。
>先帝の御巡幸と大国主命の国創り
阿弖流為でしたっけ、なんかそんな感じがしてきましたね。おもしろそうです。
神助氏との対話を引用すると(私の発言)、
>ところで、高田純氏の『世界の放射線被爆地調査』の中に面白い話があります。チェルノブイリの調査の時、サボリエ村でキノコをもらったというのです。せっかくだから、ロシア一の汚染村からのキノコをたべる前に放射能の測定をしたそうです。すると、スペクトロメーターの液晶画面にセシウムの存在を示す大きなピークをみたそうです。その一個あたり約1000ベクレルのキノコは美味しかったということです。「翌朝から開始した自らの体内に含まれる放射能セシウム137量の経時変化の測定は帰国後も続いた。その結果は、初期の四日間で半分になり、その後104日で半減するように徐々に排出されていった。現在は検出されないくらいにまで減少している。セシウムは取り込まれた後、全身の筋肉組織に均等に分布し、私の例のように少しずつなくなる。この代謝によって半減する期間を、生物半減期と言う。セシウム137の物理半減期30年に比べると、その生物半減期は成人の場合約100日とかなり短いことがわかる。放射能セシウム137は全身分布とこの短い生物半減期のため、造血器官に近い骨に沈着して生物半減期の長いストロンチウム90やプルトニウムと比べ危険性は相対的に低い。」人工放射能はキノコと人体という二つの自然をくぐり抜けていく間に、より自然なものにでも姿を移していくかのようです。そこに乳酸菌の働きどころがあるのではないかと、愚考している次第です。
高田氏がキノコを食べるに及んだのは、サボリエ村という厳戒管理地域に暮らす住民(チェルノブイリ事故後そのまま居残った人たち)の被曝線量をロシアの科学者と測定した結果で、3.11以前の日本に置ける人工放射能と自然放射能と合計した被曝線量と比較した結論によるもののようです。高田氏は『世界の放射線被爆地調査』の中で、広島は被爆したその年の10月には市の周辺部から仮設の住宅が建ちはじめ、11月18日には胡子神社が再建され、翌日にはえびす祭りと復興祈願祭がとり行なわれ、翌年のことですが「七〇年間草木も生えないと思われたが、その夏、雑草も目を出した。深刻な食糧難のなか、多くの菜園もつくられている」としています。とにかく、放射能に関しては、深い闇が存在するようで、攻守ともに利権というか損得勘定を否定しにくいように思います。よって、余り深入りしてもしようがないように思ってきましたが、高田氏のつぎの言葉は救いでした。「世界中の人が知っている広島と長崎の悲劇。破滅した二つの都市と、その後の生存者に起きた健康障害は、核兵器に対するとてつもなく大きな恐怖心を私たちに与えた。一方、その後の両市の復興の努力と結果は、あまり知られていない。さらに被爆二世へ遺伝子的影響が現れていない事実も知られていない。こうした、プラスの情報を積極的に発信していくことも、広島の責務だと、筆者は感じている。」人智を越えた、自然の偉大なはたらきに、ただ驚くばかりです。また、人智を越え、自然の偉大なはたらきを行なえるのは、神格だけだということでしょうか。
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51:サムライ:
2011/11/08 (Tue) 08:07:58
host:*.t-com.ne.jp
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馬之助さん、古巣の掲示板で一悶着を起こしていましたが、お陰様で漸く一段落しました。
さて、新コミュニティを発足させた神助氏と、どのような対話を交わしたのか小生は分からないのですが、ジャーナリストの岩上安身も、皇室の相次ぐ体調不調を心配していることからもお分かりのように、皇室の食材は那須御料牧場から調達しているだけに、放射性物質の影響が心配です。
http://twitter.com/#!/iwakamiyasumi/status/133587158337470464
このあたりは、今週中に栗原氏に会いますので確認してくる予定です。
前回、同氏にお会いした時は今上陛下の東北御巡幸は、先帝の戦後御巡幸に倣ったものと聞かされました。では、その先帝の御巡幸は何に倣ったのかと言えば栗原氏は大国主命と回答しています。昨日までに先帝の御巡幸と大国主命の国創りの足跡を比較してみましたが、未だよく分からない点があるので、そのあたりも今週中にも確認してくるつもりです。
では、仕事に戻ります。
追伸
ブログ[つむじ風]のオーナーである飄平さんが、「天皇陛下の真実!!」と題する素晴らしい記事をアップしましたのでお知らせいたします。
http://hyouhei03.blogzine.jp/tumuzikaze/2011/11/post_c07d.html
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50:サムライ:
2011/11/01 (Tue) 16:49:20
host:*.t-com.ne.jp
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馬之助さん、ひろみさん
どうも、小生が副管理人を務める古巣の掲示板「藤原肇の宇宙巡礼」で、先ほど御大が登場して炎上しつつあるようで、当面は仕事の合間にアチラに力を注がざるを得ないようです。ごたごたが収束するまで、暫くお待ち願います。
なお、その合間に市川定夫氏のビデオも参照しておいてください。以下は一例です。
http://www.youtube.com/watch?v=o12ZZOgvCIs
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49:ひろみ:
2011/11/01 (Tue) 03:57:19
host:*.rima-tde.net
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お久しぶりです。
ラッキー氏の論文について書いてあったので、驚きです。
最近知合いのブログでも取り上げられていました。
私も、以前チェックして、低線量被曝は、実は、遺伝子の進化を促すのではないか、と考えているのです。
今、多くの謎が解き明かされる・・・放射線が秘める無限の可能性
http://green.ap.teacup.com/pekepon/558.html
「放射線は健康に良い」・・・世紀の大発見(その1)
http://green.ap.teacup.com/pekepon/559.html
「放射線は健康に良い」・・・世紀の大発見(その2)
http://green.ap.teacup.com/pekepon/560.html
これは分かりやすい!!・・・放射線は健康に良い!(3)
http://green.ap.teacup.com/pekepon/561.html
放射線にLNT(閾値)仮説を認めるか、認めないか・・・なのだと思っています。
私は、LNT仮説を認めるのが正しいと思っていますが、その数値が問題なのでしょう。
専門家ではないので、詳しくは分かりませんが・・・。
(1)の中で書かれている、
>「放射線が危険でなければならない」
という言葉が気になるところです。。。
取り急ぎ。
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48:馬之助:
2011/10/30 (Sun) 21:22:41
host:*.bbtec.net
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サムライさん、こんばんは。
>ラッキー論文ですが、過日の会合に参加した識者に聞く限りは偽物のようです。
そうですね。識者とか知識人には、拒絶反応を示される人が多いようですね。ただ、現在はやたらと恐怖心を煽られているような気がして、それに何か嫌な感じがするんです。放射能は目に見えないですから専門家に頼るしかないところがあります。そこにいまいち信頼が置けない感じもするのですが、それでも素人には手が出ない分野ですから、サムライさんの識者に聞くというのは正当な行動だと思います。服部禎男氏もラッキー論文を前にしてとった行動が、アメリカの元上司に聞くと言う行動でした。その上司は世界中の専門家150人に論文を配り、集めて検討させたということで、その国際会議、1985年のオークランド会議が出したラッキー博士は本物で低線量の放射能は体にいいという結論を一笑に附すことは軽々しくはできないようにも思うんです。それをもとに服部氏は様々なデータを自分でチームを組んで集めたそうです。その結果から、180°考えを転換させています。ここまでできるのが専門家で、素人には手が出ないので専門家であればここまですべきだと思うというか、誰かがやってくれないと困ります。それをあっさり拒絶するのは簡単ですが…。服部氏の本『「放射能は怖い」のウソ』という本の冒頭の漫画が無料で公開されていましたので貼付けておきます。本文も300円程度でダウンロードできるようです。
http://noahsbooks.co.jp/sakuhin/sakuhin_detail_B02.html
ここにもあるように、「1927年にマラーがショウジョウバエに放射線をあてるという実験を行なって、『当てた放射線量と発生した異常の数は比例する』という実験データにもとづいて、『放射線の害はその量に直線的に比例する』という仮説を発表したんだ。放射線はちょっとでも危ないっていう考え方だね。現在のICRPの勧告はこのマラーの『仮説』にもとづいて出されているんだよ」異常は二代目、三代目に出たようですが、この頃はまだDNAについてよくわかっていなかったそうです。その後、DNAの研究が進み、DNAは修復活動することが分かってくるとともに、ショウジョウバエの精子は修復活動をしない珍しいものであることも分かって来た。ただ、マラーの時代としたらこの実験は正しかった訳で、ノーベル賞をとってしまう。こうなると、その権威を覆すことは難しいようです。それが今日の混乱の下地になっているようなのです。
>なを、ラッキー論文に関して、本掲示板でも神助氏が372で言及していますので、そちらで是非、馬之助さん、ラッキー論文について議論を展開させてみてください。
上記のような理由で素人が議論してもしようがない(論文で論証されているのですから)とも思ったのですが、専門家にいまいち信頼の置けないところもあるので、その部分では意見交換も意味あることかなと思い直しました。それをこのような公の場でやることはそれなりの意味があるのかもしれません。それに、神助氏の歯切れのいい口調からすると、詳しそうなので、私の知らないこともご存知かも知れないので、話を伺ってみようかと思います。
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47:サムライ:
2011/10/29 (Sat) 07:28:42
host:*.t-com.ne.jp
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馬之助さん、358koro2さん、小生、現在「藤原肇の宇宙巡礼」という掲示板に当面集中しなければならず、勝手乍ら一段落するまで留守させてもらいます。
ラッキー論文ですが、過日の会合に参加した識者に聞く限りは偽物のようです。その場には栗原氏は居なかったため、栗原本人の意見は分かりませんが、来月初旬に会いますので、忘れなかったら確認してみましょう。
なを、ラッキー論文に関して、本掲示板でも神助氏が372で言及していますので、そちらで是非、馬之助さん、ラッキー論文について議論を展開させてみてください。
http://grnba.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=13181941
飯山さんにも次回スカイプしたら、ラッキー論文について伝えておきましょう。
ラッキー論文を見極めた上で、馬之助さん、koro2さんの以下のご意見を改めて伺いましょう。
馬之助さん
農産物を買い求められたのは、色々なイミがあったのだと思います。
しかも、皇太子にも手渡された。
・・・・『イカナゴはないのですか?』というお尋ね。
日本の国を憂えていらっしゃる、静かだが深い怒りの御心を感じました。
koro2さん
私の感じ方は、馬之助さんとはかなり違いました。。
ななしさん、きのこ姐さんのブログは問題なくアクセスできるようです。メンテ中だったの鴨世…
http://kinokokumi.blog13.fc2.com/
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46:ななし
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2011/10/28 (Fri) 10:31:49
host:*.infoweb.ne.jp
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きのこ姐さんのところアクセスできないぞ。潰されたか?
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45:358koro2
:
2011/10/28 (Fri) 06:24:34
host:*.ocn.ne.jp
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農産物を買い求められたのは、色々なイミがあったのだと思います。
しかも、皇太子にも手渡された。
・・・・『イカナゴはないのですか?』というお尋ね。
日本の国を憂えていらっしゃる、静かだが深い怒りの御心を感じました。
私の感じ方は、馬之助さんとはかなり違いました。。
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44:馬之助:
2011/10/27 (Thu) 22:56:14
host:*.bbtec.net
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サムライさん、こんばんは。
>公というものを最も良く知り実践されているのが天皇皇后両陛下であり、以下の東京新聞に載った、皇后陛下の東日本の被災者に対する思いやり、無私の心を読むにつれ、まだまだ私利私欲の面の皮が大分残っている自分の至らなさに気づかされる次第です。
皇后陛下のお言葉は、一朝一夕に真似できるものではありませんね。生活での実践の裏付けがないと簡単に正体を見破られてしまう種類のものです。二つ引用させていただきましたが、行き届いた配慮と、機微の細やかさには、頭が下がります。それでいて、心の置き所、置き方をさり気なく示して下さる、これが型示しなのですね。
◎こうした不条理は決してたやすく受け止められるものではなく、当初は、ともすれば希望を失い、無力感にとらわれがちになる自分と戦うところから始めねばなりませんでした。東北三県のお見舞いに陛下とご一緒にまいりました時にも、このような自分に、果たして人々を見舞うことが出来るのか、不安でなりませんでした。しかし陛下があの場合、苦しむ人々の傍に行き、その人々と共にあることを御自身の役割とお考えでいらっしゃることが分かっておりましたので、お伴(とも)をすることに躊躇(ちゅうちょ)はありませんでした。
災害発生直後、一時味わった深い絶望感から、少しずつでも私を立ち直らせたものがあったとすれば、それはあの日以来、次第に誰の目にも見えて来た、人々の健気(けなげ)で沈着な振る舞いでした。非常時にあたり、あのように多くの日本人が、皆静かに現実を受けとめ、助け合い、譲り合いつつ、事態に対処したと知ったことは、私にとり何にも勝る慰めとなり、気持ちの支えとなりました。
◎この時期、自分の持ち場で精一杯自分を役立てようとしている人、仮に被災現場と離れた所にいても、その場その場で自分の務めを心をこめて果たすことで、被災者との連帯を感じていたと思われる人々が実に多くあり、こうした目に見えぬ絆が人々を結び、社会を支えている私たちの国の実相を、誇らしく感じました。
ラッキー博士は翻訳者とのやり取りに中でこう言っています。「目下、医学誌向けに小論文を書いているところだが、六月には発刊される予定だ。これは自分としては『日本への贈り物』のつもりで書いている。できれば原文を天皇陛下にお届けしたい」それを翻訳者は、「陛下はご興味をお持ちになると思うが、こういう重要な内容だから検討せよ、とおっしゃる立場ではないことを伝えた」ということです。ラッキーは、物事が本質のところでわかっている人物ではないでしょうか。
論文の冒頭に「世界のメディアの大半が放射線は全て有害であると思い込んでいる。もし日本の政府が、2011年3月の地震と津波がもたらした福島原発事故への対応に当たってこうした思いこみに支配されるならば、既に苦境に喘ぐ日本経済が途方もない無用の出費に打ちのめされることになろう。ミハイル・ゴルバチョフが遅きに失して思い知った次の教訓を日本も学ばなければいけない『20年前にチェルノブイリで起こった原子炉のメルトダウンが、恐らく5年後のソ連崩壊の真の原因であった』」とあります。これがすべてではないかと思います。お金の原資である国民を洗脳しておいて(恐怖によって、すすんでお金を差し出させる)、政治的かつ商業的諸事情を考慮した玉虫的な結論(貢ぐべきところへ貢ぐ)を得ることでしょう。
ラッキーの方法論は、多数の科学論文だけではなく、自ら原生動物および小動物による実験の結果から得たものを、人間のデータ(広島、長崎の被曝データなど)に基づいて論証したものです。論文から結論としては、低線量放射線が人間の健康増進に対して有効であるというものです。多くのグラフが示されているので、説得力もあり、『放射能を怖がるな! 』(T.D. ラッキー著、茂木弘道訳)は一見の価値ありです。
私としたら、いままで自分の中で謎だった、天皇が被災地で農産物を買い求め、それを自ら食するばかりではなく、皇太子にもお勧めになった件の、答えを得たように思います。型示しだったと、天皇との絆が強いものになったと、ひとり歓びを自分の糧にしたいと思います。
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43:サムライ:
2011/10/25 (Tue) 17:08:37
host:*.t-com.ne.jp
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馬之助さん、
> ラッキーの論文が出版されているので読んでいるところです。どうもこれは一読に値するもののようです。
『放射能を怖がるな! 』(T.D. ラッキー著、茂木弘道訳)ですね。小生も機会があれば一読してみたいと思います。明日も色々な分野の人たちに都内で会いますので、同書を一読した人たちが居れば、読後感を聞いてみたいと思います。馬之助さんも一読しましたら、是非感想をお聞かせください。
さて、311以降は大変多くの事を体験しましたが、その一つに、相手が知の巨人であろうと、札束で相手の顔を叩く実業家であろうと、権勢をふるう政治家や役人であろうと、公というものを知り、かつ実践している人間を意のままにすることは、非常に困難だろうなと同情するようになった次第(笑)。本当に、311以降に炙り出された人間模様は面白く、各々の持つ人間性が良く分かりました。
それは兎も角、公というものを最も良く知り実践されているのが天皇皇后両陛下であり、以下の東京新聞に載った、皇后陛下の東日本の被災者に対する思いやり、無私の心を読むにつれ、まだまだ私利私欲の面の皮が大分残っている自分の至らなさに気づかされる次第です。
http://www.tokyo-np.co.jp/feature/koushitsu/
さて、ここ数日は鈴木正男の著した『昭和天皇の御巡幸』に目を通しているため、ますますフラーの読了が遠のきました(笑)。尤も、漸く半分は読み終えましたが…
なぜ、『昭和天皇の御巡幸』に目を通しているかと言うと、大国主の命なのです。数日前に栗原氏と会ったとき、その件が話題に出ました。その時の話の内容を以下に一部御紹介します。
*******************
・終戦直後に始まった全国御巡幸で、昭和天皇は国見の歌を詠われている。今上天皇の東北への御巡幸も、昭和天皇のそれに倣ったものだ。では、昭和天皇は誰に倣ったか? 実は、昭和天皇の御巡幸の足跡を追うと、日本列島に魂を吹き込んだ大国主命のそれとピタリと一致するのだ。ともあれ、御製を極めるということは、日本史のみならず人類史をも明らかにすることに繋がる。従って、「御製」および「古事記」を自身で組み立てる(統合化)ことで、今後の世の中はこうなるのだという推察がつくようになる。古事記と御製を極めていくことで、「今後は何が起きるのか」という危険を見通せることができる人間のみが、リスクの少ない生活ができるようになるだろう。
*******************
以下は、仁徳天皇の御製ですが、これを目にして、「嘘話だろう」、「天皇を持ち上げているにすぎない」などと語る御仁が大勢いますが、そうした連中は例外なく知の病(痴の病)に冒されている連中でして、上記の皇后陛下のように心から東日本の人たちを心から心配し思いやる心を持つ人間でないと、以下の御製の底に潜むものが分かるわけがないことが、最近になって分かりました。
だから、飯山さんの乳酸菌やヨーグルトを偽物と言い触らす連中は最早無視しているのと同様に、以下の御製を目にして心に思うことがないような連中とは、最早付き合う気もしませんな。
高き屋にのぼりて見れば煙(けぶり)立つ民のかまどはにぎはひにけり
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42:馬之助:
2011/10/23 (Sun) 22:23:10
host:*.bbtec.net
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サムライさん、こんばんは。
>日本人で原子力の某先生の隣に座っている外人さんの持つ、副島隆彦同様の“怪しさ”にピンと来ました。
>あの日を境に、人間の本物の偽物がはっきりと分かるようになりました。今まで尊敬してやまない人物が単なる山師であったことを思い知ったり、逆に大したことがない、普通だと思っていた人物が、なんと本物であったりという具合で、驚きの連続でした。
紀野氏の本に、長い目で見続けることというのがあって、50年は見続けてそれから判断を下せとあります。私はだいたい4、5年で結論を出してしまいがちで、我ながら短気だと思っています。ただ、両親と子ども、家内、そして自分自身には、未だ見続けていて結論を出すに至ってませんが…。同時に紀野氏は、人には二種類しかいないとも言っています、懐かしい人と、懐かしさを感じない人。それは、栗原氏の原日本人というのにも繋がっていくのかもしれません。で、私は人にビデオをすすめながら、二人の女性と外人さんの話は最初から飛ばして見ています。超短気でした(苦笑)。ただ、某先生(服部禎男)のことは気になるので(懐かしく感じるところがあったので)その著書『「放射能は怖い」のウソ』は取り寄せて読んでみました。これはイラストも入った、Q&Aの形式で書かれたものです。
◎Q、放射能が体にいいなんて、そんなこと言ってもいいんですか?
A、実験の結果、そういうことが言えるんだからしょうがないよね。科学者が感情や置かれた立場などで、正しいことを言えなくなるなんておかしいでしょ。事実がそうであるならばハッキリと正しいことを言うべきだね。
>寧ろ、DNAは神の領域に入るのであり、人類にとって永遠に謎で終わるのではないでしょうか。
◎人間のDNAっていうのはつねに修復活動を行っているから、その修復活動が数時間または数日間にうまくいくかどうかの問題であって、年間の被曝量なんて設定しても生命科学的に意味がないんだよ
◎自然放射線の10万倍にあたる10ミリシーベルト/時から300万倍にあたる300ミリシーベルトまでDNA修復は可能で、しかも1000万倍にあたる1シーベルト/時程度をあてたら、ガン細胞の増幅を強く押さえこむということがわかったんだよ
放射能の危険性について学んで来た服部氏は、放射能は怖くないというラッキーの論文を目にして、これまでの自分が否定されたように感じて大騒ぎしたようです。
◎1984年にこの論文を見つけてね、アメリカの電力研究所の所長さんが僕のアメリカ時代の上司だったので、連絡して、ラッキーさんが言っていることが正しいのかどうか、責任ある解答を出してもらうようお願いしたんだ。僕はそれまでアメリカで、放射能はちょっとでも怖いものだって教えこまれていたからね、ショックだったんだよ。ちょうど今、放射能のことを心配している日本人と同じ感覚だろうね
それで今、ラッキーの論文が出版されているので読んでいるところです。どうもこれは一読に値するもののようです。
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41:サムライ:
2011/10/23 (Sun) 16:56:58
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皆様、
「宇宙巡礼書店」というオンライン書店があり、在庫本は主に藤原肇氏および東明社関連の本ですが、このたび、「公」のため本は読者に無料で提供しようと、藤原氏が検討中です。以下を参照してください。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2491/1318525859/
この中には、落合莞爾氏の東興書院から出版された『間脳幻想』も含まれており、同書は飯山一郎氏が2冊を潰し、現在は3冊目だというほどの藤井尚治の一流本です。その他にも良書が沢山ありますので、無料が決定したら、送付依頼のメールが殺到しますので、希望者は早めの申込メールを以下から申し込んでください。
http://fujiwaraha01.web.fc2.com/fujiwara/sales02.html
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40:サムライ:
2011/10/21 (Fri) 04:35:09
host:*.t-com.ne.jp
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馬之助さん、お待たせ。まともに行った最後の書き込みは今月の9日だから、もう10日以上も経過したのか…。あっと言う間に10月も終わりそうだ。その間、さまざまなグループからお誘いがあり、どれも重要なものだったので出席した。ただ、飯山さんの恩師・山本先生が主宰された、原発反対運動の会合に出席できなかったのは心残り。修羅場は来週の水曜日夜まで続きそうで、その間も二回ほど上京する必要があり、充実した忙しい日々を過ごせそうだ。最も、本業の翻訳業も〆切りを抱えており、こちらも同時進行で進めていかないといけないのは頭が痛い。それでも、馬之助さんと進めている本スレッド「ツランという絆」は、公の観点から小生にとって最も大切な掲示板なので、小生が関与している他のどの掲示板よりも、優先させて投稿させていただいています。さて…
> 35の記事にうっかりして気がつかなかったため、私信のメールを遅ればせながら13日になって送りました。送ったメールソフトがあまり使っていないものなので、上手く送れているのかどうか気になっています。送れてないようでしたら、別のソフトで再送します。
面白いビデオをありがとうございました。ただ、20分程度観ましたが、突っ込み所が多々ありそう…(苦笑)。小生は飯山さんを介して、吉岡英介氏に同ビデオを評価して貰おうと思っています。
http://www.minusionwater.com/index.html
それから、今までに大勢の西洋人を観てきたので、彼らの人間性について多少の勘が働くのですが、日本人で原子力の某先生の隣に座っている外人さんの持つ、副島隆彦同様の“怪しさ”にピンと来ました。ビデオに映る外人さん、DNAをさも分かったように語ってくれているが、DNAを語ることは生命そのものを語ることに他ならず、今以て未解明の事柄が多いはずです。寧ろ、DNAは神の領域に入るのであり、人類にとって永遠に謎で終わるのではないでしょうか。この外人さんには、今泉久雄氏の著した『易経の謎』あたりを読ませた方が良い鴨…。
> 彼女の「わたしの意識は、自分自身を個体として感じることをやめ、流体として認知する(宇宙とひとつになったと感じる)ようになったのです」という台詞がこの本のおもしろさを物語っています。
同感です。未だ、フラーも読み終えていない段階ですが、次は同女史の『奇跡の脳』に目を通すかもしれません。
> この辺りに、「日本文化を徹底的に研究(それも心で)」する必要性を感じるところですし、それは同時に禊祓いを意味するところではないかと思います。
311は小生にとっての禊祓いだったのかもしれないと思う、今日この頃です。あの日を境に、人間の本物の偽物がはっきりと分かるようになりました。今まで尊敬してやまない人物が単なる山師であったことを思い知ったり、逆に大したことがない、普通だと思っていた人物が、なんと本物であったりという具合で、驚きの連続でした。それが今でも続いています。詐欺師・山師と分かった連中のことを書くのは時間の無駄なので止めるとして、逆に本物と分かった大勢の人物のうち、2人だけを書き留めておきましょう。
一人は、名を出すわけにはいかないけど、安岡正篤や豊田一夫らから直々の薫陶を受けた人物であり、世の中に出ている安岡正篤本のほとんどは出鱈目か底の浅い本であることを熟知している人物です。お会いした当初は何処にもいそうな素朴な人物だと思っていたのですが、とんでもないことでした。栗原茂氏も同氏を高く評価しており、そのあたりは栗原氏の『真贋大江山系霊媒衆』のp.205に簡単に触れています。
++++++++++++++++++++++++++++
成田空港隣接の旧家に生まれ空港建設闘争の真っ只中を歩いたが、その純真は何ら揺らぎなく、古来の日本精神を保持し続けている。すなわち、時勢に惑わされず祖先伝来の遺訓を受け継いで安岡正篤直伝による農士の風格を身に帯びており、不動産神話に躍ることなく、自らの矜恃を保つ奉公の義を弁える舎人なのだ。世に著名の人士が無責任な伝記情報により事績を冒涜される例は限りなくあるが、○○は安岡以外にも著名の人士に直接の手ほどきを受けており、大言壮語を見抜く素養が身に沁みている。それらは柔和な表情からは窺い知れないが、読み取らせないのも素養であり、その真価は大器晩成に隠れている…
++++++++++++++++++++++++++++
もう一人は、ツイートの世界で有名な孫崎享氏であり、同氏が本物であるということは、昨日の皇后陛下関連のツイートで十分に窺い知ることができます。また、小生が現在ツイートし続けている「ウズベク語」シリーズは、孫崎の奥様である孫崎紀子さんの論文です。以下は、皇后陛下に関する孫崎さんのツイート。
http://twitter.com/#!/magosaki_ukeru/status/126995364757774337
小生も竹本忠雄氏の著した『祈りの御歌』(扶桑社)に目を通しているだけに、心から納得いくものでした。
それは兎も角、昨日の皇后陛下の御言葉をどのようにとらえるかによって、その人物の器が分かると、つくづく思った次第です。このあたりは別の機会に書きましょう。
http://twitter.com/#!/magosaki_ukeru/status/126995364757774337
http://twitter.com/#!/magosaki_ukeru/status/126993540675940352
http://twitter.com/#!/magosaki_ukeru/status/126993612352389121
http://twitter.com/#!/magosaki_ukeru/status/126993692186787840
サムライ拝
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39:サムライ:
2011/10/18 (Tue) 02:49:50
host:*.t-com.ne.jp
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馬之助さん、現在本業の他、公私を含む幾つかのグループの付き合いが先週から来週にかけて集中、現在書き込む時間が取れません。来週後半以降には一段落するので、もう少しお待ち願います。
栗原氏、先週自分で口約束しておきながら、馬之助さんをはじめとする皆様へのメッセージを郵送してこないなあ…(苦笑)。まぁ、また近く会うと思いますので、その時に再び催促しておきますので、許してやってください。m(._.)m
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38:馬之助:
2011/10/15 (Sat) 22:37:32
host:*.bbtec.net
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サムライさん、こんばんは。
>35の記事にうっかりして気がつかなかったため、私信のメールを遅ればせながら13日になって送りました。送ったメールソフトがあまり使っていないものなので、上手く送れているのかどうか気になっています。送れてないようでしたら、別のソフトで再送します。
>少なくともヨーロッパ側からの視点で日本を眺めている人たちには、小生が“漸く自身で納得できたこと”を理解させることは、まず出来ないだろうと思うに至っています。
あるブログで、ジル・ボルト・テイラーの講演の映像がアップされているのを見て興味を引かれたので、その著書『奇跡の脳』を読んでみました。テイラーは神経解剖学者で、脳の血管の先天的な奇形が原因で脳卒中を起こし倒れてしまいます。出血は左脳の言語中枢と方向定位連合野で起こったため、科学者として、はじめて右脳の働きを自分のからだを通して知っていくのです。彼女の「わたしの意識は、自分自身を個体として感じることをやめ、流体として認知する(宇宙とひとつになったと感じる)ようになったのです」という台詞がこの本のおもしろさを物語っています。不思議なことに、欧米の脳・神経学の分野では(もちろん一般社会でも)、右脳のことはあまり顧みられることはないのですね。彼女はつづけます。「社会の精神的健康は、その社会を創り上げている脳の精神的健康によって決まります。残念なことに、西洋の文明は、愛すべき平和な右脳の特性が存続するためには、まったくもって挑戦的な環境です。」
>日本文化を徹底的に研究(それも心で)したあとでなければ、底の知れないタブー沼に足を取られてしまう
面白く感じた部分をもう少し引用しておきます。
◎右脳は、長い波長の光を知覚します。ですから右脳マインドの視覚的な知覚はやや溶けて柔らかい感じになります。知覚が鈍いことで、右脳マインドは事物がどんなふうに関係しているかという、より大きな絵(こころの像)に集中できるのです。
◎左脳の最も顕著な特徴は、物語を作り上げる能力にあります。左脳マインドの言語中枢の物語作りの部分は、最小限の情報に基づいて、外の世界を理解するように設計されています。それはどんな小さな点でも利用して、それらをひとつの物語に織り上げるように機能するのです。
最近は、臣のストーリーというのが大流行りですが、左脳が優位なほうがそれに長けているということのようです。一見対極にいるように思える陰謀論者もおなじ左脳であれば、まさしく五十歩百歩というところでしょう。うっかりしていると、右脳も左脳もおなじことを言っているようにもとれるから厄介です。
◎しかし、知っていることと、知っていると思っていることのあいだには大きな隔たりがあることを忘れてはいけません。自分の物語作家が、ドラマやトラウマ(心的外傷)を引き起こしかねないことにもっと注意を払うべきだったのです。
同じ調子で、左脳が真実だと信じこんで作る物語には、冗長な傾向も見られました。まるで反響しているかのように、心にくりかえしこだまする、思考パターンのループができてしまうのです。ふつう、こういう思考のループは頭の中に「はびこって」しまいます。そしてわたしたちは知らず知らずのうちに、最悪の事態ばかり考えるようになります。
この辺りに、「日本文化を徹底的に研究(それも心で)」する必要性を感じるところですし、それは同時に禊祓いを意味するところではないかと思います。
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37:サムライ:
2011/10/10 (Mon) 07:34:37
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馬之助さん、回復まであと一歩、何よりです。さて、皆様、拙ブログに「平成24年度の御製カレンダー」と題する記事を書きました。一読いただければ幸いです。
http://pro.cocolog-tcom.com/edu/2011/10/post-7a9f.html
サムライ拝
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36:馬之助:
2011/10/09 (Sun) 23:18:29
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サムライさん、こんばんは。
鼻風邪は、やっと抜けていこうとしています。
連休はからだを休めるために使おうとしているため時間があるので、作っていただいたファイルを読み直しているのですが、知らないうちに随分たくさんの量になったものです。最後まで読もうとするとそこそこの時間が必要で、サムライさんだけではなく、栗原氏にも負担をかけると思うと些か恐縮な感じがしてきました。でも、もし何らかのメッセージをいただいてそれがここに掲載せれるのであれば、(それは公のためのメッセージであるでしょうから)大変価値のあることだろうと思い直しています。楽しみですね。お手数をとらせましたが、ありがとうございました。
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35:サムライ:
2011/10/09 (Sun) 12:23:01
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馬之助さん、
栗原氏からの回答が届くまで、直前の馬之助さんの投稿に対する小生のレスです。
その前に、栗原氏が予想していた山中教授がノーベル賞から漏れた件、栗原氏は以下のように語っていました。後は、皆様の推測にお任せします。
「今回、京大の山中伸弥がiPS細胞でノーベル賞を取れなかったのは、同教授がiPS細胞の特許を取得せず、誰にも自由にiPS細胞技術を使えるようにしたためである」
さて、
> お笑いタレントの突然の引退の前後から、ヤクザ、仁侠の話題が多く出るようになっています。
実は、一昨日も栗原氏から同件で興味深い話を聞きました。それは「暴力団排除条例(以下、暴排条例)」についてであり、暴対法よりも馬鹿げた条例だ」と、栗原氏はばっさりと同条例を斬り捨てています。その理由として、「暴排条例は地方公共団体が取り扱ってる条例だが、一体全体誰が、如何なる基準で以て、一市民を“暴力団密接交際者”、すなわち暴力団と関与している人物と判断するというのか。この条例は人間同士の絆を崩し、戦前の隣組ような、隣どころか、親子・夫婦・兄弟間ですら疑心暗鬼を生じさせかねない条例である」と述べています。
警察の上層陣は今回の条例を「(暴力団を排除できるので)これで世の中は安泰だ」と勘違いしており、一方で困っているのが現場の警察関係者です。何故かと云えば、例えば暴力団ではなく一般民間人であると同時に、皇室インナーサークルである栗原氏は、日本で最も暴力団の内情を知っている一人ですが、そのためには暴力団から直接情報を収集することも多いので、警察は栗原氏を「暴力団密接交際者」と断定するでしょう。すると、今後は栗原氏から現場の警察官は、暴力団の情報を最早入手出来なくなるのです。
また、ネットで少し暴排条例をググッてみたところ、暴排条例を無条件に賞賛している人たちがおり、これで彼らのバックが分かります。その一例が渡邉正次郎氏でしょう。
http://maglog.jp/nabesho/Article1340824.html
> 清吉ラインは大東亜戦争後の今も健在で平成大相撲を支えていることは知る人ぞ知る」とあります。
公の場では具体的に語るわけにはいきませんが、その通りです。ご希望であれば、馬之助さんの私信宛てにて簡単に情報をお伝えします。
> 仁侠と大相撲がシノギの部分だけではなく繋がっているなら、清吉ラインは堀川辰吉郎を経て皇室にまで遡れるはずですから、ヤクザ(本当はヤクザをダシにして仁侠)を叩くのは天皇に対する牽制のようなものでもあるのでしょうか?
御意。
> 以前、16京円相当の金塊が船で運ばれているというブログの記事を、サムライさんがガセだといわれていましたが、
この件についても、公の場で書くわけにはいきません。私信ならお知らせ出来ます。
> 原日本人が政体のなかにもいるのなら、やはり政体に幾ばくかの望みを託してもいいのではないかとも思ったのですが、天皇や仁侠の話では、意見が極端に分かれるネットの世界で、政体においては小沢一郎支持でまとまってきているように見えるのが、最近の私には、どこか気色の悪い感じがしはじめてきています。
仁侠については拙ブログでも書きました。
http://pro.cocolog-tcom.com/edu/2010/03/--0013.html
『侠-墨子』
ここでは、簡単に天皇について語ります。これは一昨日の栗原氏から話にも関連することですが、書けば長くなるので今回は一点だけ取り上げます。
一年前の10月24日に銀座で市民デモがありましたが、その近くのルノアールでジャーナリストの藤原肇氏を囲んで、数名で情報交換を行っていました。その時、小生が仁徳天皇「高き屋にのぼりて見れば煙(けぶり)立つ民のかまどはにぎはひにけり」を取り上げた時、参加者の一人が「綺麗事すぎる御製だ」と述べ、さらに昭和天皇の戦争責任を持ち出してきたのでした。その場では、天皇の戦争責任論について明確に私見を述べることは出来ませんでしたが、爾来頭の片隅に引っ掛かっておりました。それが、一昨日の栗原氏の話を聞くに及んで、漸く自身納得できる答えを見つけたように思います。ただし、少なくともヨーロッパ側からの視点で日本を眺めている人たちには、小生が“漸く自身で納得できたこと”を理解させることは、まず出来ないだろうと思うに至っています。もし、それを可能にするには、皇室というものを多少なりとも研究してもらった上でないと、理解することは不可能と思っています。竹田恒泰氏ではないが、「天皇、皇室論はタブーであり、もし論じるなら、相当の覚悟、つまり、日本文化を徹底的に研究(それも心で)したあとでなければ、底の知れないタブー沼に足を取られてしまう」という世界だからです。
ともあれ、一昨日は「天皇には戦争責任が有る」と主張する人たちを説得しようと試みても、水掛け論で終わる」ということを最終的に納得出来たことは収穫でした。最早、「天皇戦争責任論」を主張する人たち対しては、『昭和天皇のおほみうた』(鈴木正男著 展転社)の一読を勧めるのみで、最早ディベートすることはないでしょう。飯山さんの乳酸菌と同じようなもので、友人、親子、親友であっても、皇室論について意見を異にするのであれば、それ以上踏み込むのは一切しないことにします。
今日はこの辺で…
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34:サムライ:
2011/10/08 (Sat) 17:35:03
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馬之助さん、
風邪を引いたとのこと、1日でも早く直りますよう祈念しております。
さて、昨日、都内で栗原氏にお会いし、半日間にわたって古事記、御製、そして氏姓鑑識について、色々とお話を伺ってきました。そして、飯山さんの掲示板で馬之助さんとサムライの間で、フラーと栗原さんのことについてやり取りをしていることを伝え、今までの記録をPDFファイルにしてCDに焼いてお渡しし、今朝も電話をいただきPDFファイルに目を通し、思うところがあったらメッセージを郵送してくれるとのことで(本人はネットをやっていない)、数日待ってみて、もし何等かのメッセージがあったら掲載します。数日待って何も無ければ、相変わらす皇室関係の公の仕事に忙しいのだなと解釈し、簡単な昨日の報告を致します。以下は昨日渡したPDFファイルです。
http://www2.tba.t-com.ne.jp/dappan/mb/pursuit_of_truth02.pdf
では、数日ほどお待ちください。よろしくお願いいたします。
サムライ拝
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33:馬之助:
2011/10/06 (Thu) 21:34:57
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サムライさん、こんばんは。
お仕事、お忙しそうでなによりです。朝晩の気温が急に下がったことで鼻風邪をひいてしまいました。呼吸がし辛くてものを考えようという気力が低下しています。いつもに増して妄想の傾向が強まるかもしれませんが、お許しください。
お笑いタレントの突然の引退の前後から、ヤクザ、仁侠の話題が多く出るようになっています。飯山さんも、それとからめて大相撲が面白くなくなったと言われています。「真贋大江山系霊媒衆」の一節に「出口王仁三郎は出口清吉の身代りとなって軍閥の腐食と心中するが、清吉ラインは大東亜戦争後の今も健在で平成大相撲を支えていることは知る人ぞ知る」とあります。
王仁三郎の逸話に、馬賊に捕らえられた時、神といわれるなら銃の弾を避けることくらい出来るだろうといわれ、そんな事ならこの秘書にでもできると返答したそうで、秘書に銃口からゆっくり弾が出てくるから当たる前に避けろといい、馬賊が撃った銃口からほんとにゆっくり弾が出て来たので、秘書はいわれたまま避けたというのがあります。仁侠の逸話にも、至近距離での自分を狙った銃弾を立て続けに座布団で叩き落としたというのがありますが、このふたつの逸話、どこかで繋がっていそうですね。大相撲は勝負事や興行だけではなく、神事のほうに重きがあるのではないかと思いますが、マスコミのニュースではスポーツの一つとして括ろうとする意図があるようで、古い体質というのばかりが強調されているようです。で、仁侠も神事に繋がるのではないかと思ってググってみると、鉄火という部分で神事とも武士、もののふとも繋がっていくようです。仁侠と大相撲がシノギの部分だけではなく繋がっているなら、清吉ラインは堀川辰吉郎を経て皇室にまで遡れるはずですから、ヤクザ(本当はヤクザをダシにして仁侠)を叩くのは天皇に対する牽制のようなものでもあるのでしょうか?というか、古い体質とか、しがらみとかいって、神事から国民を遠ざけようというか、まとまっていく方向性を消しているように思うのです。もしかしたら、国体側が仁侠で、政体側がヤクザといえるのかも知れませんね。
以前、16京円相当の金塊が船で運ばれているというブログの記事を、サムライさんがガセだといわれていましたが、同じところから日本の保有する金塊は莫大な量だとかという記事が出ています。これも天皇に対する牽制というか、ここまでくると懇願か、とも思えてきます。天皇は脅されていて米国のいうままになっているというブロガーもいるようですが、天皇に関するものはとかく評価が分かれているようです。
以前、サムライさんが書かれた中に、下記のようなものがありました。
>この中川親子は不幸な人生を閉じていますが、この中川家は原日本人の血が濃く流れていました。
原日本人が政体のなかにもいるのなら、やはり政体に幾ばくかの望みを託してもいいのではないかとも思ったのですが、天皇や仁侠の話では、意見が極端に分かれるネットの世界で、政体においては小沢一郎支持でまとまってきているように見えるのが、最近の私には、どこか気色の悪い感じがしはじめてきています。反小沢派も小沢派も、もしかしたら、国体から目を離させて政体に期待を集めようとしての意図的なものではないでしょうか(期待だけをつなぎ止めておくだけのものかもしれませんが)?それ(小沢派)でうまくいくなら、それでもいいのかもしれませんが、欧米の経済が崩壊した後、その裏で操っていると自負しているものたちが出て来ても、うまくいくとは思えません(もしかしたらそれがねらいなのかもしれませんが)。それが短時間で崩壊するのなら、それはそれでいいのですが…国体の本質が、競わず争わずというのをいいことに、どこまででも無責任な増長に増長を繰返しているようで、あまり愉快な感じがしません…やはり鼻風邪でしょうか?
栗原氏から,感想が聞けたとしたら感激です。その時はよろしくお願いします。
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32:サムライ:
2011/10/03 (Mon) 07:22:58
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馬之助さん、お早うございます。
先週の金曜日から明日の夕方までは、数ヶ月ぶりにまとまった自由時間が取れ、散髪したり、読みたかった本を読んだり、家の手入れをしたりと骨休めしています。今日は仕事部屋の散乱した書類や本の後片付けや、パソコンのクリーニングで1日が終わってしまいそうです。そして明日の火曜日から、再び数ヶ月にわたる、仕事の〆切りに追われた缶詰の日々が待っています…。
> 毎年お盆前後に、高野山で紀野氏を囲む集まりが以前ありまして、それじゃ(私を含め)大人が師と仰ぐ人に平伏する様を子どもに見せてやろうと、10年近く夏の家族旅行として通ったことがあります。
それは良いことです。ましてや、そうした場に行くのが楽しみというお子さんの姿が目に浮かびます。そのかれらも社会に巣立つ日は目の前…、放射能という事故がなければ普通に勤め人になり、普通に結婚して…という人生を、馬之助さんや小生の子供達は送ったかもしれませんが、今や国内の放射能問題以外に世界が大きく変動しつつあり、波瀾万丈の面白い人生を送ることになる可能性が高まりましたね。
来春大学に進学する上の息子は、京都で学生生活を送りながら、歴史を専攻してみたいと云うことで現在頑張っているところです(尤も、指定校推薦で来月下旬の大学の最終面接が残っているものの、ほぼ決まりのようです)。特に、栗原茂氏と天童竺丸氏から密度の濃い歴史の指導を直に受けたので、それを基に一層の己れの史観を深めて欲しいと願っています。仰せの深沢七郎の小説「笛吹川」が出ましたが、栗原氏と天童氏の史観と何処か基底で繋がっているような気がしました。
> 栗原氏の開かれた空間、閉じられた空間というのと、重なっていますね。
御意。
その栗原氏とは、数日前に電話で色々と情報交換をしたのですが、最近、ネット上で知り合った三十代の若い人が古事記の暗唱を始めたと伝えると、非常に嬉しそうでした。その古事記に取り組み始めた彼とメールのやり取りをしている内に、東(皇太子殿下)の事が話題に出ましたので、小生は以下のサイトのページを紹介しています。
http://blogs.yahoo.co.jp/takaonaitousa/folder/1284836.html?m=lc&p=2
これは、「木庵先生の独り言」というブログでして、数日前に神計らいで見つけたものですが、「皇室」に関する記事があったので読んでみました。内容的には、西尾氏が皇太子に対して“注文”を付けたことに対して、竹田恒泰氏が反論した模様を述べている記事です。以下、一部を抜粋します。
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天皇、皇室論はタブーであり、もし論じるなら、相当の覚悟、つまり、日本文化を徹底的に研究(それも心で)したあとでなければ、底の知れないタブー沼に足を取られてしまう。その意味でも、タブー沼に挑戦するには、西尾氏の素養では無理だったのかもしれない。皇室を論じ出すと、koreyjp氏や竹田氏のような皇室を守ろうとする北面の武士によって、打ち負かされてしまう。寺の玄関として山門がある。そこから自由に寺の中に入れる。ところが、山門の両脇には仁王が睨みを利かせている。「仏の前に、謙虚な心があれば、いくらでも自由にお入りなさい。しかし、奢れる心で入るなら、地獄に落としてやる」とでも、言っているようである。さて、西尾氏は奢れる心で皇室論に向かっているのであろうか。木庵>
**************
実は、竹田氏の父親である日本オリンピック委員会会長竹田恒和について、皇室ジャーナリストらからは余り良い噂を聞いていなかったので、恒泰氏が本を書いていることは知っていたものの、読む気が起きませんでした。しかし、今回の上記のブログ記事を読み、思うところがあったので、昨日街の本屋で同氏の『日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか』(PHP新書)を手に取ってみところ、なかなかの良書で読み応えがありました。その後、アマゾンで同氏の残りの著作を確認したところ、『怨霊になった天皇』(小学館)が目に入り、早速発注しています。皇室の世界は常人には計り知り得ない深奥の世界であることを、小生は栗原氏から直に教えていただいただけに、身を入れて読んでみたいと思います。でも、このような道草をくうと、ますますフラーを読み終えるまで時間がかかりそうだ(苦笑)。
最後に、最近の電話で馬之助さんとのやり取りがあることを栗原さんに伝えましたので、いずれPDFファイルにしてCDに焼いて送ろうと思います。後に栗原氏から感想が聞けましたら、内容をお知らせします。
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31:馬之助:
2011/09/30 (Fri) 22:48:11
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サムライさん、こんばんは。
>幸い仕事が翻訳なので、彼らが巣立った後も続けられるし、…たまには息抜きにフーテンの寅さんヨロシク…
私も、勤め人じゃなくて個人事業主というやつなので、定年がありません。現在は現在で楽しいですが、やはり子どもが巣立った後というのがさらなる楽しみのひとつですね。子どもがいると、それがどうしても優先事項というか、それだけで精一杯という感じがどこかにあります。それが私にとって空間を閉じてしまう始まりのようで、子どもに変なマインドコントロールを与えているように思っています。子どもとスキンシップレベルで交流ができていた頃は、結局そのスキンシップが禊祓いになってうまくいっていたように思います。一緒になって楽しい時間を過ごせば、それでよかったのですから。もしかしたら、それ以降になにかを与えようというのが、親としての老婆心かも知れませんね。
>子供の成長に関して、嘗て骨董屋では跡継ぎとなる予定の息子に、毎日店にある品物を眺めさせ…
紀野一義に「息子よ」という本があって、五十になるまで子どもに恵まれなかったのが男子二人を授かったことで、仏法のことが初めて生き生きとより深く分かるようになったという話なのですが、その中に子どもに伝えたいことが二つあると言っています。朧げな記憶ですが、ひとつは、人はみんな同じということはない、人は一人ひとりがすべて違っていて、そのすべてがそれぞれに大切な存在だということで、人とは違うからということで思い煩うようなことをするなという話。もうひとつが、先生だからといって、自分が尊敬できない奴に頭を下げることはない、しかし、人生の師というのに出くわした時に、それに気が付かないようじゃしようがないし、その人に平伏できないようではいけないという話でした。毎年お盆前後に、高野山で紀野氏を囲む集まりが以前ありまして、それじゃ(私を含め)大人が師と仰ぐ人に平伏する様を子どもに見せてやろうと、10年近く夏の家族旅行として通ったことがあります。二泊三日で集団生活の中、お寺の作法に準じた生活をして紀野氏の話を聞くだけなのですが、子どもはそれが大好きで毎年楽しみにしていました。話す方も聞く方も、真剣勝負でなんともいえない研ぎすまされた空気がいつもそこにはありました。こんなことが分かると、この世では生きにくくなると知りつつも、これが分からないようでは生きていく甲斐がない、と、また思うのです。
そうやって大きくなった子どもが、これから社会に出ていこうとする時に、この放射能騒ぎですが、私は本当はどこかで面白いなと思っています。
深沢七郎の小説に「笛吹川」というのがあります。戦国時代の甲斐国の話で、代々その地で百姓をしていた家族が戦乱に巻き込まれて、武勲を立てたり、討ち死にしたりするのですが、結局はみんな死んでいく。その一方で女は次から次へと子どもを産んでいく。その子が大人になったら、自ら戦に出て行き次から次へと死んでいく、それを三世代くらいに渡って繰返す様を描いた話で、発表当時、若い人がこれを読んで多くの自殺者を出したといいます。その無常観に耐えられなかったのでしょうが、それは彼らが閉じられた空間でこの本を読んでいるからで、この作品自体はおおらかな天地自然の理を坦々と描いたもので、むしろ開いた空間に読者を誘っていくものでした。
我が子を見ていると、そんな世界をどこかで感じているようにも見えるのです。前途のある子ども達に、親の老婆心から空間を閉じさせるような方向ではなく、むしろ一緒になって、開かれた空間を見ていきたいと思っています。紀野氏の本で見つけた以下の文章をメモして最近はよく読んでいます。
諸行は無常なのではない。人間の「識」が無常と感ずるのである。「諸行は諸行である」と腹をすえればいいものを、「諸行は無常なり」と詠嘆するのである。
栗原氏の開かれた空間、閉じられた空間というのと、重なっていますね。
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30:サムライ:
2011/09/28 (Wed) 09:06:55
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馬之助さん、お早うございます。
> あと8年は馬車馬に徹しないといけない
四人もの子供達を大学に進学させるとは凄いの一言です。拙宅も一番下は同じ高一であり、幼い頃から最近まではダンゴムシなどの生き物に夢中でした。今は植物、それも薬草や毒草に関心を持つようになりましたが、これは天童竺丸氏から貰った『墨攻』という墨子の生涯を描いた漫画がきっかけだったようです。さらに、この4月から始めた飯山さんの乳酸菌培養を開始したことから、微生物にも強い関心を持つようになったようです。過日、飯山さんとスカイプで話したとき、将来西安に研究所を設立するかもしれないから、そこで微生物の研究をしてみたらどうかと声をかけていただいています。だから大学に進学したら、生物関連の分野を専攻するのではと思います。尤も現在は、部活(剣道)の稽古に明け暮れる毎日ですが…。
幸い仕事が翻訳なので、彼らが巣立った後も続けられるし、先輩の翻訳者の中には70歳を過ぎても現役が多いので、あと20年は今の仕事を続けるつもりです。幸い、ノートパソコンがあれば世界の何処でも仕事はできるので、たまには息抜きにフーテンの寅さんヨロシク、トランクの代わりにノートパソコンを片手に持ち、数ヶ月の小旅行を数年に1回ていど続けることを夢見ています。十代の頃に、三年間近くにわたって世界を放浪してきているだけに、五十路の今でも国内移動と同様に、ふらりと海外に出て旅かできるのが強みです。
> 分化と統合の繰り返し振りが子どもの成長として現れる訳ですから、それもまたひとつの味わいかなと
子供の成長に関して、嘗て骨董屋では跡継ぎとなる予定の息子に、毎日店にある品物を眺めさせ、一流品と三流品を見分ける眼力を、身に付けさせたという話を聞いたことがあります。人間を骨董品に喩えるのは大変失礼な話ですが、それと同じ発想で小生は神職者から仁侠までの、老若男女を問わず、国籍も問わない、あらゆる人間に子供達を引き合わせてきました。上の息子の場合、岡潔の門弟だった人を通じて数学が好きになったり、安岡正篤の薫陶を受けた人を通じて安岡の業績に関心を持ったりと、期待以上に人間の幅を広げ成長してくれたようです。そのためでしょうか、息子たちを良く知る、月に一回程度お会いしている『月刊日本』の山浦嘉久氏は、小生と顔を合わせる度に「鳶(愚生)が鷹(むすこたち)を生んだぁ~」と楽しそうに言ってくれます。
> この別次元にプリセッションの働きが及んでいくのを祈るばかりということでしょうか。
身体的な異変、たとえば若者の間にすら急増しているという心筋梗塞とかガンについては、飯山さんの乳酸菌などを信頼して実践すれば防衛手段になるでしょうが、DNAが破壊されたら自分が自分でなくなくなり、仮に生き長らえても意味が無くなります。それでも全く絶望的というわけではなく、多分、今回あたりにノーベル生理学・医学賞を受賞するであろう、山中教授のiPS細胞で対策可能のようです。このあたりは既に皇統奉公衆が研究に着手しているはずで、ある程度は目処が立っていると思いますが、そのあたりは今度栗原氏に会ったら確認してみたい点です。
ともあれ、飯山さんの2011/09/25(日)の記事、「鳥は内部被曝しやすい…」にもあるように、志布志市すら空中線量の影響が及んでいるのですから、国内に住む限り、じたばたしても始まんないので、各自自衛するしかないですね。これから冬に向かいますが、皆さんの智慧を結集して、乳酸菌が培養しにくいという冬を互いに乗り越えていきたいものです。
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29:馬之助:
2011/09/26 (Mon) 23:01:23
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サムライさん、こんばんは。
>来春の上の息子の大学進学を皮切りに、小生も一番稼がなければならない時期に…
こっちの方に、より共感するかも知れません(苦笑)。私にも来春大学に進学する予定の息子があります。といっても、三人目で、一人目は今年四年生で来春には肩の荷が下りるかと思いきや大学院に進むとか、二人目は三年生でこっちは就活の準備に入ってくれていますので、ほっと胸を撫で下ろしているところです。もう一人、四人目がいまして現在高校一年生、獣医になるとかで端なから6年間大学に通うつもりでいるようです。来年は三人が大学に通うという未知の領域に入るわけですが、それももう一二年で、峠は越えそうです。といってもあと8年は馬車馬に徹しないといけない計算にはなります。実際私には放射能よりこっちの方が、現実味があるぶんだけ、コワイです(笑)。ですから、ゆっくりいきましょう。
今までの三年余で言えることは、「閉じられた空間の仮説に埋没していくと、人世に追われる日常となる」という栗原氏の話は真実だということです(笑)。同時に「開かれた空間の共時性を保って初めて人は神世を感得することを得る」というのも真実で、それによってはじめて超克を果たすことができるのだとやっと思えるようになってきました。残り8年、もちろんコワイですが、楽しみです。親の成長にとって、子供という存在は欠かせないように思います(苦笑)。
◎家を最小単位とする場の共時性は、たとえ閉じられた空間の個室をそこに設けたとしても、意識的な営みは開かれた空間を行き交う歴史を潜ませている。ところが、このとき本能的属性の強い情の働きを優先させたり、蓋然性を伴う知の働きを優先して意の働きを封じると、閉じられた空間を開かれた空間と勘違いする。
栗原氏のいう通り生活現場では、「分化と統一を日常的に繰返し育む」しかないですし、「言(言葉)行(振る舞い)の一致」というか、情に甘えず、知に走らず、父親という役割を持ちつつ、同じひとりの人として、人間の生という開かれた空間を意に促されるままに生きていきたいものですが、分化と統合の繰り返し振りが子どもの成長として現れる訳ですから、それもまたひとつの味わいかなと、空間を閉じないで眺めるほかないですね。家庭は、一番の修行の場かも知れません。
放射能の話に戻ります。
>とは別次元の話になると思います。
>このあたりの対策が無く絶望のみが残るかと言えば、決してそういうことではなさそうです。そのあたりのヒントは、もしかしたら今回ノーベル賞を受賞するかもしれない、山中伸弥教授iPS細胞に答えがあるとのことでした。
この別次元にプリセッションの働きが及んでいくのを祈るばかりということでしょうか。
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28:サムライ:
2011/09/24 (Sat) 16:14:58
host:*.t-com.ne.jp
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今朝の投稿で、「もしかしたら今回ノーベル賞を受賞するかもしれない、山中伸弥教授iPS細胞」と書きましたが、そう予測したのは7月26日に会った栗原氏ですが、その時まさかと思いましたが、栗原氏の予測が当たる鴨…。以下は読売新聞の記事です。
http://www.yomiuri.co.jp/job/biz/columnscience/20110921-OYT8T00561.htm?from=yoltop
今年もノーベル賞の発表が迫ってきた。
10月3日の生理学・医学賞をトップバッターに順次公表される。
日本人科学者で一番注目を集めるのは、iPS細胞(新型万能細胞)を作製した山中伸弥・京都大学教授(49)だ。「ノーベル賞の前哨戦」ともいわれる海外の主要な科学賞をとっており、生理学・医学賞の下馬評に挙がっている。
…以下略…
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27:サムライ:
2011/09/24 (Sat) 06:42:07
host:*.t-com.ne.jp
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馬之助さん、お早うございます。来春の上の息子の大学進学を皮切りに、小生も一番稼がなければならない時期に差し掛かっているため、この御盆過ぎあたりから極力仕事を断らないように承ってきたところ、先月・今月はあたふたとしています。一番下が大学を卒業するまでの6年間ほどは、馬車馬のように働きますので、当面は今の状態が続くだろうし、本掲示板での返信が遅れることがあるかもしれませんが、その場合はお許しください。
> 天皇の振る舞いは、型示しであるということですが、今上天皇が被災地に行かれた際に現地の農産物を買い求められたという報道がありました。
そのあたりは、栗原本人に直接質問したのですが、回答は、「放射性物質の漂う東北地方の被災地を、精力的に御訪問されている天皇皇后両陛下を心配する者も多い。しかし、一般人と比較して第六感が発達されている陛下は、既に放射性物質の危険性などお見通しである。昭和天皇と今上天皇の学者としての一面に思い致すこと。仮に死ぬことになろうと、決して無駄死をされることはない」というものでした。この第六感ですが、「今上天皇、そして皇太子が山歩きをよくされるのは、役小角に倣っているのであり、山野を歩き回ることで役小角、そして今上天皇、皇太子は閃きを得るのである。つまり、山歩きはシャーマニズムと根底で繋がっているのだ」とも語ってくれました。だから、
> 放射能汚染しているかもしれない農産物を食せよという型を示されていると思えるので、なにかないとそういう行動にはならないと思うのですが、考え過ぎでしょうか?
とは別次元の話になると思います。栗原本人もホットスポットがある東京都足立区に居を構えていますが、我が命よりも大切という身内(子供・孫)も近くに住んでいながら、何処か遠く避難しようという気は、さらさらないようです。(群馬大の早川由起夫教授の地図参照)
http://blog-imgs-34-origin.fc2.com/k/i/p/kipuka/09_sep_2011_gmap06.jpg
実は、本人が憂えているのは、飯山さんが仰せの数百万あるいは数千万人単位の人たちが、数年後にガンや心筋梗塞などで苦しみ死んでいくことよりも、さらに恐ろしいことです。それは、放射性物質によるDNAの破壊です。以下はそれに関連する、極一部の知人友人にのみ伝えた栗原氏の言葉にも如実に顕れています。
「シャーマン真骨頂は第六感(閃き)だ。考えに考えた末、ふと降りてくるものこそが閃きであり、シャーマンの真骨頂だ。この閃きは何処から降りてくるかというと、我々のDNAからなのである。このDNAが体内の放射性物質からの放射能を浴びると(内部被曝)、DNA構造(情報)が破壊され、自分が自分でなくなってしまう。これはガンどころの騒ぎではない」
このあたりの対策が無く絶望のみが残るかと言えば、決してそういうことではなさそうです。そのあたりのヒントは、もしかしたら今回ノーベル賞を受賞するかもしれない、山中伸弥教授iPS細胞に答えがあるとのことでした。
> 原日本人とはいつまでも開かれた空間の共時性を保っている人ということでしょうか。そしてツランも、日本から離れた期間があったものの開かれた空間の共時性を失わなかった人たちの意にも感じられます。
馬之助さん、小生が栗原氏の言葉で腑に落ちない点は、「一割の原日本人」という話です。
確かに、小生の場合、幼い頃の写真から骨格の判定をしてもらい、原日本人であるとの判定を受けていますが、当然乍ら100%原日本人ではなく、残り9割もいる非原日本人の血がかなり入っていると思います。むしろ、100%近い原日本人というのは皇室の周辺にしかいないと思います。これは、昨年の夏に落合莞爾氏の狸庵で、早朝栗原と二人だけで語り合っていた時に、栗原が語ってくれた言葉に、「お前(サムライ)にも皇室の血が流れている。だからと云って必ずしもそれが偉いというわけではない」というものがあり、これは何を意味するかと云えば、小生に限らず日本国籍を持つ者なら、原日本人の血の濃淡こそあれ、必ず幾ばくか流れている、すなわち遠祖を追っていけば、必ず何処かで皇室の血が入っていることを意味します。だから、違いがあるとすれば血の濃淡と、あとは「公」というものをどれだけ分かっていて、かつ実践しているかということに尽きると思います。
栗原の書くものにあれだけ共鳴できる馬之助さんは、立派な原日本人ではないですか。
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26:馬之助:
2011/09/20 (Tue) 22:13:10
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サムライさん、こんばんわ。
連休は夏の疲れをとるためと称して、終日ごろごろしてしましました。それで、返事が遅れています。それにしても、いつまでも暑くて大変だと思っていたらこの台風で、水の時代とか水による浄化とかいっていたら、ほんとうにそんな状況になりそうですね。
栗原氏の『超克の型示し』を引き続き読んでいますが、これも面白いですね。私はこういうのは、すっと入ってくるほうで、詳細は読みこんでみないと分かりませんが、大枠は理解できるというか、ひぇーという感じで受けとめています。それで、二三気になることを思い出したので書き留めてみます。
天皇の振る舞いは、型示しであるということですが、今上天皇が被災地に行かれた際に現地の農産物を買い求められたという報道がありました。そればかりではなく、皇太子にもお分けになって食するようにいわれたとかで、これがメディアによる作り話ではないとしたら、型示しとしてはどう理解すればいいのでしょうか?マスコミ的には、風評被害で農家が困っているのに心を痛められて、自らが買い求められた上に食されたという深いお心という美談の陰で、食の安全を補強しようというのでしょうが、ほんとうの深いお心は別にあるように思えてなりません。放射能汚染しているかもしれない農産物を食せよという型を示されていると思えるので、なにかないとそういう行動にはならないと思うのですが、考え過ぎでしょうか?原日本人なのか列島に住む日本人なのかは分かりませんが、放射能に対してなにかあるだろうかと妄想が駆け巡ります。
引用するのが憚れる気もするのですが…
◎「孝」よりも「忠」を重んじる朱子論とは誇大妄想を常とする支那思想の一端であり、禊祓すれば何れも天秤にかける具に成りようがない。似非教育下の現代も同じ。玉虫色述語の呪縛を脱せられず、生ける屍の諮(はか)り事は何もかも比べて何ぼの損得勘定だけだ。
とすれば、根は相当深いような気がしますし、「戦後の歴代の首相は全員が“非”原日本人、すなわち日本の9割を占める日本人である」という栗原氏の話も分かるような気がします。
◎言(言葉)行(振る舞い)の一致を生み出すべき課題は免れないものの、分化と統一を日常的に繰返し育む生活現場では、開かれた空間による共時性に生かされるため、説明不足は大して問題にならないという現実がある。
この開かれた空間の共時性を保って初めて人は神世を感得することを得るが、閉じられた空間の仮説に埋没していくと、人世に追われる日常となる。
ということは、教育といっても家庭における教育というか、役割を離れた本質的な繋がりというようなものが重要になってくるようですね。ほんとに面白いというか、吾が意を得たりと、大きく頷くところがあります。引用した二文だけでも、現状の核心を恐ろしいほど的確に捉えていると思います。不況や災害、放射能など、恐怖を煽ることによって、閉じられた空間以外は存在していないと、多くの日本人に繰り返し思い込ませようとしているように感じてしまいます。原日本人とはいつまでも開かれた空間の共時性を保っている人ということでしょうか。そしてツランも、日本から離れた期間があったものの開かれた空間の共時性を失わなかった人たちの意にも感じられます。
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25:サムライ:
2011/09/16 (Fri) 08:49:18
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馬之助さん、こんにちわ。
> そんなシステムに、もしかしたら乳酸菌はハッキングしたのかも知れません。
この掲示板にも、明かな工作員と分かる連中が幾人か居ますが、連中の動き(発言の行間)を読めば、現在どのていど乳酸菌が注目されているかが分かって面白い。
それにしても、昨日の飯山さんの記事「老人より若者が先に死ぬ…」については、飯山さんと最近スカイプで既に聞いており、子供達の未来を思うと暗澹たる気持ちになります。
>「今上や東と接し、この俺がお役に立っているということに無常の喜びを感じる」
投稿した後、本来は無上とすべきところ、無常としてしまったのでしまったと思いました…^^; でも、「最上の」を意味する無上よりも、「無常の風」の「無常の喜び」の方か、もしかしたら栗原氏の場合はしっくりしている鴨…。
> なぜだかは分かりませんが、妙にスッキリとしたものが感じられる視点ですね。原日本人が一割にしてもいる(または、自分の血に流れているかもしれない)ということで、安心感が生まれるように思います。どうやってそれが実現されるのかは想像がつきませんが、「場の共時性を保ちながら意の共振状態を形成する」という状況が迫っているというか、その影響力が増しているというか、そんな感じがしています。
永田町に山王グランドビルがあり、そこにTOEICという英語の試験をやっている法人組織があります。若い頃の小生は其処に勤めていました。そのビルの地下に北海道の郷土料理店があり、ホッケなどが美味しかったので、時々同僚と昼食を食べに通っていました。とある日、いつもの通り7~8名が囲んで食べる大きなテーブルの一角で昼食を取っていると、目の前に中川一郎とその秘書らしい人が座ったのでした。初対面の人とは一瞬にして好悪がつくことが多い小生ですが、中川昭一を初めて目の前にした時、小生は瞬間的に好感を持ったのですが、今にして思えばその理由が分かります。
この中川親子は不幸な人生を閉じていますが、この中川家は原日本人の血が濃く流れていました。詳細は大勢の人の目に触れる掲示板に書くわけにはいきませんが、ヒントだけを挙げておけば、戦後の歴代の首相は全員が“非”原日本人、すなわち日本の9割を占める日本人であると、栗原氏に直接小生は聞いています。ただ、43代(1945/08/17~1945/10/09)の東久邇宮稔彦は原日本人と思うのですが、このあたりは栗原氏が東久邇宮稔彦について頭に無かったのでしょう。それは兎も角、中川親子、就中一郎は総理の器だったと思いますが、原日本人を総理にさせない圧力が当時、そして現在も確実に存在しています。
この原日本人と言っても、このようなことを言い出したのは栗原氏が初めてであり、小生も未だに半信半疑のところがあるので、もう少し栗原氏らから情報を得てから具体的な発言ができればと願っています。
日本語の源流が曖昧であったり、ツランについて言及することが憚れたりする圧力が、昔も今も存在していますが、もしかしたら堂々とツランについて語ることができる日が来るかもしれません。
今後も以下のツラン関連の発言も頭の隅に置きながら、原日本人について追究していきたいと思います。
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・『大興安嶺探検』(今西錦司編集 朝日文庫)という本がある。この本の説明書きに「1942年、自由の天地を求めて若き探検家グループ21名は、憧れの大地へ飛び出して行った―。日本の生態学の第一人者で探検家でもある今西錦司を隊長に、森下正明、吉良竜夫、川喜田二郎、梅棹忠夫、藤田和夫ら、現在、アカデミズムの頂点に立つ諸氏の青春時代の探検記録」(アマゾンドットコムより抜粋)とあるように、戦前に行った調査である点に注目したい。今西らはツランについて熟知していたのであるが、戦後はGHQによって今岡十一郎の著した『ツラン民族圏』が発禁扱いになっていることから分かるように、戦後は公にツランについて研究できなくなった。だから、戦後の今西、梅棹、川北らはツランについて触れていない。
・ツラン民族の存在か世の中に知れ渡ることを嫌がっているのは、アングロサクソン、ユダヤ、ロシア、中国などである。したがって、政治的な配慮が働きによって、ツラン民族同士の横のネットワークが貧弱化している。現在においてツランについて取り上げることは、イスラエルなどを刺激してしまうので注意のこと。
・日本語に兄弟語はないというのは、果たして本当か。日本語の原郷を分からなくしているのは、裏に政治的な意図があることを忘れるべきではない。ちなみに、同じツラン圏である日本語とトルコ語は語順が一致しており、英語のように動詞が途中に来るのではなく、最後に来る。
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24:馬之助:
2011/09/13 (Tue) 22:48:15
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サムライさん
>福島原発はGE製ですが、ご存じのとおりGEも「ビッグスリー」の系統に連なる組織であり、まさに同じ穴の狢です。
フラーが指摘している、「卸売り業者を守るため、GM、フォード、クライスラーは、機械的にはうまく設計されたほんのわずかな部分をわざと粗悪な材料でつくり、電解質的にあるいは他の面で機能が低下するように仕組んだ」というのは、前回引用した、「中国人はあきらめる前にこう言います。「想辧法!」(方法を考えろ!)」の思考パターンと同じ(方法を考えろ≒手段を選ぶな)だと思います。その結果、ビッグスリーは現在トヨタを代表とする、コンパクトカーに市場を明け渡したままのようです。トヨタは「改善」という手法で、こちらは自らを顧みているわけですから、禊祓いの流れを汲むものではないかと思います。
>今回の福島原発事故で“儲けている”のは、何処
WHOが健康に関する様々な基準値を示し、それがエビデンスとなっていって医師をコントロールし、安心してワクチン等が販売されるのと同じで、ICRP(国際放射線防護委員会)が出す基準が厳しければ厳しいほど、放射能除去などで儲かる企業があるということですね。WHOと同じマッチポンプというやつですか。放射能汚染された食物が全国津々浦々に行き渡った頃合いをみて、今度は突然のように健康被害がクローズアップされて、WHOあたりが新たな基準値を出して来て、都合良くどこかの薬屋(その発祥の地がやはりフェニキア=ベネチア)が放射能除去の怪しい新薬を発表して、ハッピーエンドと妄想が駆け巡ります。そんなシステムに、もしかしたら乳酸菌はハッキングしたのかも知れません。それによって新薬の目論見がはずれて多くの売れ残りがでるかもしれませんが、売れ残ろうがどうしようが、政府が買い取ってしまえば問題はない(国民以外はハッピーエンド)かもしれませんね。肝心なデータが出ないで、いつまでたっても憶測を許している状況がかわらないのですから、まだまだ恐怖を煽ればなんとかなると思っているのでしょうが、乳酸菌のおかげで冷静さを取り戻している人も多くなっているのではないでしょうか。
>「今上や東と接し、この俺がお役に立っているということに無常の喜びを感じる」
無常の歓びというのは、考えてみると、なかなか感じられるものではないです。それは、いつのまにか損得勘定や競い争うことを歓びの尺度に置き換えられたからではないでしょうか。今や、なでしこも競い争うことの象徴にマスコミによって祭り上げられようとしている感じです(当の本人たちは、得たボールを丁寧に回していって空いたゴールに蹴り込むことに集中しているようです)が、同時に、長い閉塞感は、無常の歓びが与えられるならいつでも行動を起こす土壌を醸し出す結果になっているようにも感じられます。
>皇室と同じ原日本人の血が栗原氏に流れているというところが大きいと思います。我々は日本語を母語とするものを日本人と思いがちですが、太古の昔から日本列島に居た原日本人は、今日の日本の人口の一割前後であることを頭の片隅に置いておくと、世の中の動きが少しは分かるかもしれません。
なぜだかは分かりませんが、妙にスッキリとしたものが感じられる視点ですね。原日本人が一割にしてもいる(または、自分の血に流れているかもしれない)ということで、安心感が生まれるように思います。どうやってそれが実現されるのかは想像がつきませんが、「場の共時性を保ちながら意の共振状態を形成する」という状況が迫っているというか、その影響力が増しているというか、そんな感じがしています。
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23:サムライ:
2011/09/11 (Sun) 04:58:27
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おや? 藤原さんの種子島の話やビッグスリーなどを引き合いに出したら、早速ロシア語でラブレターならぬ警告の投稿だ(爆笑)。非常に分かりやすい工作員のお仕事だ。
さて、訂正です。
福島原を建設したのはGM(ゼネラルモーターズ)ではなく、GE(ゼネラルエレクトリック)の書き間違いでした。
『月に響く笛 耐震偽装』を著した藤田東吾氏が、粗悪な原発を福島に建設したGEを訴える動きに出ています。藤田氏の行動を応援しよう!
http://twitter.com/#!/togoFujita/status/70235068941086722
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22:サムライ:
2011/09/11 (Sun) 02:51:23
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失礼しました。フラーの言葉を書くのを忘れました。
1960年代の終わりごろ、アメリカの自動車業界の「ビッグスリー」は、車の即売り業者たちが財政的にやりくりできず、かなりの頻度で破産し、商売に幻滅してきたことに気づいた。卸売り業者を守るため、GM、フォード、クライスラーは、機械的にはうまく設計されたほんのわずかな部分をわざと粗悪な材料でつくり、電解質的にあるいは他の面で機能が低下するように仕組んだ」
福島原発はGM製ですが、ご存じのとおりGMも「ビッグスリー」の系統に連なる組織であり、まさに同じ穴の狢です。今回の福島原発事故で“儲けている”のは、何処(苦笑)…
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/4039
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21:サムライ:
2011/09/11 (Sun) 02:41:43
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馬之助さん、
昨日の飯山さんのHPに、飯山さんと藤原(肇)さんが 「えっがね」を手に持って並んだ写真が載ったけど、場所が宇宙センターのある種子島であったのは興味深い。
昨日、脱原発派の鉢呂経産相が辞任したけど、これは種子島と非常に深い繋がりがあることを、飯山さんの横に座っている藤原さんが、昨日の掲示板「藤原肇の宇宙巡礼」で明らかにしており、それを読めば何故に狭くて地震大国の日本に、54基もの原発があるのかが一目瞭然となっている。
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26 :藤原肇:2011/09/10(土) 21:50:58
ここ数日ほど鹿児島県の志布志を訪問して、飯山一郎さんに歓待されていることは、彼のサイトで知っている人も多いと思います。昨日から今日にかけては糸川先生がペンシルロケットで開発した、一乃浦のロケット発射基地を訪問しましたが、ここには大きな不正と疑惑がありました。
それは途中までは如何にも山道に見せかけているが、途中からは発射基地まで片道二車線の頑丈な道路が続き、ここが核装備したミサイルの発射基地として整備され、これが日本に54基の原発を作った理由を証明していました。
中曽根一派が核装備してミサイル基地にしようとして、日本列島を生き地獄にした証拠が、ヒューストンのナサやケープカラベラルを知る私には、ー一目瞭然であり、中曽根や文部省は隠し終えたつもりでも、ここはまさに日本のテポドンと呼ぶべき場所であると確認した次第です。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2491/1313068813/26
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一方、小生は別の観点から種子島に注目している。それは、ロケット打ち上げに関して栗原(茂)さんから聞いた以下の発言だ。
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ロケット打ち上げは電磁波が乱れている場所でないと成功しない。すなわち、480秒以内に無重力帯域にロケットを打ち上げないと、ロケットが燃え尽きてしまうからだ。だから、ロケットを打ち上げられる場所は、この地球上では極めて少ない。
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そして、ロケットと電磁波の関係を追究することは、同時に栗原氏の古事記論の追究とも結び付くわけで、非常に面白い。
さて、
> ということは、基本的に手弁当で活動しているということになるのでしょうか?ということは、その堅い絆はどこから生まれてくるのでしょうか?
“皇室インナーサークル”である栗原氏も、別に皇室からサラリーマンよろしく“給与”を貰っているわけではなく、文字通り“手弁当”で身を粉にして奉仕しています。それだけではなく、時には己れの命を落としかねない危険な仕事も数多い。それでも続けている理由を、栗原氏は次のように語っている。「今上や東と接し、この俺がお役に立っているということに無常の喜びを感じる」
そもそも、皇室、とりわけ高松宮家と栗原家との繋がりの深さを思い知らされたのは、昨夏、栗原と他数名とで奈良県高市郡明日香村を訪れた時で、高松塚古墳の近くに栗原寺跡があることを知った時です。
また、栗原氏の著した『真贋大江山系霊媒衆』にも以下のような記述がある。
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かつて筆者は高松宮宣仁(のぶひと)親王殿下に問うを許された。それは青年将校蹶起の五・一五事件に加わる在野の志(ここざし)に関する問いであったが、高松宮は「当時、海軍一部に第二の同様事件を醸(かも)す空気は消えておらず、その目的の禊祓は重大ゆえ…」と思(おぼ)し召(め)され「通常ロンドン条約に係(かか)る問題を第一段といい、社会改造は第二段という考え方が伝わり広まるが、第一段は軍内首脳に向けての不平不信を何とかして一糸(いっし)も乱れぬよう整備する目標を抱えており、第二段は政党の腐敗(ふはい)、財閥(ざいばつ)の横暴(おうぼう)、農村の疲弊(ひへい)、道徳の堕落(だらく)、為政(いせい)の態度、等々の社会問題であり、条約問題は副(ふく)とも思えるが、大部分の純心を汲み取る公が法に適(かな)わぬは、我が身の不徳かな…」と諭(さと)された。
この事件は将兵が軍司法機構で裁判を受けるが、民間人は一般法廷で裁(さば)かれ、刑の軽重に大きな違いを生じた。筆者は高松宮の思し召しを賜る(たまわ)までは、独り国賊(こくぞく)たらんも可なりと己れの死処を模索していたのだ。(p.175)
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もう、一つ。栗原氏が手弁当で奉仕する理由に、皇室と同じ原日本人の血が栗原氏に流れているというところが大きいと思います。我々は日本語を母語とするものを日本人と思いがちですが、太古の昔から日本列島に居た原日本人は、今日の日本の人口の一割前後であることを頭の片隅に置いておくと、世の中の動きが少しは分かるかもしれません。
> この栗原氏の言葉なんか、フラーそのままです。
以下のフラーの記述は、意識はしていなくてもツランとは対極にあるフェニキアを強く批判していますね。このフェニキア=ベネチアの黒い貴族に使われている下っ端が、“脱”原発派の鉢呂経産相を辞任に追い込んだ連中と思って差し支えないと思います。
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20:馬之助:
2011/09/09 (Fri) 23:29:11
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サムライさん
>最初、馬之助さんは梶川氏かと思っていましたよ(苦笑)。
ご期待にそえず、残念でした(笑)。
>草、すなわち皇統奉公衆について…
ということは、基本的に手弁当で活動しているということになるのでしょうか?ということは、その堅い絆はどこから生まれてくるのでしょうか?どうも、この辺が日本人の本質に関わる部分ではないのかと思います。といっても、私たちは知らないうちに手弁当で奉仕し続けているのかもしれませんね。こともあろうことか、国体にではなく、国家ともいえない政体に…。
栗原氏の『歴史の闇を御祓う』を読んでいくと、フラーと同じことをいっているように感じます(問題集のような本でもありますから、情知に落ちないように導かれているにも関わらず、詳細を理解したくて、思わず情知を頼りに他の本に手を伸ばそうとする自分がいて苦笑したりしています)。
サムライさんの『近代日本とフルベッキ』のなかに、『横井小楠 儒学的正義とは何か』からの引用で、次の文章が紹介されていました。
>朱子学の目標を一口で言えば、為政者が聖人となって理想政治を行なうことである。学問をするのは聖人になるためで、聖人は到達可能である。そうして、為政者が朱子学的な意味で聖人となれば、それで完全無欠の政治が保証される。為政者は聖人でなければならず、そのことはとりわけトップの座にいるものつまり天子に対して最も強く要求される。これを日本の幕藩体制に移せば、将軍および各藩藩主が聖人でなければならない。肥後実学党とりわけ小楠は、それを要求した。
私には、これが手弁当で奉仕するという感じなのですが…。小楠が、将軍および各藩藩主に、そういった聖人を見いだせなかったとすれば、皇統奉公衆として自らの居場所を見つけざるをえなかったというのはよく分かります。以前、海外移住/雷州半島のスレッドに、以下のように書かれた人がいました。
中国人はあきらめる前にこう言います。
「想辧法!」(方法を考えろ!)
これは、現代の日本人なら、納得のいく思考パターンでしょうが、これって、本来の日本人の姿ではないように、栗原氏の本を読んだ後では、はっきりと感じられます。恐らく、民族とかだけではなく、こういう思考をする人たちが血脈をつくり、損得勘定を優先して、自ら破滅の道をすすんでいるように思えるのです。放射能の汚染がすすむなかで、思考停止を起こしているようにしかみえない人たちを、特にネットでは非難する傾向にありますが、そうだろうかという疑問が、より強まってきました。
>人は五十歩百歩のなかで、競わず争わず自らの禊祓を怠らず励行しない限り安全と平和は実現しないのである。
この栗原氏の言葉なんか、フラーそのままです。
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19:サムライ:
2011/09/07 (Wed) 04:33:23
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馬之助さん、お早うございます。昨日(9月6日)の飯山さんの記事、「藤原肇先生がついに志布志に来られた!」に、以下の藤原肇氏の言葉が書いてあったのが印象的でした。
「空港から志布志まで,植物の植生を見続けてきました.面白かったです.」
数年前までの小生なら、上記の行を読んでも藤原さんも自然が好きなんだなと、さして記憶に残らずスルーしていたと思いますが、今回は上記の藤原さんの何気ない発言に思わず唸りました。機会があれば、本スレッドで栗原茂氏の説く「家紋と植物」について書きたいと思いますが、今回は以下の体験談を述べるに止めます。
昨年の夏に栗原さんと小生を含む4名の舎人で吉野郷を訪れた時の話です。我々舎人3名が現地の神社仏閣に気を取られているのを見た栗原さん曰く、「君たちは神社などの人工物に気を取られているようだが、本当に観なければならないのは土地土地に生えている植物だ」と諭してくれたものです。
さて、以下の馬之助さんの御言葉…
> 飯山さんが纏められた栗原氏の文章を読むと、王仁三郎は裏の働きではなく表で、出口清吉という存在が裏の働きで満蒙に潜行し、それは堀川辰吉郎にまで辿り着いていたようですね。
『金正日は日本人だった』が発行される少し前から、小生は「草」について山浦嘉久氏らから、直に月一回のペースでお話を聞いてきました。その後、西川一三の著した『秘境西域八年の潜行』、その西川の著書に青春時代に出会い、大いに感銘を受けたという関岡英之の『定刻陸軍 見て果てぬ「防共回廊』と読み続け、その後「草」に関しては栗原氏も推薦している、最も貴重な資料『伊犂紀行』(日野強著)を入手するに至っています。なお、西川一三については、天童竺丸氏がネットに書いていますので参照してください。これは、「反支那地帯を行く ──西川一三の秘境西域潜行」という記事で、一番下の方にある全部で6話のシリーズです。
http://michi01.com/kantougen.html
これと関連して、草、すなわち皇統奉公衆について世の中に公開してはいけないと思っていた情報の一つに、アラスカで行方不明になった冒険家・植村直己が居ます。同氏とはかなり昔池袋で一度お会いしたことがありますが、数年前に栗原から植村直己が皇統奉公衆と聞かされて驚愕、その後は人に話すことはありませんでしたが、何のことはない、天童氏が上記のページに堂々と公開していました(苦笑)。このように、皇統奉公衆の中には出口清吉・日野強・西川一三・植村直己といった、世の中で存在を知られるようになった「名の知れた草」も一部にいますが、これは氷山の一角であり、あとはほとんど世の中に知られることはありません。
> しかし、先日W杯の予選で日本と北朝鮮が対戦していましたが、フェアプレーで、中国や韓国に感じられる、国家の為とはいいながら国家を盾にした自分のためのものではない(国家とはそういう時に利用されるものかも知れませんね)、むしろ日本に近いひた向きさが感じられ、好感が持てました。
馬之助さん、北鮮を創ったのは、日本のサンカ(スキタイ)です。ご存じのとおり、紀元前800年代のスキタイは草原の民であり、日本ではサンカと呼ばれている民族です。彼らは天皇の墓つくりのプロ集団でした(石屋)。だから、好感を持てるのも自然の成り行きです。
> ところで、「出口王仁三郎は出口清吉の身代りとなって軍閥の腐食と心中するが」とすると、この軍閥は現代では官僚と企業となり、身代わりとなって腐敗と心中する誰かの存在というのがあるのでしょか?
御意。
> 梶川氏にはじめて会った時、「自分のこどもの勉強をみていると、国民はバカで税金を払ってくれればいいという教育としか思えない」といったら、当たり前でしょうという感じで受け流されてしましましたが、フラーの足跡を辿ることで、教育とは独習かつ自発的なものであり、生来的な好奇心にはじまるものであることを実感しました。
最初、馬之助さんは梶川氏かと思っていましたよ(苦笑)。現在、カタツムリやカメのようなペースで、フラーの『クリティカルパス』を読み進めていますが、フラーは反骨精神という形容がピッタシです。
> 松井氏によると、人間が独自に作りだしたものはなにひとつなく、ただ自然の古文書を紐解いていっているだけだということになります。私は人間としての、そういった謙虚さに惹かれます。
松井孝典氏の著作は数冊読みました。ただ、「宇宙150億年」、「ビッグバン」説には小生は同意出来ず、藤原肇氏や栗原茂氏らも否定しています。一年ほど前もビッグバンが当然あったと話をしていた某神主に対して、栗原氏が即座に「ビッグバンがあったと思うのは間違い」と否定しております。栗原に云わせれば、“人工”の古文書では最高峰をいく『古事記』の上巻に書いてあるとのことですが、未だ小生ごときのレベルでは読み解けませんな…
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18:馬之助:
2011/09/05 (Mon) 21:59:07
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サムライさん
出口王仁三郎の話題をスルーしていました。
>つまり、出口なお二男の清吉は並みいる「クサ」(草・諜報員)と異なり、少年期に表芸から裏芸まで徹底して仕込まれていく資質を持ち合わせることから、杉山茂丸ラインを経由して堀川辰吉郎に達していたのだ。出口王仁三郎は出口清吉の身代りとなって軍閥の腐食と心中するが、清吉ラインは大東亜戦争後の今も健在で平成大相撲を支えていることは知る人ぞ知る。
飯山さんが纏められた栗原氏の文章を読むと、王仁三郎は裏の働きではなく表で、出口清吉という存在が裏の働きで満蒙に潜行し、それは堀川辰吉郎にまで辿り着いていたようですね。となると、妄想するに、そのラインは『金正日は日本人だった』に繋がっていきそうです。さらに、飯山さんの横田めぐみさんまで行き着いてしまっても不思議ではなさそうです。その動機を単に天皇制ではなく光格天皇の神意というものに繋げて考えると、国家の存亡をそれに賭けるというのも頷けます(ただ手段についてはどうなのかとは思いますが…)。しかし、栗原氏の以下の言葉からすると、それも致し方ないのかもしれません。
>光格天皇の神変大菩薩は純血皇統に立脚する聖地(結界)に根ざすのだが、亜流の大江山系霊媒衆は混血の統御に立脚するため、更地(俗界)を紡いで繕う版図(ロードマップ)に重点を注ぐことになる。
しかし、先日W杯の予選で日本と北朝鮮が対戦していましたが、フェアプレーで、中国や韓国に感じられる、国家の為とはいいながら国家を盾にした自分のためのものではない(国家とはそういう時に利用されるものかも知れませんね)、むしろ日本に近いひた向きさが感じられ、好感が持てました。
ところで、「出口王仁三郎は出口清吉の身代りとなって軍閥の腐食と心中するが」とすると、この軍閥は現代では官僚と企業となり、身代わりとなって腐敗と心中する誰かの存在というのがあるのでしょか?
教育に関してですが、フラーを翻訳した梶川氏は二年間フラーの教育を受けています。どんな教育かというと、梶川氏訳の三作目の『コスモグラフィー』の内容にそったものだったようです。ですから、『コスモグラフィー』は自分でモデリングをしながら内容をおっていけば、独習できるようになっています。出版に前後して、梶川氏はフラーの教育を実際に人に行なうという、(後で考えれば恐らく)実験をしています。私の知るところでは、二回行なわれているようです。デザインサイエンス講座と銘打ったそれは、PCをフルに使ったもの(当時フラーは50人の設計士を雇ったが、現在ではPCの出現によりひとりでそれができるということ)で、講義もスカイプを使って行なわれています。どういうわけか、私はその講座の一期生でした。当時四十代後半の最高齢者で、しかも文系でCADなんて使ったこともない私が、半年の講座とドーム製作に特化した研究生としての半年、さらに梶川氏の研究を手伝う形でのドームの製作の一年、計二年で、ノースフェイスの40周年の4Fドーム(http://www.goldwin.co.jp/tnf/40th/)の設計をひとりで担当し完成させました。CADの三次元空間で球面幾何学を行ない、円弧を1/10000ミリ以下の精度で書いています。フラーの教育のひとつの結果です。
梶川氏にはじめて会った時、「自分のこどもの勉強をみていると、国民はバカで税金を払ってくれればいいという教育としか思えない」といったら、当たり前でしょうという感じで受け流されてしましましたが、フラーの足跡を辿ることで、教育とは独習かつ自発的なものであり、生来的な好奇心にはじまるものであることを実感しました。栗原氏は、神とは情報であるといっていますが、CADという三次元の仮想空間のなかにもたしかに神はいました。失敗を繰り返すことによって情報が蓄積されて行き、やがては神意を伺い知る方向に必ず事態は収束されていきました。その経験からすると、インテリジェンスとは、神意を伺い知ることのように思います。
アストロバイオロジーの松井孝典氏が『宇宙人としての生き方』のなかで、フラーと同様のことを分かりやすくいっています。
>文明のパラドックス、つまり、文明が発展してあるレベルに達すると、宇宙、地球、生命の歴史が解読できるようになる一方で、同時に文明の成立基盤がゆらいでくる、そういう矛盾が生じてくるのは、宇宙からの視点に立って考えると、必然であることが認識できます。なぜか?宇宙からの視点とは、簡単に言えば、宇宙150億年の時空スケールで全体を考えることです。そのような視点に立って考えると、自然とは、ビッグバン以来の歴史を記録した古文書、ということになります。“自然とは何か”を追求するとは、その古文書を解読することに相当します。その解読結果をまとめたものが、現在、我々の持つ、“知の体系”です。
松井氏によると、人間が独自に作りだしたものはなにひとつなく、ただ自然の古文書を紐解いていっているだけだということになります。私は人間としての、そういった謙虚さに惹かれます。
私たちは、乳酸菌を通してなにを学んでいるのでしょうか。
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17:サムライ:
2011/09/03 (Sat) 04:04:35
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馬之助さん、お早うございます。現在、台風12号が室戸岬あたりに上陸して岡山に向かっており、当地(秩父山地麓)も時折不気味な強風が吹き付けています。
さて、
> 栗原氏と落合氏の文章と並べて読むと、フリーメイソンだけでは、大きな欠落があるように感じてしまいます。
実は、数年前までは落合氏もユダヤ説に染まっていました。しかし、2009年の2月頃に栗原茂氏から京都皇統という驚愕の事実を知らされ、確か『ニューリーダー』2009年7月号あたりから、栗原氏の名前を出して堂々と京都皇統と堀川辰吉郎について、本邦で初めて一般公開をしています。そして、それ以前に日本人の主要なルーツの一つとして、ユダヤ説を過去に採用していたことについて、最近の落合氏は後悔しているとのことです。しかし、ユダヤ説に染まっていたという点では小生も同じです…。
> フラーも一番にしなければならないのは、教育を変えることだといっています。
同感です。最近も若い知人とのメールのやり取りで、古事記と取り組むに当たって大切なのは白紙の状態で、門前の小僧習わぬ経を読むではないけど、せめて古事記の上巻を諳んじるまでは、余計な巷に溢れている古事記の解説書を読まない方が良いと書きました。枝葉末節ばかりに拘っていると、結局は古事記の深奥の世界に生涯踏み込めずに終わってしまうからです。まさに、木を見て森を見ずを地で行くようで心配していたのですが、流石にその聡明な若い知人は直ちに納得してくれました。ともあれ、このあたりはフラーの海賊船の船長の喩え話に相通じるものがありそうです。
>(落合というペンネームと井口という本名を使い分けているところがおもしろいです)。
落合氏は婿養子して奥様の姓「落合」になりました。しかし、昭和帝崩御の直前に最愛の奥様を亡くされています。その後暫くは落合姓で通していましたが、数年前に旧姓の井口に戻しています。ただし、未だに雑誌や本では落合姓で通していますが…。落合氏は東京大学の出というだけではなく、日本では最高峰をいく知識人として栗原氏は評価しており、立花隆など問題にならない本物の知の巨人だと小生も思います。また同時に、栗原氏の云う「惜しむらくは最高学府に巣くう性癖を拭いきれず」は良ぉ~く理解できます(苦笑)。でも、人間的に憎めないところがあり、落合氏は好きなタイプ人間の人生の大先輩の一人です。
> 栗本氏の『シルクロードの経済人類学』『シリウスの都 飛鳥』、以前サムライさんのブログを見て、読みました。『シルクロードの経済人類学』は、後半で満腹になってしまい、時間をおいて読もうと思ってまだ果たせていません。栗原氏の著作を手に入れたので、これから取り組もうと思います。
そうですか、それだけ拙ブログを読んでいただいているとは知りませんでした。栗原氏の著作を入手されたとのこと、今後さらに本スレッドが発展していくことを祈念しております。『歴史の闇を御祓う』だけでも、思わ身震いするほどの話が続出していますね。p.9のカラー図一枚だけでも、とてつもない情報を我々に伝えていると思います。広瀬隆の『私物国家―日本の黒幕の系図』も併せて読むことで、今まで見えなかった日本の地下水脈が見えてくるのではないでしょうか。
広瀬氏といえば、持丸長者三部作を思い出します。特に、『持丸長者[幕末・維新篇]―日本を動かした怪物たち』は、機会があれば目を通し、栗原氏の『歴史の闇を御祓う』と読み比べてみたいと思っていますが、その前にフラーを読了しなければ…。
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16:馬之助:
2011/09/01 (Thu) 22:09:36
host:*.bbtec.net
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サムライさん
先日は読み終える前にコメントしてしまって失礼しました。
今回もたくさんの資料を提示していただき、ありがとうございます。
サムライさんの『近代日本とフルベッキ』と、飯山さんが纏められた栗原氏と落合氏の文章を読むと、サムライさんが言われる通り「この三傑や周りの大隈重信、勝海舟、徳川慶喜、横井小楠といった人物だけを追っていったのでは、陽が射す面(政体)しか知ることができないが、寧ろ、陽の射さない面(国体)を取材することが肝心なのだ」と思います。副島氏の『属国・日本論』を引用されている部分もおもしろく読ませていただきましたが、栗原氏と落合氏の文章と並べて読むと、フリーメイソンだけでは、大きな欠落があるように感じてしまいます。これもサムライさんが言われる通り、「もし、国体について栗原から2004年当時に聞いていれば、上記のような内容のPDFファイルは書かなかったと(孝明帝暗殺など)、今では思います」というのは頷けます。私も、皇統奉公衆に惹かれるのは、所謂陰謀論の枠を超えた真実を感じるからだと思います。
ここで三者が語られているのを読んでいくと、キーワードは「教育」にあるのではないかと思います。サムライさんの文章の中に『大隈重信 その生涯と人間像』(J・C・リブラ著 早大出版部)からの引用で、
>友人の福沢(諭吉)の場合と同様、大隈の目的は封建的な考え方を変え、「自由と独立の精神をもって、次の世代を育成する」ところにあった。この精神を教えこむことは事実を教えることよりも遙かに意義のあるものだと、大隈は感じていたのである。早稲田大学の卒業生は政治とかなり深いかかわりを持つ(現在でもそうである)ことで有名であった。
これがフルベッキが日本に残した種だと思います。
ところで、ロスチャイルドの「世界革命行動計画」に以下の文章があります。
>政治権力を奪取するには「リベラリズム」を説くだけで十分である。そうすれば有権者は1つの思想のために自らの力、特権を手放すことになり、その放棄された力、特権をかき集めて手中に収めればいい。
>我々は「自由・平等・博愛」という言葉を大衆に教え込んだ最初の民族である。今日に至るまで、この言葉は愚かな人々によって繰り返されてきた。
なんか危険な匂いがしてきます。
一方で、対抗策といいますか、それも教育で、光明天皇は学習所を設立した訳です。
>学習院は公家の子弟を生徒とし、儒学を主として和学を取り入れた教科の会読・講釈を中心とした授業を行った。
儒学だけではなく、和学というのが大きな要素となるのではないかと思います。栗原氏の言葉に以下のものがありました。
>日本を和と仮定すれば、東西混淆の洋は南北を巻き込む遠心力のもとに、求心力が働く核心の和に集中するのが回転トルクのベクトルである。
深い洞察だと思います(フラーのモデリングのなかに同じようなものがあって、それを具体的に書こうと思いながら果たせないでいます)。
フラーも一番にしなければならないのは、教育を変えることだといっています。『クリティカル・パス』の前に、梶川氏の訳ではないのですが『宇宙船地球号操縦マニュアル』というのがあります。『クリティカル・パス』ほど直接的な表現ではないのですが、そこでは海賊船の譬喩が用いられています。海賊船の船長は寝首をかかれないために、周りに専門家しか置かないというのです。すべてを知っているのは唯一船長だけで、船長がいなければ専門家がいくら集まっても船をコントロールする術がないようにさせておく訳です。その流れで作られたのが大学で、どんどん専門分化が進んでいます。その反動で複雑系が出て来たのでしょうが、スタートが専門家なので複雑系といえどもそれぞれ土台になる分野で微妙に狂いが生じているように感じます。それを正して大事なものが何かを示して『クリティカル・パス』をフラーは明確にしようとしているのだと思うのです。その辺は、栗原氏が落合氏を評しているところに現れています(落合というペンネームと井口という本名を使い分けているところがおもしろいです)。
>惜しむらくは最高学府に巣くう性癖を拭いきれず、思考回路が構造不全のまま情知が先んじるため、実証現場の意を整えきれず、共時性を伴う統一場を形成できない。
しかし筆者は井口に期待している。人の本能的属性は純心を失わなければ、必ず瞬時の閃きによって覚醒したうえ、積み上げた素養が役立つ時が必ず訪れよう。それが純心の本義だからである。落合が誤る還元論を改めたとき、筆者も井口と場の共時性を保ちながら意の共振状態を形成するに違いないと期待している。
「純心」を失わず、「還元論を改める」ことで、「共時性を保ちながら意の共振状態を形成する」が、ここでの教育の目標といえるのでしょうか。長くなってしましました。最後に、
>小生はフラーの説に古事記の百柱説と照らし合わせてみたり、法律・教会・銀行も一神教の徒から登場したものとして捉え、本スレッドの主題であるツランと対発生的に考察を重ねており、朧気ながらも少しずつ点と点とが繋がりつつありますので、いずれ文章に書き表せると思います。
楽しみにしています。
栗本氏の『シルクロードの経済人類学』『シリウスの都 飛鳥』、以前サムライさんのブログを見て、読みました。『シルクロードの経済人類学』は、後半で満腹になってしまい、時間をおいて読もうと思ってまだ果たせていません。栗原氏の著作を手に入れたので、これから取り組もうと思います。
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15:サムライ:
2011/08/30 (Tue) 05:47:40
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馬之助さん、お早うございます。
> 国家の裁判によって偽書とされアカデミズムから顧みられることがなくなってしまった竹内文書の世界ですね。
仰せの栗原氏の唱える“原日本人論”について、今までの常識のために頭では受け容れることができなくても、胆で受け容れることができるというお話、似たような体験があるので大いに肯けます。
なを、竹内文書についてですが、古事記の「上巻」の研究をある程度終えたら、次は竹内文書の世界も覗いて見たいと思います。確か、拙宅には数冊の竹内文書に関する書籍があるはずで、いずれは詳細に調べてみたいと思っていました。小生は同書を偽書とは捉えていません。しかし、古事記だけでも手一杯なので、もしかしたら生涯取りかかることなく終わるかもしれません…。
> 出口王仁三郎が、大本教は国家と国体を切り離すことが目的だったというようなことをいっていたと本で読んだ記憶があるのですが、今それに納得がいきました。
その出口王仁三郎と関連して、馬之助さんに是非目を通して戴きたいのは、飯山さんが纏めた以下のページです。大本教のお筆先は現在もおり、日本人女優の某もそうです。
http://grnba.com/iiyama/html/16EmperorsDeepHist.html
> 集合写真に写っている人と、学習所に集まった人が一部重複しているようですが、それが面白いです。
馬之助さんは、まだ小生の『近代日本とフルベッキ』の前半あたりを目を通しているのだと思いますが、実は、あの写真(フルベッキ写真)に横井小楠・桂小五郎・江藤新平・高杉晋作・中岡慎太郎…らが写っているというのは真っ赤な嘘です。このあたりは、『近代日本とフルベッキ』の後半辺りから徐々に明らかになっていきます。
ともあれ、栗原が挙げた学習所の人たちとは誰一人として重なることはなく、あの写真で“本物”と言えるのは、フルベッキ博士、岩倉具定、岩倉具綱の三者のみです(フルベッキ博士に抱かれている子供は、息子のウィリアムではなく娘のエマ。また、大隈重信は当初小生は本物と思っていたが、その後の研究で他人という高橋氏の説に傾きました)。
現在、高橋信一氏と落合莞爾氏とが、フルベッキ写真を巡って論争をしていますが、小生は高橋氏の研究を全面的に支持しています。高橋氏と小生とでフルベッキ写真をブログに掲載していますので、ご関心があれば一読ください。尤も、高橋氏と落合氏とは古写真に対する見方考え方のみが違っているのに過ぎないのであり、論争は論争として、お二人とも親しくお付き合いさせていただいています。
http://pro.cocolog-tcom.com/edu/cat4229856/
> 2方向編みの不安定さから、その結束を強化するために、文字(フラーは表音式綴り方によって、「人類は観念全体の概念的象徴、つまり強力な普遍化を失ったと同時に、個々に意味をなさない音のつながりによる発声に引き裂かれたのである」といっています)を、更に法律を必要とし、そして教会をつくっていって、銀行家が登場してくる余地をあたえてしまったのではないでしょうか。
このあたりに関しては、小生はフラーの説に古事記の百柱説と照らし合わせてみたり、法律・教会・銀行も一神教の徒から登場したものとして捉え、本スレッドの主題であるツランと対発生的に考察を重ねており、朧気ながらも少しずつ点と点とが繋がりつつありますので、いずれ文章に書き表せると思います。ともあれ、一神教はユダヤ教・キリスト教・イスラム教の三大宗教のみで、あとは全て多神教の世界です。
尤も、ツランといっても毎日福島原発から撒き散らされている放射性物質と同じで、姿形が見えるわけではないので、実態を捉えにくいと思います。歴史を残さなかったツランの実態を知るためにも、一度は草原の道を知ることが第一歩かもしれません。
http://pro.cocolog-tcom.com/edu/2009/01/post-c506.html
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14:馬之助:
2011/08/28 (Sun) 07:45:35
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サムライさん
>現在、ツランが続々と日本に来ているのは、栗原に云わせれば「里帰り」ということになるようです(過日の古事記の蔵が一杯になる話を思い出してください)。この根幹が「原日本人」という考えにあるようで、現在の日本国籍を持つ人口の1億3000万人の一割、即ち1300万人が原日本人だとのことです。
これは面白いですね、ワクワクしてきます。この話は、信解の領域にストンと入ってきます。どうしてかは知らないけれど、腹では分かっている。それに対して、頭はちょっと不服気味っていうところでしょうか。人口の一割というのも、なるほどなあと思います。
国家の裁判によって偽書とされアカデミズムから顧みられることがなくなってしまった竹内文書の世界ですね。フラーもビタミンDが過量摂取を起こすこともあるビタミンであることから、皮膚の色素の変化は必然だとして、肌の色の違いがあってもそれは環境によるものであって人類は同一種族だといっています。ペトログリフの世界でも元はひとつだったといっているようですし、弊立神宮には五色人面が伝わっているそうですから、「里帰り」はあり得る感じですね。そう考えないと、ツランが続々と日本に来ているという理由がはっきりしません。その上で、「原日本人」の能力、役割、何が期待されているのかというところが気になりますね。謎は深まっていくばかりです。
後は、自分もその一割の中に入っていることを願うばかりというところでしょうか。
>「近代日本とフルベッキ」
まだ、すべてを読んではいないのですが、フルベッキと集合写真に写っている面々が、国家を形成しそれを元に国民を支配していったと考えれば、国家というものの正体が見えて来るようです。その後、国益の為に何度も外国に出ていって、国民の血が大量に流されていくわけですから、その為には国家というものが樹立される必要があったのですね。そういった種類の国益を、国体が望んだとは思えないのは、サムライさんの古事記の蔵が一杯になる話からも窺えます。出口王仁三郎が、大本教は国家と国体を切り離すことが目的だったというようなことをいっていたと本で読んだ記憶があるのですが、今それに納得がいきました。フラー風に言えば、フルベッキを辿れば東インド会社が出てきそうですね。
集合写真に写っている人と、学習所に集まった人が一部重複しているようですが、それが面白いです。『クリティカル・パス』のp65の図4に、2方向編みと3方向編みの説明があります。「2方向編みは拡がりやすく、したがってねじれやすく、ゆえに不安定である。」といっています。3方向編みとはかご目のことですが、「歴史的に注目すべきことは、南太平洋の島の人々や日本の南部からビルマにかけて海岸沿いに住んでいる人々の間では、大小のどんなかごも六〇度の三角形に(三方向に)編まれていることである。ところが、世界のその他の地域ではかごはすべて四角形か九〇度で(二方向に)編まれているのである。」といっています。これは私には、「宇宙エコロジー」のp161のイラストに繋がることで、古事記にも関連しているようにも思えるのですが、要は、2方向編みの地域の人には、3方向編みの地域の人の編み目の強固さには思いが及ばなかったということではないかと思います。
2方向編みの不安定さから、その結束を強化するために、文字(フラーは表音式綴り方によって、「人類は観念全体の概念的象徴、つまり強力な普遍化を失ったと同時に、個々に意味をなさない音のつながりによる発声に引き裂かれたのである」といっています)を、更に法律を必要とし、そして教会をつくっていって、銀行家が登場してくる余地をあたえてしまったのではないでしょうか。
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13:サムライ:
2011/08/25 (Thu) 10:29:45
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馬之助さん、以下、書き忘れました。
暑さも手伝ってか、なかなか読み進むことが出来ないのですが、現在は漸く『クリティカル・パス』の「貪欲な法律家資本主義」を読み進めています。ここで、数年前のリーマンショックに繋がる、黒い貴族の原点を垣間見たような気がしました。このフェニキア人、すなわちヴェネツィアに関してはツイートしたことがあります。
http://twilog.org/tweets.cgi?id=fibonacci2010&word=%E3%80%90%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2
現在、栗原氏が連載中の「アッシリア文明史」ではローマ史から黒い貴族に移行しようとしており、その意味でも「貪欲な法律家資本主義」は興味深い章です。
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12:サムライ:
2011/08/25 (Thu) 08:28:58
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ひろみさん、どうも。分からないことがあったら、何でも馬之助さんに聞いてくださいね。
さて、馬之助さん
> このそうそうたるメンバーをみていると、なんのために集まったのだろうかと、素朴な疑問がわいてきます。「政体の中枢(西郷隆盛・大久保利通・木戸孝允)」の英雄伝を聞かされて来た身には、欧米から渡来した国家という概念が知らぬ間に美化されて、自分の中に犯すべからざるものとして鎮座しているようです。
小生も、明治維新の立役者、すなわち明治政府という政体の中枢が西郷・大久保・木戸の三傑と思っていた時期がありました。なお、当時は野田隼人というペンネームで、某国際契約コンサルティング会社のウェブサイトに、「近代日本とフルベッキ」と題した拙稿を、毎月1年間にわたり掲載して戴いたことがあります。関心があればPDFファイルに纏めたものがありますので、御笑読ください。
http://fujiwaraha01.web.fc2.com/toneri/kame/verbeck_2004.pdf
執筆したのが2004年ですから、既に皇室インナーサークルの栗原茂氏とは顔を合わせていましたが、皇室すなわち国体の深い話は未だ聞かされておらず、専ら古事記に関するお話が中心でした。だからもし、国体について栗原から2004年当時に聞いていれば、上記のような内容のPDFファイルは書かなかったと(孝明帝暗殺など)、今では思います。
さて、未だピンと来ないのは、今日の皇室を皇室たらしめる根底(神格)が119代・光格天皇という点にあり、閑院宮家系とは云え傍系も傍系で、当時住んでいた何処かの寒村から都に連れてこられて天皇に即位したという、一般に伝わる伝承は事実とは云え、皇位に就くまでには我々凡人には伺うことのできない、想像を絶する動きがあったのだと朧気ながらにも思います。今後も栗原から精力的に聞き出し、自分なりに裏付けを取って皆様に支障の無い範囲で公開できればと祈念しております。
なお、過日挙げた学習所に出入りしていたメンバーは、栗原茂氏から直に聞いたのですが、明治維新の立役者、すなわち明治政府という政体の中枢が西郷・大久保・木戸を挙げたのは一般常識とやらに従っただけです。しかし、この三傑や周りの大隈重信、勝海舟、徳川慶喜、横井小楠といった人物だけを追っていったのでは、陽が射す面(政体)しか知ることができないが、寧ろ、陽の射さない面(国体)を取材することが肝心なのだと思います。しかしながら、この場合の取材は危険が伴うのだし、栗原氏ですら今まで数々の修羅場をくぐって来ています。ここが、その辺の大手マスコミが大した取材もせず、デスクに座って書くような記事との違いだと思います。いずれにせよ、栗原氏の取材する世界は、小生には突っ込むことの出来ない世界であり、その栗原氏らを“逆取材”するのが今の小生には精一杯といったところでしょうか…
また、学習所を出入りするメンバーを見て、長州藩士であった桂小五郎、後に三傑となるあたりから木戸孝允に改名する理由を知りたく思っています。西郷や大久保の働きに較べ、木戸の陰が薄いような気がしますが、もしかしたら役小角のように公と私の綱渡り人生を送ったのかもしれませんね。
> 国家というのは、国体とか政体とかとどう関係して来るのでしょうか?日本という国家の存亡のためにツランがこの国に集まってきているとは思いにくいんですよね(学習所に集まってきた面々にしてもそうです)。ツランという絆があるとすれば、それは国家というものを超えたところにあると思うのです。国家以前の国の成り立ちようというか、はたらきというか、しくみのようなもの、それがユーラシア大陸から流れてきて日本列島に納められていくというほうがまだしっくりいく感じです。
こうした内容も、栗原氏を中心とする皇室関係者に聞きながら裏付け作業を進めている最中です。よって未だ明確な答えを模索中ということもあるので、国体と政体の関係というご質問に答える代わりに、栗原氏の語る以下のような太古の日本について説明してみます。
現在、ツランが続々と日本に来ているのは、栗原に云わせれば「里帰り」ということになるようです(過日の古事記の蔵が一杯になる話を思い出してください)。この根幹が「原日本人」という考えにあるようで、現在の日本国籍を持つ人口の1億3000万人の一割、即ち1300人が原日本人だとのことです。小生も原日本人かどうかの試験を受けましたが、その後もお付き合いを続けさせてもらっているので、試験には“パス”したのでしょう。だから、小生も原日本人という少数派のようです。その試験は何も日本国籍の人だけではなく、ツランに属するハンガリー、フィンランド、トルコ、モンゴルなどの人たちも含みます。最近もトルコの青年某も試験を受けています。どのような試験をしているのかは、採点の現場に居たことがないので小生には分かりませんが、小生の場合は幼い頃の写真数葉を提出しているので、どうやら幼い頃の骨格を見ることによって、原日本人かどうかの見分けが付くようです。
アイヌが日本に定住したのは縄文時代のある時期だと思いますが、それ以前に住んでいたのか天皇家一族であり、アイヌに対して色々と世話をしたので、アイヌも天皇のために尽くしたと栗原は言いますが、「アイヌよりも先に日本に定住していた天皇家」と云われても小生もピンと来ず、自分なりの裏付け作業が必要と思っています。さらに、日本から発して草原の道を通り、最終的には西はフィンランドやハンガリーに至り、東はマヤ文明を築いたということになりそうです。したがって、トルコ、モンゴル、キルギスなどの人々は遠祖を一にするということになります。だから、いつか栗原がモンゴル人は日本人だと言い放った意味も、何となく分かるような気がするものの、余りにも今までに“一般常識”として学校や卒業後の読書で知った事と違いすぎるので、本当にそうなのだと納得するには、未だ未だ時間がかかりそうだというのが偽らざる実感です。
今は本業もあるので縄文時代までは手を染めている余裕が無く、当面は古事記と堀川辰吉郎とその周辺を自身で裏付けを取っていきたいと思います。
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11:馬之助:
2011/08/23 (Tue) 22:24:13
host:*.bbtec.net
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ひろみさん
参加のごあいさつ、ご丁寧にありがとうございます。
サムライさん
>学習所すなわち建春門外学習所(京都御所)に集まった面々を挙げておきます。
このそうそうたるメンバーをみていると、なんのために集まったのだろうかと、素朴な疑問がわいてきます。「政体の中枢(西郷隆盛・大久保利通・木戸孝允)」の英雄伝を聞かされて来た身には、欧米から渡来した国家という概念が知らぬ間に美化されて、自分の中に犯すべからざるものとして鎮座しているようです。
同様に、「ツランの絆」の過去の記事を読んでみると、飯山さんの発言に「文字や文献にない国家社会には歴史がない!」というのがあります。この言葉はまさにその通りなのですが、サムライさんとの会話で、国体とか政体とか話して来た後では、ちょっと自分の中で納まりの悪い感じがでてきました。「歴史とは、言葉(文献・伝承・歌謡)で表現されたものであり、これ(言語)以外の表現方法はありません」というのも、その通りだと思います。法律は言葉による表現ですし、それによって政治家、官僚以下国民も動いているわけですから、それによって国家が成立し、そこに歴史も成り立つわけです。国を変えたければ、法律を変える為に政治家を変える、その権利も国民にはあるわけですが、果たしてそれは、もともと国民に成しえることなのでしょうか。確かに、それは国家ではあるでしょうが、国体とは言いにくいように感じています。言葉が国家によってうまく利用され、その言葉によって国民が蹂躙されている。ということは、言葉に拘っていては出口に辿りつけない。
国家というのは、国体とか政体とかとどう関係して来るのでしょうか?日本という国家の存亡のためにツランがこの国に集まってきているとは思いにくいんですよね(学習所に集まってきた面々にしてもそうです)。ツランという絆があるとすれば、それは国家というものを超えたところにあると思うのです。国家以前の国の成り立ちようというか、はたらきというか、しくみのようなもの、それがユーラシア大陸から流れてきて日本列島に納められていくというほうがまだしっくりいく感じです。
ロンドンでは略奪行為がつづいているようです。その報道の写真をみると、それこそ頬かむりした国民が商店を襲っています。近代の国家を象徴するロンドンで、その国家と国民の関係が崩壊しているようです。私には頬かむりすることで国民が国家から逃れ得ると考えるところが、まさに国家の存在のしかたであるように思えます。
国家という言葉は、本来的に、どこか威圧的で閉塞感を感じないではいられません。国体という言葉には、むしろ父や母、兄弟やこども、天地自然と、広がっていくものを最近では感じています。国家という威圧感を、私たちは天皇と混同させられていて、国家の裏には、天皇がいた、とか、いまもいるとか思わされているように感じてしまいます。
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10:ひろみ:
2011/08/22 (Mon) 01:52:26
host:*.rima-tde.net
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ツランの話題のようなので、私も参加させてください。
とはいっても、皆さんの濃いお話を聞かせていただくことが多いと思いますが・・・。
とりあえず、今日はご挨拶まで・・・。
よろしくお願いいたします。
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9:サムライ:
2011/08/21 (Sun) 07:46:07
host:*.t-com.ne.jp
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馬之助さん、こちらの「ツランという絆」でもよろしくお願いいたします。
さて、
>もし学習所なかりせば、幕末・維新は間違いなく日本を滅亡に導き、現在の日本人は無国籍の民として彷徨の旅を続けていたに違いない。
ご参考までに、学習所すなわち建春門外学習所(京都御所)に集まった面々を挙げておきます。
横井小楠、三条西季知、佐久間象山、鍋島直正、梅田雲浜、元田永孚、毛利敬親、中御門経之、宮部鼎蔵、周布政之助、久邇宮朝彦親王、岩倉具視、有馬新七、河田佐久馬、平野国、武市半平太、由利公正、吉田松陰、甘粕継成、東久世通禧、桂小五郎、江藤新平、錦小路頼徳、有栖川宮熾仁親王、吉村寅太郎、三条実美、赤根武人、中岡慎太郎、姉小路公知、高杉晋作、久坂玄瑞、池内蔵太、田中新兵衛、沢宣嘉…
こうした顔ぶれが、どのような役割を果たしたかを改めて見直すことで(表の活動もさることながら、裏の活動も含めて)、学習所の狙いが朧気ながら分かるような気がします。
ところで、明治維新以降の明治政府すなわち政体は、たとえば廃仏毀釈という神道国教化政策を展開し、そのため各地で仏堂・仏像・経文などが破棄されたことはご存じのとおり。人によっては、このあたりを簡素に“仏(仏教)を捨て、神(神道)を祭り上げ、その神を天皇とした」と言う人もいます。
しかし、ここで政体の中枢(西郷隆盛・大久保利通・木戸孝允)すら知らなかった、裏での国体(皇室)の動きがあったことは過去幾度か述べました。明治初年の廃仏毀釈運動が起きた当時は、孝明天皇は“お隠れ”になっており、日本の行く末を見守っておられたことは、最近になって落合莞爾氏が『月刊日本』や『ニューリーダー』で公にしていますが、このように国体と政体の動きは全く別物でした。要は、明治元年前半の段階では、父(孝明天皇)は京都御所に、息子(明治天皇)は江戸(明治元年9月6日、江戸は東京と改称)にいたことになります。
大分長くなりましたので端折りますが、こうした流れ(神意=grand strategy)を立てた人物こそが、第119代・光格天皇でした。だから、息子の仁孝天皇、孫の孝明天皇、曾孫の明治天皇、さらには今上天皇へと脈々と光格天皇の神意が受け継がれてきています。このあたりは、機会があれば色々な角度から検証する形で語りたいと思います。
ただ、小生の実弟すら上記の栗原氏や落合氏の皇室話は嘘と信じて疑わないのですから、ましてや他人には話しても、「何を狂ったことを言っているんだ、このシト」で終わりますので、今では皇室について書くのは、拙ブログやこのスレッドだけとなりました。
> 私も綱渡りが好きで、というか、ほんとは好悪に関わらず綱渡り的人生を余儀なくさせられてきたようなものですが、こうも連続するとさすがに最近では馴れて来て、人生とは本来的にこんなもんなんだと、時々息継ぎに水面から顔を出す感じで思えるようになってきました。
いつか、紀野一義氏のお話もさることながら、馬之助さんの綱渡り人生のお話を聞けるのを楽しみにしています。
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8:サムライ:
2011/08/21 (Sun) 07:41:19
host:*.t-com.ne.jp
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皆様
スレッド「海外移住/雷州半島」で、主に馬之助さんとサムライとの間で色々と語り合っていましたが、いつの間にかテーマが皇室関連とフラー関連とになってしまい、本来の主テーマ「海外移住」からかけ離れてしまいました。よって、馬之助さんの同意を得たこともあり、本スレッド「ツランという絆」に引っ越しました。
なお、「海外移住/雷州半島」で展開された皇室およびフラー関連は、流れが把握しやすいようにPDFファイルに纏めましたので、関心のある方は以下からダウンロードしてください。(過日の第一版より、さらに読みやすくしてあります)
http://www2.tba.t-com.ne.jp/dappan/mb/pursuit_of_truth.pdf
以上
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7:サムライ:
2011/01/31 (Mon) 08:20:44
host:*.t-com.ne.jp
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飯山さんが仰せの「歴史とは文献史学のことであり、文献史学以外の歴史はない」は至言だと思います。『月刊日本』の山浦(嘉久)さんも、『金正日は日本人だった』(佐藤守著 講談社)について言及した折、インテリジェンスの大切さを説いておられたことを思い出します。つまり、「情報」のような素材を探しているのが考古学であり、そうした素材や文献から正しい歴史を見抜くのは、文献史学すなわちインテリジェントに他ならないと思います。
岡田英弘の名前が出てきましたが、岡田氏系統の学者に、栗本慎一郎、杉山正明、森安孝夫らがおり、文字を残さなかった草原の民に対する、愚生の考察が深化したことは彼らのお陰であると思っています。そのきっかけとなる『シルクロードの経済人類学』を紹介してくれたのが、上記の山浦さんでした。同書を足がかりに、『シリウスの都 飛鳥』(栗本慎一郎著 たちばな出版)、『遊牧民から見た世界史』(杉山正明著 日経ビジネス文庫)、『興亡の世界史 シルクロードと唐帝国』(森安孝夫著 講談社)さらには岡田英弘氏が解説を書いている『伊犂紀行』(日野強著 芙蓉書房)へと展開しました。
最後に、小生は飯山さん同様に山形明郷先生の説を支持する者ですが、山浦さんは何と秋田説を支持しており、このあたりの我々との見解の違いは面白く思います。多分、日本海を挟んで10世紀に相次いで起こった、白頭山の噴火と青森県と秋田県との県境の山中にある十和田湖の噴火が、朝鮮の建国神話と深く結びついているという話なのでしょう。
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6:飯山一郎
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2011/01/30 (Sun) 22:12:46
host:*.ocn.ne.jp
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考古学は、歴史学にとって邪魔者! …このことが分からない
歴史学者はニセモノだと思っていいでしょう。
たとえば、「高松塚古墳」。
この発掘作業をした考古学者も、発掘作業の全てをみていた
平山郁夫氏も、この高松塚の極彩色壁画は、北朝鮮の平壌
周辺に散見される古墳群中の壁画と似ていることから、学界
の見解に倣って「高句麗」の壁画であると断定した。
これが大きなカン違い、そして大間違い。
「高松塚古墳」は、高句麗式ではなく、百済式!
これは、遼寧省の朝陽市などで、本物の百済の本物の壁画
を見た学者なら、すぐに分かる。
また、中国の文献を熟読した深い文献史学の素養があれば
「高松塚古墳」の壁画が高句麗式! などという知見は出て
くるはずがない。このへんの素養が、奈良近辺の歴史学者、
考古学者の双方にない。可哀相なほどです。
さらに、たとえば「箸墓古墳」。
築造された年代が卑弥呼の時代と同じ! という鑑定結果が
でただけで、卑弥呼の墓だ! と興奮して記者会見までする。
年代が同じだというだけで、この騒ぎ! これなどは、考古学
が歴史学の邪魔をしている、という格好の例。
まぁ日本の場合、歴史学も、考古学も、政治学も、社会学も
日本列島のなかだけで完結してしまう学問で、アジアの中の
日本! という発想がない。
アジア全体を俯瞰する視点でみれば、邪馬台国も卑弥呼も
日本列島のなかの話ではないことなど、即断できる。
日本の学者は、魏志倭人伝が日本列島の物語だと思い込み
四百年近くも日本列島内で卑弥呼探しを延々とやっている。
卑弥呼は、永久に見つからない。絶対に見つからない。
卑弥呼は、日本列島の人間じゃないんだから。
飯山一郎
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5:飯山一郎
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2011/01/30 (Sun) 21:05:24
host:*.ocn.ne.jp
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歴史とは、言葉(文献・伝承・歌謡)で表現されたものであり、
これ(言語)以外の表現方法はありません。
考古学が稀に歴史を補強することはありますが、考古学は、
昔の古い遺物で遠い昔の生活を偲ぶ(考古)手法であり、
考古学は、歴史学の遠い姻戚にすぎません。
つまり、歴史とは文献史学のことであり、文献史学以外の歴史はありません。
文字や文献にない国家社会には歴史がない! これは…、
ヘロトドスも、司馬遷も、現代の岡田英弘や網野善彦も確言しています。
『卑弥呼の正体』は文献だけをベースにしているからどうも…、と言っておられる
高橋先生は、歴史というものの本質をご存じない方です。
「考古学の裏付けがないと…」が口癖のヒトは…、
考古学と歴史学の区別ができないヒトです。
考古学は、史跡は証明できますが、史実は証明できない!
このことが分からないヒトが多く、山形先生も苦労なさっていました。苦笑。
飯山一郎
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4:飯山一郎
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2011/01/30 (Sun) 20:45:48
host:*.ocn.ne.jp
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「天皇は最高のシャーマンであり、かつ神格にまで到達した唯一の存在」
けだし至言です!
ツラン民族中、至高のシャーマン(霊媒)はツングース(東胡)であり…、
東胡中、至高の霊媒は天孫族です。
天孫族の秘儀のうち至高の神技を代々継承してきたのは、日本皇統です。
このことを、胡錦濤、温家宝、習近平等は熟知しているようです。
金正日も認識しているはずです。
知らぬは小泉・飯島・菅・仙石等です。
この意味でも、小泉・菅は最悪の宰相です。
以上。
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3:サムライ:
2011/01/30 (Sun) 19:41:26
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飯山さん、有り難うございました。
「北魏の最盛期をつくった馮太后が天皇家の先祖筋」という説、非常に説得力があります。しかも、「北燕の王族の埋葬品と、応神天皇陵の埋葬品が全く同じ形」であることを、飯山さんは発見されて点は流石だと思います。
http://grnba.com/iiyama/html/16kodaisi.html#RyoNei
同時に上記の発見は、山形明郷先生の『卑弥呼の正体』を、側面からサポートする物的証拠となりますね。小生と一緒にフルベッキ写真を追究した慶応の高橋先生は、『卑弥呼の正体』は文献だけをベースにしているからどうも…、と言っていますが、次回お会いしたら飯山さんの発見について伝えるつもりです。
なお、シャーマニズムですが、皇統奉公衆の栗原茂氏が仰せでした。「天皇は最高のシャーマンであり、かつ神格にまで到達した唯一の存在」と…。
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2:飯山一郎
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2011/01/29 (Sat) 17:23:42
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サムライさん。
やっと「ツラン」が視野に入ってきました。
金王朝の謎は、「ツラン」を視野に入れずには解けませんので。
貴殿の『ツランという絆』↓は、もちろん読んでおりました。
http://pro.cocolog-tcom.com/edu/2010/03/post-f66f.html
このなかで貴殿が紹介された「荒川静香とトゥーランドット」。
あの華麗なイナバウアーのバックに流れていた曲のトゥーラン
がツランだと知ったときは驚愕の至りでした。
だから、東洋的な雰囲気のスケーティングだったのですね!
「ツランの秘儀」は、あまり延ばさずにズバリ書いていきます。
きょうも、北魏の最盛期をつくった馮太后が天皇家の先祖筋で
あることをズバリ指摘しました。
馮太后は、遼寧省の柳城を首都とした北燕の王族の出身で、
北燕の王族は北魏と高句麗に追われ百済に逃げ込みました。
その百済が北燕の馬具などを日本に持ち込んできて、それが
大阪羽曳野市の応神天皇陵の誉田八幡社に現存しています。
北燕の王族の埋葬品と、応神天皇陵の埋葬品が全く同じ形!
以前、私は、このことを↓ココ↓で説明しました。
http://grnba.com/iiyama/html/16kodaisi.html#RyoNei
ま、誉田八幡社に現存している馬具は、ツラン型騎馬民族の
モノなんですが…。この件は、あとで書きます。
飯山一郎