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金正恩2018年元旦,金正恩,五輪外交を開始!平昌五輪を大成功に導く.習近平が金正恩を超国賓待遇!金正恩が米朝首脳会談を提案,これをトランプが即断で受諾!金正恩,板門店から韓国に入り,南北首脳会談.大成功!トランプが5月中の米朝首脳会談を示唆.マティス国防長官が「駐韓米軍の撤退」を示唆!…まさしく激動の2018年だ.この激動の切っ掛けをつくり,激動をリードしてきたのは,金正恩(34)だ!今後も金正恩は世界をリードする!目が離せない.深い考察と議論が必要だ.(M部長・飯山一郎)
金正恩の真実 金王朝の“深い謎”ビビンバ!北朝鮮!
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新時代を冷徹に読み解くおっさんたちの激論スレー37-

1:堺のおっさん:

2019/02/16 (Sat) 13:43:18

host:*.enabler.ne.jp
いよいよ二回目の米朝首脳会談が迫ってきた。金正恩とトランプというこれまでにない
国家指導者が作り出す新たな政治局面は我々の固定概念を打ち砕くであろう。
北朝鮮が途轍もない経済発展を成し遂げることは、覇権争いにも大きく影響する。
自立した朝鮮を悲願とする金正恩は、まだ、若干35歳である。10年どころか、
30年先まで国家指導者として君臨しうる。時がたてばたつほど、この若さは武器となり、
10年先までしか見通せない指導者を凌駕していくことであろう。
その片鱗を見通していくスレッドになることを期待する。
431:mespesado:

2019/04/29 (Mon) 01:10:15

host:*.itscom.jp

>>422 「新しい金融理論」の続きです。

 前回の最後に、管理通貨制度の下で、日本銀行券という名の「日銀の借用

証」に過ぎない紙きれをなぜ人は安心して「取引」に使っているのか、とい

う謎を解決するための仮説として「租税貨幣論」というものがある、という

話をしました。

 今回は、この「租税貨幣論」とは何かということと、その仮説は本当に正

しいのか、について論じようと思います。

 まず、この「租税貨幣論」の論評がいわゆる“藁人形論法”にならないよ

うに、信頼のおける中野剛志さんの著書『奇跡の経済教室【基礎知識編】』

の106~107頁から、この「租税貨幣論」について定義している部分を引用し

ておきましょう↓

--------------------------------------------------------------------
 ところで、現代の現金通貨は、貴金属との交換が保証されない「不換通貨」
です。では、その現金通貨は、なぜ通貨として流通しているのでしょうか。
お札は、どうして単なる紙切れではなく、「お金」として使われているので
しょうか。
 これについては諸説ありますが、私が最も有力だと思うのは、「通貨は、
納税の手段となることで、その価値を担保している」という説です。この説
を採用する経済理論は「現代貨幣理論」と呼ばれています。
 この「現代貨幣理論」の貨幣理解のポイントは、次のようなものです。

   まず、国家は、国民に対して納税義務を課し、「通貨」を納税手段と
  して法令で定める。
   こうして国民は、国家に通貨を支払うことで、納税義務を履行できる
  ようになる。
   その結果、通貨は「国家に課せられた納税義務を解消することができ
  る」という価値をもつこととなる。
   その価値ゆえに、通貨は国民に受け入れられ、財・サービスの取引や
  貯蓄など、納税以外の目的でも広く使用されることとなる。

 このように、「現代貨幣理論」は、「通貨の価値を裏付けるものは、租税
を徴収する国家権力である」と唱えるのです。

 もっとも、歴史をひもとけば、国家が納税手段として法定していないもの
でも、貨幣として流通した例はあります。確かに、国家が納税手段として法
定していないものが、貨幣として使われることは、あり得るかもしれません。
しかし、そのことは「現代貨幣理論」を否定するものではありません。
 というのも、「現代貨幣理論」は、国家の徴税権力は貨幣の「必要条件」
ではないが、「十分条件」ではあると考えているのです。
--------------------------------------------------------------------

 中野さんは、この一仮説にすぎない「租税貨幣論」を、「現代貨幣理論」

すなわちMMTの一部を構成する仮説であるとまで主張しているわけですが、

これはいささかMMTを拡大解釈し過ぎではないでしょうか?

 これでは、もしこの「租税貨幣論」を批判しきってしまうとMMTまでが

否定されたことになってしまいます。

 さて、この「租税貨幣論」そのものについてですが、中野さんは上記引用

文の後半で「必要条件ではなく十分条件である」と逃げを打っていますが、

我々にとって一番関心があるのは、我々の通貨である日本「円」が通用する

理由が果たして「租税貨幣論」によるものであるかどうかです。

 私は直感的にこの説は「取って付けた屁理屈」にしか思えません。そう思

って検索を掛けると、やはり「租税貨幣論」に疑いを持つ人はいるようで、

例えば「うずらのブログ」というサイトの記事↓


租税貨幣論のウソ〜税がなくなれば人々はもっとお金を使うようになる
http://kobuta1205.hatenablog.com/entry/2019/02/14/050004


でも、


> 租税貨幣論者は、貨幣と租税とを紐づけたがるが、我が国に貨幣が誕生
> してからしばらくは、税といえば、租(口分田の収穫の約3%の物納)、庸
> (年間10日間の労役or布による物納)、調(特産物の物納)、雑徭(土木工事
> などへの労役)という時代が500年近くも続いていた。

> その後、生産・販売の独占を認める「座」の対価として貨幣による納税
> が一般化したのは、ようやく鎌倉時代に入ってからであったという史実
> を見ても、貨幣の最終需要は税だから、貨幣需要があるのは税という制
> 度のおかげ、つまり、税が貨幣を駆動させるという租税貨幣論は成り立
> たない。


とあり、まこと、ごもっともです。また、外国の事例でも


> 非納税通貨の外国通貨が自国通貨を駆逐するという実態は、人々が、租
> 税と貨幣価値との連関性をまったく意識していないという何よりの証拠
> だ。

> 試しに、エクアドルとか、パナマ辺りのインチキ国家に行き、ダウンタ
> ウンで屯している薬の売人にでも、「アンタが米ドルを欲しがるのは、
> 納税のためかい?」と訊いてみればよい。


 あるいは記事の最後にあるように、


> 租税貨幣論者は、おかしな屁理屈を捏ね繰り回す暇があるのなら、身近
> な人々に貨幣と租税の関係性について尋ねてみるべきだし、実質無税国
> 家に近いドバイ、アブダビ、サウジアラビアで普通に貨幣が使われてい
> る事実をとくと見物してくるがよかろう。


という具合に、「租税貨幣論」への反証はいくらでもできそうです。そう言

うと、「租税貨幣論者」は「必要条件でなく十分条件だと言ったろ?」とか

言ってきそうですが、実は確かに「租税貨幣論」が成り立つ事例として、彼

らは帝国主義の植民地時代に、英国がインドかどこかで貨幣経済が成立して

いない地域で土着民に英国の通貨で徴税を強いたところ、彼らはその通貨を

使用するようになった、という事例を挙げるのですが、むしろこちらの方が

「例外」であって、「租税貨幣論」でない方が大多数であり、むしろ「租税

貨幣論」の方が例外的に成り立つ場合もある、と考えた方がよさそうです。

 それでは、日本「円」を含む大多数の不換貨幣が「貨幣」として通用する

本当の理由は何か?

 私の仮説はこうです:

 まず「円」はもともと兌換紙幣でしたから、「貴金属の引換証」として価

値があるとみなされ、実際の取引に使われていました。すると、当時の兌換

貨幣であった「円」については次の事実が成立しています:


★ 円を持って実際に店に行けば、その金額に見合った価値の商品と取り換
  えてもらえる。


 このため、人々の間に「円を店に持っていけば、その金額に見合った価値

の商品と取り換えてもらえるはずだ」という確固たる「信仰」が発生します。

そして、この「信仰」は、現実に店に「円」を持っていけば実際に商品と取

り換えてもらえるので「事実により信仰が裏付けられる」わけです。従って

上記の「信仰」は「事実」によってますます「強化」されることになります。

 さて、歴史上のある段階で「円」は兌換紙幣から不換紙幣へと変更されま

す。しかし相変わらず貨幣の単位は「円」のままであり、似たような「お札」

ですから、不換紙幣に変更された直後も、「円を店に持っていけば、その金

額に見合った価値の商品と取り換えてもらえるはずだ」という信仰は皆が持

ったままです。そして実際に「円」をもって店に行くと、店の人も客と同じ

く「円を(他の)店に持っていけば、その金額に見合った価値の商品と取り

換えてもらえるはずだ」という信仰をまだ持っていますから、店の人が欲し

いものを他の店で購入するためには「円」を手に入れる必要がある、と信じ

ています。ところが、今まさにラッキーなことに、目の前で客が欲しい商品

と引き換えに客が自分に「円」を手渡そうとしているのですから、店の人は

「喜んで」これを受け取ります。すると、客にとっては、今店の人が自分の

差し出した「円」を「実際に」受け取って、代わりに自分が指定した商品を

くれたわけですから、例の「円を店に持っていけば、その金額に見合った価

値の商品と取り換えてもらえるはずだ」という(まだ残っていた)信仰は、

このとき事実によって裏付けられることになります。つまり件の「信仰」が

(不換紙幣に変更された以降であるにもかかわらず)「事実」によって「強

化」されるわけです。

 つまり、「円を店に持っていけば、その金額に見合った価値の商品と取り

換えてもらえるはずだ」という「信仰」は、「兌換紙幣」の時代であろうが

「不換紙幣」の時代であろうが関係なく必ず「事実」によって「強化」され

続けるわけです。そして、この絶え間なく事実によって強化され続ける「円

を店に持っていけば、その金額に見合った価値の商品と取り換えてもらえる

はずだ」という「信仰」こそが、「円」という「不換紙幣」が現実に通用し

ている根拠になっていると思うわけです。

 私には、上記のような「仮説」こそが不換紙幣の本質であって、「租税貨

幣論」などは、何とか現実に通用する根拠を探そうと理屈をこねくり回した

だけの「粗雑な仮説」の域を出ていないと思うのです。ですから、せっかく

トートロジーとして「事実」であると言い切れるMMTに、このような怪し

げな牽強付会に過ぎない「租税貨幣論」を含めることにはとても賛成できま

せん。

 というわけで、しばしばMMTに「もれなく付いてくる」、あるいは論者

によっては「MMTの一部である」とさえ考えている「貨幣負債論」も「租

税貨幣論」も、あまりできのよくない仮説、というよりもハッキリ言って、

「間違った仮説」であることがわかりました。ですから、これら2つの仮説

はMMTを人に説明する際はあまり力説しない方がよいのではないかと思い

ます。

 以上でMMTにまつわる「貨幣負債論」と「租税貨幣論」に関する話はお

しまいです。また別の話題が見つかり次第その都度記事にしていきたいと思

っています。
                              (続く)

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