★ 掲示板:『放知技(ほうちぎ)』 ★彡
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2018年元旦,金正恩,五輪外交を開始!平昌五輪を大成功に導く.習近平が金正恩を超国賓待遇!金正恩が米朝首脳会談を提案,これをトランプが即断で受諾!金正恩,板門店から韓国に入り,南北首脳会談.大成功!トランプが5月中の米朝首脳会談を示唆.マティス国防長官が「駐韓米軍の撤退」を示唆!…まさしく激動の2018年だ.この激動の切っ掛けをつくり,激動をリードしてきたのは,金正恩(34)だ!今後も金正恩は世界をリードする!目が離せない.深い考察と議論が必要だ.
(M部長・飯山一郎)
新時代を見透かす知恵者たちの発信スレー40―
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1:堺のおっさん:
2020/04/19 (Sun) 21:38:13
host:*.enabler.ne.jp
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奇遇と言うか、故飯山氏を送る集いは2018年11月25日、
大阪のコロナホテルで執り行われた。まさに啓示である。
コロナウイルスの一種である武漢ウイルスが世界を巡り、
グローバル世界はこの感染爆発に対応出来ない限界を示した。
武漢ウイルスは世界を変えるキーとなるか。
知恵者たちの卓見を発信するスレになることを期待する。(管理人)
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441:mespesado
:
2020/06/21 (Sun) 10:06:30
host:*.itscom.jp
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>>440
後半の「国債流通市場の形成」の要約↓
もともと高度成長期までは国債の発行自体が少なかったこともあり、当初
は国債の民間消化は「シンジケート団」という民間金融機関で組成した団体
が一定のシェアに基づいて引き受けるという形を取っており、1970年代
は、この「シ団」が国債発行額の約80%を占めていた。
その後、1978年に「公募入札」が始まり、1990年度には国債発行
額の40%を占めるようになり、大蔵省の資金運用部も1980~87年度
には30%を占めるようになった。また1987年には国債の郵便局での窓
口販売が開始された。
シ団が主な国債の引き受け手だった頃は、日銀はこれらの国債を「買いオ
ペ」で間接的にほぼ全額引き受けていた。もともとシ団引受けの金利はは市
場金利より低めに設定されていたが、最後は日銀が引き取るので問題が無か
ったが、1975年以降の国債の大量発行で日銀の買いオペ規模を上回るよ
うになり、シ団は市場金利との差による売却損・評価損を被るようになり、
そのことによる国債発行条件の悪化を懸念した大蔵省は、国債流通市場の規
制を次々に緩和していき、市場原理が機能するようになり、新規発行債の金
利は市場金利とほぼ等しくなってきた。また、国債の発行量も市場原理に晒
され、市場のニーズ動向に規定されるようになった。
これらの「財政の証券化」の流れに伴い、当初、国債は10年償還という
長期の債券であるため市場への影響は小さかったが、償還直前の国債は短期
証券として市場で取引されるため、市場の短期証券とも競合するようになり、
国債の発行政策は金融市場に大きな影響を与えるようになってきた。一方、
国債発行に依存した財政政策により、日本の国債残高は累積し、財政赤字が
「泥沼状態」になっていった---。
↑後半部を要約すると、大体こんな感じになります。なお、最後の「泥沼状
態」という部分は、筆者の思想的バイアスを知るため敢えてそのままの表現
を採用しています。そして、この後半部の主張の最後の方に書かれた論評は、
後でツッコミを入れる際に重要になるので、そのまま引用しておきます↓
> 2000年代に入ると、企業の財務リストラが加速し、民間金融機関はさら
> に国債頼みの経営となっていっていった。これにともない、銀行の預金
> と貸出金とのギャップがさらに広がり、預金が本業の貸出金に回った割
> 合をみる預貸率は70%にまで落ち込んだ。換言すれば、戦後の歴史の中で
> 形成された1,500兆円を超える日本の家計貯蓄の高さによって、膨大な日
> 本国債が国内で消化・保有され続けることになったと言える。皮肉なこ
> とではあるが、「空白の20年」こそが、巨大な財政赤字と国債価格の維
> 持が保たれるという「奇妙な安定」を生み出したのであり、その嚆矢と
> なったのが、経営意図とは異なるものの民営化過程にあった郵便貯金だ
> ったのである。
(続く)