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金正恩の真実 金王朝の“深い謎”ビビンバ!北朝鮮!
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新時代を見透かす知恵者たちの発信スレー40―

1:堺のおっさん:

2020/04/19 (Sun) 21:38:13

host:*.enabler.ne.jp
奇遇と言うか、故飯山氏を送る集いは2018年11月25日、

大阪のコロナホテルで執り行われた。まさに啓示である。

コロナウイルスの一種である武漢ウイルスが世界を巡り、

グローバル世界はこの感染爆発に対応出来ない限界を示した。

武漢ウイルスは世界を変えるキーとなるか。

知恵者たちの卓見を発信するスレになることを期待する。(管理人)
910:mespesado :

2020/09/23 (Wed) 20:36:27

host:*.itscom.jp

>>904 >>905

 堺のおっさん様。数々のするどい視点を提供していただき、ありがとうご

ざいます。

 確かに国家というものに対する認識が仁徳天皇の時代と現代とで異なる、

という視点は非常に大事です。そこで、この仁徳天皇時代と現代の対比を、

「国家」という概念を持ち込まずに表現する方法を考えてみます。

 以前に「通貨発行権」より「通貨主権」の方が本質だ、という話をしまし

た。ところが、現代はともかく、仁徳天皇の時代はそもそも「通貨」という

モノが十分発達も流通もしていませんでした。そうなると、「通貨主権」よ

り更に根源的な概念は何か、ということを考えなければなりません。そこで

「経済主権」という概念を考えてみることにします。経済活動とは、モノや

サービス(これを「財」と呼ぶことにしましょう)の「生産」と財の「消費」

を結びつける行動のことに他なりません。そして、「経済主権」というのを、

この経済活動の「仕組み」を定めて「強要」させる「権力」のことである、

と規定することにしましょう。

 さて、そこで堺のおっさんが >>905 で取り上げた菅総理の「自助、共助、

公助」を、この「経済主権」との関係で再定義すると、「公助」とは、国家

による国民への「援助」とか「給付」というのがことの本質ではないことが

わかります。なぜなら、堺のおっさんが >>905


> 仁徳天皇の逸話は厳密に言えば公的な援助の発動ではない。


と述べておられるように、「国」は別に「財」を援助したわけではありませ

ん。単に税という「供出」を止めただけです。とはいえ、これを財の「マイ

ナスの現物給付」と言えないこともありません。ところがこれに対して「現

代」の方は、国は「財」を一切「提供」もしていないどころか、逆に国民の

方も「財」を何ら「供出」もしていません。財のやり取りは、あくまで国民

と国民の間でしか行われていません。では国は何をやっているのかというと、

「貨幣」というそれ自体は「財」でも何でもない単なる「道具」をうまく使

うことによって、「財」の「流れ」を人為的に変更しているだけです。

 つまり、「公助」とは、「経済主権を持つ者が、放置していると国民が困

る状態になると見込まれたとき、ある強権を発動して財の流れを変更し、国

民の困窮を改善しようとする行為」に他ならないことがわかります。

 すると、「共助」とは、「経済主権を持たない者同士が、自分達が困る状

態になると見込まれたとき、互いの合意を得て財の流れを変更して、自分達

の困窮を改善しようとする行為」のことであり、「自助」とは「自分だけの

努力と工夫で財の流れを変更して自分の困窮を改善する行為」だということ

になります。

 このように考えたとき、仁徳天皇の場合は、「経済主権」を持つ天皇自身

が、自分を犠牲にして税を免除するという「強権」を発動して民を助けた、

ということであり、これはある種「対症療法」を行ったというだけのことで

あり、例えば「農業の生産効率を上げる方法を伝授した」というような、自

分を犠牲にせずに民を助ける方法を提供したという「根本的改善」の話では

ないのですね。これは、現代のような「カラ箱」に過ぎない政府の場合、自

分の取り分というものが無いのですから、政府は、仁徳天皇のときのような

「自己犠牲」という対症療法で国民を助けることは最早できないわけで、国

民を助けるには「何らかの政策の企画立案」という「知恵」が必要なわけで

す。ところが現代の政治家は、この本質的な違いに気付かず、仁徳天皇の自

己犠牲にでもヒントを得たのか、しかもご丁寧に国家と国民を混同した上で、

「増税という痛み」を国民に強要しようとしたり、規制緩和で「弱い企業を

淘汰させる」というような「自己犠牲」を強要するだけで国民の困窮が改善

されるかのように錯覚しているのが実態なわけです。

 つまり、①国は上で説明したような「経済主権」を持っていること、②現

代では国は唯の「カラ箱」なので自己犠牲で困窮を救うことはできないこと、

そして③貨幣は財ではないのだから、貨幣を配ることは決して「タダで財を

提供」するという意味ではないこと、をきちんと理解する必要があるわけで

す。そう考えると、私が >>877 で紹介したような、菅さんが著書に書いて

いたような


> いたずらに給付を拡大しては、国民の自立心は薄れ、国への依存心ばか
> り大きくなってしまいます。


という考え方は、その根底に大きな錯覚が横たわっていることがわかると思

うのです。そういう意味で、堺のおっさんが >>905 で最後に述べた


> 大胆な財政出動で援助する必要もある。


というのは、決して仁徳天皇の税の免除のような「自己犠牲による対症療法」

などではなく、「国民の自己犠牲でもなければ、国家による財の給付でもな

い、正しく国民救済のための知恵」であることも同時にわかると思うのです。

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